※20150214企画。






チョコレートって奴は意外と繊細なのだ。それでいて扱うには少々面倒くさい。テンパリングって何なんだ、普通にレンジでチンじゃ駄目なんだろうか。頭で色々考えつつもやっぱり彼の事を想うとどんな面倒な工程も丁寧にやってしまう自分がいる。輪切りにした皮付きのオレンジをチョコレートに纏わせながらぼんやりと彼を思い描く。チョコレートと彼はあんまり結び付かない。嫌いではないだろうが特別好きでもないと言ったところだろう。そんな彼に何を贈るべきかとても悩んだ。きっと何をあげても口では文句を言いながら内心は喜んでくれるとは思う、彼は優しい人間だから。だけど自分としては彼が本当に喜ぶ顔が見たい。とりあえずチョコレートが仕上がったらラッピングして、…でもこれだけじゃあ物足りないかなあ。何かもう一品ぐらいプレゼントしてあげようか。そう思いながら私は最後の一切れのオレンジをチョコレートに潜らせたのだった。


丁寧にラッピングしたそれを小さな手提げに入れて私は百貨店を訪れた。もう一品、といった所で彼が何を欲しがるのか全くわからない。何だかんだで高級志向な彼なら尚更だ。とりあえずここに来たら何か思いつくかと思ったんだけどなあ。キョロキョロと回りを見渡してみても其処ら中バレンタインのせいなのかチョコレートで溢れ返っていた。うーん、もうチョコレートは用意したからいいんだよね。もっと、別の物ないかなあ。なんて思いながら歩いていると棚にこれでもかと置かれたボトルが目に入る。アルコール売り場と思われるそこには実に様々な種類のワインが置かれていた。チョコレートとワインて相性良いのかな。残念ながら私はワインを嗜まない。アルコールは好きだがどちらかと言うと日本酒や焼酎の方が好みなので(それに関して彼から可愛げのない酒のセレクトだ、と罵られた記憶がある)自分で買った事は一度も無い。はて、ワインを買うにしてもどれを買えばいいのか全くわからない。赤と白、何が違うんだか。うーんうーん、とボトルを手に取って悩む私に愛想良く店員が声を掛けた。

「何かお探しですか?」
「あ、えーと、チョコレートと相性のいい奴ってどれですか?」

チョコレートと相性が良いと一言で仰られても実に多様な種類が御座いまして、と店員は続けた。その後に様々な専門用語が並ぶ接客を受けて一応頷きはした物のその内容の3割も私は理解出来なかった。とりあえず言われるがままに店員の勧めるワインを購入したけれど彼は喜んでくれるだろうか。一応安物を買ったつもりは無いんだけれど。二つになった紙袋を提げたまま私は彼の家へと向かった。






「遅い。」
「…ごめんなさい。」

インターホンを鳴らしてからすぐに玄関を開けると仁王立ちしていた彼がいた。まさかずっとここでそうして待っていたのだろうか。彼との約束は昼の12時だったが現在の時計の針は1時を示そうとしている。百貨店で少々時間を掛け過ぎたようだ。

「自分から約束を取り付けておきながら遅刻とはいい身分だな。」
「だからごめんってば…。」

チョコ作って来たんだよ、と紙袋を見せればふん、と鼻を鳴らしてから彼は私に上がるように促した。少々ご機嫌斜めの彼にチョコレートを食べさせるとなると普段より評価が厳しくなりそうで何だか気が気じゃない。まあそれは遅刻した私が悪いんだけれども。

どさ、とワザとらしく音を立ててソファに座った彼は目線で早くチョコを見せてみろ、と催促をする。いきなりすぎないか、とも思ったが彼に反論出来る筈も無くおずおずと紙袋からチョコレートの入った箱を取り出し手渡す。

