...01


 朝、リヴァイは6時きっかりに起きる。目覚ましなんてセットしなくてもひとりで勝手に起きるのだ。そうしてまずは部屋(1LDマンション)の窓すべてを全開にする。
 間もなく朝の清潔で澄み切った風がさらりとやってきて室内をつつみこんだ。
 本人いわく、外の新鮮な空気を取り込まないと1日がはじまらないらしい。
 わたしは寒がりだから、晩春とはいえどもまだつめたい風が足先から頬までをなでていくあのすーすーとした感覚がいやで、いつも薄い毛布にくるまって身を縮めている。
 リヴァイは慣れた手つきで部屋のすみずみまでぴかぴかにすると、今度は朝ごはんの支度をはじめた。

 リヴァイと一緒に暮らしはじめてからもう5年が経つ。
 家事が苦手なわたしに代わり、リヴァイがそのほとんどを担ってくれている。朝起きると掃除。そのあとは朝ごはんを作って帰ってきたらお風呂掃除をしたのちに湯船にお湯をたっぷりとはって夕ご飯の片づけをする。それがリヴァイの家での仕事だった。
 わたしはというと午前中はなんとなく仕事をして、お昼になるとパンを齧りながらブラックコーヒーを飲む。そしてテレビを観てから午後はのんきに昼寝。夕方になるとお酒を飲みながら夕飯らしきものを作りはじめる(チャーハンみたいなものとか焼きそばみたいなものとか茶色いものばっかりだけど)といった1日を過ごしていた。まったくとんでもなくだめな"奥さん"だ。
 でもこれがわたしとリヴァイの日常だった。

 ふぁ〜とおおきなあくびをしながら、わたしは浅い眠りの中でくんくんと匂いをかぐ。すると
――あっ、これは……
 ふわりとあまい香りが鼻をくすぐった。
 どうやら今朝はフレンチトーストらしい。
 昨日のお詫びかな? と思うと自然をちいさな笑みがこぼれる。わたしとリヴァイの間に何があったのかはまたあとで説明することにして。さぁ、そろそろ朝ごはんが出来上がるころだ。
 「おい」
 ほら来た。
「起きろ。いつまで寝てんだ」
 全開にした窓をひとつひとつ閉めながら寝室へとやって来る。
「んぅ〜〜……」
「お前、昨日も飲んで寝ただろ」
「あぁ〜……」
「飲んだら片付けろって言ってんだろ」
「うぅ〜……」
「二日酔いか?」
「ちがぁう……と、思ぅ……」
 リヴァイは薄い毛布にくるまってクロワッサンみたいになっているわたしを一瞥すると深い呆れてため息を吐きながら寝室を出て行った。
 確かにわたしは昨日の夜に飲んで寝た。そのせいだろう。体が重くだるくてしょうがない。あぁ〜だのうぅ〜だの唸りながら何度か寝返りをうってのそりと起き上がると、ようやく薄い毛布をかぶったままキッチンへ向った。
 やっぱり朝ごはんはフレンチトースト。と、それから……
「オレンジだ!」
「早く座れ」
 だるい上に頭が少し痛かったけれどそれも一瞬でふっとぶ。わたしは食べ物のなかでいちばんにオレンジがすきなのだ。
「おいしそう!」
 ばっと一目散にオレンジへと手を伸ばすとリヴァイがキッとわたしを睨みつける。
「座れ」
「は、はーい……」
 リヴァイの眼力はすごい。まるで鋭い刃で刺されたかのごとく瞳を射抜く。すっかり委縮してしまったわたしは毛布を脱ぐとていねいにたたんで膝にかけて椅子に座った。
 一呼吸おいてリヴァイはいただきますと言って食べ始めた。それに次いでわたしもいただきますといってオレンジを手に取ってひと口齧る。甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。
「ねぇ」
「なんだ」
「今日ってわたしの好きなものだらけだよね。これって昨日のお詫びだったりするの?」
「気のせいだろ」
「ふーん」
 にやりとしながらフレンチトーストを口に運ぶリヴァイを見る。やっぱりこれは昨日のお詫びだろう。彼の反応からそう確信した。
 昨晩、わたしとリヴァイの間に何があったのか。それは――
「ごちそうさま」
「えっ、もう行くの?」
「今日は早番だって言っただろ」
「うそ……知らない」
「昨日は相当飲んでたみてぇだしな。酔っぱらってたから覚えてねぇんだろ。飲み過ぎだ」
 わたしのおでこをこんっと指でつつくと、リヴァイは自分が食べ終えた食器を片付け、鞄を持ちそさくさと行ってしまった。
 広い部屋にぽつんと残されたわたしは急にどうしたらいいのか分からなくなってしまう。そしてじわりとこみ上げてくる寂しさ。
 この……リヴァイめ……。
 そう、昨晩喧嘩した理由もこれに似ていた。

