「悪い事は言わねー。なまえ、それだけはやめとけ」

紫苑色の瞳が真っ直ぐと射抜くように私を見つめれば案外近いその距離に少しだけ後ずさりしそうになったけれどがっしりと肩を掴む両手がそれを許さない。ち、近いよぉ、仗助。皆が見てるよ、うぅ。



時間は放課後。下駄箱から自分の靴を取り出しながらそういえば今日提出だった進路希望調査の紙には何て書いた?なんて他愛も無い言葉から始まった皆との会話。紙面には大学に進学希望とマルをつけた事と具体的な大学名はわからないけれど食物栄養学科がある所がいいな、なんて自分の気持ちを吐露すれば隣にいた仗助がへぇ、と感心したように声を漏らした。

「何でまた食物栄養学科?」
「んっとね、栄養士の免許取れるみたいだから」
「へー。なまえは栄養士になりてーんだ?」
「…ていうか、その、食の面から健康を管理出来るようになれば露伴先生の為にもなるかなって思って」
「あ?露伴?」
「うん、露伴先生」
「……なまえ、俺には何でそこに露伴のヤローの名前が出てくんのかさっぱりわかんねーんスけど?」

だって高校を卒業したら露伴先生と同棲する事になったんだもん。露伴先生はお仕事しなくちゃいけないから家事をこなすのはきっと私。掃除や洗濯、それに食事の準備だって私の役目になる。毎日露伴先生にご飯を作ってあげる事になるのであればちゃんと健康面をサポート出来るご飯を作ってあげたい。ちゃんとバランスを考えて栄養のつく物を食べさせてあげる事が出来たら、それは露伴先生のお仕事の効率にも関わってくるかなって思ったんだもん。それに栄養士免許とか栄養教諭免許とか取れば大学を卒業してからの就職だって有利かもしれないし。露伴先生は「君一人くらい養うのはぼくにとって造作も無いんだから別に働かなくても全然構わないんだけどなァ」なんて言うけどそんな露伴先生に依存しっぱなしの生活を送るのは申し訳無いし自分自身も嫌なんだもん。

「待て、待て待て待て!」
「あ、ご飯を作るのは元々好きだしそこは大丈夫だと思うんだけど…」
「ちっげーよ!俺が言いてーのはそこじゃねえ!同棲って何だそれはァ!」
「え?え?何で仗助そんなに怒ってるの…?」

そんな会話を繰り広げれば仗助は距離を詰めて至って真剣な眼差しで私を見つめる。そして先程の台詞である。うう、困ったなあ…。仗助は仗助で露伴先生とは違った格好良さがあるからこんな距離で見られると怖気づいちゃうよ。あと数歩で正門を抜けるという場所的にも多数の仗助ファンからじろじろとそれはそれは痛い眼差しを貰う事にもなる。視線をずらせば呆気に取られた億泰と「同棲って…凄く素敵な響きじゃない、ねえ康一くん?」なんて詰め寄る由花子に困ったように笑う康一くんが見えた。しまった、誰も助けてくれなさそう。

「なまえと露伴のヤローが付き合うのは百歩、いや千歩譲って良いとして…。同棲はやめとけ、な?」
「どうしてそんな事言うの、仗助」
「同棲なんかしちまったら…ま、まるで事実婚みてーになるだろーが!」
「…事実婚じゃないもん」
「は、」
「ちゃんと、け、結婚もするかもしれないし」
「…おい、なまえ、」
「ぷ、ぷろぽーず(仮)だって、されたもん」
「………」

数秒後に響き渡る仗助のとてつもない喚き声に益々近くなる距離。ぐいと身体を引き寄せられて思わず声が出る。すぐ間近に見えた仗助の表情は今まで見てきた中で一番真剣で焦ったものだった。仗助何でそんな顔するの?ただでさえ整った顔の仗助は迫力あるんだからそんな顔でこんなに迫られたらどうしたらいいかわからなくて泣いちゃいそうになる。

「なまえ、マジであの男はやめとけ。おめーだったら他にも良い男いっぱいいるぜ?なっ?」
「…仗助は露伴先生の事嫌いなの?」
「……嫌いっつーかよォ…。なんつーか、その…嫌いじゃねーんだよ、嫌いじゃ」
「へぇ、そーかい。…ぼくはお前が大ッ嫌いだがな、東方仗助ェ…ッ!」
「…げぇ」

