「くさい」

アホ面かまして雑誌を読み耽っている幼馴染を見下ろしながらそう言えばこれまたアホ面のままで見上げられた。何でも無い時に口を開くその癖はよした方がいいんじゃあないのか。ただでさえ学が無いのに余計にそう見えるぞ。言えば甘えたようにむう、と唇を突き出されたのでそのまま自分のを重ねてやろうかと屈んでみたもののこの匂いはやはり駄目だ。萎える。とてつもなく萎える。

「おい、今すぐ風呂に入れ」
「えぇ〜〜。昨日の夜入ったばっかりだよ」
「良いから今すぐに入れって言ってるだろ」

露伴のバカ、だの露伴のすっとこどっこい、だの低レベルな文句が後ろから聞こえるがそんな物は無視して引きずるように浴室へと連れて行く。風呂は沸かしていなかったがシャワーを浴びてる内にでもお湯は溜まるだろうし何はともあれこの匂いをどうにかするのが先決である。浴室の扉を開けてから掴んでいた細い手首を離し目線を「浴びろ」とシャワーノズルへ向ければ再び「え〜」とか「でもぉ」なんて言葉が耳に届く。服の裾を掴んでねだるような仕草をするのは結構な事だが早くその匂いを何とかしろって言ってるだろうが。

「本当にシャワーしなきゃだめ?」
「ああ、絶対にだ」
「でも、」
「何だよ?」
「せっかく仗助くんが香水付けてくれたのに…」

だからだろうが、この野郎。すっとこどっこいはどっちの台詞だ。この品の無い匂いは普段ならあのクソッタレから匂うべき香りなのに「ただいまあ」と間抜けな声を上げて帰宅したコイツから同じ匂いがするとはどういう事だ?なんとかっていうブランドの香水らしいがこのムスクの甘ったるい匂いは下品そのものじゃないか。

「ムスクだけじゃないよ。その中に煙草の香りもするみたいで、えっと、ほら」
「そんな事を言ってるんじゃないんだよ、ぼくは。おい、匂いを嗅がせるんじゃあない!」
「いい匂いだと思ったのにな。仗助くんいっつもいい匂いしてるなって思ってて」
「ハァ〜?あのクソッタレがいい匂いだァ〜〜?」
「そしたら『せっかくだから付けてあげるっスよ〜』って、仗助くんが」
「ハアァ〜〜!?」

こめかみの辺りの血管が一本や二本が千切れるんじゃないかと思うくらいにひくひくする。あのクソガキ…ッ!何が「付けてあげるっスよ〜」だ、何が。これ見よがしに人の恋人に自分の匂いを付けるなんてマーキング行為にも程があるだろうに。本人はアホだから気付いちゃいないだろうがあのクソッタレはこいつに気があるらしい。まああいつがひっそりと恋心や下心を抱く分には「勝手にしろ」の一言に尽きるがこれがまたひっそりではなく寧ろ正々堂々、もしかしたらあわよくば、の魂胆まで丸見えなのだから腹が立つ。どうせこのマーキングだってぼくを挑発する行為と自分の欲を満たす為の手段なのだ、馬鹿らしい。とことん気に食わないね、東方仗助。

「…脱ぐ、から露伴はあっち行っててよお」

観念したかのように眉を下げながらの上目遣いは中々嫌いじゃあ無いがそんな匂いを纏わせていては何の効力も無い。ぎゃんぎゃんと喚く声には聞こえぬフリをしつつ服を脱がせ更には下着をも剥げば打って変わって大人しくなるものだから思わず吹き出しそうになる。裸なんてもう何度も見たのだから今更恥ずかしがるなと言いたいがその表情に免じて今は何も言わないでおこうか。

「ろ、ろはんのおに。すっとこどっこい…」
「君は果てしなく語彙に乏しい人間だな。ほら、とっとと洗って来い」

そのまま浴室に放り込んで扉を閉めれば暫くしてからどぼどぼと浴槽にお湯が注がれ始めた音にシャワーの水音が響き始める。…あいつ、ちゃんと洗ってるだろうな?匂いが取れなきゃ意味が無いんだぞ、意味が。

そっと扉を開ければ泡立ったスポンジを力無くこしこしと二の腕に擦り付ける小さな後ろ姿が隙間から見えた。

何だそのやる気のない洗い方は…ッ!ええい、まどろっこしいッ!

