どうか君がモテませんように!









 この生活は嫌いじゃない。カーテン越しに差し込むあわい光が、薄い瞼を透かし、朝を知覚して目を覚ます。寝返りをうてば、波打ったシーツが目に入る。そっと手を伸ばしてまだ温もりがあるのを確かめる。隣で寝ていたであろう人物は、私が起きるよりも少し前に目を覚まし、活動を開始したようだ。

 深夜に帰宅したのだろう。床に散乱している衣類を、こんなところを見られたら怒られるだろうなと思いながらも足で拾い集める。足癖の悪さはお互い様であるし、世話を焼いてあげているのだから、もし小言を言われたとしても聞き流してしまおう。そう思いながら寝室の扉を開け、リビングに向かう。

「おはよう、爆豪。帰って来てたんだね」
「あンくらい一日もありゃヨユーだわ」

 リビングからはキッチンの様子がよく見える。無駄が一つもない動きで朝食を用意している後ろ姿をしばらく眺めてから声をかけた。爆豪はふんと鼻を鳴らして笑った。

 早くても帰宅は今日の夕方ごろだと踏んでいた為、普段であればチェーンをかけて戸締りを強化していた。しかし数ヶ月に一度ほどの頻度で私は戸締りを失念する。とはいっても施錠はしているし、チェーンをかけ忘れるというほんの些細なことだ。今回はチェーンをかけ忘れたのが結果として良い方に転がったようだ。

「ぼんやりしてんじゃねぇよ、戸締りしろって再三忠告してんだろうが」
「うん、ごめん」

 もう少し柔らかい言い方をしてくれてもいいのではとも思うが、爆豪の言葉は尤もだ。彼のこのぞんざいな態度にはもう慣れたし、言い方の一つや二つで波を立てるほど私もコドモではない。そのような若さはとっくに失われている。

「適当な返事してんじゃねぇぞ。それ聞くの何回目だと思ってんだァ? 海馬やられてんなら脳外科いけや」

 記憶力のなさを豊かな語彙で罵倒された。爆豪の言う通りだ。チェーンをかける、この簡単な行為を何度忘れるのだろうか。
 しかし、言っても無駄だと見限ることもなく、同居を解消することもなく、毎回こうして忠告をしてくれるのだ。粗暴さばかりが表立つが、優しい男だと思う。

「帰ったなら声掛けてくれれば良かったのに」
「起こしたところで、一言二言話して寝落ちすんだろうが」
「そうなんだけどさ……お疲れ様、お帰り、って言いたいじゃん」

 手首の動きと菜箸だけで簡単にまかれていく卵焼きを眺めながら、間延びした口調で不満を呟く。料理の邪魔になっているのだろう、爆豪の眉間には煩わしげなシワが刻まれる。それでも爆豪は律儀に返答してくれる、手元を狂わせることもない。

 これ以上続けると、しつけぇと爆豪の機嫌が悪くなることは目に見えている。引き際というのも長い付き合いの中で、感覚として掴んでいるのだ。徐々に声を小さくしていくことで、主張を有耶無耶にしてしまうのも、大人になったからこそ身についた技だ。
 正面からぶつかり合うほどのエネルギーはないのだ。自分の感情をストレートに向けるのは骨が折れることだ。ついついラクな方を選んでしまうのは、“大人になったからこそ身についた技”というよりも“大人になった故に染み付いてしまった悪癖”というべきだろう。

「いま言えばいいだろ」
「お帰り、お疲れ様」
「……タダイマ」

 おはようお休みに対する返答は気まぐれにしかしないのに、お帰りに対する返答は必ずしてくれるのだ。照れくさいのか片言で返してくるくせに、一度も欠かしたことはない。
 綺麗にかたちを整えた卵焼きを皿にのせた爆豪は、全て終えたかのように手を洗ってからこちらにやってきた。いつもならばこの後に茶碗に白米をよそい、机に並べたはずだ。

「せっかく作ってくれたご飯、冷めちゃうよ」
「別に温め直しゃいいだろ」

 食欲よりももう一つの欲求をさきに満たすことにしたらしかった。高校の時は身長差を感じることはあまりなかった、いや身長差を意識するほど近くにいなかったというのもあるが。とにかく今の私と爆豪にはそれなりに身長差があって、立ったままキスするには、顎を突き上げなくてはいけなくて、少し苦しい。

