タイムズスクエア タイムズスクエを一言で現すなら"煩雑"だ。 混沌というほど無秩序ではなく、複雑ですむほどシステマチックではない。 多車線道路を幾台もの車が走り、クラクションの音が鳴り響いていた。高層ビルの間から自己主張の激しい広告看板が顔を出している。 研究所での身体検査を終えたコン=エルは、ひどく近い距離を通り抜けていく人の気配に眉を顰め、街路樹の傍に歩み寄った。 太陽に向かって伸びる木は、その健気さを顧みられることもなく、ただ本能に従って生きている。 街路樹同様、コンもこの街で誰にも顧みられることなく背景の一部になっていた。 昔、街の中心でティーンタイタンズと戦い、視線を集めていたのが嘘のようだ。 忘れもしない、一月一日のこと。 ヒーローとして活動していた期間、辛いことも命を危険に晒したこともあったが、楽しいことも嬉しいこともたくさんあった。ティムにはあの後、命を救われたのだ。 彼は元気にしているだろうか。 目まぐるしく流れていく人の流れを目で追っているだけでは、当然ながらわかるはずもない。 遠くから聞こえるクラクションの音を聞きながら、コンはふと、横断歩道の横に目を映した。 見覚えのある人影がある。 短い黒髪に、青い目。コンより背は小さいのに、鍛えられた体にはしっかりと筋肉がついていた。 ティム・ドレイク 赤いドミノマスクとマントをつけた姿ばかりが印象的だが、間違いなく素顔のレッドロビンがそこにいた。 彼のサファイアのような目が、真っ直ぐにコンを見据える。 ――あ 思考がまとまらないうちに、レッドロビンはみるみるうちに顔を歪め、大股で歩み寄ってきた。 まさに鬼の形相だ。 人混みをかきわけ突き進んできたティムが、少年の胸ぐらを勢いよく掴む。 「コンッ!! お前、連絡もいれずになんでこんなところにいるんだ!!」 「あっ、落ち着けボ、いやティム! ちょっと事情があってな……」 「事情!? 事情ってなんの事情だよッ!! 説明しろ!!」 今までコンのことを誰も気にしなかったのに、ティムが声を荒げたせいで何人かこちらを見ている。好奇心だったり嫌悪だったり心配だったり、様々な視線がふたりの皮膚をじわりと嬲った。 「わかった、わかったよティム、話すから、とりあえず手を離してくれ」 怒った友人から顔をそらしたコンが周囲を見回す。ファストフード店の横にコーヒーショップを認識した彼は、未だ服の胸ぐらを掴んで離さないティムの腕を軽く掴んでへらりと笑った。額にじわりと汗が滲んでいる。 ティムの視線も、周囲の視線も痛かった。 「とりあえず、あのコーヒーショップに入ろう」 不機嫌そうに鼻を鳴らした友人が、やっとコンの服から手を離す。それを了承と受け取ったスーパーボーイは、口を真一文字に結んだボスをなだめすかしながら、逃げるようにコーヒーショップへと駆け込んだのだった。 店の自動ドアが開くと同時に甲高い鈴の音が鳴り響き、店員の 「いらっしゃいませー」 という声が聞こえてきた。 コーヒーの香ばしい匂いが鼻を突き抜けて行く。レジ脇の棚には、サンドイッチやラップサンド、クッキーやマフィンといった軽食が置かれていた。 コンに引っ張られるようにして入店したティムは、鋭い目つきのままメニューに視線を走らせる。一秒にも満たない間にレジへ滑り込み、笑顔を浮かべる店員に話しかけた。 「ドリップコーヒーふたつ。ショートで」 「かしこまりました」 サイフを取り出したティムの肩を、コンが慌てて掴む。 「まて、俺が払う」 「じゃあ席に座ったら金出せ」 すぐに渡されたコーヒーふたつを持って、タブレットを眺めている女の横を通り過ぎた。 白いビストロテーブルには椅子が二脚備え付けられていて、デザイン重視の鉄には申し訳程度にクッションが敷いてある。 すこし離れた席で、大学生であろう数人の男女が楽しそうに話していた。 重苦しい沈黙に支配された自分たちとは対照的だ。 最初に口を開いたのは、コーヒーをテーブルに置いたまま手も伸ばさず、腕を組んでふんぞり返るティムのほう。 「で、お前、なんでこんなところにいるんだ。僕らに連絡もなしに」 「いや、あの……」 となりのテーブルにはゴミが置き去りにされていた。クシャクシャになったペーパータオルに視線を合わせたコンが、必死に言葉を探る。 「自分なりの生き方っていうか、自分のペースっていうか、そういうものを探したくて……その、ヒーローをやるかやらないかも、含めて」 ティムの片眉が跳ね上がった。青い目から感情を読み取ることはできないものの、責められているような気がして、少年は思わず口ごもる。 