ラビッツ・フット

「見ろ四本足ー! と、足ー! すごくね?」
「バッタさんの足とったの!? かわいそうだよ!」

 学校園でカマキリの餌を探しているとそんな声が聞こえた。凄い? 可哀想? 振り向くと、バッタを掴む男子が得意げにそれを女子に見せていた。

「お前ら知らないの? バッタのうしろの足ってすぐとれるんだよ!」
「かるく引っぱっただけでとれんの。んでバッタなのにジャンプできなくて歩くんだぜ。ほら、すごくね?」
「ほんとうだ歩いてる……うえー……なんかきもい」
「男子ってすぐこーゆーことするよね、さいてー」
「ねぇねぇ、花宮くん! 花宮くんはそんなひどいことしないよね?」

 輪の中から女子が一人、俺に訊いてきた。周りを見ると半分以上が、気持ち悪い、可哀想だと騒いでいる。どうやら足の無いバッタは過半数にとって不快な物らしい。得意げだった男子は別の女子に責められていた。
 その時、俺の手から捕まえた餌がピョンと斜めに跳び出した。着地したそれに右の後ろ足は、無い。

「ほら、花宮もとってるじゃん」
「えっ! 花宮くんもバッタの足とったの!?」
「やっぱやるよな」
「ちがうよ、真くんはやさしいからしないもん!」
「男はみんなするっつーの。なー花宮!」
「し、しないもん! そんなこと……真くん、しないよね……これは違うよね……?」

 足をもぐ事は、可哀想で気持ち悪い、酷くて責められる、ソンナコト。なら──……

「つまえた時とれちゃったんだ、びっくりしたよ。カワイソウなことしちゃったなぁ 」

 ──こう答えるのが正解なんだろ? すると安心したように周りは笑った。あぁ、良かった。

「だよね、花宮くんはそんなことしないよね!」
「なーんだ。まぁ花宮だしなー」
「おれもおれも! つまえる時ミスるとポロってとれるよなぁ!」
「あんたは花宮くんとちがってわざと──……」

 周りの気が自分から逸れたので、逃げた餌を拾い上げ虫カゴに入れさっさとその場を後にする。
 良かった……途中で。






 放課後、図書室で時間を潰してから用務員の所へ向かう。

「こんにちは。かぎを借りたいです」
「あぁ花宮君こんにちは。掃除してくれるのかい? 君は本当に生き物が好きだねぇ」

 学校で飼っている生き物の住処は、五、六年生の飼育委員が週に三回掃除する。俺はそれと被らない曜日、用務員に頼んで時々内緒で掃除している。別に生き物が好きな訳じゃない、興味があるだけだ。掃除する時なら近くで観察出来るし、生き物の世話をする『真面目で優しい子』はツゴウが良い。
 今日はウサギ小屋だ。入ってウサギが逃げないよう内鍵を掛け、掃除を始める。
 温かくてふわふわで静かで大人しくて……小さく無抵抗なバカ。長い耳やヒゲを引っ張ると逃げるがそれはたった数十センチ、少しすれば引っ張られた事も忘れ餌を食べに近くに寄る。首を掴むと、絞められるなんて考えないのかじっとしている。そんなウサギはお気に入りだ。

(そういや、ウサギも足がねーと『ウサギなのにジャンプできなくて歩く』のか?)

 小屋の隅へ跳ねて行く姿に疑問が浮かぶ。何度か掃除をしている内に俺を覚えたのか、ウサギ達は掃除中勝手に隅で固まり、終わると餌を貰おうと寄って来るのだ。バカなのか頭が良いのか解らない。態々追いやらなくても良いから楽だけど。

(前足だけではうとか? それだと腹がこすれるから……さか立ちみたいな……?)

