まさに満身創痍。ぎゅうときつくお手製のなまえ抱き枕を抱き締めてみるもその傷は簡単に癒えそうに無い。すんすんと鼻を鳴らしてみてもその抱き枕から香るのは自分の涙の匂いだろうか。何だか萌えない。いや、全然萌えない。すっかり自分の涙が吸い込まれたこのカバーは洗ってしまおう。洗って、それでなまえが使っているというボディソープを少し溶かしたお湯に浸けてもう一度濯いでしまえば、あら不思議、なまえと同じ匂いを纏った抱き枕カバーの出来上がり。なまえと同じ匂いのなまえ抱き枕を抱き締めればきっとこの気分も晴れるに違い無いだろう。

「………」

違う。違うだろう。何でぼくがそんな事しなくちゃあならない。本物のなまえと付き合っているのに何故そんな独り善がりな行為に没頭しなければならない。そりゃあ、いつだったかなまえが「露伴先生、テスト期間始まっちゃうから暫く会えないです…。ごめんなさい」なんて言い出した時は確かにこの抱き枕は大活躍した。なまえと一週間ほど会えないストレスから不眠状態に陥った時もこれのお蔭で眠れるようになったのだから。あ、でも結局我慢出来なくて一回だけなまえの家の前まで行ったんだった。こっそりなまえの部屋を覗いたんだった。一生懸命勉強に励むなまえは可愛かった。部屋着も可愛かった。舐め回したい。おっと、話が脱線したな。

そもそもどうしてぼくがこんな目に遭わなければならないんだ。

なまえと付き合っているのはこのぼくだ。なまえの恋人はこのぼくなのだ。それなのにどうして彼奴等はなまえと接触したがる?いや、彼奴等と言っても一万歩くらい譲ったとして東方仗助はまだ良い。彼奴はぼくとなまえが知り合う前から彼女と友人関係を築き上げていたのだ。ぼくと付き合ったからといって今更その友人関係をどうしろ、なんて器の小さい事は言いたくない。まあ、苛立つのは確かなのだが。

問題はあの男だ。空条承太郎。初対面に近いと言うのに厚かましくなまえの連絡先を聞いてどうしたいんだ。どうしたいってどうせ厭らしい事に決まっているんだろうがな!気安くぼくのなまえの事を呼び捨てにしやがって…ッ。そして一番腹立たしいのはその空条承太郎の存在が日に日に濃くなっている事にある。

暑い日が最近続くよな、なんて思ってぼくはなまえの為にゼリーを買った。何味が好きかわからないから蜜柑、葡萄、桃、なんて色んな種類の奴をだ。いつも通り家を訪ねて来るなまえに其れを見せれば目を輝かせたのも一瞬ですぐに「あの、せっかくなんですけど…。今日は甘い物いらないです…」と残念そうに顔を曇らせた。あんなに甘い物を好む筈なのに、暑い外から来たのであれば冷やされたゼリーを欲する筈なのに。何事かと聞けば至極申し訳無さそうになまえが口を開いた。「ん…、さっき承太郎さんに会って、クレープ奢って貰ったから…。あんまりお腹空いて無くて、あと甘い物いっぱい食べたら太っちゃいそうだから…」………、ああ、そう。とりあえずその日帰り際にお土産としてゼリーは持たせた。なまえは桃が好きらしい。ぼくはなまえのその桃のような頬が大好きだがな。舐め回したい。

いかん、また話が逸れた。

あとはなまえが持っている学生鞄に見慣れないキーホルダーがついていた、なんて事もあった。最初は特に気にしなかったがよく見ればそのモチーフはイルカ。まさか。「承太郎さんがくれたんです」………、ああ、そう。「イルカの口元って可愛いですよね〜」ぼくはなまえのその口元が可愛いと思う。下唇だけほんのり厚みがあって物事を考える時は少しだけ口を開く癖があるその口元がな。舐め回したい。

くそ、また話が逸れた。

まあぼくを苦しめる要因はあの空条承太郎で間違いない。餌付けにマーキング、どうしたものか。なまえに言えば良いのだろうか。「もう空条承太郎とは関わるな」と。そう言えば「どうしてですか」なんて彼女に聞き返されるだろう。其れには何と答えれば良い?「君をぼくだけの存在にしておきたいからだ」と答えれば良いのだろうか。

