飼い犬に手を噛まれると云うのはこういう事を言うのか、とやけに冷静な頭で考える。そうしている間にも彼のあの特徴的な厚みのある唇が、何度も自分のに押し付けられたり離れたりを繰り返している。喰われるんじゃないかと思うぐらいのキスをされて何だか苦しい。呼吸がし辛くて自然と息が上がる。心拍数だって上がっている。それなのに頭だけがやっぱり冷静なのはいずれはこうなると無意識の内に自分でも予想していたからなのかもしれない。いや、でもそれにしたってさぁ…。

はあ、と溜息を吐こうとした唇はもう一度仗助くんの唇によって塞がれた。結局、溜息は彼の口内へと吐き出される。代わりに鼻で空気を吸い込めば仗助くんの付けている香水と汗が混ざり合った匂いでいっぱいになった。何とも欲に塗れた匂いだ。こんなの嗅いだらこの雰囲気に流されてしまいそうになるだろうが。

「なまえさん、好き。すげー、好き。マジにすき…」

恍惚の表情で訴えかける仗助くんの吐息が耳に当たって思わず身体がぴくりと動く。それに目敏く気付いた彼の舌が耳たぶに添うように触れる。ああ、駄目だ。やっぱ流されそう。

そもそも飼い犬に噛まれると云った所で仗助くんは私の飼い犬では無い。勿論、彼氏という訳でも無い。じゃあ何だと聞かれたら血統書付きの野良犬にただ懐かれていただけ、と答える事しか私は出来ない。「なまえさんなまえさん」とやけに私に懐いてくるな、とは思っていたし好意が滲んでいる事も気付いていたけれど、絶賛青春満喫中の男子高校生である仗助くんはいわゆる多感な時期という奴で。いわゆる「年上のおねーさん」という大して希少価値もないブランドが付いた私に一瞬の気の迷いを見せているだけだと思っていたのだけど。

相変わらずうわ言のように「なまえさん好き」と繰り返している彼を見ているとどうやらそうでは無かったらしい。彼を甘く見ていた結果がこうなってしまった。

毎週金曜日の夜。仗助くんは私のアパートにご飯を食べにやってくる。一人分を作るのは中々面倒くさいけれど二人分なら作りやすいし、それに食事はやっぱり誰かと一緒の方が美味しい。だから彼を招き入れていたのだけれど年下と言えども男である仗助くんを独り暮らしの部屋に易々と招き入れるなんてあの時の私はどうかしていた。やっぱり彼を甘く見すぎていた。「もしかしたらこうなるかも」なんて何処かでは予測出来ていた癖に「まあ大丈夫だろう」と高を括っていたのだ。

で、結果として全然大丈夫じゃなかった。非常に簡単に私は仗助くんに押し倒された。その身体を押し返そうにも、何ともご丁寧にも私の両手は仗助くんの右手によって頭上で一括りにされているのでそれは叶わない。多分、両手に自由があっても彼を退かすのは無理そうだけど。

「なァ、なまえさん。何考えてんの?」

面白く無さそうに仗助くんが顔を覗き込んだ。割とどうでも良い事を考えているのがばれたようだ。顰められた眉間の皺がそれを物語っている。

「あの、ね。仗助くん、とりあえずそこ退こう?」
「いーや、退かねー」

即答かよ。何かもう頭が痛くなってきた。どうやったらこの思春期男子を傷付ける事なくこの状況を打破出来るんだろう。いやでも傷付ける事なくって言っても最初に噛み付いて来たの仗助くんだしなあ。

懲りずにそんな事を考えていたらするりと仗助くんの手が私の素肌に触れた。捲られた衣服の隙間から入り込んだ冷たい空気に一瞬身体を震わせる。

「あ、本当に、これ以上は駄目だって…っ」

纏められた腕に力を込めて抗ってみたけれど仗助くんは何も言わずににっこりと微笑んでから私に今日何度目かわからない口付けをした。ぬるりと差し込まれた舌と知らず知らずの内に脇腹から胸の膨らみへと伸ばされた手に少しずつ意識が掻き乱される。

