「う〜…、暑いよぉ…」

全くどうしてこんなに暑いんだ。未だ夏は訪れていないというのに、今がこんなんじゃあ夏は一体どうなってしまうんだろう。いつもは然程気にならない彼の家への道も何だか今日はやけに遠く感じてしまう。こんな事ならば露伴先生の言葉に甘えておけば良かったんだろうか。

「君の事が心配だから学校まで迎えに行く」

以前そう言われて喜んだのも束の間、校門前で自分を待つ彼の姿は他の生徒達の異様なまでの注目を浴びる事となってしまった。まあそりゃあそうだ。何てったってあの有名な漫画家が校門前に立っている姿はとてつもなく目立つし傍には外車が停まっていて。普段、自分に向けられる事の無い羨望の視線が痛かった。

「ろ、露伴せんせぇ…。もうお迎えいらないです…」
「何故?ぼくに悪いとでも思っているのか?それなら遠慮するなよ。ぼくが勝手に迎えに行くと言ったんだ」
「あ、あの、車でお迎えは目立つから…、その、なんていうか」
「……成程、わかった」

何をどうわかったのかはわからないが翌日の放課後にはまたしても校門前に彼は立っていた。傍にはバイクを置いて。

いや、まあ確かに車が目立つとは言ったがそれをバイクに変えれば良いって問題じゃあ無い。目立つ、下手したら車より目立つ。露伴先生の好意は有り難いが再び向けられる他人の眼差しが恥ずかしい。案の定、自分の恋人の存在は全校生徒達に知られてしまった。廊下を歩けば「あー、あの子があの岸辺露伴のね」と指を差される事も少なくない。ぶっちゃけ耐えられない。

「…露伴先生の存在が皆に知られてしまいました」
「別に隠すような仲じゃないし良いだろ。それにそっちのが好都合だ」
「こ、好都合って」
「男子生徒共が一方的に好意を持ってなまえに言い寄る可能性だって大いにあるだろ。それに対しての牽制には丁度良い」

自慢げに言い放つ彼は何かを勘違いしている。残念ながら自分に言い寄る男子なんていないし、ごくごく平凡な自分は特別注目を浴びるタイプでは無い。だからこそあの慣れない視線が痛かったと言うのに。

「私、もてないですもん」

紅茶に砂糖とミルクを溶かしながらそう言えば目の前の先生は目をぱちぱちとさせた。露伴先生のあまり見られないその表情がちょっと可愛いと思ってしまう。

「…信じられないな。なまえが他人の好意に鈍感ってだけじゃないのか?」
「違いますよ…。ほんとにほんとにもてません」
「でも言い寄られた事くらいあるだろ?」

うーん、と今までの記憶を掘り起こす。言い寄られた事?そういえば小学校低学年の時に同じクラスの男の子に「好き」と言われた事あったっけ。いやいや、でもそれはノーカウントだろうし。

「……無いです」
「本当にか?」
「…あ、でももてるとは別なんですけどやけに変な人には目つけられました」
「……その話を詳しく」
「何て言うか、変態さんに好かれるというか」
「………」
「電車に友達と乗っても私だけお尻触られたりとか、全然知らない人におうちまで尾けられたりとか。そーいうのは多いんですけどねえ」

せめて普通の人に好かれたいと思うのに何故か自分に寄ってくるのはそういう人間ばかりだ。そんな自分が露伴先生と付き合えたのは奇跡なんじゃないかとすら思う。

「これから毎日迎えに行く」
「え!いい!いらないですっ!」
「迎えに行く」
「いらないですってばあ…」
「行く」
「私なら大丈夫ですから…っ」

「行く」「いらない」の攻防戦が暫く続いたかと思うと結局根気負けしたのは露伴先生の方で。「仕方ないな」と呟いてから先生はごそごそとポケットの中から何かを取り出して私にそれを手渡した。小さな掌サイズのこれは何だろう?