思わず乾いた笑い声が出た。何とも女々しい答えだ。でも実際にそう思ってしまう部分もあるのだから実際問題ぼくは女々しい男なのかもしれない。なまえを自分に繋ぎ止めておく自信が無い。ようやく念願かなって彼女と付き合えたというのにどうしてこんな不安に駆られなければならない。どうして。













「露伴先生って甘い物好きですか?」

いつも通り4時半頃に家を訪れたなまえは少しだけ不安そうに眉を下げた。甘い物、自ら摂取する事は少ないかもしれないが嫌いではない。仕事が立て込んだ時なんかは糖分摂取でチョコレートを一欠けら口へと運ぶ事もある。

「嫌いじゃないな」
「よかったあ〜。いつも私ばっかり甘い物食べてて、露伴先生食べてるの見た事無かったから嫌いなのかと思ってました」

言いながらなまえは例のイルカのキーホルダーがついた鞄をごそごそと探り、中から小さな茶色の紙袋を目前に取り出した。仄かに香ばしい匂いがする。

「これ…、露伴先生にあげます」

おずおずと差し出された紙袋を手に取る。中身は何だ、と目線を合わせれば少し照れたように逸らされてしまったので実際に開けて見る他無い。恐らくなまえが貼ったと思われる可愛らしいマスキングテープを剥がせばふわりと独特の匂いが広がった。先程から感じていた香ばしい匂いに加えて、甘い香りもする。ここで何となく予想はしたのだが更に中身を確認すればあっけなくその予想は当たる。

「クッキー、か」
「今日、調理実習で作ったから…。露伴先生にあげようと思って。あ、味見はちゃんとしたから大丈夫だと思うんですけど…」

許されるのであればこの湧き出る感情を思うがまま発散してしまいたい。今のぼくなら何でも出来る気がする。なまえの作った料理は何回か食した事があるがこういう甘い物は初めてだ。もごもごと小さく何かを言っているなまえを見ると何だか居た堪れなくなっているようだが何も心配する事は無いのだ。なまえが作ったのであればどんな物でも美味いに決まっている。例えこのクッキーが泥で出来ていようともぼくは完食する自信がある。くそ、嬉しい、嬉しいぞ…ッ。一つを手に取ってまじまじと見つめる。ほんのりと色付く其れは純粋に美味しそうだと思うし、何よりこの形は。

「ろ、露伴先生をイメージして作ったから、ペン先の形にしたんです」

俯いたままでそう言って恥ずかしそうに「変ですかね」なんてなまえは呟いたがぼくが変になりそうだ。クッキーの形はまさしく自分がしているイヤリングと同じ形。つまりは最初から彼女はぼくにこのクッキーをあげるつもりで作っていたのだ。なまえが!ぼくの為だけに!ニヤケ面を抑えようとして今のぼくは変な顔をしているに違いない。なまえが俯いたままでよかった。

そのまま手にしたクッキーを前歯で噛み砕けばサク、と音が響いた。バターと小麦粉、卵に砂糖だけを使った物なのだろう。実に素朴でシンプルな味わいだった。けれどもこれを作ったのがなまえで、彼女がぼくの為だけに作った訳で。

「……露伴先生、おいしくない?」
「いや、中々美味いと思うぜ?」

心配そうに覗き込むなまえにそう返せば彼女は一転して顔を綻ばせた。何回も言うが不味い訳が無い。泥だろうが砂だろうがゴミだろうが何で出来ていようが不味い訳が無い。袋の中には他にも幾つか入っているようだし、残りはちゃんと写真に収めてから食べる事にする。

なまえがえへへと笑う時は照れている時だ。そんな彼女を見て思わず頬を緩めてから手を広げればなまえが胸の中へと飛び込む。この暑苦しい季節、他人の体温を感じるのは鬱陶しい事この上無いが彼女の体温を心地良いと感じるのは何故なのだろうか。扇風機の風を受けてひんやりとした栗色の長い髪を梳けば猫のようになまえは目を細めた。

