ハジメテをどうぞ!









 今日、私はハジメテをうります。

「ハジメマシテはいかがですか?」
「新聞は必要ないんで」

 エントランスはちょうど通りかかった住人のあとに続くことでどうにか突破できた。順調に思われたが、まさか玄関先で追い返されるとは誰が予想できただろうか!
 用心深さは相変わらずで、チェーンをかけたまま応対した相澤先生は、私の顔を見た途端に扉を閉めてしまった。酷い。

「酷い! 真昼間から大声で泣いてやる! イレイザーヘッドに弄ばれましたって泣いてやる!」
「ヤメロ」

 少し大きな声で喚けば、演技と理解しながらも、最悪の場面を想定してしまったのか相澤先生は慌てた様子で扉を開けた。

「お久しぶりです。顔が疲れているようですけど、大丈夫ですか?」
「たったいま元気を吸い取られたばっかなんでね」

 流石に部屋の前で騒がれては困ると思ったのか、相澤先生は扉を大きく開けて招き入れてくれた。顔は随分とお疲れの様子だ。まぁ、その原因の半分くらいはいまの私の行動かもしれないが。

「それで何の用だ」
「もと教え子が恩師に会いにくるのに理由なんていらないですよ。それより、そろそろ足がくたびれてきちゃったのですが……」
「一人暮らしの男の家に上がり込もうとするな」

 教え子が訪ねてきたというのに、つれない人だ。合理性に取り憑かれた相澤先生らしいとえばらしいのだが。
 図々しくも部屋にあげてくれないかと交渉したが、逡巡することもなく呆れたような声で断られてしまった。

「用があるならここで話せ。長くなるなら場所を変える」
「ですから、ハジメテを受け取って欲しいんです」

 部屋にあげてはくれないようだが、話は聞いてくれるようだ。場所を変えることまで提案してくれたところ申し訳ないが、この場所が良いのだ。
 無駄を嫌うだろうからと、端的にこちらの用件を話す。

「さっきから、そのハジメマシテとかハジメテとかってなんだ」
「ストレートに言いますと、処女ですね」
「は?」

 面倒だということを隠そうともせず、相澤先生は長い髪の毛を掻きながら、ハジメマシテという言葉の意味を尋ねてきた。どうやら伝わっていなかったようだ。ジェネレーションギャップだろうか? と思いながらも、わかりやすく直接的な言葉で伝えれば、ようやく相応しい反応を見せてくれた。
 気怠げな目をいっぱいに広げ、私の頭から爪先までを見ている。品定めというよりも、異常がないか確かめているといった様子だ。

「悪くないでしょう?」

 少しだけ香水をまとわせた髪の毛を揺らしながら答えを促せば、相澤先生の髪の毛がブワッと立ち上がった。学生時代に何度も見てきた、ヒーローの表情だ。

「わぁ、個性までつかうなんて気合い十分ですか?」
「これほど個性事故であってくれと願ったことはないな」

 個性で操られていると心配してくれたのだろう。抹消の個性を使用している時の相澤先生はとても精悍な表情をしていて、気恥ずかしさを隠すように大袈裟な反応を返す。
 個性を使用しても反応が変わらなかったことから、操られているという線は消えたらしい。相澤先生は頭を抱えてしまった。

「お前、休めてるか? 仕事熱心なのは結構だが、ヒーローにとって身体が資本……」
「仕事のせいで頭おかしくなったわけではないですよ」

 今度は仕事のしすぎでおかしくなったという可能性を考えたらしい。忙しいけれども、充実した毎日を過ごしている。福利厚生がしっかりしているおかげで十分な休息も取れているのだ。その可能性を否定すれば、相澤先生は深いため息をついた。

「こうなった経緯を話せ」
「好きな人に貰って欲しいと思ったので」

 私の頭が正常だという前提でようやく本題に入ることができた。どのような場面でも情報を集め、状況を把握しようとするのは職業病だろうか。そのようなことを思いながらも、私ははっきりとした口調で相澤先生が知りたがっていた経緯について包み隠さず話す。