「ぼくが作った防犯ブザーだ」
「え」
「その紐を引っ張れば辺りにけたたましい音が鳴る。ついでにぼくの家に連絡が来るようになっているからすぐに駆けつける事も出来る」
「心配性ですね…」
「当たり前だろ。…まあでも」

迎えに来て欲しい時はいつでも連絡してくれ。そう言って先生は私の頬に唇を寄せたけれどそれ以来お迎えをお願いした事は無い。

でも今日のこの暑さときたら。通気性が全く以て無い制服が余計に暑さを増長させている気がする。露伴先生にお迎えを頼めば良かっただろうか。きっと彼は二つ返事で了承しただろう。冷房の効いた車で彼の家まで行けばこんな思いをせずに済んだのに。今から迎えに来てもらおうかとも考えたがもう少し歩けば先生の家だ。これぐらいの距離なら我慢して歩こうか。いや、でも暑い。何処かで涼みたい。

結局耐え切れなくなった私は駅ビルのテナントに入っている雑貨屋へと立ち寄る事にした。

外の熱気なんて微塵も感じ無い位に店内は冷房が効いていた。はあー、何て涼しいんだろう。買い物がてらここで少し涼んでから先生の家に行こう。店内を物色しているととある打ち出しコーナーが目に入った。

大きなテーブルに並べられたヘアアクセサリーやアクセサリー。それらに付いているモチーフはシェルやヒトデといった夏を連想させる物ばかり。こういうお店は季節を先取りしなきゃ駄目なんだな、なんて自分の中で妙に納得しながら一つのヘアゴムを手に取る。少し大きめなヒトデとそれに寄り添うように小さなシェルが飾り部分に付いていた。ふと店内に置かれていた鏡を見て思うが由花子ほどでは無いけれど十分に長いこの髪はこの時期に少し鬱陶しい気もする。一つ買っていこうかなあ、ヒトデって実物はちょっと気持ち悪いけどモチーフだと可愛いかも。んー、同じモチーフでゴムの部分が色違いで何種類かあるのか。何色にしようかな。

考えに考え抜いてから一つのヘアゴムを手に取った。「今年はスターフィッシュ・シェルが流行ります」なんて書いてあるPOPを見てスターフィッシュだなんて洒落た呼び方もあるんだなあなんて思っていたらそのPOPに寄り添うように置いてあったブローチに気が付いた。きらきらと輝くゴールドのそれが妙に気になって思わず手を伸ばす。

「…イルカだあ。かわいい〜」

店内の照明に反射して光る様子が綺麗でわざと光に翳すようにイルカのブローチを眺めているとふと何かの視線を感じる。

「?」

振り返るとそこには男の人が立っていた。しかもかなりの長身である。露伴先生よりも、仗助よりもおっきい…!その長身と身に纏っている白いロングコート、それに女性で溢れ返るこの店内で男性という事も相まってかなり目立っている。

「……」

じい、とこちらを見ているのは間違い無い。果たして何処かで会った事のある人だったろうか?しかし記憶に無い。こんな目立つ人と出会ったのであればきっと記憶には刻まれる筈だ。それなのに覚えが無いというのはやっぱり知らない人だ。

「それ、買うのか」
「え」

指差されたそれとは手に握っているイルカのブローチであった。手にしているそれと目の前の人の顔を交互に見る。もしかしてこの人はこのブローチが欲しかったのでは?

「あ、あの。可愛いなあって思って手にしただけなので…、どうぞ」

そう言って差し出せばその人はブローチを見つめて少し考え込んでしまった。少しの間、無言が続いてからもう一度その人が口を開く。

「君が購入するつもりだったのであれば俺は遠慮しておこう」
「え、あの、本当に手に取っただけだったんです。きらきらしてて気になっただけで。だから、どうぞ。きっと本当に欲しいって思ってる人に買ってもらった方がこの子だって幸せだと思いますから」

そこまで言うとそれまで無表情だったその人は柔らかくふっ、と笑って私の掌からブローチをそっと手に取った。会った事無いけどその笑った顔は何処かで見た事あるのは気のせいだろうか。

