まさに順風満帆。最近のぼくの生活はその一言に尽きていた。兼ねてから交際をしているなまえとは何やかんやと色々あった物のその出来事は結果として二人の関係をより密接にしてくれたといっても過言では無いし、その証拠になまえは以前よりも積極的にぼくに甘えたり或いは素直に自分の気持ちを吐露してくるようになった。この前二人で出掛けた時もまあいつもの如く街中でファンに声を掛けられ、色紙にサインを書いてから適当に一言二言受け答えをしてなまえの元に戻ればそこにいたのはあからさまに不機嫌になって頬を膨らませた彼女。何か気に障る事でも、と少しの焦りと動揺を隠しながら聞けばちらりとこちらを上目遣いで伺ってから至極小さな声でぽつり。

「今の女のファンの人…、露伴先生の事、漫画家としても、男の人としても、好きって顔してました…」

それはまさか。まさかなまえの中に渦巻いている感情とは。先程とは打って変わって何かを期待する気持ちがむくむくと湧き上りつつも相変わらず平静を装って「気のせいじゃないか」と嗜めればもう一度あの丸くて大きな瞳がぼくを見上げる。

「露伴先生にはわかんなくても私にはわかりますもん。だって、私も露伴先生の事好きだから。だから他の人が露伴先生にそういう気持ち抱いてても、すぐにわかっちゃいます。この人も露伴先生の事、男の人として好きなんだなあって…」

そう言ってから俯いたなまえを抱き締めたい衝動に滅茶苦茶刈られる。く、くそ…可愛すぎる…ッ!抱き締めたい、街中で人目は沢山感じるが今すぐ抱き締めてやりたい…ッ!そういう気持ちと理性が戦った結果の中途半端に両手を広げてぷるぷるしているぼくに気付かずなまえは俯いたままちょい、とぼくのシャツの裾を引っ張って更に駄目押しの一言。

「…私の露伴先生だもん」

はい、しんだ。岸辺露伴、享年20歳。まだ漫画は描き足りなかったがこんな風に人生を終える事が出来るのならそれはもう受け入れるしか無い。可愛い、かわいい、カワイイ、Kawaiiiii!理性なんて気付けば木っ端微塵に砕かれそもそもそんな物存在したのかい、なんてレベルに消え去ってしまった。何も遠慮する事無く抱き締めれば「ひ、人前ですよぉ…。それに苦しいです」とか言いながら満更でも無いなまえの顔。畜生、もう一回言う。かわいい。かわいいという日本語はなまえの為だけに存在している。萌えという言葉はなまえの為に作られた。ぼくは本気でそう思うね。

以前よりも自分の気持ちに素直になったなまえは控えめながらもやきもちを妬くようになり、その度にぼくは昇天している。昇天って、あれだぞ。別にそういう意味じゃないからな。そういう昇天ならベッドの上とかリビングのソファとかでよくしてるが…、おっと話が逸れた。

こうして交際が順調であれば自ずと仕事の方も比例して順調になり、今のぼくは向かう所敵無し、といった状態であった。筆のペースが元々早いぼくではあったが最近では以前の比じゃないぐらいに原稿を仕上げる事が出来る様になり、時間の余裕が更に生まれたので最近はもっぱらインターネットの世界にのめり込んでいたりする。元々ネットの世界は嫌いじゃ無かったが気になった言葉を検索したり、或いはなまえの為に下着を買ってあげたりするぐらいだったのだが(しかし買っても「こんな下着、下着の意味ないです…。何でここに穴あいて…?き、着れないですよぉ…」と一向に着てくれない)時間も出来たし、より深くその世界に入り込んでも良いんじゃないかと思った訳だ。

で、見つけたのが自分が描いた絵をネット上にアップロード出来るサイトであった。いわゆるSNSという奴で会員制のイラスト投稿サイトという事で物は試しに、と以前描いていたなまえモチーフの成人漫画を投稿してみた所、これが凄まじい反響を受けた。"ぼく"の主観で描かれるなまえとの日常を綴った成人漫画。ハァ〜…、やっぱり才能がある人間ってのはこうなっちゃうんだよなァ〜…。岸辺露伴という名前は勿論伏せてはいるがこっちはこっちで熱烈なファンも出来てしまっている。

「どれどれ…、ん、コメントがついてるな…」

時刻は真夜中。部屋の明かりも点けずにパソコンの液晶がぼうっとぼくの顔を照らしているのみだが慣れてしまうと逆にこの方がパソコン画面が見やすかったりする。寝る間も惜しんでカチカチとマウスを鳴らせば自分に対する幾つものメッセージが液晶に現れた。

『tenmei-cherry  〇月×日 00:23
いつも拝見しています!
今回も新作のなまえちゃん超絶萌えました。
主人公の"ぼく"が羨ましいです…っ!
これからも続編楽しみにしています!
それと質問なのですがスク水のなまえちゃんを
描く予定はありませんか?
個人的にスク水が大好きなので失礼は承知ですが
是非見てみたいなあ、と思いまして。』

「…スクール水着、ねえ…」

ふーん、と声を漏らしてからマグカップに注がれたコーヒーを口にする。夜更かしの時の相棒は真っ黒なコイツに限る。しかしスクール水着か。ぼくあんまりそういうのには興味無いんだよなァ。ブルマとかランドセルとかあーいう類よりは裸エプロンとか彼シャツとかの方が好きなんだよな…。まあそうは言ってもファンの頼みなら挑戦してみない事も無いし、その漫画を描く為のリアリティとしてスクール水着をなまえに着せてみるのも悪くない。そう考えながらマウスを素早く動かして気付けばパソコンの液晶には「ご購入有難う御座いました」の文字。ふ、ふふふ…、買ってやったぞ、スクール水着を…ッ!ゼッケン付きだったので「きしべ」とでも書いてやろうか。

