フリーキー・フライデー


 今日の朝練は引く程普通で、普通じゃなかった。
 まず、いつもギリギリの健太郎が俺より早く登校していた事。更に一哉はガムを噛んでおらず、煩いヤマは声出し以外静かで、挙句康次郎は練習終わりの花壇への水をやりをしなかった。他の奴らも、パワー任せゴリ押しな松本にはシュート時の指の動きなんて細かな質問をされたし、あのヘタレな三年が一年へ助言していて。普通の朝練の景色だとは思う……他校では、霧崎俺ららしさと言う点で見なければ、の話だが。

(気味悪ィ、なんかあんのか?)

 ──後から考えればこう思ったのが運の尽き、ナベの言うフラグとやらだったのかも知れない。
 落ち着かない気持ちを振り払うように練習着を脱ぎ捨て、早急に制服を着て部室倉庫へ寄る。先程別れたばかりで向かう教室も同じだと言うのに、何となくあのバカ面をすぐにでも拝みたい気がしたのだ。別にアイツが唯一普段通りだったからで大した意味なんざ無い。

「おい結希、…………何してんだ」

 なんかあった、つーか居た。備品棚によじ登り、最上段と天井の隙間を覗くバカが居た。お前もかよ、どいつもこいつも今日はなんなんだ。俺はバカ面を拝みたい気がしただけであってバカを拝みたい訳では無い。

「何か居るの。猫かな?」

 弾む声音を聞くに事実らしく、確かに視線の先に黒い気配が息を潜めていた。「降りてさっさと荷物纏めてろ、どけ」「うー」人間以外の生物は好むバカに任せていてはいつまで掛かるか解ったもんじゃない、何が居ようと駆除一択と時計を顎で指し声を掛ける。彼女は渋々棚を降りた。

「わっ、」

 その時だった。結希に黒い影が襲い掛かった、いや、実際は振動を感じたソレが素早く這い出たのだろう。不安定な体制だった彼女は驚いて手を離し、大した高さも無いのに宙へ浮く姿にデジャヴを感じた俺の身体は勝手に腕を伸ばしていた。目の前を横切るソレを思わず睨み付け、

「ッ!?」

 ゾッと悪寒が走った。黒い体毛に赤い瞳のキツネ──なんとも不穏なイメージを抱かせる生物が、その双眸を細め、奇妙に笑っていた。






 強い衝撃、瞬く火花、内臓よりもっと内側の本質的なモノが掻き混ぜられるような不快感。
 永くも一瞬の時を経て、ブレた軸が漸く定まった感覚に目を開ける。随分近くで重なった呻き声と痛む頭に、結希を受け止め損ねたのだと気付いた。

「チッ、……?」

 溢れた舌打ちの音がいつもと違い、受け止めようとした筈が上に何もなく逆に何かを下敷きにしていて首を傾げる。瞬間、身体を蝕む強い違和感。頭を打ったからだろうか……そもそも何故結希は落ちかけた、何故棚によじ登っていた? 何かが、おかしい。

「うぅ、なんかやたら痛、って……あれ?」

 俺の声がする。俺は喋っていない。

「なん……は?」

 結希の声がする。俺が喋った。

「え? 声が、ぁ? えぇ!?」

 勢い良く振り向いて下に敷いた喚く何かを見る。男が居た。目を丸くしてこちらを見上げる、見覚えの有り過ぎる男が──俺が居た。

「「なっ……入れ替わってる!!?」」

 思わず上げた叫びは結希の声で、同時に聞こえた叫びは俺のそれだった。






 非現実的で非科学的で観念論的で超常的な事象が、ある日自分に降り掛かるなんて誰が想像出来るだろう。こんなのはマンガの、それも主人公だけで良い。仮にここがマンガの世界だとして俺は脇役か精々悪役、は悪くねーか……なんて現実から目を逸らしても、目の前には嬉々として鏡を眺める俺の背中が、鏡の端には疲れた顔の結希が写っている。

