「なまえにぼくの盗撮行為がばれたかもしれない」

やけに神妙な面持ちの癖にいつまで経っても喋らないのでいい加減帰りますよと言えば目の前の漫画家は身体を震わせながら小さな声でそう言ってみせた。それはまるで世界の終わりが来たかのような言い草だったけれどはっきり言ってそんなどうでもいい事で呼び出された僕の身にもなって欲しいものだ。

「どう思う康一くん」
「うざい」
「うざ…、え、えっ?」
「うざいです」
「う、うざい?ちょ、ちょっと待て!親友がこんなに悩んでいるってのにそんな言い方は無いだろう!」
「…?しんゆう…?」
「オイオイオイオイ!何だその目はアァーッ!親友だろ!?僕たち親友だろ!?」

なあなあなあなあ、と続けて追い打ちを掛けてくる漫画家の何という鬱陶しさか。はあ、とあからさまに溜息を吐いてみせればそれに反応した露伴先生はがっくりと項垂れた。いつも意味のわからない方向に癖付いているあの変な髪形も心無しか勢いが無い気がする。

「どうしよう…なまえにばれていたら…全部知られていたら…」

ぶつくさと何か言っているのが聞こえるけれどどれも声が籠っているせいで具体的な内容は聞こえて来ない。というか別に聞きたくもない。黙々と紅茶を飲んでから目前のケーキをつつく。自分は特別舌が肥えている訳じゃないけれどやはりこの家で出される物に間違いは無いと改めて思う。特にケーキなんかは甘い物好きな彼女を想ってこの男は杜王町中を、いや、S市中を駆け巡っては色々なパティスリーを探しているのであろうから間違いがある筈が無いのだ。

好きな物は最後に取っておきたい主義だからこの苺は最後に食べよう。そう思って先に掬った真っ白なそれこそ雪のようなクリームの上にふと影が落とされる。犯人はわかっている。とりあえず話くらいは聞いてあげるつもりで来たのだからこれぐらいゆっくり食べさせてくれればいいのに、と不満げに思いながらもフォークを口に運べば舌の上でクリームはとろりと溶けていなくなってしまった。

「康一くんッ!なぁ、頼むよ…ッ!」

顔を上げれば意外な程漫画家と自分との距離は近く、そしてその表情は今にも泣き出しそうなくらい切羽詰まった物であった。そんな距離で詰め寄られたら泣きたいのはこっちだ。近いですよと一蹴すればわざとらしい咳払いをしてから露伴先生はいつもの高そうなチェストに改めて座り直した。

「なまえがぼくのなまえ部屋に入るなんて絶対に起こってはならない事が起こってしまったんだぞ…!今回はマジにピンチなんだ!ぼくは一体どうすればいい?なあ、康一くんッ!」
「あのですねえ、僕、忠告しましたよね?」
「え?」
「露伴先生がなまえとお付き合いする事になった時に僕が言った事を忘れたんですか?人と付き合うっていう事は全てをさらけ出すという事なのに露伴先生は本来の自分を嘘で塗り固めて偽っていくつもりなんですか?って」
「……言った」
「そうですよね。そしたら露伴先生は『絶対にばれさせやしない』の一点張りでしたよね」
「……ぼくの、自業自得だって言いたいのか?」
「……それ以外、他に原因があると思いますか?」

暫くの間があってから露伴先生は物凄く小さな声で「……ない」とぽつりと呟いた。それからもぞもぞ動いたかと思えばお得意のいつものポーズ。身体を丸めて膝を抱え込んで自分の殻に閉じこもったまるで子供のような体勢だ。もうこうなってしまえば自分の世界に入っているので僕がどうする事も出来まい。とりあえず目の前のケーキを平らげたら帰ってしまおう。今までこの男の手助けをする事は多々あったかもしれないけれどどちらかと言うとそれは自分の友人にも影響があったからだ。言っておくけれどこの友人というのは勿論この男では無くてなまえの事である。

ふとソファが軋んだ音がして身体がそちらへと傾く。見ればすぐ横にげんなりとした露伴先生が座っていた。何だ、引きこもりはもう終わったのか。昔に比べて回復が早くなったなとやけに感嘆してしまった。

「…絶対に、嫌われたよな、ぼく…」
「それは、わかりませんけど…」
「いや、そうに決まってる…。絶対なまえに嫌われた…」
「まあ普通に考えたら彼氏がこんなド変態オタクストーカー野郎っていうのは嫌ですもんね」
「オイオイオイオイ!何で今日はそんなに攻撃的なんだよ康一くんッ!?ぼく君に何かしたか!?」

学ランの襟元をしっかりと掴まれてがくがくと揺さぶられると紅茶を飲む事もケーキを食べる事も満足に出来やしない。少しばかり本気で苛付いたので髪の毛を逆立ててから掴んでいる手を叩いて舌打ちすれば「ヒィッ」と息を呑む声が聞こえた。

