「露伴先生はなまえにこれからもずっと自分の本質的な部分を隠していくつもりなんですか?」

親友の言葉ばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡ってその内にそれは胸のわだかまりと化してしまった。鋭く心に突き刺さった言葉に悲劇の主人公ぶって被害者ヅラを下げたい気持ちは山々だけれどどう考えてもぼくは加害者だ。

本当はわかっていた。いつかこんな日が来るんじゃないかってわかっていたんだ。だけど、だけれども。

なまえが嬉しそうに「露伴先生」と呼ぶ度に、小さな手が愛おしそうにぼくの手に絡められる度に、体温を求めて切なそうに口付けする度に心がどんどんと膨れ上がっていく。康一くんはあのプッツン女が最初から全てをさらけ出して来たと言うけれどそれでもあの女を受け入れる事が出来たのは君の器が大きいからじゃあないのか?なまえの器が小さいと言いたい訳じゃないけれど一般論で考えればぼくが彼女にしている行為はあまりにもマイナスの要素が大きすぎる。もしかしたら全てを話してもなまえはぼくを受け入れてくれるかもしれないけれど、じゃあその確率は何%だ?反対にぼくが嫌われる確率は?自分勝手な考えだとは承知の上だがぼくは彼女を失いたくない。

「露伴先生どうしたんですか?」

小さな手が自分の手の上に重ねられる。見ればソファで隣に座るなまえが先程からずっと黙り込んでいたぼくを心配げに見つめていた。何でもないと答えれば「本当に?」となまえは顔を覗き込ませるのでわざとらしく口角を上げて見せる。本当の事を話さなければと心の奥底では思っているのになまえを前にするとそんな気持ちは何処かに消え去ってしまっていつものエゴイズムなぼくが現れる。ぼくを見つめるこの視線も重ねられた体温も今更振り払える訳が無い。ずっとこのままでいたい。今までと同じようになまえと一緒に同じ時間を過ごしていたい。

「露伴先生はなまえにこれからもずっと自分の本質的な部分を隠していくつもりなんですか?」

また同じ言葉が頭の中に浮かぶ。わかってる、わかってるさ。本当は言わなきゃならないって事ぐらい。でも、とかだって、なんて言葉ばかりが自分の中に出て来ては言い訳染みた言葉を構築していく。胸が苦しい。自分が本当はどうすべきかなんて事は自分が一番よく理解している。

「なまえ」

息を呑んでから向き合えば「どうしたの」と言いたげな瞳がぼくを貫く。全ては自分が蒔いた種だ。自分で自分を追い詰めてこんな状況になっているのはわかっている。それでもぼくは怖い。君を失うのがこんなにも怖い。震える手で彼女の頬にそっと触れれば指先に紙の独特の乾いた感触が現れる。

ぼくは卑怯で臆病で、そしてこんなにも弱い人間だった。

「…ヘブンズ・ドアー」

意識を失ったなまえが力無く腕の中へと倒れ込んで彼女は本になってしまった。この能力を得てから様々な人間を本にしてきたけれどこの姿を見てこんなに動揺するのはそれがきっとなまえだからだ。自分の中にひっそりと決められていたルールが崩れていく。彼女には、なまえには、この力は使わないと決めていたのに。

視線を落とせば閉じられた目元にさえも細かな文字がびっしりと書き込まれているのが見えた。左手でなまえの身体を支えながら右手でそっと頬に触れればそこにはいつもの柔らかな感触は微塵も存在しておらず視覚、そして触覚から改めて彼女を本にしてしまった事実を実感してしまう。思わず心臓が震えた。

さあどうする岸辺露伴。このまま彼女のページを捲って細かな文字をまじまじと読んで真実を知り得てしまおうか?しかし「岸辺露伴の秘密の部屋に入った」と書かれたページが仮にあったとしてもそれを千切るだけでは何の解決にもならない。今回の事は忘れてもまた同じ事が繰り返されるかもしれない。それならば新しく自分の願望を書き込んでしまおうか?「岸辺露伴の秘密の部屋には近付けない」と書こうか、それとも――。