 掃除が終わって、餌を与えながらウサギの後ろ足を撫でる。
 少し引っ張っただけじゃもげないだろう、どんな感じだ、バッタと違って太く肉も骨もあるからぷつぷつなんて感触じゃないだろう、ぶちぶちかな、そもそも無理矢理引っ張ってもげるのか、鋏……いや包丁で切らないと無理かも、沢山血が出る筈だ、虫と違って動物は痛覚があるから悲鳴を上げるかな、ウサギが鳴くのは聴いた事が無いけどどんな声だろう?
 頭の中が疑問で埋め尽くされる。時々こう、疑問と好奇心にシハイされる。その殆どが無残な結果に成ると想像出来るものなのに、それにちっとも可哀想だと言う感情は湧かない。ただただ結果と反応が気になって、他は何も考えられない。『それしか考えられない俺』にシハイされる。足、あし、気になる、もぎたい。あしをもぎたい。

「ッ────!?」

 堪え切れなくなって撫でていた足を強く引っ張ると、暴れたウサギが咬みついて来た。痛みと驚きに思わず手を振る。ウサギが吹っ飛ぶ。ガシャンと小屋の金網にぶつかる。

(流石にていこうするんだな……)

 指から流れる血を眺めながら、我に返った。

「な、なにしてるの……? あ、せ、先生!」

 タイミング悪く、通りがかった女子に見られたようだ。急いで先生を呼びに行ったそいつは「あの子がウサギ殴ってた!」と泣きながら訴える。多分一つ上の三年生、なのにビービー泣いてる。うるせぇ。「殴ったの?」「ちがいます」「うーん……え、あなた怪我してるじゃない!?」ぽたりと落ちる血に、急いで保健室に連れていかれた。
 俺の先生と三年の女子、そしてウサギ小屋の鍵を渡したと言う事で用務員も入れて四人で話をする。用務員曰くウサギは無事だったそうだ。

「それでどうしたの?」
「……」
「怒ってるんじゃないの。殴ったんじゃないんでしょ? なら何があったのかなって。花宮君はそんな事しない子だって、先生知ってるからね。大丈夫、話して?」

 あぁ確かにウサギを殴ってはいないけど、俺は足をもぎたくて堪らなかった。先生は何も知らないくせに、一体何が大丈夫なんだろう。足をもぐのはきっと殴るのと大差ない『ソンナコト』だ。大丈夫じゃない事、だよな……小さなバッタでさえあれだけ騒いでいたし。俺は大丈夫じゃないのだろうか、気に成っただけなのに。
 「えさをあげてて、顔の近くをなですぎて──……」嘘を交えて説明するが、三年の女子は殴ったと一点張りだ。先生がゆっくり話を訊くと落ち着き、ウサギが金網にぶつかる所を見たのだと言う。だろうな。最初から見ていたら、引っ張ったと言う筈だ。

「でもこの子がウサギぶつけたんだもん……きっと殴ったんだもん」
「花宮君は生き物が好きでね、よく僕の仕事を手伝ってくれるんだよ。死んでしまった生き物も、一緒にお墓を作ってくれたりね。だからそんな酷い事しないと思うけどなぁ」

 それは死骸の観察中に用務員が通りがかったり、掃除の度に弱らせていたら死んでいったからだ。飼育委員は死骸を怖がってやらないらしく、自然と俺に埋める作業が流れてくる。
 用務員のフォローが入っても三年の女子は俺を涙目で睨み続けた。まぁ金網にぶつけたのは事実だし、足は引っ張ったから仕方無い。でも殴ってはいない。

「どうしよう……」

 こいつが明日、俺がウサギを殴っていたなんて言い触らしたら。きっとクラスの女子は今日のように「花宮くんはソンナコトしないよね?」と群がり、何度も何度も訊いて来る。酷いと責められるかもしれない。男子だって煩いだろう。うざい。困る。
 「大丈夫、態とじゃないならきっとウサギも解ってくれるよ?」溢れた不安を拾った先生は、都合良く解釈したようだ。一緒にウサギに謝りに行こうと、意味の解らない事を言い出す。ウサギは言葉を理解出来ないのに、なんで大人って時々こうやって子供に無意味な事させたがるんだろう。