「すごい、私ほんとにまこちゃんになってる! 背が高いしお腹空いたし頭痛い、すごい!」
「……お前楽しんでんだろ」
「え。あ、いや……大変です?」
「はぁ」

 どうやら俺と結希の精神は入れ替わってしまったらしい。
 夢なら覚めろ、現実ならものは試し……そう容赦無くかました頭突きはただただ痛いだけだった。痛覚鈍麻機能しろよ。その後叫び声を聞き駆けつけたヤマ達に危機感を覚え保健室へ、揃って大きな皮下血腫を診せ必死に帰宅を願ったが「見事なたん瘤ねぇ、それだけ元気なら大丈夫よ」と笑顔で却下され、アイシングもそこそこに仕方無く教室へ向かっている。

「お前絶対バレんなよ」
「まk、結希もね! あ、私のつむじってこんななんだ……まこちゃんも自分の見る? 屈む?」
「……はぁ」

 バカ正直に事実を明かすのは論外、浮かれた結希を己の身体で一人にするのも論外。つまり二人で帰れない以上このまま過ごす他選択肢は無かった。「ずっとこうだったらどうしよっか」「縁起でもねー事言うな」帰った所で事態が好転するとは思えないが。

(しかし……静かだな)

 やむを得なく受け入れた結希の身体で触れる世界は新鮮だった。空気が澄んでいる、希薄な程に。低い視界は遠くまで見えるが淡く、聴覚は些細な物音や気配まで拾うが静かで……最新鋭の技術で撮った記録に態と古い加工を施したよう、とでも言えば良いのだろうか? 兎に角俺の知るゴチャゴチャと目にも耳にも煩い世界とは違う。
 何より、

「まこちゃんってほんとに背ぇ高いんだね」
「……」
「あっ、違う! ほら健ちゃんとか皆の背が特別高いからで別にまこちゃんの事ちっさいとか思ってない、その、相対的におっきく感じてなかったって言うか錯覚、的、な……えと……」
「……」
「うぅ、ごめんなさい…………あれ? もしかして聞こえてない? セーフ?」

 俺が、違う。

「最早別人だな……」
「う、うん? 中身違うしね」

 表情や仕草と言った滲み出る人格が違う、異性に好まれ同性に羨まれる自分の容姿は他人にこう写るのかもしれない。それらを踏まえても、今目の前に居る花宮真は普段鏡や写真で知る人間と違う、違い過ぎる。

「お前にはいつも、こう見えてんのか」
「たぶん、なんか変?」

 吸い寄せられるように触れた頬はひんやりとしていてやけに心地良く感じた。淡く静かな背景と反して、鮮やかな色彩を放ち発する声はクリアで耳馴染みが良い──薄く発光しているとさえ思える程の、強い存在感。

「ま、まこちゃん? どしたの?」

 人間以外の生物は好む結希が、人間は好まない結希が、誰も彼もをこう認知しているだろうか?

「……べつに」

 確かめたいと思った。ナルシズムでも自惚れでもないなら、これは──……

「あ」
「……行くぞ。あんま遅れると面倒クセェ」
「う、うん」
「どうした」
「あの、えーっと」
「なんだよ、俺の顔で情けねーツラすんな気持ち悪ぃ」
「その……」
「あ?」
「ぉ……ぃ……」
「ハッキリ言えよ」

「ぉ、お手洗いッ」
「……は?」

 は?

「だから! お手洗行きた、」
「無理に決まってんだろバカか何考えてんだ……は?」
「だって行きたいんだもん!」
「『もん』とか言うなキメェ、非常事態だぞ」
「そうだよ非常事態!」
「そっちじゃねーよ我慢しろよ!」
「体に悪いよ!? これまこちゃんの体! 膀胱炎になったりもし漏ら、」
「やめろ!」
「トイレ!」
「叫ぶな!!!」



 ∇ ∇ ∇



 花宮と結希が教室に辿り着いたのは一限が終わる頃だった。何が遭ったのか、はたまた何も無く済んだのかは二人以外知らないが、花宮(勿論見た目は結希だが便宜上精神で呼ぶ)がこれ以上ない程に疲弊しているのは言うまでもない。

「全くお花は朝っぱらから何してくれたワケ?」
(なんで俺が悪い前提なんだよ腐れクソ女)
「まー大丈夫そうで良かったけど。取り敢えずおはよう」
「寧ろおそよーだよん「だな、まさか一限丸々サボるとはね」
「二人でサボるなんて珍しいな」
「お前ら少しは心配しろよ……種田大丈夫か?」
「……ぅん、ありがとぉ」