「ん、んぅ…。は、ぁ、じょうすけ、くん…っ」
「なまえさんて何でそんなかわいーの?何かずりーなァ」

狡いのはどっちだ。今まで牙なんて無いような顔をしておきながらこんな状況になったら此れ見よがしに男である事を振りかざす仗助くんの方がよっぽど狡いよ。文句の一つでも言ってやりたいが生憎今の私からは濡れた声しか出ない。

もう一度身体がぶるりと反応をする。下着ごと服を捲り上げられたせいで暖房の効いた部屋にいるのに少し肌寒い。

こういう経験が無い訳じゃない。男の人と付き合った事はあるし行為だって勿論した事もある。だけども何の予告も無く彼氏でも何でも無い男にこうやって身体を見られるのは羞恥以外の何物でも無い。

「…なまえさんて、胸もかわいいんスね」

何だよそれ小さいって言いたいのか。少しだけむっとすれば「そーいう意味じゃ無いっスよ」と仗助くんが口元に微笑を浮かべた。何で心読んでんの。心読めてるなら今すぐ君のやっている行為をやめてほしいんですけど。

「ホント、可愛い。食べちゃいたいくらいっスもん」

言い終わるや否や膨らみの先端が生暖かい感触に包まれる。ぱくりと口内に含まれてから舌先で撫でられて、それから赤子のようにちゅうと吸われると堪らなくなってしまう。

「あ、あっ、だめ、だ…めぇ…」
「こーいう風に触られるの、スキ?」
「や、だぁ、すき、じゃない…っ」
「素直じゃねぇな〜、ま、いーんスけどね」

いつの間にか解放されていた両手で仗助くんの肩を押し返すけれど結局その手は何かに耐える様に、彼の学生服を握るだけになってしまった。何て無力な私の両手。そして私の両手が自由になるという事は仗助くんの両手も自由になるという事で。あ、と言う間もなく自由を得たばかりの彼の右手によって残りの衣服、下着、共に剥ぎ取られてしまった。半身だけでも恥ずかしかったというのにこれが全身になったら感じる羞恥は単純に二倍、いや体感としてはそれ以上な気がする。

「なまえさんの此処、濡れてる」

いちいち言わなくて良いよ馬鹿。全身を見られてこれ以上無い位に羞恥を感じていたのに今の一言で更にその高みを越えてしまったじゃないか。下唇を噛み締めながら思いっ切り仗助くんを睨んだけれど今のこんな表情じゃ何の牽制にもならない。それどころか彼のあのごつごつとした指は不躾にも私の中心を広げる様にしたり更にはその奥に触れたりとやりたい放題である。

それから直ぐにつぷ、と恐らくは中指が内側へと入ってくる感覚がした。

「っあ、ぅ、だめ、だってばぁ…っ」

その内響き出した水音が益々私をおかしくさせる。この音も自分の声も内側を擦られる感覚も全部、全部耐えられない。

「じょうすけ、くん…っ。だめ、ほんとに、だめなの…っ」

おねがいだから、と途切れ途切れに乞えばぴたりと指の動きが止まった。

「そんなにやめて欲しい?」

呼吸が上がってしまっている私は「やめてほしい」の六文字すら難しくて、耳元で囁くように言われたその問いに首を縦に振る事でしか答える事が出来ない。それから生理的な涙で滲んだ視界のままで彼を見上げれば仗助くんは耳元に唇を寄せてもう一度優しく囁いた。

「じゃあ、俺のお願い聞いてくれません?」

お願い?何だかまるで悪魔と取り引きしているみたいだ。視線だけで「なに」と問えばこれまた優しい声色で彼は続けた。

「ちょっとだけなまえさんの中、入れちゃ駄目っスか?」
「……、だめ」

此処までの行為だけで散々駄目だと言っているのにどうして彼はそれを許すと思ったのか。怪訝な視線を投げかければ再び中に入れられたままの指がゆっくりと動き始める。

「っひ、ぅ。や、だぁ…、ゆび、うごかさない、で…っ」
「ちょーっと入れるだけでいーんスよ。ちこっとだけ」
「…っ、じょ、すけ、くん…っ」
「ちょっとだけ入れたらそれでおしまいにするんで。ね?」