さて、夜はまだまだ長い。今から執筆途中だったなまえの成人漫画に取り掛からなければ。勿論、なまえはある程度なまえだとわからないように崩して描かなければならない。ハァ〜、今日も眠る時間は無さそうだ。





で、そんな風に大して睡眠を取れていなかったぼくはある月曜日の朝、愕然とした。何故なら二階の一番奥の部屋、いわゆるなまえ部屋にいつも掛けている筈の鍵がかかっていなかったからである。

毎朝、この部屋でなまえアルバムを見て満足したら再び鍵をかけて仕事に取り掛かっていた筈なのにどうして鍵が開いているんだ。もしや鍵のかけ忘れ?いや、そんな馬鹿な。しかしそう思った所で実際、この部屋には鍵がかかっていなかったのだから原因はそうとしか考えられない。寝不足で判断能力が鈍っていた近頃のぼくなら十分考えられる何とも初歩的なミスだ。

ごくりと喉を鳴らしてからドアノブを捻ればいつも通りガラスのショーケースに入っている美少女フィギュアたちがぼくを迎えた。その更に奥には自作のなまえフィギュアばかりが置かれたショーケースもある。

「…なまえ…」

ぼくが一番恐れている事はこの部屋の存在をなまえに知られる事だった。何としてでもそれは避けたい。こんな事を知られたらこの前以上に別れの危機に直面してしまう。だけどもこの部屋の鍵は開いていたのだ。そして昨日の日曜日、あろう事かぼくは彼女をこの家に招き入れてしまっている。心臓がどくどくと音を鳴らす。

一体いつから鍵は開いていた?いつからぼくはこの部屋をこんなに無防備な状態にしていたんだ。ああくそ、考えてもまるでわからない。いや、百歩譲って鍵を閉め忘れた事は良しとしよう。なまえにさえ、この部屋の事がばれていなければそれで良い。

見慣れた部屋をきょろきょろと見渡してもそこにはいつも通りの光景しか存在しない。何処かが弄られた形跡も無い。元々この部屋は資料部屋だと彼女に言っていたし入るな、とも伝えていた。だからきっと、入っていない。彼女は、なまえはこの部屋に入っていないし、ぼくの秘密になんて気付いていない。これからもずっと今まで通り幸せな日々が続くのだ。そう自分に言い聞かせてからなまえアルバムがいくつも収納された本棚の前まで歩みを進める。今日もなまえの可愛い姿をこの目に焼き付けなければならない。今日はどうしようか、久しぶりになまえと付き合う前に隠し撮っていたコレクションでも見ようか。そう思って一冊のアルバムに手を掛けた瞬間だった。

「…並べ方が、違う」

背表紙に何も書かれていないアルバムが数冊ある訳だが、傍から見たら全部同じように見えるかもしれない。だけどもぼくにはわかる。何も書かれていないシンプルなアルバムでもこれは初期のなまえのアルバム、とか付き合うちょっと前のアルバム、とか或いは付き合ってからのアルバム、なんて風にぼくは見分ける事が出来たのだ。それを時系列順にきっちりと並べ替えていた筈なのに、一番左にはなまえと知り合ったばかりの初期のなまえアルバムが収まっていなければならない筈なのに、それがどうしてか一番真ん中に収納されてしまっている。

冷や汗がつう、と背中を滑り落ちる。間違い無く誰かがこの部屋に入って、そしてこのアルバムの中身を覗いている。

心臓が再び大きく跳ねた。

「いつ?一体いつだ…ッ?…いや、でも昨日ぼくとなまえは一緒にいた…ッ!そうだ、彼女がこの部屋に入れる訳が無いんだ!なまえをこの家で一人にでもしない限り……」

……一人に?

「…ひとりに、させた…」

がくんと腕から力が抜けて手にしていたアルバムがどさりと音を立てて床に落ちる。ほんの数分かもしれない、とても短い時間だったかもしれない。だけど、昨日ぼくはなまえを一人にさせた。

なまえが来るまでの間だけ、と仕事をしていた昨日。ペン先の予備が無くなった事に気付き、買い物に出掛けようと玄関の扉を開ければそこにはいつもよりも早くの時間にぼくを訪ねて来たなまえがいた。

「露伴先生、おでかけですか?」
「ああ、仕事道具を買いに行こうと思ったんだが。君も来た事だし今日はやめておくよ」
「え!も、もしかして仕事中でしたか…?あの、私、先生の代わりに買い物に行きましょうか?」
「いや、良いんだ。それに仕事道具だからなまえに言ってもわからないだろうからな」
「そうですか…。あの、じゃあ私に気にせず行って来て下さい。お仕事で必要な物なんですよね?私、お昼ご飯作って待ってますから」

ね?と小首を傾げられて上目遣いで見つめられてはぼくはうん、としか答える事が出来なかった。買い物と言っても目当ての店は家からは遠く無かったし、何より車で行ったし買う物だって決まっていた。たった数分だけの出来事。だけど、だけども。その数分、彼女をこの家に一人にさせた事は事実だ。

まだなまえがこの部屋を見たと決まった訳じゃない。なまえがぼくの秘密に気付いたと決まった訳じゃない。なまえがぼくを嫌いになると決まった訳じゃない!

だけどもどうしてこんなにぼくの心臓は忙しなく動いている?どうして上手く呼吸が出来ない?どうして。

泳いだ視線を床にそろそろと向ければ無造作に開かれたアルバムのページの中で目線が此方を向いていないなまえがにっこりと笑っていた。


20160114



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