「……なんだってこのタイミングなんだ? 卒業して二年経つだろ」

 好きな人というのが自分であるということは話の流れから把握したようだ。在学時にも密かではあるが好意を持っていたことは、鋭い相澤先生ならば気づいていただろう。その点については納得したようだ。しかしタイミングについては不思議に思ったようだった。
 確かに在学時に好意を伝えることは、お互いの立場を考えると躊躇われた。このような告白をするのは一般的には卒業のタイミングだろう。なぜ二年が経ったいま告白したのか、どうしてもその理由だけは浮かばなかったようだ。

「今さらなんかじゃないですよ。先生を犯罪者にしたくはなかったんで二年間待っていたんです」
「……なるほどな。お前は賢いんだか、馬鹿なんだか……」

 卒業をしたとしても、未成年との性行為は責任が問われてしまう。それも相澤先生がだ。成人になるまで待っていたのだと話せば、呆れたような表情はしていたものの一応は納得してくれたようだ。

「先生は頭が良すぎるので、一緒に馬鹿になっちゃいましょう」
「気持ちは有難いが、それは受け取ることが出来ない」

 細かい問題は考えずに、流れに身を任せて仕舞えば良いのにと思う。合理性を愛し、理性が強そうな相澤先生にはそれが一番難しいのかも知れないが。先ほどまであんなにも面倒臭そうにしていたのに、こういう時だけ真剣な表情でまっすぐに向き合ってくれるのがずるいと思う。

「ハジメテって重いなって思うタイプでした? でしたらその辺りで捨ててきますね」

 これは賭けでしかなかった。断られたショックを軽い口調で隠し、ドアノブに手をかける。

「じゃあまた」

 扉を押して、外に出ようとしたタイミングで腕を引かれた。相澤先生が掴んでくれたのだ。拒むならばいまだったのに、相澤先生は拒みきれなかった。教師として導く立場にいるのだ、間違った道に進もうとする私を見捨てられなかったのかも知れない。それでも良い。私は賭けに勝った。

「引っかかっちゃいましたね」
「……そういえば当時から成績は優秀だったが、手のかかる生徒だったか」

 悪い生徒にまとわりつかれて、先生も苦労が絶えない。悩みを増やしてしまい申し訳なく思ったが、それ以上に嬉しさが勝りふふっと笑いが溢れてしまった。相澤先生は片手で私の腕の掴んだまま、もう片手を目元に押しあて宙を仰いでいた。ハーフアップにしたことで晒された耳はほのかに赤くなっていた。

「もう卒業したんで、一生徒として扱われるのは不服です」
「じゃあ、ミョウジも先生から卒業しなきゃな」

 このまま押し切るしかないだろう。押し売りのようにしてはじめたのだから、今さら恥も見聞もない。扉を閉めて、向き直った時にはもういつも通りの相澤先生がいた。
 子ども扱いは困ると主張すれば、卒業してもなお先生と呼んでいたことを指摘された。確かにいつまでも先生と呼ばれていては女性として見辛いかも知れない。そういうプレイの場合は別だが。

「相澤さん?」
「そっちか」

 気恥ずかしくて名字で呼べば、そのような心のうちも見抜いたのか相澤先生はクッと喉の奥を鳴らして笑った。相澤先生、いや相澤さんの前ではまだまだ私はひよっこなのかも知れない。

「それで?」
「はい?」
「ハジメテってのは、いくらで貰えるんです」
「いまなら特別大セール中なので必要ないです」

 相澤さんにしては要領を得ない質問だなと不思議に思いながら聞き返せば、少し気まずそうにしながら、これからの行為についての質問が返ってきた。どうやら多少は意識してもらえているようだ。

「その代わり、返品はできないんですけど……いかがですか?」
「大事にします」

 照れ臭そうに視線を逸らす表情が愛おしい。手を引かれて部屋の中に足を踏み入れる。ハジメテもこれからもお買い上げありがとうございます! だなんて元気よく言ったら、真昼間からあり得んだろと冷めた声で言われてしまった。どうやらハジメテを献上するのはまだ先のようです。







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