「ウサギ……ほんとうに大丈夫?」
「あぁ大丈夫だったよ。君も一緒に見に行こうか」
「けがしてない? 足、折れてたらぴょんぴょんできない……」

 その言葉に思わず立ち上がる。足。もし用務員が気付かなかっただけで実は折れてたら、前足だけでどんな風に進むのか見れる。そうか、もいだり切ったりしなくても良い、折っても良い、壊しさえすれば良いんだ。感触や声は解らないけど、一先ず足が壊れるとどうなるか解るかもしれない。早く見に行かなきゃ。「花宮君も心配なんだね」また都合良く解釈した先生に促されてウサギ小屋へ行く。
 あのウサギは隅で震えていた。投げ飛ばされ怯えているようだが、俺が近づいても逃げない。言葉の通じないウサギに謝ると言う下らない儀式をして、逃げろさっさと歩けとウサギに手を伸ばすが動かず、咬みつく様子すら見せない。誤摩化す為に背を撫でる。「ウサギも噛んでゴメンって思ってるのかな? 仲直り出来たね」先生のタワゴトを聞き流す。

「ほんとうに殴ってないの?」
「殴ってないからウサギも撫でさせてるんだろうね」
「そっかぁ……」

 それは違う、きっとウサギがバカだからだ。足をもごうとした俺に、逃げも隠れもせず触らせるバカ。結局ウサギは一切動かず、どうなったかは見られなかった。
 次の日覗いたウサギ小屋はいつも通り、皆元気に走り回っていた。ウサギは骨折しやすいと図鑑で読んだが、どうやらあのウサギは丈夫らしい。大事にならなくてほっとしたと同時、がっかりさせられ複雑な気分だ。
 その次の日も、そのまた次の日も、俺がウサギを殴ったと言う話は聞かなかった。三年の女子からの疑いは晴れていたようだ。ただ委員じゃない低学年が小屋を掃除して咬まれたのは問題だったようで、鍵は貸してもらえなくなってしまった。折角壊しさえすれば良いんだって気付いたのに……でも次何かあれば今度こそ大事になるか。小屋に入れなくなったのは丁度良かったかもしれない。きっとまた他の事は何も考えられない俺になる、今だって気になって仕方無いのだから。今度は容赦無く壊すだろう。






 日曜日、カマキリの餌を探しに家から随分離れた公園に来た。どうせ母さんは今日も仕事で遅いし、帰るのが遅くなっても大丈夫だ。ここは小さくてブランコしか無いし、学校からも遠いからか人気がない。皆もっと沢山遊具がある大きな公園に行く。ゆっくり一人で遊べる。何をしてても誰の目も気にしなくて良い、文句は言われない。

(出来た)

 いつも通り、ぷつぷつと餌の足を全てもいで虫カゴに入れる。透明の床で身じろぎする、ミノムシみたいなバッタ。これは凄いでも、可哀想でも無い……面白い、だ。腹が減ってないのか、カマキリは転がるそれをすぐ捕らえたが、腹だけ齧って頭は投げ捨てた。バッタはまだ生きているのか、触覚が忙しなく動いている。じっと虫カゴに顔を近づけて見ると目が合った気がした。飽きたから外に出し、踏み潰そうと立ち上が……った時、自分の横に女子が居る事に気付いて驚く。

(どうしよう……)

 ウサギの時と言い、集中し過ぎて気付かなかった。いつから見ていたんだろう、同じ学校だったら面倒だ。だがそいつは何も言わずジッとバッタの頭を見ている。もう良いや、考えるの面倒くせぇ。プチッと踏み潰すとそいつは顔を上げた。知らない奴だ。

「やさしいね」
「は?」

 バッタの頭を踏み潰すのは優しいのか? 足をもぐのと一緒で、可哀想で気持ち悪い、酷くて責められる事かと思った。「ソンナコトするなんて」と喚き出すと思ったけど。先生やクラスメイトとか、他の奴らと反応が違ってよく解らない。どうしよう。

