「なまえは何も気にしなくて良い。そもそも最初からそんな物に出席する気は更々無かったんだ」

言い聞かせるように、宥めるような物言いで先程から喋る露伴先生に「でも」と返せば言葉の代わりに溜息を零された。難しく眉を顰めた先生は一度天井を仰いでから再び私と目線を合わせる。子供にするような手招きはいつもの場所、即ちは露伴先生の膝の上に来いという意味なのはよくわかっているけれど、だけど。

あまり機嫌の良くない相手の膝の上へと座る勇気なんて私が持ち合わせている筈も無く、結局ソファに座る露伴先生の隣へと腰を落とす。

少しだけ間を開けて座ったけれどすぐに先生の腕がにゅう、と腰に伸びて来てそのまま力任せに先生の方へと引き寄せられた。思わず身体が男の人特有の筋肉質で固い太ももの上へと崩れ込む。恐る恐る顔を上げればさっきよりももっと眉の辺りに嫌な線を刻んだ露伴先生がいた。それが先生と間を開けて座ってしまったせいなのか、そもそも"いつもの定位置"に座らなかったせいなのかはよくわからなかったけれど。

「君も案外頑固だな」

困ったように呟かれた言葉に今度は私が困ってしまった。思わず唇を噛み締めれば先生の細い指先が頬を滑る。

私が露伴先生のお家にお泊りに行く日と先生のお仕事の集まりの日が被っただけ。たったそれだけなのに露伴先生と私のやり取りはずっと平行線を辿る。「お仕事があるならそっちを優先して下さい」と訴える私と「そんな物には出席しない」と突っぱねる露伴先生。

露伴先生を困らせたくなくてそう言ったのに、結果としてどうしてそれが彼を困らせてしまうんだろう。

「岸辺露伴」という天秤があったとして、其処に「仕事」と「私」を乗せたらどちらが重くなるかなんてそんなの私にだってわかる。「私」を優先して欲しいと駄々を捏ねている訳じゃない。そんな我儘をいうような子だって思われるのは私にとって一番望ましくないんだから。

「どうしてなまえのような良い子があのクソッタレ共と交友関係を育んでいるのか、ぼくには理解し難いね」露伴先生は前に私にそう言った。ある時は私の事を抱き締めながら「まるで君は天使だな」なんて事も言った。冗談にしては随分と歯の浮く台詞だなと思ったけれど当人は「冗談じゃあ無い。本気でぼくはそう思ってる」なんて言うものだから、私は真っ赤になった顔を俯かせる事しか出来なかった。

露伴先生は何かを勘違いしているみたいだ。私は先生の言う様な「良い子」なんかじゃないし、勿論「天使」なんかでも無い。人並みに、ううん、もしかしたらそれ以上に汚い部分を持っていると思う。

さっきだってあの女性編集者さんの顔を見て心に渦巻いたのは紛れも無く妬みの感情だ。露伴先生は「ただの担当だ」と前に言っていて、それは理解したつもりだったけれども自分以外の女の人と親しげに喋る先生なんて見たくなかった。お仕事の集まりだって「出席しない」と言ってくれて本当は嬉しかった。だって、その集まりって色んな人が来るんでしょ?その中には私なんかよりももっと魅力的な女の人なんかもいるかもしれないでしょ?露伴先生は格好良いから、きっと言い寄られるに決まってる。そんなの、嫌だもん…。

本当は「皆の露伴先生」じゃなくて「私だけの露伴先生」でいて欲しい。

でも、露伴先生が私の事を「良い子」だと思ってくれているのならそんな醜い気持ちは心のずっと奥に仕舞っておかなくちゃ駄目なのだ。私が本当は「良い子」でも何でも無いってわかったら、露伴先生はきっとがっかりする。そしたら、嫌われちゃうかもしれないから。

だから私は小さな嘘をつく。「恋人の仕事に理解を持つ彼女」になるよう小さな嘘を踏み台にしてほんの少しの背伸びをした。「お仕事を優先して下さい」とさも物わかりの良い振りをした。

それなのに露伴先生は露伴先生で私に気を使ってくれている。私の事を想ってかずっと「出版社のパーティーには行かない」の一点張り。本当はそっちに行きたいんだろうな。さっき少しだけ興味のある顔してたもん。私との予定が被ったから、先生はいつもの優しさで私を優先してくれているんだろうけど。

「………、なまえはぼくと一緒にいるのが嫌なのか?」

頬を撫でていた指の動きがぴたりと止まった。置いてけぼりにされた子供のような表情をされて「違う」という否定の言葉を口にするより早く、首を大きく横に振ればそのまま露伴先生は「じゃあ」と続けた。

「出版社のパーティーには出席しない。代わりになまえと一緒に過ごす。それで良いだろ?」

思わずううん、と脳内で頭を抱えた。露伴先生の優しさが辛い。本当ならその問いに「うん」と大きく頷いてしまいたい。だけども頷けない。だって「仕事に理解のある彼女」でいたいから。けれども先生の優しさを無下にする事も背伸びをするような子供の私には出来ない。

