「で、あのプッツン女とはどうなんだ、康一くん」

席に座って10秒でそんな事を言われるなんて思ってもみなかった僕は思わず眉を顰めた。何処をどう突っ込めば良いんだか。座って速攻口を開いたと思ったら不躾なそんな質問なのか、とか人の彼女の事を面と向かってよくもまあそこまで蔑む事が出来るな、とか色々言いたい事は山ほどあるけれどどれもこの男に言った所で勝てる訳が無いのだ。僕は黙って目の前の少し温くなってしまったカフェオレに口を付けた。

僕の隣の席には彼の天敵である仗助くんがいるというのにわざわざ自分から近付いてくるなんて、よっぽど何か用があるのだろうかと一瞬でも思った自分は何て浅はかなんだろう。蓋を開けてみれば実に私的過ぎる質問じゃないか。

「別に、どうもこうも、無いですけど…」

歯切れの悪い返答に今度は露伴先生が眉を顰める。そんなあからさまに不機嫌そうな顔をされた所で由花子さんとの事を洗い浚い話すつもりは毛頭無いですからね。それでもそのじっとりした視線に居た堪れなくなったぼくは焦ったように話を変える事しか出来ない。

「いきなりどうしたんですか?そんな事聞くなんて」

その問いを聞いているのかいないのか。露伴先生は呼び付けた店員に「ペリエ一つ」なんて呑気に頼んでいた。それから軽く溜息を吐いてぼくをちらりと横目で見る。この人は悪い人では無いとわかっているけれどやっぱり人を品定めするようなその視線は苦手だ。

「恋愛要素を入れてみないか、と言われたんだよ」

トントン、とテーブルを指で叩くその様は如何にも表現方法に悩むアーティストって感じで少しだけ格好良い。本当に、少しだけだけど。

「ああ、担当の方にですか」
「そうだ。…まあ、そうでなくても君とあのプッツン女との恋愛沙汰は少々興味はあるがね」

打って変わってにやりと口角を上げた露伴先生はきっとろくでもない事しか考えていない。助けてくれ、との視線を仗助くんに投げかけたけど彼は彼で困ったように眉を下げた。言うなれば「俺にコイツをどうこうしろってのは無理ってもんだろォ〜?」ってところか。微妙な空気が流れる僕たちに気付いているのかいないのか、露伴先生はそのまま続ける。

「考えてもみろよ。あんなに性格に問題のある女が君みたいなのと付き合ってるんだぜ?不思議だよなァ〜…。ぼくにはそんな気持ち到底理解出来そうに無いね」

でも君を本にしたら多少は理解出来るかもな、なんてふざけたように指を伸ばされて思わず大きく避ければ露伴先生はさも可笑しそうにくつくつと喉を鳴らした。ぼくに言わせれば由花子さんよりよっぽど露伴先生の方が性格に問題があると思うけど。

「そんなの、別に僕に聞かなくたって露伴先生ぐらいの人にもなれば色恋沙汰の一つや二つくらい経験されてるんじゃないんですか」

これは僕が出来る精一杯の皮肉でもあり、純粋に僕が感じたそのままの思いでもあったりする。

「…そんな物があれば最初から君には聞かないさ」

先程までの勢いは何処へやら。急に小さくぽつりと呟いた彼を前に思わず僕は仗助くんと顔を見合わせた。え?それって?

「ぼくは恋愛なんてもの、経験した事が無い」

バツが悪そうにミネラルウォーターを流し込んだ露伴先生を目の前にして思わず声を上げれば、再び彼はあの蛇のような視線を僕に投げかけた。だって、この人には。

「や、てか…なまえさんと付き合ってんじゃねーの?」

僕が思っている事をそのまま聞いてくれた仗助くんに同調するべくうんうんと頷けば露伴先生は益々眉間の皺を深くした。だって、だって。ぼくがなまえさんを街中で見かけた時には常に、というぐらい隣に露伴先生がいたし、聞けばなまえさんは毎日彼の家を訪れては食事や洗濯なんかをこなしているらしいし。確かに思い返せば本人達から「付き合っている」なんて言葉は聞いた事が無かったけれどそれにしても。