「……いつから見てた」
「足ちぎってるとこ」

 どうせ頭を踏み潰す所を見られたんだ、今更学校みたいに振る舞わなくても良いかと、家で母さんと話す時と同じ感じで訊く。俺がバッタで遊んでた最初から見ていたらしい。「なにがやさしいんだよ」「足ちぎったから」はぁ? 益々解らなくて理由を求めた。

「どっちみちカマキリが食べるもん」
「……足もがなくても食うだろ?」
「にげないから食べやすい」

 確かに逃げ回る餌よりさっさと飯にありつけるだろう。カマキリから見れば優しい事なのかもしれない。成る程な、と軽く感心しながら質問を続ける。

「バッタとしてはどうなんだ?」
「どっちみち食べられる」
「なら足があってもいーんじゃねーの?」
「……虫カゴからはにげらんない」
「でも足があったら少しは生きのびられるぜ?」
「ずっとこわいなら……早く食べられた方がいい──……」

 バッタはカマキリに対して命の危険を感じても、恐怖は感じていないと思うけど。早く食われたいなんて考えるか? まぁカマキリから逃れ続けるのは無意味な事だ。俺は虫カゴに草は入れていない。逃れ続けたとしてもそのうち餓死する。

「──その方がきっと、楽」

 俺が踏み潰した跡を、ぼーっと見ながら言ったそいつの声は凄く低かった。つまりこいつの話で考えるなら、食われる恐怖に苦しみながらいつか来る餓死まで生き延びるより、さっさと食われて死んだ方が楽になると。だから早く食われる状況を作った──足をもいだ俺は、

「やさしいのかよ」
「うん。両方にやさしい」
「頭ふむのも?」
「頭だけじゃどうせしぬ」
「だからさっさと殺したのはやさしい?」
「うん」
「……へんなやつ」

 他の奴らと違う反応。こいつの考えも他の奴らの考えも、どっちも理解出来ない。でもこいつはなんか色々考えてる。俺とも、他の奴らとも全然別な事考えてる。面白いでも、凄いや可哀想でも無い。ソンナコトとも言わない。それなら、

「……ウサギ」
「?」
「ウサギの足もぐのは」
「にげらんないの?」
「うん、俺と小屋にいる。かぎかけてるから」
「じゃぁだめ」
「かわいそーでひどいからかよ?」
「食べられるから」
「はぁ?」
「ライオンに」

 どっからライオン出て来たんだ? ライオンの話なんかしてねーだろーが、変な奴。不思議に思っていると「見ていい?」と虫カゴを指差す。それで気付いた。カマキリとバッタ──捕食者と被食者の話をしていたから、ウサギの捕食者としてライオンが浮かんだのか。本当は、小屋には俺とウサギしか居ないけど。

「……食いやすくて楽なよーに、もがなくていーのかよ?」
「そうだけど……君もいるんでしょ? 小屋」
「うん」
「ならそのあいだににげないの?」
「にげる?」
「ウサギがにげてライオンがおってるあいだに」

 逃げるも何もライオンは居ない、あの小屋での捕食者はきっとライオンじゃなくて俺だ。俺はウサギを食べないけれど、多分そうだ。

「ウサギはバカだからにげねーぞ」
「なら食べられてるあいだ。君はにげないの?」
「……俺はにげられんのか?」
「人間はチエ? がある」
「ウサギとちがってかぎを開けられる知恵がある?」
「うん。だから……ウサギがいるならきっとにげれるよ。『ありがと、ごめんね』ってにげる、にげれる」

 俺は考える。
 薄暗い小屋の中、扉の前で俺は見る。逃げないウサギと、足を壊す事しか考えられないライオンの俺を見る。鍵は簡単に開けられる金属の掛け鍵だ。これを引き上げればすぐ外へ出られる。小屋の隅ではライオンの俺が、ウサギの足を掴んでいる。今なら逃げられるらしい。でもここに居れば、ウサギがどうなるか見る事が出来る。