「お、怒るなよ康一くん!ぼくだって悩んでるんだ!なまえに嫌われて……悩んでるんだぞ!」
「二回も言わなくていいですから…。…ていうか、なまえがその部屋に入ったのっていつですか?」
「…昨日の午前中だった、と思う」
「じゃあ午後からのなまえの態度はどうでしたか?」
「午後からは最近出来たあのカフェにランチを食べに行ったんだがなまえの態度は普通だった気がする。デザートにパンケーキが食べたいとねだるからじゃあ頼むか、と言えば『お腹いっぱいだから全部は食べられないです。…露伴先生と半分こがいいです』なんて小悪魔おねだりしてきたから半分こして食べた。なまえ可愛い。その後は家に帰って二人で過ごしたけどその時も普通だったと思う。ぼくが借りてきた映画を見たけれどその映画の内容が難しくて理解出来なくてうとうとしてる癖に寝ない様に頑張って努力してる姿が超絶可愛かった。なまえ可愛い。ちなみに映画を見てる時はあれだぞ、いつも通り後ろから抱っこして腕をこう前に廻して右腕になまえの下乳があたるようにしてだな」
「もういいです、黙って下さい」

いい加減にしろよ変態漫画家め。聞いた事以外を喋らないで欲しい。そしてその内容の殆どがまさかの惚気だって?愛し合っているであろう恋人達の別れの危機に関する相談を受けに来て何故そんな話を聞かなければならないんだ全く。しかしそこまで聞いて弾き出された僕の答えは一つ。露伴先生は普段はそれなりに冷静な判断能力を持ち合わせている癖になまえの事となると途端に鈍くなって客観的判断能力という物が皆無になる。まあそれだけなまえに熱を入れ込んでるって事なんだろうけど。

「…露伴先生、ぼく思うんですけど。なまえは露伴先生の事嫌ってないと思うんですよね」
「えっ」
「だって、嫌ってる相手に食べ物を半分こしたいなんて言いますか?二人っきりで同じ空間にいたいと思いますか?」
「……言われてみればそうだな。じゃあ何だ?なまえはぼくのなまえ部屋には入っていないと?」
「…それは、わかりませんけど…」

ぼくの言葉にふむ、と零して考え込むさまは一般的に見ればいわゆるイケメンという奴なのであろう。その奇抜なファッションがあったとしても、だ。温くなった紅茶を喉へと流し込んでから立ち上がればもう帰るのかい、と引き留めにも似た言葉を掛けられた。

「とりあえずなまえに嫌われていないって事がわかって良かったじゃないですか」
「そう…だよな。きっと彼女にぼくの秘密はばれていないって事だよな?」

…それはどうだろう?喜色を滲ませた彼の前でぼくはその問い掛けにイエスともノーとも答えなかった。それ所かぼくは少しばかり気になった事を聞く為に質問に質問で返事をする事となる。

「露伴先生は、なまえにこれからもずっと自分の本質的な部分を隠していくつもりなんですか?」

今度は彼がイエスともノーとも答えなかった。と言うよりはこの男にしては珍しく答えに詰まっているようであった。

「それ、は」
「今回は仮になまえにばれていなかったとしましょう。でもこれからも彼女と付き合っていくのであれば今回のような事は少なからずまた起こると思うんです」
「康一くん」
「その度に露伴先生は同じ事で悩む事になりますけど…。それで良いって事ですよね?」

そこまで言えば露伴先生は遂に何も言えなくなってしまった。唇を動かす素振りは見せたけれど言葉が発される事は無くて、代わりに置いてきぼりを喰らったような子供のような表情をして見せる。どうすればいいかわからない、何の手立ても考えつかなくてただ泣く事しか出来ない幼い子供のような彼は僕よりもずっと小さくなって見えた。

「由花子さんだって僕に自分の全部を見せてくれました。最初はやっぱり怖かったですけど…。今は…その…、そういう所も含めて可愛いと思います。だから…」

僕が最後まで言葉を紡ぐ事は無かった。目の前の露伴先生はそれだけで僕の言わんとしている事をわかっているみたいだったから。

「ぼくとあのプッツン女を一緒にするとは君も酷い男だな」
「由花子さんの方が隠し事をしていない分よっぽどマシだと思いますけど」
「……それも、そうかもしれないな…」

なまえに真実を伝えるか否か。実に単純な問題を難しく突き詰める彼に思わず笑いを零せば、それに釣られたのか彼も困ったように笑いすぐにまた物思いに耽ってしまった。これからどうするかは全部、露伴先生次第ですからね。


※※※


「露伴先生が私の事盗撮してるかもしれない」

そう言えば目の前の仗助は口に含んだコーヒーを盛大に私へと吹き出した。前髪から茶色い雫がぽたりと滴り落ちる。何だか前もこんな事があったような、なかったような。

「わ、わりー…。つーか、え?と、盗撮?」
「うん、盗撮」
「盗撮ってーと、あの、変態とかがよくやるような」
「露伴先生は変態じゃないもん!」
「いや…なまえ、お前マジでそれ言ってんのかよ…?」

