宙ぶらりんのユダ

正面から刃が迫る。それに対して横へと踏み出しながら右手に握る得物を後ろへと引き、そして刃を潜るように両脚を曲げて一気に体を落とす。その状態から抜けていく相手の手に合わせ、先程の女――たしか秘妖とか名乗っていたか――との闘いで手に入れた得物を振るい、敵兵の手首の骨をへし折る。利き手を文字通り壊された相手が剣を落とすが、残った左手で攻撃しようと動かしているのを一瞬で視認する。

――ちっ、厄介な。

殺さないと戦闘を止めない類の人間というのは、たしかに存在する。何より自分がそういう枠に入る人間だと黒鋼自身が自覚している。得物がなければ拳で、腕をもがれれば蹴りで、それすらも壊されて四肢を失ったなら、たとえ喉笛を食いちぎってでも必ず殺す。文字通りの必殺。

そういう風に生きてきた。そういう生き方しか知らないし、自分はこれからもそうなのだろうと思う。簡単に生き方を変えられるほど器用で頭の柔らかい人種でないことは自他共に認めるところだし、あっさり他人に感化される自分というのもなんだか気味が悪い。こうして旅をすることになっても相変わらず同行者たちのことはどうでもいいし、日本国に戻ったなら件の姫の羽根の件など放り捨ててさっさと知世の所に戻ってしまうだろう。

知世は、本当の意味での強さを知れと言った。が、今のところ黒鋼の食指が動くような人間または生物というのは存在しないし、これからもきっとこんな調子なのだろう。強いて言うなら、隣で億劫そうに蹴り技で雑兵たちを伸しているこの得体の知れない魔術師が相手ならばあるいは――彼が本気で黒鋼を殺しに来れば生死を分けるような強者と闘う喜びを感じられるかもしれないが、さすがにそこまで節操なしではないし、何かとへらへらしているこの男にそんな気概があるとも思えなかった。

右手に握る柱の残骸で相手の頭部を殴って気絶させる。殺せない≠ニいうのは思いの外厄介で、面倒だ。元々手加減などできるような柄ではないし、そんなことをするような必要性も感じなかったのだが、これからはそうも言っていられない。殺生を繰り返せばその都度自身の強さ≠ェ減っていくのだ。まったく知世も余計なことをしてくれたものだと舌打ちし、転がっている兵士を軽く足蹴にすることでその苛立ちをぶつける。

強さ≠ェ減る。それが黒鋼の理解の埒外にあるような概念的なものなのか、もっと直接的に肉体や五感に影響が及ぶものなのかは分かりかねるが、何にせよ自分が弱くなるのは断じて許せなかった。

もっと強く。弱さこそ黒鋼が最も憎むものであり、力こそ全てだ。それは圧倒的であればあるほど良い。――頑なに強くあることを求める理由は、遠い記憶の彼方に置いてきてしまったけれど。

「おい、そっちは片付いたか」

「うーん、なんとかー。っていうか、ほとんど黒ぷーひとりで片付けちゃってるしオレの出る幕なかったよねー」

妙に間延びした語尾と気抜けするような声は、ただでさえ枷をつけられている黒鋼の苛立ちを更に煽る。ここまで来ると確信犯としか思えない。元々この手のへらへらした人間は掴みどころがなくて苦手だが、この男――ファイ・D・フローライトは今まで出会ってきた中でもその最たるものだ。やることなすこと全てが自分でもおかしいぐらい癪に障る。生理的に合わない、という表現がいちばんしっくりくるだろうか。

「オレはそっちと違って切った張ったなんて苦手なんだから、黒様がきっちり働いてよねー」

「だから、黒鋼だって何度言やぁ分かる!!」

もはや自分でも恒例になってきたと自覚しつつある怒号をファイにひとつお見舞いするが、向こうは涼しい顔だ。「わー、怖いー」などと冗談半分とはいえ女子供のように悲鳴をあげながら笑っている。それが嫌だ。いつもどんなときも仮面でもつけてるかのように笑ってばかりで、控えめに言っても気味が悪い。

……実際、仮面なのだろう。たまに見せる、一切を削ぎ落としたような思い詰めた表情がこの男の本来の姿なのだろうと察しはつく。が、そこにどのような感情や過去が介在しているかなど黒鋼は知る由もないし、好んで暴いてやろうなどとも思わなかった。そんな趣味はないし、第一興味もない。ファイだけではなく、小狼もサクラ姫も、未侑もただ通りすぎていくだけの存在だ。