「君なぁ…もっと真剣に洗えよ!そんなんじゃあ意味無いだろ!」
「きゃあああ!何で入ってくるの!洗ってるよ、ちゃんと洗ってるもん!」
「スポンジを貸せッ!身体を洗うっていうのはこうするんだッ」
「い、いたい!いたいよ!皮膚がもげちゃうよお!うえええん、露伴がいじめるよおお」

何やかんやと格闘する事数分。いつもの数倍量を使用したボディソープでがしがしと泡塗れにしてからシャワーで流せばあの下品な匂いは何処へやら。空間内は石鹸の匂いで充満していた。

脱ぐ間も惜しいと自分の服は着たままだったのでズボンの裾は酷い事になっているしシャツだって所々が身体に張り付いて気持ち悪い事この上無いが、それでも鼻をすんと鳴らして感じるのはいつもの匂いで。その事実に酷く満足すれば次第に湧いてくるのは男としての欲である。自分は全裸なのに対してぼくは衣服を身に纏っているという何ともアンバランスな構図にありったけの羞恥を感じているその表情に石鹸の匂いだぞ?どうにかならない方がおかしい。服だってどうしようもない有様なのだからこれ以上濡れたって何の問題もあるまい。

名前を呼べば僅かに睫毛を震わせて、そのまま腰を引き寄せれば静かに吐息を零される。何だかんだでこいつも察しているらしい。ならば話は早いと額に張り付いた濡れた前髪を指で掬って視線を交える。そのままゆっくりと薄く開かれた唇に吸い込まれ一つになる………筈であった。

「…何の真似だ」

あと一歩の所で拒まれた口付けはお互いの唇が触れ合う事無く、何が悲しいかぼくの唇は拒絶を示す掌と接していた。自分より小さなこの掌はそれなりにむにむにと柔らかいがぼくが求めていたのはこんな物じゃあ無い。

「くさい」
「何?」
「露伴だってくさいもん」
「……ぼくは香水なんて付けちゃいない」
「香水じゃないよ。露伴の付けてるそのリップ、くさいから嫌い。キスしたくないもん」
「…………」

ゆっくりと離れれば掌に残る真緑色の唇跡。如何にもな発色のそれが外資系化粧品の物である事は明確であった。全てがそういう訳では無いがどうにも外資系の物は特有のきつい匂いがある。そしてそれが万人受けする物かと問われれば答えは限りなくNOに近い。そういやこいつがやけにキスを拒む日があるなとは前から常々思っていたが原因はこれか。

溜息を一つ零してスポンジに残っていた泡を掬い取る。それで口元を乱雑に拭えば案外簡単に落ちたらしい。手の甲で唇を擦れば殆ど色は残っていなかった。これで満足かと見遣れば代わりにすんすんと鼻を鳴らされる。

「露伴、石鹸の匂いする」
「だろうな」
「仗助くんの匂いも好きだけど露伴に滲みついたインクの匂いはもっと好き」
「へえ、初めて聞いたな」
「うん、でも自分と同じ匂いがする露伴はもっともっと好き」
「それも初めて聞いたなァ」

濡れたままの身体で抱き付かれてシャツの乾いていた僅かな部分までもが水気を含んでいく。焦らすように鼻の頭同士を擦り付ければ互いの喉の奥からくすくすと声が漏れて、それからようやくぼくの唇は目当てのものと触れ合う事となる。

華奢な肩越しに見えた浴槽はあと数分でそのキャパ以上のお湯を受け入れる羽目となるが今は黙っていようか。溢れ行く水音を聞いてからでも遅くは無い。吸い込んだ匂いは何処も彼処も石鹸の匂いで満たされていて同時に自分の心も同じように満たされていく。鼻にかかった甘えた声で呼ばれれば先程感じていたあのムスクの匂いなんてとうに何処かに飛んでいた。ざまあみやがれ仗助。関係を引っ掻き回したい貴様の思い通りになんていくものか、このクソッタレ。

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