 一足先に席に着いた花宮は、文句を飲み込んで短くも出来得る限り結希バカっぽく答える。どんなに疲れていようと気を抜く事は許されない、窓際後方、周りを固めるのは一癖も二癖もある良く知る彼ら──男バス問題児四人に食えない腐女子だ。違和感を抱かせるだけで厄介この上なく、事実を知られでもすれば良くて悪ふざけ、悪くて気狂い、最悪信じられ……そしてどう受け取られようが弄り倒されるのは目に見えている。
 にも、関わらず。

「花宮君! 大丈夫?」
「部室で種田さんとぶつかたって、あの子何したの? ッいや違、た、種田さんを攻めてるわけじゃなくてね! 勿論二人とも心配だったよ!? 何が遭ったのかなーって!」
「肩車してたんじゃね? 親子のふれあいで」
「どういう状況だよそれ! ったく、心配したんだぜー?」
「私もザキ君に『ちょっと様子が変だった』って聞いてすっごく心配で、」

「あぁ大丈夫だ、心配要らない」

「「「「「えっ」」」」」
「あ、あれ?」
「ちょ、は、花宮君?」

 結希は群がるクラスメイトの心配をバッサリ切り捨て、困惑を物ともせず颯爽と席に着く。花宮はその涼しい顔を殴りたくなった。自分の体だなんて関係無い、ふざけんなの一言である。
 花宮君機嫌悪くない? 打った所痛いのかも、素っ気無ぇよな、少し怖いって思っちゃった、今も近寄りがたい雰囲気──……情報の取捨選択が偏っている結希の耳でも拾える程多い雑音に花宮は頭を抱えた。いつもの面々どころかクラスメイトですら早速疑念を覚える始末、危惧していた事態が起きている。彼が繕った人柄、操作した印象、植え付けた好意、積み上げた人望──築いてきた便利な仮面への信頼が崩れ去ろうとしていた。

(ふはっ、リービッヒの最小律は植物より人間のがよっぽど当て嵌るよな。一つの要因で簡単に掌は返る、評価は堕ちる……人が他人へ向ける感情程脆くて下んねー信用に欠けるモンが他にあるか?)

 それなのに大多数の人間は何故か絆やら信頼やら「他者との繋がり」を美と定め期待し欲する、理解出来ないしやはり気持ち悪いと花宮は再認識し嗤った。嗤って、吐き気と苛立ちを無理矢理治めた。今はそんな解り切った事よりフォローが最優先だと、メッセージアプリを起動し結希への長い長い演技指導を指で叩く。
 「でもさ……」「うん」だが杞憂にもクラスメイトは斜め上の感想を抱いていた。

「「 全 然 ア リ 」」

「あ?」

「いつものフレンドリーで優しい花宮君も良いけど今の花宮君もこれはこれで……言うならそう、クール! あの涼し気な横顔堪んない!」
「そもそも花宮君レベルのイケメン普通なら近寄りがたくて当然なんだよね、雲の上まで高嶺の花って改めて思うわ。女王様ってコレか、まさに花宮様って感じ。ヤバい、新たな扉開けそう」
「言われてみれば……確かに格好良さがいつも以上ね」
「ステータス:イケメン全振り?」
「「アリでしょ?」」
「「「「「アリ、大アリ、クールな花宮様最高」」」」」
「結局顔かぁ? これだから女子は」
「でもさっきだって別に悪い返しじゃなかったじゃんクールだっただけで!」
「寧ろ冷たくあしらわれたいじゃん?」

 天才でも読み違える事はあったらしい。この好印象を引き寄せたのは他でもない普段の花宮に対する信頼の賜物、計算し尽くされた完璧な仮面は彼自身の計算を上回ったのだ。そんな自分を褒め安堵すべき場面で「……」「どしたの結希」「皆バカと言うかマヌケだなぁって」と他人に呆れ卑下する花宮の捻くれっぷりは流石としか言いようが無い。
 因みにある程度誤魔化しが効くと解って適当ぶっこいた結希は「この体まこちゃんすごい耳敏いって言うのかな、煩い」とボケーっと外を眺めていた。そんな姿さえ「物憂げな花宮様……素敵」と囁かれる辺り、花宮の並々ならぬ努力は最早マインドコントロールの域に達している。