「…何があろうとも岸辺露伴を一生愛する」

ぽつりと呟いた言葉は暖房の効いた部屋の乾いた空気の中に溶けて消えてしまった。

そうだ、そう書き込んでしまえば良いのだ。然すれば自分の本性を明かした所でなまえは変わらず「露伴先生大好きです」と好意を示してくれる。そういう確証があればぼくだって本当の自分を見せる事が出来る。こそこそと隠し通す手間も省けるし無理矢理押し込んだ本当の自分に苦しまずにいられる。

「何だ、良い事尽くめじゃないか」

言い聞かせるように発した言葉が震えていたのには気付かない振りをした。右手で適当なペンを探し当ててからそっとペン先を宛がえばなまえの顔の紙にじわりとインクが染みを作る。


何があろうとも岸辺露伴を、


「………」

あと三文字。愛する、と書き込んでしまえば全てが楽になる。全てが自分の思い通りになる。今までのようになまえは放課後にはぼくの家のインターホンを鳴らすだろうし、扉を開ければ毎回嬉しそうに「露伴先生」とあの幼さを残す声で名前を呼んでくれるだろう。雑誌やテレビを見て目新しい場所を見つける度に「一緒に行きたいです」と強請り、それに応えれば「嬉しい」と甘えた様に身体を擦り付けて。小さな唇に自分のを重ねれば切なそうに声を漏らされて、その内に熱に浮かされて身体を震わせて。それでぼくにしか見せない表情で小さな声で「ろはんせんせ」って呼ぶんだ。今までがそうだったようにこれからもそうなるし、そうならなければいけないんだ。だからぼくは書き込まなければならない。残りの三文字を、愛する、と、

書かなければならないのに。

指先から離れたペンはそのままフローリングへと落ちて小さな音を立てて、先程まで其れを握っていた右手は愛おしむ様になまえの髪へと絡み付く。

やっぱりぼくにはなまえの気持ちを操るなんて事は…出来ない。

ここでぼくが彼女を操れば今までの彼女の気持ちはどうなる?なまえの本心でぼくを好いてくれた行為が全て消えてしまいそうで、この掌の隙間から砂のように零れ落ちてしまいそうで、今までなまえがぼくに伝えてくれた言葉も体温も全てが偽りになってしまいそうで。ぼくが欲しいのはそんな薄っぺらな物じゃなくて目の前にいるなまえというただ一人の人間だというのに。

自分が書きかけていた部分を指でそっと千切る。つい数秒前まで彼女の一部であった紙をくしゃりと丸め込んで掌の中へと追いやってから思い切りなまえを抱き締めれば腕の中で彼女が小さく声を上げた。

「…ん…、あれ?わたし…」

戸惑うように重ねられた視線に臆する事無く真っ直ぐに見つめれば少しだけ身体が震えた。本当の事を言えば嫌われるかもしれない。だけどこのまま隠しておく事も、ましてや彼女を操るなんて事も、ぼくには到底出来そうにない。

「なまえ、こっちへ」

未だ状況を理解出来ていないなまえの手を取って指を絡ませてから二階へと上がる。自分の家の階段はこんなにも長かっただろうか。囚人が独房から呼び出されて処刑場へと歩いて行く時ももしかしたらこんな気持ちなのかもしれない。握られた手に少しだけ力を込めればなまえもまた同じ力でぼくを握り返した。

二階に上がって廊下を歩いて突き当りの一番奥の部屋。ポケットに忍ばせておいた鍵で扉を開ければいつも通りフィギュア達が最初に目に飛び込んで来るけれど肝心な部分はそれじゃあ無い。更に足を進めて本棚の前に行ってから一際目をひく真っ白な背表紙のアルバムを一冊取り出してなまえに手渡せば再び戸惑いの視線を向けられた。そんな視線を振り払うかのように顔を俯かせて静かに口を開く。

「ぼくは…君にずっと、隠してた事があるんだ。…何て言うか、その…ええと…」

意を決して喋ろうにも言葉が上手く組み立てられない。簡単な言葉すらも構築できない焦りと歯痒さから下唇を噛み締めればいつの間にか解かれていた手をもう一度なまえが握り締める。寄り添う体温に弾かれたように顔を上げればなまえは相変わらずぼくを真っ直ぐと見つめていた。