「どうしてぼくがあいつと付き合ってる事になるんだ」

フン、と鼻を鳴らした露伴先生に声を荒げたのは仗助くんだった。

「どー見てもあれは付き合ってる雰囲気だろーが!」
「だからそれは君らが勝手に判断した上での思い込みだろ?ぼくが誰かと付き合うなんて、ましてやその相手があの鈍臭いなまえだと?悪いがぼくにも選ぶ権利って物があるんでね」

それを言うならなまえさんだって選ぶ権利があるだろう。見た目はいかにもな女子大生って感じの優しいお姉さんって雰囲気で、でもそれは見た目だけじゃなくて。この偏屈男の事を「露伴ちゃん」と呼んでは毎日あの家に赴いて世話をして。一体どうしてこの人はこの男を選んだんだろうか、なんて話題は一時ぼくと仗助くん、それと億泰くんの間で持ち切りになったぐらいだ。ちなみにいつだったか億泰くんが「露伴先生にもあんな可愛い彼女が出来んのに何で俺は出来ねーんだよォ〜〜」なんて泣いた日からこの話題は語られなくなった。いわゆる禁句という奴である。

「…じゃあ、なまえさんに聞けば良いんじゃねぇの?恋愛の事とかよォ〜」

中身が無くなったストローの袋を指でぐしゃぐしゃと丸めながら言う仗助くんに露伴先生は怪訝そうな顔を向けた。出来れば僕の事を根掘り葉掘り聞くぐらいならなまえさんにあたってくれ、と思う。恋愛事情を事細かく尋問のように聞かれるなまえさんを思うと可哀想な気もするけど、それでも僕よりはずっと彼女の方がこの男の扱いには長けているだろうし。

「なまえに恋愛の事を聞くだって?」
「だってよォ、なまえさん大学行ってんだろ?出会い沢山ありそーじゃん。好きな男の一人や二人くらい、いるんじゃねぇの?」
「なまえに好きな男…?」

露伴先生は肘をついて暫く考え込んだかと思うと急にわなわなと震え出した。

「ぼくはアイツにそんな存在がいるなんて聞いていない…ッ!」

えっ、と小さく声を上げて仗助くんを見れば彼もまた豆鉄砲を喰らった鳩の如く目を白黒させていた。ちょっと待って、事態がよく飲み込めない。

「え、えーっと…」
「ぼくはなまえに意中の相手がいるとかそういうのは聞いた事が無いし、仮にいたとしても認めないからな…ッ!」

認めるとか認めないとか、アンタは一体なまえさんの何のつもりなんだ。それに好きな人が出来たらなまえさんは一々アンタに報告しなきゃならないのか?

じっとりした視線を投げかけるのは今度は僕と仗助くんの番だ。自分と僕たちの温度差に気付いた露伴先生は気まずそうに咳払いをしてから改めて深く座り直した。

「まァ…そういう相手がいたとしてその相手がなまえを彼女にしたがるかどうかは別問題だよな…」

その言葉を自分に言い聞かせるように言っていると感じたのは僕の勘違いだろうか。じゅるる、とほぼ氷しか残っていないアイスコーヒーをストローで鳴らしながら仗助くんは「でも」と口を開いた。

「なまえさん、フツーに可愛いし、モテそーだけどな」
「か、かわ…ッ!?」

せっかく深く座り直した癖に仗助くんの言葉に異様な反応を見せた露伴先生は再び前のめりとなる。

「アイツの事をどんな目で見てるんだ貴様ァ!」
「え、え?だ、だから俺はフツーに可愛いって言っただけで…」
「フツーって何だ、フツーって!そんな間違った日本語でニュアンスを誤魔化そうとしたってぼくは許さないぞ!」

いや、だから、と口をもごもごさせていた仗助くんは最終的に「すいません」と謝罪の言葉を口にしていた。ああもう面倒くさい、この人。こうなってしまったらこっちが折れなきゃどうにもならない。

「なまえに彼氏だと…?ぼくは認めない、認めないからな…ッ。大体アイツが他の男に感けてしまったら一体誰がぼくの身の回りの世話をするって言うんだ。家政婦でも雇えって言うのか?ふざけるな、ぼくはなまえの料理以外を口にする気は更々無いからな…ッ!」