もう一度視線をずらせばそこにはスケッチブックを肩から下げた露伴先生が見えた。露伴先生、と小さく呼べばそれに気付いた先生が大股開きで近付いてきて私と視線を合わせたままの仗助の肩を掴む。めきめきと何やら物騒な音が肩から鳴っているのは仗助の表情を見る限り気のせいではないらしい。

「貴様ァ…ッ!よくもぼくのなまえを苛めてくれたなァ!?」
「いや、別に俺は苛めた訳じゃなくて」
「この期に及んで言い訳だと…?貴様がなまえを汚そうとしたのはどこからどう見ても一目瞭然なんだよ、このスカタン!」
「け、汚すって、俺何もしてな」
「ハァァ〜〜!?たった今、なまえに無理矢理行為を迫って泣かせてただろう!どうせ鬼畜な貴様の事だから避妊もせずに寝盗り中出し生ハメセックスを目論んでいたんだろうがな!寝盗り中出し生ハメセックスを!」
「だから何でイチイチ声がでけーんだよ、てめーはよォ!行為なんて迫ってねーよ!大体ここ学校だっつーのに何て事言ってんだ!」

声を荒げて眉をこれでもかと上げる二人を前にして私なんかが出来る事は一つもない。どうしようどうしよう。あんなに怒ってる露伴先生も仗助も見た事が無い。露伴先生に至ってはよくわからない言葉を口にしているし。もう一度困った視線を向ければふう、と溜息をついた由花子がそっと耳打ちをする。由花子、やっぱりいい匂いする。

「あのクソ漫画家に抱き付いて名前の一つでも呼べば事態は収拾するわよ、ほら」
「え、え、でもぉ」
「大丈夫。あのゴミ漫画家はなまえにだけは弱いんだから」
「ん、んん…」

まさかこんな公共の場で露伴先生に抱き付く事になろうとは。周りに不穏な空気が漂ってあと少しで殴り合いでも始まりそうな雰囲気に尻込みすればいつもみたいに由花子の髪がにゅにゅにゅと伸びて私の背中を押す。ちらりと見れば行け、とその顔が物語っていた。どうやら私にはあのただならぬ空気の中を割って入る事しか選択肢が残っていないらしい。

「ろ、露伴先生」
「!」

ぎゅうと腰のあたりに腕を廻して見上げれば露伴先生はみるみる内に眉を下げてそれから優しく頭を撫でてくれた。よかった、いつもの露伴先生になったみたい。頭を撫でた大きな掌はそのまま髪を梳いてそっと頬に触れる。指先が少しだけくすぐったい。

「なまえ、あのクソッタレに何処を触られた?何かされなかったか?」

ううん、と首を横に振れば露伴先生は安堵の色を浮かべて柔らかく笑った。露伴先生、格好良い。仗助も格好良いけど露伴先生の方がずっとどきどきしちゃうのはやっぱりこの人が大好きだからだ。じいっと見つめられると何だか照れくさくてえへへと笑えば目の前の露伴先生が身体を震わせる。

「も、萌え…!超絶可愛い…ッ!ぼくだけの天使…ッ!」

それからぎゅうと抱き寄せられて私は露伴先生の胸元へと頬っぺたを擦り付ける事となる。ちょっとだけあのペン型の金具があたっていたいけど露伴先生の体温とどきどきしている心臓の音を聞いてしまえばそんな事どうだってよくなってしまった。あ、でも多分色んな人に見られてるんだろうな。ちょっと恥ずかしい。

「あのう、お取込み中悪いんですけど。露伴先生何でここにいるんですか?」
「む、康一くん…とプッツン女か。相変わらず陰険な顔だな、メンヘラめ」
「黙れ、クソバラン。アンタみたいなストーカー野郎に言われる筋合いは無いわ」
「ハァ?ストーカーはお前だって一緒だろう!その上、監禁緊縛お漏らしプレイまでするなんてうらやま…いや何てけしからん奴だ!」
「あーもー!二人ともいい加減にして下さい!」

康一くんが叫べば目の前の露伴先生は急に姿を消して、目線を下ろせば地面とキスをしている真っ最中だった。露伴先生、具合悪い?それともそれも漫画の為のりありてぃーって奴?

