ぼくの予想であれば彼女はぼくを受け入れる筈であった。何ならそこに感動の涙というオプションを付けて貰っても構わない。それなのに何だこの女。

「う〜ん…、考えておく…」

何だその歯切れの悪い返事は。ぼくの差し出したこの指輪は一体どうすれば良いんだ。また引っ込めろってか?ふざけるな!恰好悪過ぎるだろう!

「オイオイオイオイオイオイ。何が考えておく、なんだよ?」
「え?プロポーズだよね?返事はすぐに出来ないよ」

プロポーズの返事が保留なんて話は聞いた事が無い。それならいっその事断ってくれた方がどんなにマシか。そう考えてからいやでもやっぱり断られるのは無しだな、と思い直す。いやそれはとりあえず置いといて、だ。

なまえとは付き合って大分経つし、年齢だってそれなりになってきた。ぼくにはよくわからないが結婚適齢期とやらの女と付き合うにはそれ相応の覚悟って物が必要なんだろ?ぼくだって生半可な気持ちで彼女と付き合っている訳じゃない。だからこうしてプロポーズをしたと言うのにそれの答えが「考えておく」だと?少なからず緊張していたぼくの気持ちはどうなる?

「……他に男が出来たのか」
「そんな訳無いじゃん」
「じゃあ、何でぼくのプロポーズを断るんだ!」
「断ってないよ。保留にしたの」
「似たようなモンだろーが!保留にする理由は何なんだよ?」

う〜ん、となまえは小首を傾げながら考え始めた。このぼくからのプロポーズを保留にするくらいだからそれなりの理由がある筈だ。そうじゃなければぼくが報われない。

「あのね、プロポーズの言葉がちょっとやだ」
「…ハァ?」
「もっとロマンチックな言葉がいい」
「ロマンチックぅ〜?」
「例えば『君の事はぼくが一生大事にする。だからぼくと一緒になってくれ』とか言って欲しい」
「何だ、ぼくが言ったのとそう変わらんだろ」
「変わる!露伴が言ったのは『君ももういい歳だからそろそろ籍入れるか』だもん!全然違う!」

声を荒げている割に言っている事が心底下らない。駄目だ、何となく予想はしていたがやっぱりそれなりの理由なんて存在しなかった。

「……君の事はぼくが一生大事にする。だからぼくと一緒になってくれ」
「考えときます」
「何でだよ!ちゃんと言っただろうが!」
「理由はそれだけじゃないもん」
「……何だよ」
「このまま露伴と付き合ってて良いのかなあって前から考えてたの」
「は、」

ぼと、と手にしていた指輪が床に落ちた。後ろから急に鈍器で頭を殴られたような感覚ががする。ぐわんぐわんと頭が揺れてなまえの言った言葉がぐるぐると巡る。前からぼくとの関係性を考えていただと?いつから?前っていつからだよ?なまえは毎週末になればぼくの家を訪れていて夜にはそりゃあ恋人らしいスキンシップを取っていたというのに、それなのに前から考えていただと?じゃああれか?ぼくに組み敷かれながら「あ〜、こいつとの関係どーすっかな〜」とでも思っていたという事か?何だその屈辱は。

何か言い返してやりたいのに上手く喉が開かない。結局は蓋を開けてみればぼくの独り善がりだったという事なのだろうか。ぼくはぼくなりになまえとの事を考えていたというのになまえはそうでは無かったという事か。ああ、涙が出そうだ畜生。

「…露伴、私の事好き?」

ぼくの気持ちを知る由も無いなまえはぼくの顔を覗き込んだ。気まずくて顔ごと視線を逸らして口を開く。落ちた指輪を拾う気にもなれない。

「…ふざけた質問は大概にしろよ。そうじゃなきゃプロポーズなんてする訳無いだろ」
「その好きってどういう好き?」
「ハァ?」

間抜けな声が出た。ここに来てなまえは何を言っているのだろうか。というかぼくに何を言わせたいんだ。その意図を汲み取る様にもう一度視線を重ねれば今度はなまえが視線を逸らすように俯いてしまった。

「…露伴の好きは私の好きとはきっと違うよ」

それはどういう意味だ。まどろっこしい言い方はいい加減にしろ、と言ってやりたくても出来なかったのは俯いたままのなまえが泣きそうになっていたからだった。どうしてぼくはプロポーズして彼女を泣かせなければならないんだ。それが感動の涙なら良いがどう考えてもこれは違う。

「露伴はいっつも漫画漫画でしょ?私の事なんて二の次だもん」
「…そんな事は」

ない、と言い切れなかった。なまえの事を二の次にしたつもりは無いが自分の中で漫画が一番なのは間違いない。結果としてそれがなまえを二の次にしている、と言われてしまえば返す言葉も無い。

「私が週末遊びに来てもいっつも仕事してるし、」

それはそうだったかもしれない。実際、なまえと向き合う時間より作業部屋にいる時間の方が長い日すらあったかもしれない。それでもなまえは何も言わずに合間に紅茶を淹れてくれたじゃないか。仕事を終えたぼくに「お疲れ様」と声をかけてくれたじゃないか。

