女という性をこれ程までに苦痛だと思った事は無い。一歩一歩を踏み出すのもやっとでその足取りは重い。重いと言えば自分の身体を支配するこの痛みもだ。心なしか頭も痛い気がする。お腹が痛いのはまあ原理的にもわかるけれど、どうして頭も痛くならなければならないんだ。不条理にも程があるじゃないか。全身を襲う倦怠感に鈍い痛み。それが女の身体に必要な物だと頭では理解しているつもりだけれど、それでも望んでもいないのに毎月ご丁寧にやってくるこの痛みには納得が出来ない。そっと溜息を吐けば目敏い友人がそれに気付きその見た目には似合わぬ不安そうな表情を浮かべた。

「オイオイ、本当に大丈夫かよ。やっぱ俺心配だから送ってってやるって」

その問い掛けにうんとかううんとか答える元気も無くて、そっと首を横に振れば今度は溜息を吐いたのは目の前の友人だった。道を塞ぐように立たれてしまってはこちらも立ち止まらざるを得ない。ハーフだと聞いて妙に納得してしまうその体格の良さはいつもなら見惚れんばかりだが、今この瞬間は視界を遮った事にほんの少しの苛立ちを感じてしまう。

「だいじょぶ、だもん」
「けどよぉ、なまえ…」
「腹いてーのか?何か落ちてるモン食ったんじゃねぇだろーなァ〜〜?」

畜生、鬱陶しいのがもう一人増えた。黙れ、と出掛った言葉は寸前の所で飲み込んだ。仗助に億泰、彼らが私の友人で非常にイイ奴等だという事は重々承知である。だけども今日に限っては放っておいて欲しい、とただそれだけを強く思う。

落ちてる物なんか食べる訳ないだろ、何かの漫画かよ。女が腹痛に襲われてたら十中八九原因はあれだっていうのに何で気付かないんだよ、馬鹿野郎め。そんなんだから私が気を使って、こんなに生理痛に襲われて冷や汗だって浮かんできたっていうのに、気を使う羽目になるんだろ、バカ仗助にアホ億泰め。くそ、くそ、くそっ。いつもと違ってこんな風に苛々するのだってホルモンバランスが崩れているせいだ。くそっ!

「なまえさん、大丈夫?」

身体に見合わぬ凛々しい眉を下げて心配げに声を掛けて来た広瀬くんは金色に輝く髪も相まって天使かと見紛うような優しさをいつも通りに発揮したが、今日はその隣に彼女の由花子がいない事を恨む。せめて、せめて由花子がいてくれたらどんなに楽だっただろう。もしかしたら鎮痛剤という魔法の薬を持っていたかもしれないし、持っていなくてもこのバカ共を排除してくれたかもしれない。しかし何度見ても広瀬くんの隣には根本に雑草が生えた電柱しか見当たらない。

「だい、じょぶ…」

ふーふーと息を吐き出しながらたどたどしくそう言えば広瀬くんは益々顔を曇らせた。困ったような表情を浮かべた彼らだが本当に困っているのはこっちの方だ。止まる気配が無い痛みと苛立ちに頭がぼうっとして気付けの意味も込めて下唇を噛んで、スカートもぎゅうと握り締めればほんの少しだけそれらがマシになったような気もしたがすぐにそれは気のせいだと思い知らされる。やっぱり痛い物は痛い。この独特なリズムの波があるのもまた厄介だと思う。あ、いけるかも、と思った瞬間にとんでもない奴が来たりするのだ。自分の身体ながら一体どんな仕組みなんだよ、と奥歯を噛み締めればぎりぎりと音が鳴ってそれがまた頭に響いているような気さえする。

「あ、」

小さく声を上げたのは広瀬くんだった。今度は何だ、と虚ろな視線を投げかければ彼は一瞬目を逸らしてからすぐにまた私へとその大きな瞳を重ね、それから困ったように笑った。

「えっと…、もしかして、なまえさん…」

非常に言い難そうな彼の物言いにやっと気付いたか、と訴えかければ彼は申し訳無さそうに頭を掻いた。流石、彼女持ちなだけある。そういう事にはこの二人より察しがいいらしい。わかったならさっさとこのバカとアホをどっかにやってくれ、と更に瞳で語れば小さく頷いた広瀬くんは実にわざとらしい咳払いをしてから仗助と億泰に向き直った。