「チームには、戻らないで、自分で探そうと思ったんだ。できれば能力を……使わずに、生きてみたくて……兵器でいるのは、もう嫌だから……」 タクティカル・テレキネシスは貴重な能力だ。もともとはスーパーマンの息子、ジョン・レーン・ケントの能力で、強大な力故コン=エルというクローンが作られた。スーパーボーイは、タクティカル・テレキネシスとクリプトニアンの遺伝子を有効活用するために生まれた生体兵器。 少なくとも周りは彼をそのように扱っていた。 だから、自分の能力から距離を置いてみようと思ったのだ。 使い方によっては命を救うことが出来るこの能力を、もう疎んではいないけれど。 「なにも伝えずにいて悪かった。お前に、呆れられるのが嫌だったんだ。力があるのに、使いたくないなんて。ヒーローをやめるなんて」 店員が、隣のテーブルからゴミを拾っていった。コンの視線がティムに向かう。レッドロビンは、組んでいた手をコーヒーに伸ばしていた。 「そうか。君は、君の道を」 黒い水面がティムの顔を映す。店内のBGMは流行の曲で、最近タイムズスクエアのそこかしこで聞こえてくる代物だ。穏やかなスローテンポがやたらと耳に残る。 今のティムの笑顔によく似合う、優しい曲。 「……うん。いいと思う。ヒーロー活動だけが能力の使い道じゃない。そもそも能力を使うか使わないかだって君の自由だ。僕は、自分のことで手一杯で、君に大事なことを伝え忘れていたみたいだね」 「ティム、そんなことは」 ティムがゆっくりと首を振る。 「君と僕が出会った時、君はなにも知らなかった。その意味を、僕はもっと考えるべきだったんだ」 レッドロビンの指が、コーヒーのカップをなぞっていく。コンは不思議と、目の前の男から視線をそらせないでいた。 今まで聞いたこともないほど優しいティムの声が、穏やかなBGMと混ざってスーパーボーイの鼓膜を揺らしていく。 「コン、君の生まれはハンディキャップじゃないし、能力はアドバンテージじゃない。どれも、ただの君の個性だ」 鈴の音が鳴った。誰か新しい客が入ってきたのだろう。甲高くて透き通った音。ティムの言葉と同じくらい真っ直ぐな音。 「活かすも活かさないも君の自由。君は元々、兵器なんかじゃない。君はただの少年だ。僕とおなじ、ただの人間なんだ。ヒーロー活動をしないというならそれで構わない。それはなにも罪じゃない。自分のペースで、自分の生き方を探すのは、それは、この世に生まれた人たちみんなが、一生かけてやっているものなんだ」 席のすぐ横にある大きなガラス窓の向こうを、人々が通り過ぎて言った。携帯電話で話をしながら歩いているサラリーマンや、いくつもの買い物袋を持っている女性や、リュックを背負った学生。 その誰もが自分なりの生き方を探しているのだろうか。 とりとめのないコンの思考を、ティムの言葉が現実に引き戻した。 「だからそれは恥でも罪でもない。君が、君の意思で、人間として生きるということなんだ。なにも知らなかった君が、自分で答えを探すと決めた。その過程を、僕は友人として誇りに思う」 窓から差し込む太陽の光がレッドロビンの姿を横から照らしている。 眩しいと、思った。 思わず目を逸らしたコンが、コーヒーの黒をじっと見つめる。 「なんだ、真正面から言われると、少し恥ずかしいな」 視線を外してしまったテーブルの向こう側で、ティムの笑う気配がした。 「奇遇だね。僕もすごく恥ずかしいよ」 誤魔化すように、ティムが少し冷めたコーヒーに口を付ける。それから彼は、少し照れくさそうな笑顔のまま、コンに右手を差し出した。 「コン、携帯電話貸せよ。僕の連絡先入れておくから、困ったら連絡して。助けになれるかも知れない」 「ああ、ありがとう。ヒーロー」 コンが携帯電話を差し出すと、ティムは手慣れた様子で末端にデータを打ち込んでいく。 「違うよ、コン」 ふたりの視線がぶつかり合って、全ての音が遠のくような、不思議な感覚に支配された。 コンの耳は普通の人間よりはるかに鋭いはずなのに、周囲の音が聞こえない。 ただ目の前に座る友人の声だけが鮮明に聞こえてくる。 「ヒーローじゃない。君の友人として、君の助けになりたいんだ」 ティムが携帯電話を差し出してきたので、コンは素直に受け取った。ヒーローとしてのレッドロビンは凜々しく真っ直ぐで激しいが、友人としてのティムは優しくて、真っ直ぐで、穏やかだ。 心の底から、誇りに思う。 「ありがとう……あんたは俺の、一番の親友だ」 ティムが、見たこともないほど嬉しそうに微笑んでくれた。 [しおりを挟む] 目次 戻る |