「君は食べられたい? ライオンに」
「お、れは……」

 ライオンの俺がウサギの足を壊した後、俺はどうなるんだろう。ライオンの俺は足を壊す事しか考えていない。ウサギで満足するのか? 今度は俺の足が壊されるのだろうか? そもそもどっちも俺だ。でもああ言う時は、他は何も考えられない、『それしか考えられない俺』になる。学校に居る時とも、本を読んだり母さんと飯食ってグチ聞いてる時とはなんか違う、と思う。ならずっと『それしか考えられない俺』になる? あー……なんっだこれ、

「わっけわかんねぇ……」
「?」
「お前わけわかんねーこときくなよ!」
「ええぇぇ…………あ、」

 不服そうに俺を見ていた変な奴は、ふいに目線を俺の後ろ、遠くへやった。振り向くと黒い蝶々が跳んでいる。

「クロアゲハ……?」
「あ? あー……緑っぽいからカラスアゲハじゃねーの?」
「そうかも! すごいすごい、ふつう山とかにいるって図かんに書いてたのに!」

 急に笑顔になってはしゃぐ変な奴は、俺の袖を引っ張って指を指す。なんだこいつ。
 山間部に生息するカラスアゲハ、公園とは言え市街地のここで見るのは稀だろう。ふわふわ漂う様に飛んでいたカラスアゲハは、俺達の目の前の花にとまった。黒い翅はゆったりと動く度、深い緑や青に輝く。

「きれい……」

 変な奴は小さな声で呟いて、真剣にカラスアゲハを観察している。綺麗だろうか? 見える角度によって輝く色の変わる翅は、普通のアゲハやモンシロチョウと違って珍しいとは思うが、美しさはよく解らなかった。つーかなんか見て『キレイ』って思ったことねーかも。

「どしたの?」
「べつに……」
「?」

 別に良い、正解はもう知っている。「そうだね、きれいだね」そう笑えば正解だ。小さな痼を飲み込む。
 ……そういえば、カマキリはチョウの翅を食べるのだろうか。チョウを食べる事は図鑑に書いていたが、肉の無いぺらぺらの翅まで食べるかは載っていなかった。気になる。カラスアゲハの飛翔は他のアゲハ達と違って緩やかだからか、手を伸ばすと簡単に捕まえられた。片手で虫カゴを開けようとしていると、変な奴が代わりに開ける。

「お前止めねーのか、かわいそーでひでーっつって」
「なんで?」
「キレイだから?」
「カマキリにはかんけいないよ?」
「……ふはっ、だよな!」

 その返答に、何故か嬉しくなった。
 少し考えてから注意深く翅をもぐ。体が真っ二つになるかと思ってやったのに、ぷちりと片翅が取れただけだった。そっと虫カゴに入れる。好物なのか、カマキリは待ちわびていた様に素早くカラスアゲハを捕まえた。鎌で器用に、翅を傷つける事無く掴んで食べている。

「はねは食わねーのか」
「ね」

 カマキリの食事が終わるまで、俺達はジッとその様子を観察した。
 変な奴は学校の奴らの様に引っ切りなしに話しかけたり、可哀想と止めたり、気持ち悪いと悲鳴を上げたりせず、とても静かだった。今は俺がもいで捨てた片翅を、何度も場所を変え様々な角度から見ている。

「気になんのか」
「うん。ここからみたら青で、ここからみると緑になる、きれい」
「こっから見ると青緑だぞ……ッおいっ!?」
「んー……わっ」

 真横に来ると、ずいっと俺の顔のすぐそばに頭を近づけて、俺と同じ位置、同じ方向から見ようとする。色の薄い柔らかい髪が、ふわふわと俺の頬を擽る。随分な至近距離で振り返った変な奴は、にっこり笑った。