言いながら中を散々嬲っていた指が引き抜かれて自分の意思とは裏腹に中がきゅうと動いて、それを見透かしたかのようにぐり、と押し当てられた物はまさしく仗助くんの雄の部分で。粘膜から伝わる熱さに思わず吐息が漏れた。この熱さは私を駄目にする熱さだ。

「……ほんとに、ちょっとだけ、だよ」

聞こえるかどうかの控えめな声でそう言えば仗助くんはにい、と口角を上げた。ほんとに、ほんとうにちょっとだけなんだからね。

ゆっくりと息を吐きながら仗助くんが腰を動かせば受け入れる準備が十分に出来ている其処は簡単に彼を飲み込んでしまった。指とは比べ物にならないくらいの質量と熱さに我慢出来なくなって嬌声が漏れる。浅い部分だけでの刺激で私のか細い理性の糸は今にもぷつりと切れてしまいそうだ。

「あ、あ、だめ、もう動いちゃだめ、ぇ…っ」
「はー…、先っちょだけなのになまえさんの中すげーきもちいー…」
「…っ、もう、やだぁ…っ」

懇願すれば返事の代わりに仗助くんは見せつけるように私の足先に唇を落とした。まるで忠誠を誓うキスのように見えるけれど彼の中に忠誠心なんて欠片もありゃしない。自分の欲を最優先にするただの犬だ。

のそりとあの大きな身体が私の上に覆い被さる。今まで感じていた仗助くんの汗と香水が混じった匂いが再び鼻孔と脳を支配する。駄目押しでやけに艶っぽい紫苑色が目前に広がった。

「やっぱ、無理かもしんねー」
「…なに、が」
「これでおしまいとかやっぱ無理かも」
「っ!、あっ…あ…っ!じょ、すけくん、らめ…ぇ」

ずくり。強引にそのまま腰を推し進められて結局私の中は仗助くんでいっぱいになってしまった。何がちょっとだけなんだ、何が…っ!少しの隙間も無いんじゃないかと思うくらいに私の身体と仗助くんの身体は密着してしまっている。びくびくと中で彼が反応すれば自分の身体も同じように震えた。

「あ、ぅ…ばかぁ…っ。ぬい、てよぉ…」

せめてもの抵抗で肩を叩けば小さな拳を作った手は彼にぎゅうと握られてしまった。じっとりと汗ばんだ掌に心臓が跳ねる。

「なまえさん、めちゃくちゃ好き」
「わ、たしは、仗助くんなんかきらいだ…っ!」
「でもよー」
「なに、」
「なまえさんの此処は仗助くん大好きっていってきゅうきゅう締め付けて離してくんねーけどなァ」
「っ、ほんとに、本当に仗助くんなんてだいっきらいだよ…っ!」
「そんな表情で言われても説得力無いっス」
「〜〜〜〜っ!」

握られた手を無理矢理振り解いて彼のアイデンティティでもある独特の髪型へと指を伸ばす。何の遠慮も無くぐしゃぐしゃと乱せばグリースで整えられた髪がはらりと舞い落ちて、代わりに私の指先がぬるりと油独特の感触に包まれた。

初めてその姿を見せた長ったらしい前髪の隙間から紫苑色の瞳が伺うようにこちらを見ている。まさか本当に自分の事を嫌ってしまったのか。そう言いたげな瞳はさっきと打って変わって何処か不安に揺れていた。

そうだ、そうやって君も苦しめばいいんだよ仗助くん。だって卑怯じゃないか。私ばっかり君に翻弄されて、焦燥感に駆られて。わざとらしく目元を吊り上げればいよいよ仗助くんは焦っているようだった。どうしよう。そんな声が今にも聞こえそうなくらいに煩悶している。

君に言いたい事は山ほどあるけれど。とりあえず今はその表情が見られただけでも良しとしようか。

グリースに塗れたままの手を広げる。

「おいで、仗助くん」

そう言えばようやく安心したように紫苑色は歪んだ。とりあえずこれが終わってからまずはお説教だな。人を噛むような犬にはちゃんと躾をしなくちゃいけないからね。


こうして私は血統書付の野良犬をまんまと飼う羽目になった。



20151203

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