「あの、なまえさんは大丈夫だと思うから。その、僕たちは先に帰ろう?」
「どー見たって大丈夫な奴の顔色じゃねーだろ?あー、何ならこの仗助くんが薬買ってきてやろーか?」
「あっ、俺胃薬なら持ってんぜぇ〜!えーっと、何処やったっけかなァ〜。確かこの辺に…、おッ、飴玉出て来た!」

馬鹿野郎共め。特に最後の奴。いつもなら億泰アホだな〜、可愛いな〜、で済まされる筈なのに今日は苛立ちしか起きない。帰れ、帰れよ先に。どうせ薬を頼んだ所で鎮痛剤のパッケージにでかでかと書かれた「頭痛・生理痛に」なんて文字を見て「あっ」なんて今更察するんだろう?それで気まずい何とも言えない雰囲気が漂うんだろう?このバカ共を無視して一人でドラッグストアに駆け込もうにも私が手にした箱のこれまたでかでかと書かれた「頭痛・生理痛に」の文字に「あっ」てなるんだろう?それが嫌なんだよ、私は。それまで心配していた癖に妙に余所余所しい雰囲気を醸し出してそれじゃあ何だかこっちが悪いんじゃないのか、って空気になるんだ。絶対そうに決まっている。思春期真っ盛りな男子高校生にこの件でスマートな立ち振る舞いを見せられる奴なんてこの世に一人としている訳が無い。仗助たちみたいに察しの悪い奴なら尚更だ。

「ひぐ」

バカとアホ二人を前にしてしどろもどろになっている広瀬くんを見ていたら再び大きな波が来て思わず変な声が出た。もう駄目だ、私もしかして生理痛で死ぬのかな。まさしく血が足りていない感覚がして右手でお腹を擦ってみたけれどそれだけで何かが変わる訳でもなく、結局私はその場でしゃがみ込んでしまった。目の前がくらくらする、上からは何だか耳障りな声がする。ああ、意識が段々遠退いて、いく…。

……………。

…………。

……。




「てめーらこんな所で何してる」

じゃりとアスファルトの上の細かい砂粒を踏み潰す音がして閉じていた瞼をそっと開ければ灰色の地面に相反するような真っ白なコートの裾が視界に入る。そんな派手な服を身に付けているのはこの小さな町ではきっとあの人しかいない。それにほんのりと香る潮の香が其処に居るのは彼なのだと決定付ける。それでも身動ぎする事すら出来ず蹲ったままでいたら再び上から仗助や億泰の声、たまに広瀬くんの声がして私の影の上に更に大きな影が重なった。

「おい、大丈夫か」

すぐ傍で声がして顔を上げれば思ったよりも近い距離にあの翠色が存在して少々驚いてしまったが、そこに浮かんでいた憂わしげな表情は紛れも無く自分を心配する為の物でその事実に少しばかり頬が緩んでしまう辺り自分はとことんこの男に弱いと思う。問い掛けに小さく頷けば大きな手が自分の頭の上に置かれて宥める様に二度三度掌で撫でられる。子供にするみたいだと少し不満にも思ったけれどそれでも頬は緩んだままだ。

「お前らは帰れ。なまえは俺が送る」
「え、で、でもォ…」

不満げに声を漏らしたのは仗助でその隣では首がもげるんじゃないかと思うぐらいの勢いでうんうんと頷く広瀬くんがいた。その様子が可笑しくて思わず笑いを零せば承太郎さんに何か言われた様子の仗助がわざわざ屈んで私に目線を重ねる。当たり前だけど血が繋がっているだけあってこの二人は何処と無く似ている。

「あー…、じゃあ後は承太郎さんにお願いすっけどよォ…。あんま無理すんなよな」

うんと控えめに頷けば先程彼にされたように仗助の大きな手が頭へと伸ばされて力強くわしゃわしゃと髪を掻き乱す。その力の違いにこれが気遣い出来る大人と子供の違いか、と比較してしまうのは仕方の無い事だけれどそれでも仗助は仗助で自分を心配してくれているのだと今更になって実感する。いくらホルモンバランスのせいだと言ってもあんな風に彼らを蔑ろにしてしまった自分を少しばかり後悔した。

言葉足らずにごめんねと呟けば何となく私の意思を汲み取った仗助があの綺麗な歯を見せて笑う。億泰と広瀬くんも、と続ければ広瀬くんはお役御免といった所か安堵の表情を浮かべた。隣にいた億泰は一番察しが悪いようで頭の上には疑問符が浮かびっぱなしだったけれど。





