その矛盾はいつか君を奪う

「おまえ、それ失くすなよ! 町の大事な記録なんだからな!」

「はい」

サクラと未侑が行方不明になったその日の昼、ファイたちは小狼を筆頭に町長の屋敷を訪れていた。子供たちを探す手掛かりを得るためだ。

子供たちを拐った連続誘拐犯と、サクラたちを拐った者は十中八九同一人物だ。ならば、子供たちの行方を追うことがふたりを助けだすいちばんの近道だろう――そう判断したのは、ほかならぬ小狼だ。

正直、既に犯人の目星もついている。現在自分たちに仮の住まいを提供してくれている診療所の医師――カイル=ロンダート。姿を消した子供たちは皆、失踪する直前にさまざまな名目で彼の診察を受けていた。カイルは催眠治療も心得ていると聞いている。ならば、適当な理由をつけて診療と称して子供たちに催眠術をかければ無理に連れ去るまでもなく子供たちを消していくことなど容易い筈だ。

魔術師という職業柄、何かにつけて魔法と関連づけて考えてしまいがちなファイではなかなか得られない発想だ。旅の同行者であるという贔屓目を抜きにしても、小狼の柔軟な思考や発想力は永い年月を生きているファイから見ても目を瞠るものがあった。サクラ姫と会って玖楼国に居着くまでは父親と旅をしていたというから、その中で自然と培われたものなのだろう。

町長から貸し出してもらった記録を解読している間も小狼は歩みを止めない。階段を物ともせずにひょいひょいと一足跳びに降りていく――が、ふと視線を戻せば、深い場所に嵌まってしまったのか、積もった雪に足を取られて派手に転んでしまっていた。昨日までの彼なら、史書を読んでいる間に歩いていているどころか乗馬していても転倒するようなことはなかったのだが……。

「前は馬に乗っててもひょいひょいだったんだけどねぇ……」

思わず苦笑する。既に犯人の目星はついていて、あとは証拠を揃えるだけ。サクラも肩書きどおりの淑やかなお姫様というよりかなり行動力に溢れる人柄だし、未侑もついている。だから信じている――信じているが、それでも心配なのだろう。表情には出ないが焦っているようで、先日よりもやや注意力散漫になっているように思えた。

「心配なんだねぇ、子供たちといなくなったふたり――特に、サクラちゃんが」

普段は歳にそぐわぬほどの落ち着き払った様子を見せる小狼だが、それでも大切なひとが危ない目に遭えば心を痛めるし、心配もする。分かりにくいだけで焦りだってするし、慌てることもあるだろう。彼だって、ちゃんとひとりの人間なのだ。笑いもすれば泣きもする。

――その彼を騙すような形でこうして同行していることに、時々耐えがたいほどの罪悪感を覚える。

小狼だけではない。サクラも、黒鋼も、モコナも、未侑も、皆善い人間だ。こうして次元を越えでもしなければ、絶対に自分とは縁のなかったであろう人々。そんな彼らを騙して、全ての事情を承知の上で、謝罪の一言さえ告げられぬまま――あるいは告げぬまま――、ファイはこうして笑顔を貼りつけながら同伴している。薄氷を踏むような危うさの上に成り立っている穏やかな日々が長くは続かないと、その事実を知らない振りをし続けて、優しさという仮面をかぶり続けている。

独善的だと思う。偽善者だと思う。自分は最低な人間だ。……当然だ。今更だ。名前も知らないヴァレリアの民、兄皇――それに、何よりも大切な半身と、親身になってこんな自分に接してくれた王。セレスの人々。たくさんの命を踏み台にして、ファイは今ここに立っている。ただひとつ、ファイ≠生き返らせるというその目的を果たすためだけに。

その償いをせねばならない。けれど、死ねない。まだ死ねない。ファイ≠ゥら奪ってしまった居場所いのちを返すまで、どんなに詰られても、誰を裏切ってもファイはこの道を引き返すわけにはいかない。歩みを止めるわけにはいかない。

「そういうてめぇも、小娘がいなくなって随分動揺してるみてぇだけどな」

「……え」

後ろからぼそりと呟くように指摘してきたのは黒鋼だった。思わず振り返り、彼の長身を見上げる。

小狼とはまた違うベクトルで寡黙なこの男は、普段は子供のように感情の起伏が激しいというのに、たまにこういう何もかもを透徹したような目でファイを見てくる。からかい甲斐のある同伴者ではあるが、こういうときの黒鋼は苦手だった。

「……別に、心配なんてしてないよー」

そんな殊勝なことができる身分ではない。

ほかの面々のみならず、未侑への良心の呵責も少なからずファイの心に影を差していた。黒鋼は、目的の邪魔になるならば殺せと飛王から命じられている。これはファイの任意によるものだ。けれど未侑は必ず殺せと厳命されている。いつになるかは分からない。でも、いつか必ず彼女はこの手にかけねばならないのだ。

優しくすればするだけ後が辛くなるのは分かっていた。彼女がもう少し大人だったら適当な理由をつけて距離を置けただろう。けれど、最初に優しくしてしまった。手懐けるためだと自分に言い聞かせて、うわべだけの優しさを彼女にも見せてしまった。

……その優しさを、彼女があまりにも真摯に受け止めるものだから。彼女に向ける優しさが心からのものなのか、それとも打算や計算の上でのものなのか、ファイはだんだんと分からなくなってきていた。

「弟子だろうが。心配して何が悪い」

「それは――」

そうだけど――という言葉は声にならなかった。押しかけられるような形とはいえ、弟子にしてしまったのは失敗だったかもしれない。いつか死んでしまうペットに同情するような感覚で、彼女が懐に来るのを許してしまってからだ。少しずつ自分のことが分からなくなってきたのは。

「別に、小娘に対してああしろこうしろと指図する気はねぇ。だがな、どっちつかずでフラフラしてんのは俺が見てて苛々するんだよ」

言うだけ言って満足したのか、黒鋼はファイの反論も待たずに雪に埋もれた小狼の救出に向かっていってしまった。モコナも交じったふたりと1匹の喧騒が、今はひどく遠くに感じる。

「――いつも、君を最も傷つけるのは君のその優しさだね」

セレスを去る間際に、王から呪詛のようにかけられた言葉を反芻する。かの王は、今どんな夢を見ているのだろうか。たとえ一時に過ぎないものだとしても、その微睡みは彼にとっての救いたりえているだろうか。

「――違いますよ、アシュラ王」

優しくなんてない。オレはただ、弱いだけだ。

自嘲するような言葉は、冷たい風と静かに降り注ぐ雪に埋もれて掻き消えた。

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