「それじゃあ君の言葉に甘えてこれは頂こう。それと…そのヘアゴム…、君もヒトデが好きなのか」

君「も」って事はこの人はヒトデが好きなんだろうか。人は見かけに寄らないとはよく言ったものでこんな人がイルカだのヒトデだのが好きだなんてちょっと意外だ。

「好きっていうか…、可愛いなって思って」
「そうか、可愛いか」

今度は嬉しそうに顔をくしゃっとさせて笑ったその人が何だか自分と同い年のように思えてしまった。どう見ても自分よりもずっと年上だと言うのに。男の人は自分の好きな事になるとどうしてこうも無邪気になるんだろうか。それは漫画に情熱を傾ける自分の恋人だってそうだ。普段は大人びている癖に漫画の話をする時は瞳をきらきらと輝かせて子供の様だと思う。まあそんな所も彼に惹かれる理由でもあるのだけれど。

「譲ってくれて有難う。礼を言う」

私がぼんやりとそんな事を考えている内にその人はそう言い、ブローチを購入して店を出て行ってしまった。少しだけの会話だったけれどその人の存在は私の中にやけに強烈に刻まれた。

「あ、いけない。私も早く露伴先生の家に行かなきゃ」

どうせ外はまだ暑いだろうし、このヘアゴムで髪を括ってしまおうか。そう思いながら私はレジの店員さんに値札を外して貰う事をお願いするのだった。









あまりの暑さに扇風機を出したのだがそれは大正解であった。「涼しいです〜」なんて言いながら扇風機の前で制服の襟元をぱたぱたと開けて風を送り込むなまえが見れるのだから。風になりたい。そんな歌があったような気がするが本気で扇風機の風になってしまいたい。風になって制服の下へ潜り込み、更にはその下着の下へ入り込みこの前の様に薄く色付くその胸の先端にしゃぶり付いてしまいたい。

暑さのせいでしっとりと汗ばんだ肌と上気した頬に極め付けのポニーテール。暑さのせいでどうにかなる前になまえのせいでどうにかなってしまう。そのうなじにかぶり付きたい。舌でうなじを舐め上げてそのまま柔らかな耳たぶを口に含んで甘噛みしてしまいたい。きっとまたとてつもなく可愛い声を上げるに違いないだろう。想像しただけでちょっと勃った。

「今日ね、すごく身長の大きな男の人と会ったんです」

誰だそれは。なまえの口から自分以外の男の存在を聞いて一気に分身が萎えた。何ならその男もこんなに可愛いなまえを拝んだって言うのか。誰かは知らんが目が潰れてしまえ。大体会ったって何処でだ?

「駅前のビルのあの雑貨屋です」

小物やら化粧品を取り扱う其処は男の立ち寄る場所では無い。まさかまた変態に目を付けられているのだろうか。その為に持たせた防犯ブザーだと言うのに。

露伴先生よりもね、その人おっきかったなあ、なんて言われて少しだけむっとしてしまった。別に自分の身長にコンプレックスがある訳では無い。だけれどもそんな言い方をされてしまうと卑屈になってしまう。もしやなまえは高身長の男が好きなのだろうか。平均より身長はあるが特別自分は高身長では無い。自然と眉間に皺が寄ってしまう。

「あのね、それでその雑貨屋でこのヘアゴム買ったんです」

アイスティーをストローでぐるぐると掻き混ぜながら言うなまえの言葉が右から左へと抜けていく。名前も知らぬその男に訳も分からぬ嫉妬をしてしまう自分がいる。大体どうして彼女はぼくの前でそんな事を言うんだ。彼氏であるぼくの前で。

「…それで、いっぱい色んな色があったんですけど」
「……」
「露伴先生みたいだなあって思ったから…緑色にしたんです」
「え」

若干心ここに在らずだったのだがその一言で一気に現実へと戻された。ヒトデの飾りでよく見えなかったが髪を纏めるゴムの部分は確かに鮮やかな緑色だ。目が合った瞬間に恥ずかしそうになまえは俯いた。

「先生のヘアバンドも緑でしょ?……だから、おそろいなの」

相変わらず俯いたままでなまえがそんな事を言う物だから気付けば彼女を抱き締めていた。ああもうどうして毎回毎回こんなに可愛い。会う度になまえへの想いが大きくなっていく。

「大きな男」と「ヒトデ」のヘアゴム。なまえのせいで高揚しているぼくは何とも分かりやすい二つのキーワードの事なんて頭の中から吹っ飛んでしまっていたのである。……後にあんな事になるまでは。


20150529



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