「遅刻したぐらいだからよっぽどの物を作って来たんだろうな、なまえ。」

彼は私が遅れて来た事をまだ根に持っている。だからそれはさっき謝ったじゃないか、相変わらず図体だけでかくて中身は子供だな、なんて思うがそんな事を言ったら最後。二人の関係性すら危うい事になるのでその言葉は飲み込む。

「ふーん、オランジェットか。」

箱を開けた彼は中身をまじまじと見つめてから一切れを手に取って口元へと運ぶ。未だかつてもぐもぐと咀嚼する彼の様子をここまで緊張感を持って見た事なんてあっただろうか。それからごくん、と喉が動くのを確認したが特に彼が手製チョコレートについて言及する気配は無い。

「あの、露伴。」
「何だ。」
「おいしい?」
「…普通。」

可もなく不可も無くというのが一番困る。美味しいならそれに越した事は無いし不味いなら何が駄目だったのかを学んで次に生かせば良い。リキュール漬けしたオレンジをダークチョコレートに纏わせただけの物なのである意味、美味い不味いの次元で無いのは理解出来るがそれにしたって言い方にも物があるだろう。

「でもまあ、」
「え?」
「…嫌いじゃない。」

そう言って二切れ目に手を伸ばした所を見ると気に入ってくれたと言う事だろうか?全くもって露伴は素直じゃない。それでもこんな彼と一緒にいるのは惚れた弱みという奴か。悔しいから滅多な事が無い限り「好き」なんて言わないけど。チョコレートに関してはほっと胸を撫で下ろした私はそっと露伴の隣に座る。

「で、そのでかい方の袋は何なんだ。」
「これもプレゼントだよ、ワイン買ってみたんだ。」

口に合うと良いけど、と差し出せば私から意外な物が出てきて彼は少々面食らった顔をしたがすぐに興味深そうな眼差しでそれを見つめその形を確かめるように撫でた。

「1998年のカール・ド・ショーム。まあ教科書通りのセレクトって所か。」
「…かーる?」
「貴腐ワインで有名だろう。なまえ、君はそれも知らなくてこれを選んだのか?」

残念ながらそれを選んだのは私ではない。大体きふわいんって何だ。先程の店員もそんな事を言っていた様な気がするが興味の無いジャンルの単語なんてすぐに頭の中をすり抜けてしまう、覚える気が無いので当たり前っちゃ当たり前なのだが。ふと自分の目の前に二つグラスを置かれた。…二つ?

「え、私も飲むの?」
「あのなあ、ぼくが君がいる前で一人だけこれを空けるようなそんな意地の悪い男に見えるか?」

見える。というか実際意地の悪い男じゃないか。何を今更、と思うがこれまた飲み込む。そんな私を尻目に彼はとくとくとグラスにワインを注いだ。ワインなんてまともに飲んだ事あっただろうか。そもそも何で私はワインを飲まなくなってしまったんだろうか、思い出せない。高いから?いやいや値段なんてピンキリじゃないか。もしかしてただの飲まず嫌いだったんだろうか。うーん、と唸りながらグラスに手を伸ばせば仄かに甘い香りが鼻を霞めた。

「貴腐ワインてのは甘口だからな、なまえも飲みやすいんじゃないのか。」

そうか、そんなもんなのか。まあ露伴がそう言うなら飲んでみようか、なんて私はグラスに口を付けた。









「しゅき、」
「…なまえ。」
「ろはん、しゅき。」

ワインを飲んでからやけに大人しくなったと思えば次にはぼくの肩に頭を預けるように身を寄せてきた。顔を見れば頬を紅潮させてその眼差しは蕩けたようで。まさか酔っているのか?そんな馬鹿な。何時ぞや「仕事で嫌な事があったから。」とたらふくぼくの家で日本酒を飲んでいたのは何処のどいつだ。紛れもないなまえじゃないか。そんな彼女がたったあれぐらいで酔うだろうか。冗談かとも思ったが彼女はこういう冗談を言うタイプでは無い。そっとその頬に触れてみればいつもよりもずっと熱い体温が伝わる。