 昨日の夜。リヴァイは何の連絡もなしに遅い時間まで帰ってこなかったのだ。いつもなら遅くても21時には帰ってくるはずなのに。何度携帯の画面確認してもリヴァイからの着信はなし。
 何かあったの? ただ仕事で遅いだけ? それともまさか女の人と……いやいや、そんなことはありえない……はずだ。でもリヴァイには昔から女の人がよく寄って来るし……わたしはろくに家事もしなければガサツで女子力も皆無。(そんなものとっくの昔にどこかへ置いてきた) もし、もしそうだとしたらわたしたちの関係はあっさり切れてしまうだろう。だって、わたしたちは戸籍上は”他人”なのだから。わたしはリヴァイの正式な"奥さん"ではない。
“リヴァイがいなくなる”
 根拠もない不安におそわれて胸の内は黒いもやもやでいっぱいになっていく。わたしはとてつもない寂しさと恐怖に押しつぶされそうだった。そして何度もリヴァイの名前を心の中で呼んだ。
 リヴァイを待ち続けてどれくらいの時間が経ったのだろう――。ぽろりと瞳から涙がこぼれおちた瞬間にわたしの中の何かがぷつんと、切れた。
 それはあまりにも衝動的で唐突だった。
 リビングの棚の中に置いてあるわたしの好きなお酒たち。その中からいちばん強いお酒の瓶を取り出すとその場で瓶に直接口をつけて飲み始めた。ここまでは覚えている。あとは、よく覚えていない。薄い靄がかかったように記憶は朧気で、その中ではリヴァイが悲しい顔をしてわたしの頭をなでていたような気がする。
 で、今日もわたしはひとりここに取り残されてしまったというわけだ。
 1LDKの部屋はひとりにはあまりにも広すぎる。リヴァイが仕事へ出かけてひとりになるたびに思う。わたしはぽつんとしていた。まるででっかい画用紙の上にボールペンでちょんとつけられた黒い点みたいに。これではおおきな世界の中でひとりにされたような感覚にさえなってしまう。
 リヴァイ……今日は早く帰ってきてくれるかな……。
 昨日の記憶がないわたしには交わしたであろう約束さえわからない。
ぴろぴろりん〜
 小鳥の鳴き声のような愛らしい音が寝室の方から聞こえた気がした。
もしかして……
 荒っぽく寝室の扉を開け、枕元に置いた携帯の画面を確かめるとそこには”リヴァイ”の文字。
昨日は悪かった。今日はいつもより早く帰る。昼間から飲み過ぎるなよ。それと食器はいい加減片付けておけ。
 絵文字も顔文字もないそっけないシンプルな文章。だけどわたしはこんなメッセージでも胸がぎゅってなるくらいに本当に本当にたまらなく嬉しい。だってわたしはリヴァイのことがだいすきなのだから。
 勢いよくベットにダイブすると、リヴァイから来たメッセージを何度も見ては携帯をぎゅっと抱きしめて頬をゆるめる。延々と同じことを繰り返しながら頭の中はやっぱりリヴァイのことでいっぱいになっていた。
2017 04/01
ALICE+