 どうにか爆豪の意識を元に戻せないかと、口先だけでささやかな抵抗をしてみるが、一蹴されてしまう。

 次の手を考えているうちに、後頭部に手が添えられ、もう片手で顎を掬いあげられる。いつもは大体不満げにへの字に曲げられているか、真一文字に結ばれている口許が、この時だけ大きく開かれる。まるで捕食しようとしているかのようだ。

「口、開けろ」

 立ったまま深いキスをするのは好きではない。口を閉じたままでいれば、爆豪が不満げに命令してきた。
 鼻先が触れる距離だ。この状況で何故だか、猫が鼻先を触れ合わせている光景を思い出した。猫たちによく見られるあの行為に、どのような意図があるのかは知らないが、きっと私たちよりも親愛の情が込められているのは確かだ。

「するならベッドがいい」
「あとでな」

 私の言い分なんて聞かずに、それすら呑み込むように爆豪は唇を重ねてきた。舌が無遠慮に口腔内を蹂躙してくる。息をつく間も与えてくれない。
 爆豪は舌をつかってわざとらしく唾液を流し込んできて、私のものと混ぜるように舌を動かすのだ。唾液が溢れてしまい、口端からたらりと垂れていく刺激にすら反応してしまう。

 真上を向かされた状態では嚥下することも難しく、息継ぎの隙すらもらえない私は溺れそうになる。死因がキスによる溺死なんて笑えない。

 苦しくなって爆豪の胸に拳をぶつけるが、顎に添えられていた手が腰に回され、さらに深いキスが与えられる。唾液が口の隅々まで満たして、ング、と変な音が喉奥で鳴った。
 すぐ側にある瞳が満足げに細められた。これが好きらしく、私のこと反応をみると爆豪は解放してくれる。悪趣味だ。

 咳き込みそうになるが、いま咳き込めば口いっぱいに溜まった唾液を吐き散らすことになる。そんな哀れな姿を見せてやるものか。ビクビクと蠢く喉を必死に抑えて、呼吸を整える。

「飲めねぇなら返してくれて構わねーけど」

 呼吸を整えることに必死で、未だに唾液を口の中に留めていた私に対して、爆豪は挑発するように舌をベッと出した。もう爆豪の唾液だけでなく、私のものも混ざっているのだ。それを口移しして返すなんて、受け入れ難いし、思い通りになんてなりたくない。
 数回に分けて飲み込んだが、思ったよりも大きな音が鳴った。
 ようやく息ができる。長く潜っていた水中から顔を出した時のように、必死な呼吸をしていれば、後頭部を押さえつけていた爆豪の手が今度は労るように頬に添えられた。親指が唾液で濡れた口許を拭うように動かされた。それだけでこの自分勝手な口付けも許せてしまうのだから、私も単純な女だ。

「続きはベッドが良いンだっけか?」

 都合の良いように解釈されている。キスをするならばせめてベッドに連れて行けと主張したはずなのに、これでは私がこれからする行為に対して積極的であるかのようだ。
 ムッとしたのは一瞬のことで、片方の口端をつりあげて笑う爆豪をみたら反論する気にもなれず、腕を彼の首裏に回した。甘えているみたいでどことなく気恥ずかしさを感じた私が腕に力を込めれば、「技かけるなんてイイ度胸してんじゃねぇか」と言いながら爆豪は難なく私を抱き上げ、そのままベッドまで運んだ。

 雑にベッドに転がしたくせに、シャツの裾から差し込んだ手は、赤子に触れるかのように優しく慈しむかのように腹や腰を撫でる。一貫性のない行動についつい笑いが込み上げてきてしまう。

「何笑ってんだテメェは」

 こっちに集中しろ、と低いが聞こえてきて慌てて意識を戻す。爆豪の手つきは、先ほどよりも明らかに私の身体を昂めるものに変わっている。
 覆い被され、頭から足の先まで見られていると思うと恥ずかしくて涙が滲む。行為自体が嫌ならば殴ってでも、蹴ってでも、噛んででも抵抗する。爆豪はそれを理解しているからこそ、私の建前だけの弱々しい「いや」「まって」という拒絶の言葉も、正しく受け止めて何も分からなくなるくらい気持ち良くしてくれる。
 相性は悪くないのだろう。だから恋人でも友だちでもない、しかし心の隙間を埋めるように気まぐれに互いを求め合い、同じ屋根の下で暮らす──という曖昧で歪な関係が何年も続くのだ。
 あぁ、爆豪が一生モテなければいいのに!
 








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