「…露伴先生。ゆっくりで、いいですから」

ね?とぼくに笑いかけるなまえに胸がきゅうと締め付けられる。気付かれないようにそっと深呼吸をしてからぼくが再び口を開けば情けないくらいに小さな声ばかりが零れていく。

「そのアルバムの中身は、全部なまえの写真なんだ。…全部、ぼくが隠し撮った奴だ」

語尾が震えて上手く伝えられないかもしれない。けれどぼくは伝えなくちゃならない。伝えなくちゃいけないんだ。

「君を知りたくて、放課後ずっと後ろをつけていた事もある。…此処にあるフィギュアだってなまえに似せて作った物だし、抱き枕だって作った。ぼくと君が主人公の漫画だって描いている。……ぼくはなまえが思っているような人間じゃあ無い…」

すまない、と消え失せそうな声で言えば繋がれていた手をそっと解かれた。思わずその手を追い掛けようとしたけれどぼくにはその体温を引き留める権限は無い。温もりを失った右手がぶらりと下がる。何処を見ればいいのかわからなくて結局ぼくは再び下方を見つめるだけになってしまった。

「…確かに私が思ってたのと実際の露伴先生は違うみたいです」

両手が自由になったなまえはアルバムの中身を確認しているようで幾つものページを捲る音が聞こえる。どんな顔で彼女がそれを見ているかなんてぼくには確かめる事が出来ないし、その言葉に何て返せばいいのか、そもそも返していいのかさえもわからない。

「露伴先生はどうして私の事こんなに隠し撮ってたんですか?」
「それ、は」
「…私の事が好きだから、ですか?」

同じトーンで喋り続けるなまえに距離を詰められて思わずその距離分後ろへ下がれば背中に本棚があたる。心情と同じく追い詰められた構図にどうする事も出来なくてそっと彼女を伺い見ればそこには自分が思ったよりもずっと穏やかな表情のなまえがいた。怒る訳でも無く、悲しむ訳でも無く、ただぼくからの答えをじっと待っている。

「…好きなんて言葉じゃ言い表せないぐらいに…、ぼくは、なまえが好きだ…っ」

相変わらずぼくを射抜くような視線への動揺とあからさまに好意を伝える言い慣れない言葉への羞恥と色々な感情が混ざってぐにゃりとぼくの心を捻じ曲げる。居た堪れなさ過ぎて気を紛らわすように髪をくしゃりと掴めば毛束が何本か瞼にかかって視界を遮るのでそのままそっとぼくは目を閉じた。

「…これでやっと、3回目です」
「…何…?」

薄らと目を開ければ先程よりもずっと近い距離になまえはいた。アルバムをぱたんと音を立てて閉めてから本棚にそっとそれを立て掛けて改めて彼女はぼくを見上げる。

「あのね、露伴先生は私の事そんなに好きじゃないと思ってたんです」
「…何で、そんな」
「あ、えっと…。好きじゃないっていうか、その、私ばっかりが好きなんだろうなって」
「……」
「露伴先生が一番大切なのは漫画で私はその次の次くらいかな〜って思ってて」
「そんな事ある訳、」
「…だって露伴先生、私に好きって言ってくれないんですもん」

そう言って俯いてしまったのは今度はなまえの番で翳りを持った表情はまさしく寂しさを帯び出していた。

「露伴先生が私に好きって言ってくれたのはたった2回だけなんです。…初めてキスした時と、…初めて身体を重ねた時だけ。…露伴先生は気付いて無いかもしれないけど…」
「…なまえ、違う。ぼくは、」
「それでも良いって思ってました。50%50%で想い合って無くても10%90%でも良いやって。10%でも露伴先生が私の事好きでいてくれるならそれで良いって、思ってたんです」

……本当の本当は少しだけ寂しかったけど、となまえはぽつりと漏らした。

違う、ぼくがなまえに直接的な言葉を言わなかったのはそんな理由じゃない。ただ気恥ずかしいだけだったんだ。基本的な人間付き合いも殆ど侭ならないぼくが誰かに好意を伝えるなんて羞恥以外の何物でも無いじゃないか。お互いが想い合って恋人同士という関係を築き上げたのならば今更そんな言葉での確認なんていらないだろうと思っていたし、その雰囲気で想い合っている事はわかってくれただろう、なんて甘えていた部分も確かにあるかもしれないけれど。