「露伴先生が甘い物食べてくれるならこれからは自分でも何か作ろうかなぁ」
「君が作ってくれるならもうぼくが甘い物を用意する必要は無さそうだな」
「えっ、それはそれですよぉ…。お店のと私が作ったのとじゃ全然違うもん…」
「おいおい、甘い物を沢山食べると太るって言ったのはなまえだろ?君はぼくが買ったのと自分が作ったのと両方食う気か?」
「んんん…、じ、自分で作ったのは味見程度にして余ったのは皆に配ります。露伴先生とか、あとは…そうだな、承太郎さんとか」

思わず髪を梳いていた手を止めてしまった。またか、と思った。先程まであんなに昂っていた気持ちが驚くほど収まって、寧ろ沈下していくばかりになる。

「なまえ、このクッキーは」
「はい、何ですか?」
「ぼくに"だけ"くれたのか?」
「…はい、そうですけど…?」
「例えば、他の誰かに配ったりとかは」
「してないです。…露伴先生にあげる分しか材料無かったですもん」

なまえの中ではぼくが一番の存在なのだろう。だから限られた数のクッキーをぼくにくれたのだ。それは実に評価し甲斐のある事実だ。けれども一番目の下には二番目がいて、三番目だっている訳だ。そう思うだけで心が乱れた。いらない、二番目も三番目もそれ以下の存在も必要無い。なまえの世界にはぼくだけが存在すれば良い。

「なまえ」

顔を上げた彼女の後頭部へと手を伸ばして半ば強引に唇を重ねた。いつもなら段階を踏んでいくが今日は何だかそんな余裕も無い。いきなり唇を割って中へと入り込めばくぐもった声が聞こえたが、抵抗らしい抵抗も見られないのでそのまま口内を嬲る。最初の方こそ拙いながら応えようと動いていたなまえの舌もその内にぼくにされるがままになっていた。柔らかい舌を吸い上げてどちらのとも言えない唾液がお互いの口内を行き交って、時折こくんとなまえの喉が唾液を飲み込む様に動くのがわかったがその殆どは唇の端から垂れてしまっていた。制服のスカートに濃い染みを作ってしまっている。

「…あ、ふ…ぅ。ろは、せ…せぇ」

唇を離せば息を乱したなまえが自分の意識を保つようにぼくの服をぐしゃりと掴んだ。上気した頬とだらしなく濡れた唇のなまえの蕩けた瞳にはぼくしか映っていない。呼び掛けに応えるように口付けてその唇をぺろりと舐め上げれば膝の上のなまえは身体をぴくんと反応させた。

首筋に顔を埋めてすん、と匂いを確認する。やはり抱き枕とは全然違うよな、なんて当たり前の事を今更実感する。そのまま甘い匂いに惑わされたように首筋を舐め上げてやればなまえは小さく吐息を洩らす。声を我慢してしまっているのは少々不服だが、時折聞こえる我慢出来ずに濡れた声に興奮しているのも事実である。

そのまま首筋を下りて鎖骨を軽く噛んでから、指でセーラー服の胸当てをずらしてその下の肌へと唇を這わせて吸い上げれば赤く色が付いた。いわゆる所有物の印。一つだけで足りる訳も無い。次々と印を付けていくがそれでも足りない。なまえの事を思って、と見えない所に付けていたが所有物の印なんて見える所に付けてこそだろう、ともう一度首筋へと唇を寄せる。

「ん、んっ、ろはん、せんせ…っ」

声を抑える事が出来なくなったなまえはぼくが印をつける度に身体を反応させた。途切れ途切れにぼくの名前を呼んでただひたすらぼくに身を任せるしか出来ないなまえ。ぼくからの刺激でこんな風になってしまっているなまえ。それでも足りない、全然足りない。どうしたらこの掻き毟られた心を元に戻せる?

「なまえ」

ふるふると睫毛が震えて耐えるように閉じていた瞼がゆっくりと開く。何度か瞬きをした後に瞳がぼくを捉えてどうしたの、と問い掛ける。嫌なら勿論構わないが、と前置きをしてから思わず口内の唾液を飲み込む。なまえの視線は未だにぼくを捉えている。


「なまえの全てをぼくの物にさせてくれないか」



20150706


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