「う…ぐ…、な、なんでぼくだけなんだ…っ。は、はやくスタンドを…っ」
「学校で騒ぐのはやめて貰えませんか」
「わかった、わかったから…!は、やく、エコーズ…ッ!」
「約束ですからね」

砂まみれになった口元を拭ってから立ち上がった露伴先生は襟元を正して私をもう一度引き寄せた。んん、ちょっとだけ苦しい。それから康一くんと向き合って口を開く。

「打ち合わせがあったんだよ。で、時間帯も丁度放課後と被ると思ったし此処まで距離も近かったからなまえを迎えに来たんだ。ほら、世の中にはストーカーとか危ない奴が沢山いるだろ?」
「さっき自分でストーカーだって認めた発言した癖によくもそんな事言えますね…」
「けれどいざ迎えに来たらあのクソッタレがぼくのなまえに!超絶可愛くて!天使で!小悪魔な!ぼくのなまえに!無理矢理襲い掛かろうとしてるじゃないかッ!」
「だから変な言いがかりはやめろっつってんだろォ!」
「全く…迎えに来て大正解だったな…」

やれやれ、と承太郎さんが言いそうな言葉を口にしてから露伴先生は私の身体に廻した手にぎゅうと力を込めた。そっか、露伴先生迎えに来てくれたんだ。正門に視線を向けてもそこにはあの高そうな外車もあの派手なバイクも姿は無い。て事は一緒に歩いて帰れるって事?街中で見かける学生カップルみたいに手を繋いで同じ歩幅で歩いて帰れるんだ。それってちょっとだけ、ううん、すっごく嬉しい。今度は自分から先生へと頬っぺたを擦り付ける。

「なぁなまえ…。ホントーに露伴でいいのかよォ?」

露伴先生の腕の中に収まったままの私に視線を合わせるように仗助が屈めば上からはチッと何とも大きな舌打ちが聞こえた。それに少しだけ怪訝そうな表情をしてからもう一度仗助は私と向き合う。

「何で露伴なんだよ?こんな変態やめとけって」
「露伴先生は変態さんじゃないもん」
「こんなんと一緒になったらぜってー苦労するぜ?」
「ハァ?ぼくがなまえに苦労をさせる?笑えない冗談だな」
「わっかんねーぜェ〜。案外取材の為とか言って山とか買ってその内破産とかしちまいそーだもんなァ」

仗助がそう言えばやけに具体的な未来予想図じゃねーかァ〜〜?と億泰が笑う。取材の為に山を買っちゃう露伴先生…?確かにあり得なくも無いかもしれない。だけど。

「…別にいいもん」
「なまえ、お前…」
「お金目当てじゃないもん。露伴先生が漫画の為に破産しても、それでも…いいもん。貧乏になっても私が一生懸命働いて頑張るから、だから、」

そこまで言えば露伴先生が優しく私の名前を呼んで仗助は目の前で頭を抱え始める。その奥では相変わらず楽しそうに笑う億泰と少しだけ困った風な康一くんにさもどうでも良さそうに佇む由花子がいた。

「いい加減観念したら?この子が頑固なのは知ってるでしょ、東方仗助」
「……おー」

はあ、と盛大に溜息を吐いてから仗助が屈めていた腰を元に戻せば再び私は彼を見上げる形となる。あー、とかうー、なんて言いながら視線を右往左往させてから仗助は観念したかのようにがっくりと項垂れた。今日の仗助はよく表情が変わるなあ。

「…俺は忠告したからな、なまえ。そんな変態と付き合って、この先後悔しても知らねーからなァ〜」
「余計なお世話だ、このスカタン!」
「だから露伴先生は変態さんじゃないってばあ…」

露伴先生はね、格好良くて、優しくて、ちょっとだけ意地悪で、大人で。たまに甘えん坊さんで可愛くて。ええと、だからね、つまり何が言いたいかっていうと。



「露伴先生はね、王子様みたいなんだよ」


見上げれば露伴先生は優しく笑った。





私の先生がこんなに変態なわけがない。
20160331


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