金曜日の夕方。私は自分のアパートとは逆方向へと歩みを進めていた。ガサガサと音を鳴らしながらさげるビニール製の手提げの中には先ほどスーパーで買った食材がぎゅうぎゅうと詰められている。肩が重い。仕事終わりに携帯を見ると私の恋人である漫画家から「和食が食べたい」とメールが来ていたのでとりあえず魚を買ってみた。焼くか煮るかにしたらまあそれっぽくはなるだろう。我ながら安直な考えだと思うし多分彼もそれを指摘するだろう。「なまえは魚を出せば和食になると思ってるんじゃないだろうな。君の引き出しの無さには毎度毎度驚かされるよ、全く」あたりが妥当だろうか。何だかんだいいつつも大人しく私がご飯を作るのを待ってくれている彼の為に少しだけ歩くスピードを速めると後ろから肩をぽん、と叩かれた。


「仗助くん」
「なまえさん、仕事帰りっすか?」

にい、と笑う彼の笑顔は私にはない若さが溢れていて眩しい。見かけに寄らず、といってしまえば非常に失礼な話だが彼はとても好青年である。現に先ほどまで私の指に持ち手部分を食い込ませていたビニール袋は仗助くんが持ってくれている。

「なまえさんは細いんだからこんな重いの持っちゃ駄目っすよ〜」

折れちゃいそーっすもん、なんて冗談ぽく言う彼は私の恋人とはまるで正反対の人間だな、と思う。それはまるで水と油のような。それを証明するかのような彼らの関係性がすべてを物語っている。「荷物、持ってくれてありがとうね」と目を見て笑えば彼は少し照れたように口角を上げ、それを隠すように空いている手で頬をぽりぽりと掻いた。

「…あ、てか、前から気になってたんすけど」
「うん?なあに?」
「あの、なまえさんて、露伴のどこがいーんすか?」

















「で?」

ばたん、と今まで読んでいた分厚い本をわざと大きな音を立てて閉じた彼は不機嫌極まりないようである。何の本を読んでいたのかはわからないが色鮮やかな表紙を見るあたり何かの図鑑か画集といった所だろうか。

「なにが?」
「その問いに君は何て答えたんだよ?」

とんとんと一定のリズムで椅子の肘掛けを指で叩く彼がいらいらしているのは一目瞭然と言ったところだろうか。なんなの、この人。さっきまで夕飯食べて満足したのか穏やかな顔で本読んでた癖に。

「というか、そもそも何であのクソッタレと一緒にいたんだよッ?ぼくは今初めて聞いたぞッ」
「今初めて言ったもん」
「あいつとは喋るな、見るな、同じ空間に入るなって言ってあるだろうが!」
「いや、無理じゃん。そんなの」

くだらないなあ、なんて言いながら私は私で読んでいた本に再び視線を落とすと「なまえッ」なんて声が頭上からして凄い勢いで本を取り上げられた。返してよ。目線を彼に合わせると怒ったような寂しいような悲しいような。何とも言えないような不思議な顔をしていた。いつものあの整った顔が台無しだ。その変なヘアバンドはともかく顔の作りは非常に整っているのに勿体無い。


「優しいところ、って言ったよ」
「なに?」
「露伴の好きな所は優しいところって言ったの」


そう言うと一瞬少しだけ嬉しそうな顔をしたけどまたすぐにしかめっ面に戻ってしまった彼を見て思わずため息が出る。どうやら彼の欲しい答えとは違う事を言ってしまったようだ。

「優しいなんて、そんな答え、」
「うん?」
「具体的に何も答えられなかった人間が気休めでいう言葉じゃないか」
「は?」

何が不満なんだ。少なくとも私は気休めでそう言った訳では無いし勿論嘘をついたつもりも毛頭ない。それの何が駄目なんだ。


「露伴、なに言ってるの」
「…、なまえはぼくの優しいところなんて、具体的に挙げられるのかよ」

眉間に皺を刻んだ露伴は一見ただの不機嫌なだけに見えるが少し寂しそうな口調と私の目を直視できない辺りを見るとこれは恐らく拗ねている。ははあ、「優しいところ」なんて在り来りな、それでいてざっくばらんな言葉で片付けられた事に一種の不満と寂しさを感じているようだ。



うーん、具体的、かあ。何があったかなあ。



そういえば付き合い始めた頃から何回か露伴にはご飯を作ってあげているけどその度に私は文句を言われる。やれ「今日の米は柔らかく炊きすぎだ」だの「ぼくは甘い煮付けは嫌いだからみりんは入れてくれるな」だの何だのエトセトラ。しかしそう言いながらも必ずご飯は完食してくれる。あ、唯一文句を言わずにもくもくと食べてくれた時があったな。確かペスカトーレを作った時だ。文句も言わないぐらい不味いのか、と思って暫く作らないでいたら数か月後「おい、あのパスタはもう作らないのか」なんて言われた。どうやらとてもお気に召してくれていたらしい。それを言うと「別にそんなんじゃない!」と喚かれた。露伴はかわいい。あれ、これじゃ露伴は優しい、じゃなくてかわいい、だな。


えーとえーと。


先月頭くらいに職場の人からお菓子を貰った事があった。中を覗くとフルーツの沢山乗った目にも鮮やかなタルトだった。丁度2ピースあったので露伴と一緒に食べた。甘い物は特別好きという訳じゃないけど何故かタルトだけは好きだったので満面の笑みで食していた所「なまえはタルトが好きなのか」と露伴に聞かれたので「そうだね。フルーツ乗ってるのが特に好きかな」と答えれば「そうか」とだけ答えていたけどそれから毎週末、遊びに行く度に食後にフルーツタルトが出るようになった。「好きとは言ったけど流石に毎週はいらない。買ってきてくれるのは嬉しいけど」と伝えると「別にぼくは買っていない。ただの差し入れで貰っただけだ」と突っ返された。へー、あ、そう、と返したけどそれからは2週間に1回くらいのペースでタルトが出るようになった。いつもいつも金曜日にケーキ屋でタルトを買っている露伴を想像すると何だかかわいい。あ、またかわいいになってしまった。


あとは、確か、


いつぞやの夜、行為を終えた後に「腕まくらしてよ」と彼に強請った事があった。そうしたら「はあ?なまえはぼくの職業をわかっていないのか?ぼくの手に何かあって仕事にならなかったらどう責任を取るつもりなんだ」なんて言われたのでああ、そうですか、と言って寝て翌朝起きたらいつの間にか彼の腕が私の頭の下にあった。してくれるなら強請った時に「仕方ないな」の一言で済むもののまどろっこしい事をと思った。私が寝たのを見計らってこっそり頭の下に腕を置こうとする露伴を想像するとこれまたかわいい。あれ、また優しい、じゃなくてかわいいになってしまった。


「あと何があったかな、ええと、この前の日曜日、」
「いい、もう言わなくていいッ」


口調こそ乱暴なものの目前の彼の機嫌は直ったらしい。耳をほんのり赤くしている彼を見てほっとする。露伴先生はご機嫌を損ねるととても面倒くさいので大変喜ばしいです。


「でも、具体的に言えって言ったのは露伴だよ」
「もう黙れって言ってるだろ…ッ。なまえッ…」


そう言って私に覆い被さってちょっと乱暴にキスをしてきた彼の表情ときたら。優しく頭を撫でてあげればほっとしたように首筋に顔を埋める彼が愛おしい。露伴の良い所なんてみんなは知らなくていい。この先ずっと私だけがわかっていれば、それでいいのだから。

ALICE+