「立てるか」
「うん…」

ゆっくりと立ち上がれば彼ら三人の後ろ姿はもう小さくなっていた。屈んでいたのはほんの数分だけだったと思うけれどこうやって二本の足で地面を踏みしめたのが久しぶりな感覚がして静かに深呼吸をする。すう、はあ、と息を吐き出した所で身体が急な浮遊感に襲われて驚きで目を見開けばその視界に飛び込んで来たのはいつもの自分よりもずっと高い位置からの眺めだった。そして遅れて鼻孔を擽る彼の匂い。反射的に思わず彼の首に手を廻してしまったこの体制はどこからどう見てもお姫様抱っこという奴で。

「や、やだやだ、降ろして!自分で歩けるもんっ!」
「道端で蹲ってた奴が言う台詞じゃねえ。なまえ、大人しく言う事聞け」

帽子から覗いた翡翠色に圧倒されて何も言えなくなってしまった。きっと仗助たちも同じようにこの瞳を見たんだろうなと思うと彼らが素直に帰路についた理由がわかる。こんな目に遭うのであれば普段からダイエットしておけば良かった、とか昨日の間食は控えておけば良かった、なんて事が今更になって頭を巡る。けれどもそんな事を考えた所でどうにもなるまいと一つの結論が出た所で再び身体を襲うあの痛みとこの体制による羞恥に耐える為私は大人しく彼の肩に顔を埋めるのだった。




どれくらいそうしていたのだろう。ずっと彼の硬い肩に顔を埋めていたから何処をどう通って此処に辿り着いたのかはわからないけれど静かに降ろされたこの場所が彼の寝泊まりする部屋だというのは明確だった。大きなベッドに敷かれた真っ白なシーツが私の体重を受け入れて皺を作る。当たり前だけれどこの部屋は彼で充満している。それが妙に嬉しくてすんと鼻を鳴らせば引き出しを漁っていた彼が目の前に白い錠剤を差し出した。

小さな錠剤を二錠、同じくして差し出された白湯で飲む。体温ほどの温度に温まった液体がじんわりと身体に浸透していく。それから横になれば彼の匂いは益々濃くなった。布が擦れる音が聞こえる辺り彼はあの白いコートを脱いでいるらしい。

「お姫様抱っこ、誰かに見られたかも」

小さな声でぽつりと呟けば彼は一瞬動作を止めたようだったけれどそんな言葉には気にも留めないようですぐにまたごそごそと音を立て始めた。返事は無い。別にいいけど、と自分を納得させて瞼をゆっくりと閉じればベッドが大きく沈んだ。思わず少しだけ緩んでしまった頬を誤魔化すように伺い気味にそろそろと瞼を開ければ彼の指がすぐ目前にあって人差し指で優しく前髪を掬われる。

「見られて困るような事をしたつもりは無いぜ」
「…仗助たちに付き合ってる事秘密にしろって言ったのは承太郎さんだよ」

少しの間があってから覚えてねぇなと彼は小さく零した。今日の彼は何だか甘い。こんな彼はまたと無いとそっと距離を詰めれば逞しい腕がにゅうと伸びて身体を少しばかり強引に引き寄せられた。

「添い寝、してくれるの?」
「…論文を徹夜で制作したせいであんまり寝てねぇ」

だからなまえも黙って寝てろと腕に力が込められて私の顔面は彼の胸板へと押し付けられる事となり小さく「んぐ」なんて声が漏れた。嘘つき。この人が徹夜なんてするような性格じゃないって私知ってるもん。

「今日の承太郎さんは優しいね」
「……だったら普段の俺は何なんだ、なまえ」
「普段も優しいけど、今日は特別なの」

見上げれば面白く無さそうに不満げにエメラルドが歪んでいた。そっと瞼を閉じれば彼の指で後ろ髪を梳かれる感覚がして段々と痛みと意識が遠退いていく。それにしたって仗助たちに本当に見られていたらどうしよう。そんな思いとは裏腹に相変わらず緩んだままの頬はきっと今の彼が見たら何笑ってやがるなんて悪態をつくに決まっているからやっぱり誤魔化すに限る、なんて今度は自分からその胸元へ顔を埋めたのだった。



20151230

ALICE+