「ほんとだ、青緑!」
「ッ、」

 なんで。

「ここから見るのがいちばんきれい!」

 同じ物を見ている筈なのに、なんでこんなに楽しそうなんだろう、笑えるんだろう。わかんねーよ。おれには、ちっとも。
 先程から時折主張する痼を無視して、そんなに綺麗だろうかと首を傾げる。「ほら」変な奴は俺の手を掴んで、自分が元居た所へ促す。他の奴らと違い強く引っ張ったりしない手は、自棄に温かく感じた。「青でー……緑」言われるがままにその方向から見る。青と緑だ。そしてもう一度、俺が居た所に戻る。

「ね、両方まじってきらきらしてる」
「…………あぁ」

 改めて見ると、混じり合った青緑は不思議な色合いだった。輝きの量も多い。確かにこいつが居た所から見るよりかは、綺麗と言えるのかもしれない。

「ふふ、すごくきれい」
「…………」

 片翅を拾い上げ、なんとなく変な奴に差し出す。

「やる」
「ええぇぇ……私も食べないよ」
「食えなんて言ってねーだろーが!」

 変、だけじゃなくてこいつバカかもしれない。いや絶対そうだ。急にライオンの話を出したし、俺は面白いから足をもいで飽きたから踏み潰したのに、優しいなんて俺の意図と真逆な事言ったし絶対バカだ。他の奴らと全然別な事考えてて面白いかも、とか、なんか色々考えてるから頭良いのかも、とか思ったのに。変なバカだった。

「きれいなんじゃなかったのかよ」
「きれいだとほしいの?」
「……そーゆーもんじゃねーの?」
「そうなの?」
「俺がきいてんだよ!」
「……ほんとにもらっていい?」
「ほしいならさいしょっから言え。やるっつってんだろーが」
「ほしい!」

 押し付けるように渡すと目を輝かせて飛び付いて、だけどそっと受け取った。多分翅なんかより、今のこいつの目の方がキラキラ光っているだろう。太陽にかざして翅を見ていた変な奴は、はっとこちらを見て眉を下げる。「君はいらない? もらっていいの?」「俺は──……」要らない、と言おうとしてなんとなくやめた。虫カゴを指差す。

「──もうある、から」
「そっか……半分こっこ!」
「コッコ?」
「あ、カマキリが体食べたから分け分け!」
「ワケワケ?」
「えと、分け分けは仲良しが分け分けする、んと……分け分け!」

 俺、虫カゴ、自分、そして最後に持っている翅を順に指す。どうやらカラスアゲハを三等分したと言いたかったらしい。分け分けは仲良しがする? 翅は要らないし、こいつが妙に気にしていたからやっただけだったが、いつの間にかこいつの中で、俺とこいつは仲良くなっているらしい。よくわかんねぇ。

「ふふ、ありがと!」

 先程翅を見ていたキラキラ輝く目が俺を見る。色は違うけど、翅が綺麗なら、翅よりもっと輝くこいつの目は、もっと綺麗って事になるのだろうか。

「お前この辺住んでんの?」
「ちがう、ピアノきょうしつがこの近く」
「ふーん……ならまた来週ここ来んのか?」
「もう、来れない」

 首を横に振りぽつりと言った。もっとレベルの高い有名なピアノ教室に変えられるらしい。今親が現在通う教室の先生に、辞めると話をつけているそうだ。「他の曜日も?」「ずっとおけいこあるから」毎日習い事なんて金持ちだなと思う。つーか毎日じゃあそべねーし、ぜってーだるい。虫カゴを見ながら答える変な奴に笑顔は無く、目も打って変わってどんより曇っていた。
 暫くぼーっとしていた変な奴は、公園の入り口に目を向け慌て始めた。今度はどうしたとそちらを見ると、一台の車が停まっていた。近くに置いていたらしい手提げから本を取り出すと、ぱらぱらと捲りそこに翅を挟む。