いや、身の回りの事は自分でやれよ、と思ったがそんな事言える筈も無い。トントン、とテーブルを叩く速度は先程よりもずっと早く彼が苛付いている事が伺い知れる。

ていうか、この人、恋愛をした事が無いとか言う割には…。最後のフレーズなんて何処と無くプロポーズ…、いや何でも無いです。

「ま、まあでもなまえさんに好きな人がいるとかって、全部仮定での話ですから。実際にどうかは違うかもしれませんし…」

宥める様に優しくそう言えば露伴先生は眼光を鋭くさせて、相変わらず奇抜な色味の塗られた唇をゆっくりと弧のように歪ませた。

「…そうだよな、アイツに彼氏なんて。……そうだよなァ」

安心したようにやっと頬を緩めた露伴先生を見る限り、この人のなまえさんに関しての感情は無意識の物らしい。無意識って言うのはタチが悪い、なんて言うけれどそれは本当かもしれない。

そして噂をすれば何とやら。

「あ、露伴ちゃん。お友達同士でお茶してたの?」

こんにちは、と軽くぼくと仗助くんにも会釈をしたなまえさんは露伴先生に微笑んだ。やっぱり綺麗なお姉さんって感じだ。由花子さんもお姉さんっぽいと言えばぽいけど、まるでタイプが違う。少しばかり照れたような表情の仗助くんを前にして面白く無さそうに舌打ちをしたのは勿論露伴先生だ。

「康一くんはともかく…、コイツがぼくの友達な訳無いだろ」
「もう!露伴ちゃんそんな言い方しちゃ駄目じゃない。ただでさえお友達少ないのに…」
「余計なお世話だッ!!」

怒鳴られたにも関わらずなまえさんはふんわりと笑いを零した。それにしてもやはりこの偏屈男を嗜めるとは彼女は只者では無い。

「…で、大学はもう終わったのか」
「うん。今からね、夕飯のお買い物に行こうと思って…。露伴ちゃん、今夜は何が食べたい?」
「………、きんぴらごぼう」

また渋いセレクトだな、なんて僕が心の中で突っ込みを入れたのと、なまえさんがもう一度あの柔らかい笑みを顔に浮かべて「うん、わかったよ」と頷いたのはほぼ同じタイミングだったと思う。そうか、今日の岸辺家はきんぴらごぼうか…。何の役にも立たない無駄な情報が頭に叩き込まれる。

「じゃあね、東方くんに広瀬くん、これからも露伴ちゃんと仲良くしてあげてね」

ばいばい、と手を振って背を向けたなまえさんの言葉に今度は露伴先生は何も言わなかった。代わりに少しだけ下唇を噛み締めるくらいで。

だけどもそれは束の間ですぐに露伴先生は財布から取り出した紙幣を、ぼくの目の前のマグカップを重石替わりにしてテーブル上に置いた。

「康一くん、君の話はまた今度改めて伺う事にしよう」

その今度は一生来る事が無いと思いたい。それじゃあな、と席を立った露伴先生はその様子に気付いてこちらを見ていたなまえさんの元へと歩み寄った。

「ぼくも行く」
「あ…、でも」
「何だよ、ぼくと行くのがそんなに嫌なのか」
「そうじゃないけど…。…もしかして荷物持ちしてくれるの?」
「………」
「あは、ありがと、露伴ちゃん。優しいね」
「フン」

露伴先生は気付いているのだろうか、さりげなく立ち位置を変えて自分が車道側を歩くようにした事を。気付いているのだろうか、身長があまり大きく無い彼女に歩幅を合わせている事を。

「…どう思う、仗助くん」
「…どう思うって、そりゃ〜……、なァ?」

お互いに大きな溜息を吐いた。何だか盛大な惚気を聞かされた気がするのはぼくの気のせいだろうか。

どう見ても付き合っている。付き合っているのだ。ワザワザ毎日世話をする為に家に通うのも、そしてそれを受け入れてしまうのも、どう考えたって相思相愛だと言うのに。

そこまで考えて思わず笑いを零せば殆ど手の付けられていないミネラルウォーターの瓶からぽたり、と雫が流れた。





「今、此処に来る時によォ…、露伴先生となまえさんが仲良さそうに歩いててよォ〜…。何か、それ見たら、俺すっげえ悲しくなって、ガチで泣きそうだぜェ……ッ」
「あー、ハイハイ億泰、アイス奢ってやっから元気出せよ。…つか、やっぱりもう付き合ってんじゃねぇの〜?あの二人」
「う〜ん…」



20151023


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