「ろはん、ぎゅーして。」

そう言って子供の様に手を伸ばしてぼくに強請るなまえなんて今まで見た事があっただろうか。不味い、不本意ながら頬が緩んでしまう。それを悟られないように口元を手で隠してからもう片方の手を広げて彼女を受け入れてやる。いつもよりも舌っ足らずな声で「ろはん」なんて呼びながらなまえは予想外にも膝の上に乗って来て胸の中へと擦り寄る。いつもこんなに素直ならどんなに可愛いだろうか、なんていつもの彼女を思い描いてみた物の、まあ酒の力を借りなければ無理だろうなんて結局自嘲するように薄笑いを浮かべた。そうっとなまえの髪の毛を梳きながら睫毛の影に潤みを湛えた黒い目を覗き込む。

「なあ、なまえ。ぼくにチョコレートもっとくれないか。」

うん、と頷いたなまえは机に置かれた箱を手に取るとそのままぼくに「はい」と差し出してきたので唇を少し開けて「食べさせろ」と促せばこれまた素直に頷いたなまえの細い指がオレンジを一切れ抓まんでからぼくの元へと運ぶ。大袈裟に大きく口を開けてからそのままなまえの指ごとオランジェットを口内へと収める。

「っあ、や、ろはん。」

何か言いたそうになまえは瞳を揺らすがそんな物でぼくは動じない。口内で指を甘噛みしてから全体を舐め上げてそのまま吸い上げれば彼女は恥ずかしそうに何かに耐えるように空いた方の手でぼくの肩を掴む。指に夢中になっていたせいで口内でオレンジに纏わり付いていたチョコレートは暫くしてからすっかり何処かへ消えてしまった、仕方が無いので指も解放してやる。

「これでも結構気に入ってるんだ、甘さが控え目でぼくでも食べやすいし、」

もっと味わっていたいのに名残惜しいよ、ともう一度その潤けそうな指に口付けしてからわざと意地悪く笑ってやると熱に浮かされたような顔のなまえは唇をきゅう、と結んでからもう一度ゆっくりと口を開いた。

「…ろはん、もっと、して?」

その熱情を含んだ眼差しに耐え切れなくて先に目線を逸らしたのはぼくだった。気付いた時には彼女を押し倒して口内を犯すように唇を奪っていた。これじゃあぼくの方が余裕が無いのが丸わかりじゃないか、なんて柄にも無く焦ってみるけれどそんな所で虚勢を張ったって何も変わらない。だって事実じゃないか。チョコレートが媚薬だなんて本当だったんだな、なんてやけに冷静に頭の片隅で思う。唇を離してから首筋に顔を埋めてなまえの匂いを感じて、それからその小さな耳を口に含んでやると彼女の身体が僅かな快感に反応する、筈だった。

「…ぐぅ…。」

違和感を感じてすぐに顔を上げればそこには何とも幸せそうに眠るなまえがいた。馬鹿な、そんな事ってあるのか。あれだけ煽っておきながら自分は眠りにつくだなんてそんな冗談、全然笑えないぞ。つまらない冗談は止せ、とゆさゆさとその華奢な身体を揺らしてみても起きる気配は無い。

「…。」

はあー、とこれ以上ないくらいの溜息が自分から零れる。お預けを食らった犬のように項垂れてソファに身体を沈めた。ぼりぼりと気を紛らわすように頭を掻いてから時計と幸せそうに眠る彼女を見比べる。まあどうせあと1時間程したら起きるだろう、なんて勝手な予想をたててからにやりと笑う。箱の中にはチョコレートを纏った琥珀色に光るオレンジがまだ幾つか残っている、そうだ媚薬はまだあるのだ。今日をこれで終わらせてなるものか、と心の中で誓ってからぼくはグラスに残ったワインを飲み干すのだった。


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