さて、どうしよう。

「露伴先生、そのパーティーって何時からあるんですか?」
「さあ?大体は夜からじゃないのか」
「じゃあ、終わるのは?」
「それもよくは知らない。昔、出席した事はあるがどれも途中で帰ってきたからな」

頬を撫でていた露伴先生の指はいつの間にか私の髪をくるくると弄んでいた。伝わる振動が心地良い。そんな事を頭の片隅で思いつつ、目の前に立ちはだかる問題を解決すべく考え込んだ結果、私は先生に一つの提案をしてみる事にした。

「やっぱり、露伴先生はそのパーティーに出席して下さい」
「なまえ、」
「でも」

言葉を遮るようにそう言えば、焦慮感から眉を上げた露伴先生の表情が少しだけ和らぐ。さっきは自分の気持ちを押し殺して少しだけ嘘をついたけど、今から言うのは私の本当の気持ち。

「わ、私も、露伴先生と一緒にいたいから」
「じゃあ、やっぱり、」
「だから、……露伴先生がパーティーに行くのを見送って、それで先生のお家で露伴先生が帰って来るのを待ってちゃ、駄目ですか?」

懇願するように露伴先生を見つめる。一瞬、面食らったような表情をしてから露伴先生は口角をひくつかせた。やっぱり、駄目だったかな。自分の気持ち、押し殺しておけば良かったかな。どうにもならない後悔の気持ちに苛まれていると露伴先生が口を開いた。と言っても口元を手で覆った先生の表情はよくわからないけれど。

「ちょ、ちょっと待て。それは、つまり」
「?」
「なまえが、ぼくを「いってらっしゃい」と見送ってくれると言う事か?」
「はい」
「そしてぼくが帰宅した時は「おかえりなさい」と出迎えてくれると?」
「はい」
「…ッ、そ、それじゃあ、まるで…ッ!」

まるで?何だろう?そのまま露伴先生は肩を震わせて小さくぶつぶつと何かを言っている。露伴先生、私が我儘言ったから怒った?許しを乞うように「露伴先生」と少しだけ甘えたような声を出せば顔を両手で覆っていた先生がばっ、と私の方へと視線を向ける。

「…わかった。なまえがそこまで言うのならそうしよう」
「露伴先生!」
「パーティーには出席する。…ぼくが行かないと言っても君も頑固で意見を曲げ無さそうだしな」

そのままゆっくり露伴先生の顔が近づいて来て鼻の頭にキスをされた。柔らかい感触に思わず頬が緩む。

「メディアミックスってアニメ化とか、そういうお話ですよね?きっと、露伴先生の漫画のファンの中にはアニメ化を心待ちにしている人がいっぱいいると思うから。だから、出席した方が露伴先生の為にも、そういう人たちの為にも、良いかなって思って」

そう言えば露伴先生も頬を緩めた。これは私の本当の気持ち。

「…何て言うか、君ってば本当に良い子だよな」

今度は唇に柔らかい感触がした。一瞬だけ触れて、すぐに露伴先生が離れる。それからあの綺麗な手で頭を撫でられた。

「なまえが家で待ってるっていうんなら、尚更早く家に帰らなくちゃな」

うん、露伴先生、寄り道しちゃ駄目だよ?他の女の人に言い寄られても全部断ってくれなきゃ嫌だからね?私以外の女の人と仲良くするなんて本当は嫌なんだもん。

これも私の本当の気持ち。だけど伝えちゃ駄目なんだ。

ぎゅっと自分の気持ちを奥へ追いやる心苦しさを誤魔化すように露伴先生へ口付けを強請れば、もう一度先生は私の唇に自分のを重ねてくれた。


ほんの少しだけ、私が我慢すれば、私が大人になれば、きっとそれで全部上手くいく。
















「ところでなまえ。やっぱりエプロンは白いフリルの付いた奴が良いか?」
「エプロン?白いフリル?」
「それとも敢えてのピンクで行くか?」
「ピンク?」
「やっぱり新妻にエプロンは付き物だよな…」
「新妻?」
「あ、いや、決してぼくは素肌の上に着てくれとかそんな事を言ってる訳じゃあ無いぞ」
「素肌の上?」
「なまえが恥ずかしいと言うなら、別に下着の上からでも全然…。何ならそっちはそっちで萌えるしな…、ああ、クソ…ッ。考えるだけで…」
「ろ、露伴先生っ!鼻血出てます!!!」
「いや、鼻血が出てくれて結構。さもなくば一点に血液が集中して大変な事になるからな」
「上向いて下さい!露伴先生!出てる!凄い出てますから!」
「す、すごいでてるだと…!?そ、そりゃあ、ぼくだってまだ20歳だから勢いはまだあると思うが、それにしてもすごいでてるとは…」
「わあああ!ティッシュ!ティッシュ!」



20150909


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