そうやってなんだかんだと憎まれ口を叩き合いながらも足を進める。先刻の秘妖との戦闘の際に食らった術の影響でふたりとも脚だけと言わず全身ボロボロだが、こうして歩みを止めずに進めるのだから構うまい。痛みなど無視してしまえばさしたる問題ではない。

「秘妖さん、領主たちは最上階にいるって言ってたねー」

「別に急ぐこたぁねぇだろ」

どうせなんだかんだであの小僧が片付けているに決まっているのだ。あんな実力も信念もない小者に負けるような薄っぺらい少年ではない。

吐き気がするぐらいに装飾過多な階段を上がり、最上階を目指す。黒鋼は元よりファイも用がないのに好んで話すような質でもないのか、自然とふたりの間には沈黙が広がった。

そうして黙々と長い階段を上り続け、

「……今、何か聞こえたね」

揃って階上の踊り場を振り仰ぐ。何かが倒れたような音。――いや、誰かだろうか。

歩を進める速度を早め、広間に辿り着く。そこには後方を壁に阻まれて身動きできない未侑と、彼女に剣先を向ける兵士の姿があった。

「――っ」

息を呑む。思い出す光景がある。

何処の賊とも知れぬ誰かに殺された母は、その華奢で美しい肢体を貫かれ、全身を朱に染めていた。――刃物で、串刺しにされて。

「――伏せろ小娘!」

重ねたわけではない。第一、母とこの少女は似ても似つかない。それでも、女が殺されるのは嫌だった。……特に、長い黒髪の女が殺されるのは。

相手の剣を弾き飛ばし、一撃で沈める。更に返す刃で後ろからこちらに斬りかかってきた兵士の腹部を殴り飛ばし、床に叩きつけて気絶させた。

「わー、黒様ちょっと速いー……。っと、未侑ちゃん、大丈夫……じゃ、なさそうだね」

「ファイさん……」

未侑の衣服は襟から乱れていて、下の素肌が見えていた。……そこから察されるものはあるが、胸糞悪くなるので考えないことにする。こんな女を母と重ねた自分にも、彼女を寄ってたかって袋叩きにしようとしたこの兵士たちにも苛々した。

「わぁ、黒様怒ってるー」

「……あれ、怒ってるんですか?」

「素直じゃないからねぇ、彼」

「そこ、勝手に決めつけてんじゃねぇ! 俺ぁ胸糞悪ぃだけだ!」

というか、ファイもまだ闘える筈なのだから観戦していないでとっとと動いて欲しい。純粋な膂力なら黒鋼が勝るが、機動力はあの男の方が上なのだし。

結局、残党共はものの数分もかからずに片付いた。黒鋼とファイの周囲には反撃も許されずに意識を刈り取られた兵士たちが人形のように転がっている。まさに死屍累々というべきか。

「未侑ちゃんは無事だよ。……怖い思いさせたね」

ファイに横抱きにされている彼女は意識を失っているようだが、身体が緩く上下していることから息はあるらしい。傷もないし、命に別状はないだろう。少し落ち着いて休めばすぐにいつもの活気を取り戻す筈だ。

未侑を見つめるファイの眼差しには、心配と安堵、優しさが入り交じっている……が。

「……中途半端なんだよ」

「え?」

呟いた声を聞き咎められたのか、ファイが顔を上げる。律儀に説明してやる義理はないので舌打ちだけ返すと、苦笑と共に首を傾げられた。

違和感を覚えたのは、この国に着いて最初。未侑が領主の息子に絞めあげられたときだ。あのとき、ファイは未侑のすぐ隣にいた。息子の彼女に対する殺気――と表現するには温いが――あるいは害意とでも呼ぶべきものをいち早く感じ取ったのはファイの筈なのだ。にもかかわらず、ファイは未侑を助けなかった。春香の屋敷で風≠ノ巻き込まれたときもそう。彼がいちばん未侑の近くにいたのに、モコナを助けるのに精一杯という体を装って傍にいた未侑のことは助けなかった。

普段は優しいくせに、未侑のことになると土壇場で見捨てていると言っても過言ではないほどに突き放すのだ。この男は。

「……面倒臭ぇ」

殺すなら殺す、嫌いなら嫌いではっきりしろと言いたいのを堪える。そういう中途半端さは、黒鋼が嫌悪するもののひとつだ。

――それを他人にまで求めてちゃ世話ねぇか。

旅の面々に対して協力や干渉はしないと最初に決めたのは黒鋼だ。それを自分から破ろうとしていては本末転倒だ。誰が誰のせいで死んで、誰が殺したとかそういう話は自分の知ったことではないのだし。

苛立ちを切り捨てる。――今は、小狼の所に向かうのが先決だ。

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