「ご飯だって作ってあげるのが当たり前になってるし、デートしたのだって…いつしたか覚えてないぐらい昔なんだよ」
「……この前、水族館に行った」
「うん、でも結局露伴は一人でスケッチしてたよね。私一人ぼっちで見て回ったんだよ。そんなのってデートじゃないもん」

震える声でなまえは必死にそこまで言葉を絞り出して黙ってしまった。沈黙が続く。自分と彼女の関係を頭の中で振り返る。確かにぼくの仕事に関してなまえは理解のある人間だと思っていたのは事実だ。ぼくが部屋に籠っても文句ひとつ言わなかったし、この前の水族館でだって「ぼくは絵を描いているから君は適当に見てなよ」と言った所で素直に「うん」と返事が返ってきた。日曜日の水族館。周りは家族連れやらカップルばかりだったというのに、それなのにぼくは彼女を一人置いて自分の事ばかりで。何か言いたい事があるなら言えよ、寂しいならそう言えよ、なんて言葉も思い浮かんだけれどすぐに消えた。きっとなまえはぼくに気を使って何も言わないでいたのだろう。ぼくを想って何も言えないでいたのだ。ぼくが無意識にそうさせたのだ。

当たり前だがぼくはなまえを恋人だと認識している。だからこそそういう場所にも連れて行った。けれど連れて行くだけでぼくは満足してしまって彼女と同じ時間を同じ場所で過ごした事は一体何度あっただろうか?これだけの年月付き合って来てきっと数えるぐらいしか無いだろう。身の回りの事をやって貰っている割にぼくは彼女に何もしてやれていない。その癖、気が向けばなまえを求めてベッドに組み敷くなんてどれだけ自分本位な人間なんだ。

ああ、とぼくは頭を抱え込んでしまった。知らず知らずの内にぼくは随分となまえに甘えてしまっていたらしい。そのツケがこうして回ってきてしまったのだ。

「…露伴の好きは、きっとただの情だよ」
「……違う」
「違わないよ。きっとそうやってお世話してくれる人なら露伴は私じゃなくても良いんだよ」
「なまえ」
「露伴の事は好きだよ。本当はずっと一緒にいたいし」
「………」
「…でも私ばっかり好きなのに、これ以上一緒にいたら…。私、つらいもん…」

そうやってぽろぽろとなまえは涙を零し始めた。表情こそよくは見えないが雫が幾つも落ちては床を濡らしている。

これを受けてぼくは本格的に頭を抱える事となる。きっとぼくがなまえと同じ時間を共有していれば彼女がこう思っていてももっと早く気付けたかもしれないし、そもそもこういう事をなまえは思わなかったかもしれない。いつだって人間同士がぶつかる時はお互いに原因があってそうなるのだからどちらか一方が悪い、という事は有り得ない。だけども今回のこれに関しては殆どの原因はぼくじゃないか。

はあ、と大きく溜息を零した瞬間になまえの肩が揺れた。呆れられたとでも思ったのだろうか。呆れた、呆れたけれどそれは自分に対してだ。

「なまえ」

彼女を優しく抱き寄せて自分の腕の中へと収める。首筋に顔を埋めればなまえの匂いで満たされた。そういえばこうやって彼女をちゃんと抱き締めたのはいつぶりだろうか。えらく久しぶりな気がする。

「…まあ、その、何だ…。悪かったよ…」

我ながら恰好悪いが消え失せそうな声だった。それでもなまえにはちゃんと聞こえたようで彼女は鼻をすん、と鳴らしてからぼくの名前を呼んだ。小さな手がぼくの服をぎゅうと掴んできて思わずほっとしてしまった。

「…君に甘えてそういう風になっていたのは認める。…すまない。…けどな、ぼくだって誰でも良い訳じゃあ無い」

ぱちぱちと瞬きをするなまえの額に自分の額をくっつける。唇が触れてしまいそうな距離感のままでそのまま言葉を続けた。

「…ぼくはなまえがいいんだ。君じゃなきゃ駄目だ」
「……本当?」
「当たり前だ。そうじゃなきゃこんな事もしない」

そのまま唇を重ねれば背中へ手が廻される。軽く合わせるだけの口付けをしてすぐに離れれば目を赤くしたなまえが腕の中でぼくを見上げる。

「君の事はぼくが一生大事にする。だからぼくと一緒になってくれ」

なまえの目を見ながらそう言えば彼女はみるみる内に赤くなって俯いてから、その内に小さな声で「はい」と答えた。どうやら二回目のプロポーズは流石に成功したらしい。

今まで共有出来なかった時間はこれから埋めていけば良い。これからぼくのそばには彼女がずっといるのだから。






「来週の日曜、何処でも好きな所へ連れてってやるよ」
「…じゃあ水族館、行きたい。今度は二人で一緒に見たい」
「ああ、わかったよ。そうだな…、それとなまえがいる時はもう漫画を描くのはやめる」
「………」
「何だよ、不満か?」
「あのね、ちょっとなら漫画描いてもいいよ。それに…露伴の漫画描いてる時の背中…、格好良くて好きだなあって思ってて」
「………」
「露伴〜?」
「…随分と可愛い事言ってくれるじゃあないか。…よし、子作りだななまえ」
「え」
「どうせ、籍も入れるんだ。別に良いだろ?それに今まで寂しい思いさせたからな。その分もたっぷり可愛がってやらなきゃなァ〜」
「………」





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