「…最初にそのアルバムを見た時はびっくりしたけど…。でも露伴先生が私の事を好きでそうしたのかなって思ったら…嬉しくて」
「なまえ」
「変ですよね、隠し撮りされてたのに嬉しいって…」

えへへと照れたような表情を浮かべたなまえはいつものようにぼくに笑いかけていつものようにぼくの名前を呼んだ。目の奥が熱い。畜生、こんな展開誰が予想していたと思う?比喩で彼女を天使だと言った事は何回もあるけれど今回は本気でそう思う。

「なまえ」
「はい?」
「君を、抱き締めたい」
「え、あ、えっと。…はい」

恐る恐るといった様子で背中に華奢な腕が廻されたのを見計らってぼくもなまえを腕の中に収める。思い切り抱き締めてしまいたかったけれど力任せに扱えば壊れてしまうような気がしてそっと優しく力を込めた。柔らかな髪に顔を埋めれば改めて目の奥が響いて今度は鼻の奥までつんとしてしまう物だから参ってしまう。畜生、畜生、畜生…っ。泣いてしまいそうだ。目を瞑れば淵からじわりと液体が滲み出てきたけれど頬を伝っては無いからこれはセーフだ。泣いてなんかいない、泣いてなんか…ッ。

「露伴先生、泣いてるんですか?」
「…ぼくが泣く訳ないだろ」
「でもちょっと鼻声になってます」
「そんなの気のせいに決まってる。…ところでなまえはその、怒って無いのか?」
「んん〜…。ちょっとだけ怒ってます」
「え」
「ふふふ、でももう良いです。露伴先生の泣き顔が見られたので」
「な、泣いてないって言ってる…ッ!」

滲み出る液体を誤魔化すようになまえの髪へと一層強く頬擦りすれば腕の中で「くすぐったいですよお」と声を漏らされる。こんな事初めてだ。ここまで他人を好きになるのも求めたいと思うのも心を揺さぶられるのも。自分がこんなに感情の振り幅の大きい人間だなんてぼく自身気付いていなかったのに。

「なまえ」

呼べばあの大きな瞳がぼくを見上げた。まだ目は赤いかもしれない。淵に液体が滲んだままかもしれない。でも今はもうどうでも良い。丸みを帯びた額から鼻筋までそっと唇で辿ればもう一度なまえがくすぐったそうに身を捩じらせた。それから頬に一つ口付けを落として唇同士が触れ合う寸前の所で止まる。

「なまえ、好きだ」
「…べらぼーに私の事好きですか?」
「ああ。べらぼうに、な」

私も、という言葉が紡がれる前にその唇を奪ってしまえばなまえはそっと目を閉じてぼくに身体を委ねた。一度は離れていってしまうと覚悟したこの温もりはこうして自分の中に確かに存在していてそれがより一層愛おしいと感じてしまう。失ってしまうと思っていた体温が再び自分の元に擦り寄ってきたのであればもう二度と離すまいと心の中でひっそりと誓い、結局は力いっぱいなまえを抱き締める事になってしまう。苦しいです、と不満げな言葉に満更でも無い声色は再びぼくの口内へと消えていくのであった。




「んん〜…。でもね、隠し撮りはもうしちゃ駄目ですからね」
「わかった、もう二度としない」
「写真撮りたいならちゃんと言って下さい。言ってくれたら撮っても良いですけど…こっそりは駄目です」
「わかった。じゃあこの前ぼくがあげたあの下着を着用している写真が欲しいんだが…撮らせてくれるよな?」
「えっ。そ、それは…」
「ンン?言ったらちゃんと撮らせてくれるんだろ?」
「う、うう…」
「この前あげた以外にも買った奴が寝室にいくつか置いてあるんだが早速着替えてみるか?」
「あ、あぅ…。やだ、やだあ…パンツ脱がせちゃだめです…っ」
「脱がなきゃ新しい下着に着替えられないだろ?…ほぉ〜、今日はグリーンの下着か。悪くないなァ」
「露伴先生全然反省してないよぉ…っ。う、うぅ…」



20160212



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