「なんでとちゅうにはさむんだ? ページ汚れんぞ」
「このページがいちばん好きだから、ここにはさむ」
「ならなおさら汚したくねーんじゃねーの?」
「んと、『小麦のおかげ』。君は黒くてきれいなかみだし。カラスアゲハが小むぎになる、ぴったりでしょ?」
「はぁ?」

 嬉しそうに変な奴は本を閉じた。裏表紙に小さなシールが貼ってある。2年1組た……先は手で隠れて見えない。同じ学年だったようだが俺達は初対面だ、つまり学校は違うらしい。「よんだことない?」見せられた本の表紙には『星の王子様』と書かれていた。

「ねーな」
「ならよむといい、おもしろいから」
「……気がむいたらな」

 クラスの奴らが呼んでいる本や漫画は幼稚で下らなくてちっとも面白く無かった。だからそう答えると、何故か変な奴はクスクスと笑った。やっぱへんなやつ。
 車から男が下りて来て手招きする。きっと話を終え迎えに来たこいつの父親だ。急いで本を手提げに仕舞い立ち上がった割に、変な奴は動かず、そわそわと俺と男の間で視線を行ったり来たり彷徨わせた。「早く来なさい」それでやっと変な奴は一歩踏み出す。一歩、だけ。

「行きたくねーの?」

 小さな声で問う。振り返った変な奴は、一切の表情が無かった。

「……ウサギ」
「?」
「足ちぎっちゃダメだよ」
「食われるから?」
「……」

 質問には答えず、一度目線を虫カゴに落としてから諦めたようにゆっくりと歩き出した。嫌ならなんで抵抗しないんだろう。「早くしなさい。どうしたんだ?」「お友達、さよならしてたの」近くに来た男に少しはにかんで言うが、その笑顔は今までのどれとも違った。カラスアゲハを見付けた時とも、翅を綺麗と言った時とも、翅を受け取った時とも、本に挟んだ時とも違った。笑顔なのに、少しも楽しそうじゃなかった。嘘は下手だろうな、頭を掠める。
 なんとなく訊いた。

「ねぇ、君はウサギ飼ってないの?」

 男が居るからと、学校で話す時のように訊いた。

「飼ってないよ」
「飼いたい?」
「……よく、わかんない」
「ほんとうに?」
「………………いつか」
「今はいいの?」
「今は……まだいいの、まだだいじょうぶ。いつか」
「そっか」
「うん…………ばいばい」
「バイバイ」

 またね、とは言わなかった。もう絶対に会えない気がしたから。






 月曜日、朝早く来てウサギ小屋を覗いた。“──ウサギがいるならきっとにげれるよ”そう言った変な奴は、ウサギは飼ってないと言っていた。だから食われる、それか逃げられないのだ。あいつにとってのライオンはあの男なんだろうか。人間は人間を食べない。早く食べられた方が楽だと考えるあいつは、早く食べられたい程の恐怖を感じながら、逃げられも、食べられもせず、生き延びているのかもしれない。

(『足ちぎっちゃダメだよ』)

 別に約束はしていないし、ここに居るウサギはあいつと何も関係無い。だからこのウサギ達がどうなろうと、どうせあいつは逃げられないのだ。それでも。あいつはいつかウサギを飼いたいと言った。逃げる為のウサギを待ち望んでいるのだろう。
 もしウサギの足を壊したら、その時は。変な奴が逃げる機会が、永遠に失われてしまう様な気がした。俺だって、ライオンの俺から逃げられなくなる。足を壊す事しか考えられない俺になる。「今度は容赦無く壊す」そんな予言めいた自分の欲求を飲み込む。

(わけわかんねーけど……きっと足ぶっこわしたらにげれねぇ)

 俺も、あいつも。






アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ作「星の王子様」第21章より
“──君は金色の髪の毛をしているね。君がおいらと親密になってくれたときには、小麦畑だって素晴らしく感じられるはずだよ。金色の小麦がおいらに君のことを思い出させるからね”
引用元:翻訳書庫

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