そんなやり取りをしている内にドゥ・マゴの店員さんが「お待たせいたしました」なんて声を掛けてチョコレートパフェを目前に静かに置いた。アイスクリームとチョコレートソースがいっぱい掛かってる奴。大好きだけど今日は私が頼んだんじゃないもん。店員さんがいなくなったのを見計らってすーっとそのまま億泰の方へパフェをスライドさせれば彼はあからさまにぱあっと顔を綻ばせた。身体に似合わぬ小さなパフェ用のスプーンで黙々とパフェを食べる億泰を見ていると何だか胸がきゅんとする。って言っても露伴先生の時みたいなきゅんじゃなくて、うーんと、何て言えばいいのかなあ?子犬と戯れた時みたいなときめきっていうか、何て言うか。ん〜、露伴先生みたいに沢山言葉を知っている訳じゃないから上手く言えないや。

じーっと億泰を見ていると「なまえも食いてーのか?」なんてアイスクリームを一掬いして目の前に差し出してくれたのでそのお言葉に甘えてぱくりと口に含む。ん〜〜、甘くて冷たくておいしい〜!舌の上ですぐに溶けて無くなっちゃうからアイスクリームっていっぱい食べたくなっちゃうって言ったら前に露伴先生に笑われたっけ。

「…億泰、お前そんな事してっと露伴のヤローに何されるかわかんねーぞ…」
「あ?何がだよォ?」
「………。で、話は戻るけどよー、露伴が盗撮ってどういう事だよ?」
「露伴先生の秘密の部屋にこっそり入ったら、私の色んな写真がいっぱいあったの」
「それ、マジな奴じゃねーか…。…で、どーすんだ?露伴と別れんのかよ?」

さも当たり前な口ぶりで仗助がそんな事を言う物だから思わず目を瞬かせてしまう。別れる?誰が?露伴先生と私が?どうして?小首を傾げれば物凄く盛大に溜息を吐かれてしまった。

「あのよー、自分の事ずっと盗撮してんだぜ?普通気持ちわりーとか思うだろ?」

確かに知らない人にずっと後をつけられて盗撮されてました、なんて事になったら気持ち悪いとは思う。でも相手は知らない人じゃないもん。露伴先生だもん。彼氏なんだもん。

「最初はびっくりしたけど…。その、気持ち悪いとかっていうよりは、どうしてそんな事したんだろう?って気持ちの方が大きくて…」

そりゃーお前…なぁ?と仗助に同意を求められた所で私の頭の上には疑問符しか浮かばない。どうして露伴先生は私の事盗撮してたんだろう?どうしてあんなにいっぱいの写真?あのフィギュアも露伴先生の自作でモデルが私だとしたらそれもどうして?わからない事だらけだ。

「そんなの露伴センセーがなまえの事めちゃくちゃ好きだからに決まってんだろォ〜〜」

考えれば考える程わからなくなって次第に顔も俯きがちになっていく私にチョコレートパフェを綺麗に平らげた億泰がにい、と笑ってみせた。億泰、口の端にチョコレートソースいっぱいついてる。

「ろはんせんせいがわたしのことめちゃくちゃすき?」
「お〜」
「そんなに、露伴先生って私の事好き、なのかな」
「あったりめぇだろォ。べらぼーに好きだと思うぜ」
「べらぼうに?」
「しつけーなァ。露伴センセーにあんだけ好かれてんのに自覚ね〜のかよ?」

そんなの、自覚なんて、ある訳ないよ。だって、相手はあの露伴先生で、有名な漫画家で、ファンだっていっぱいいて、格好良くて、優しくて、大人で。そんな人がこんな何の取り柄も無い私の事をめちゃくちゃ好きでいてくれるなんてそんな風に感じられるほど私は自意識過剰でも何でも無い。

そりゃあ確かに、露伴先生の彼女っていうポジションに居座っている自覚はあるよ。露伴先生に好かれている自覚も…ちょっとだけある。だけど私の好きと露伴先生の好きは天秤に掛けた所で同じ重さになる事はきっと無くて、私ばっかりが露伴先生の事を好きなんだろうなあってずっと思ってて。でも、露伴先生みたいな人とお付き合い出来た事自体が奇跡に近いのに、そんな人に自分と同じ重さの好きを求めようなんていくら何でも我儘過ぎるって、ずっと我慢していたのに。それなのに。

露伴先生が、私の事をめちゃくちゃ好き?

そう考えただけで身体がかあっと熱くなる。早鐘みたいな胸の鼓動がやけにうるさくて、でも嬉しくて、それなのに何だか泣いてしまいそうになる。

「…私も露伴先生の事、めちゃくちゃ好き、だよ」

急に居た堪れなくなって小さな声でぽつりとそう言えば目の前の二人の耳にはしっかり届いていたようでカフェ中に響き渡るような何ともけたたましい喚声を上げられた。

「なまえ…、やっぱお前相当男の趣味わりーぜ…」
「結局ただの惚気じゃねぇかよォ〜〜〜ッ!俺だって、俺だって彼女欲し…、グスッ…」




…でも、露伴先生。あの部屋の事、一体いつまで秘密にしてるつもりなんだろう?どんなに盗撮された事よりもどんなに美少女フィギュア持っている事よりもこの先ずっと隠し事をされている方がもっと心にひっかかるって思っちゃうのは私がおかしいからなのかな…?

20160125


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