「花宮……?」
「ん? どうした「い、いやお前がね。どうしたの、大丈夫か」

 そしてついに誤魔化しの効かない、マインドコントロール外の相手との対峙である。鈍重な様は何処へやら、親しい友人に話し掛けられ結希は明るく軽快に振り返った。その眩しさと勢いに瀬戸は仰け反る。

「心配してくれて有難う、まだ少し痛むけど大した事無いよ」
「……あーうん、大丈夫じゃないね」
「? あ、康次郎一限のノート見せてくれないか?」
「あ、あぁ……花宮、本当に大丈夫なのか?」

 結希はこの状況を大いに楽しんでいた。高い視点、僅かな感情で動く表情、頭に響く痛み、耳と目から膨大な情報が雪崩れ込むもののハイスペックな脳は勝手に処理してくれる。こうなったものは仕方無い、成るようにしか成らないと余す事無く楽しんでいた。

「大丈夫だってば、心配性だなぁ。ふふ」

 だから、花宮が友人に心配されて嬉しく思い、自分への対応との違いを面白く思い溢した笑みが、それはそれは無邪気で柔らかなものになるのも仕方が無かった。

「見た? 今の笑顔見た!?」
「見た見てる目に焼き付けてるやばい、本当どうしたの花宮君クールかと思いきやなんか可愛いんだけど、ゆるふわなんだけど!?」
「ね、バスケ部と話す時可愛い! クーデレ? クーデレなの? キュンと来た、心臓痛い……」
「男バス本当に仲良いよねー」

「な、なぁなんか花宮…………ちょい可愛くね?」
「おま……正直言って良いか」
「いやガチなやつじゃなくて! 引くなよ!」
「まだ何も言ってねぇだろ。俺、」
「ちょい思っただけだって!」
「 聞 け よ 。俺も緩ーく握った手ぇ口元にやって笑うのヤベーと思った……正直可愛い」
「解る!? んでふにゃって感じの笑顔がまたヤバいんよ!」
「あぁヤベーな、俺らヤベーわ。全然アリ、俺今の花宮ならイケる」
「イケる余裕! 女子の気持ち解るわ新たな扉開ける!」

 ユルフワってなんだ。あと、 開 る な 閉 め ろ 。
 花宮がその悲痛な訴えを心の中に留められたのは奇跡だった。好印象ならなんでも良い訳では無い、彼はこの時初めて学んだ。
 《取り敢えず周りにはもうそれで良いから俺らに無駄にヘラヘラするな、しないで下さい》途中だった文章を消しそれだけ送った花宮は、額がぶつかるのも気にせず机に沈む。

「はぁぁあああ」
「どしたよユーキ、大丈夫?」
「無理疲れた、もぉこれ以上無いくらい疲れたって三回も思った。限界突破し過ぎ、意味不明、ふざけんな」
「ふーん? 意味不明なのはお花だけどねぇ。アレなんなの、新しい遊び? 頭打っておかしくなった?」
「……そぉかもね」
「さっきの毒の無い笑顔怖かったわー」
「ほんとにね、バカみたい」
「確かに可愛いとか怖いよりバカっぽ…………うん?」
「可愛いは無いよ、有り得ない。はぁぁあああ」






 午前中を乗り切った花宮と結希は人目を避けゆっくり羽を伸ばしていた。花宮は結希の演技力の低さに疲労困憊で、結希は花宮の燃費の悪さに餓死寸前だった。

「あ゙ー……」
「ほほああへふ。疲へはほ時ひは、甘ひもも」
「食いながら喋んなバァカ。ココアなんざ要るかよ、しかも飲み差し」
「んぐっ……だって舌違うからか全然美味しくないんだもん。だから今のまこちゃんなら美味しいよ、絶対」
「……」
「ほら、ちゅちゅーっと」
「…………なんだこれクソ旨ぇ」
「くそなのか美味しいのか」

 あれから結希は花宮の指示通り、なるべく表情を引き締め瀬戸達に接している。しかし滲み出る人格は誤魔化せず、無邪気な好意100%の雰囲気──花宮の素を知る人間が感じる所謂「優等生花宮君モード特有の薄ら寒さ」の無さに彼らは薄ら寒さを感じる……と言うややこしい状況にあった。ただ「何企んでんの花宮、怖い」と精神的にも物理的にも引かれ、また逆に妙に神経質で草臥れた結希(花宮)に関しても、

“ユーキチャンも今日どったの? セーリ?”
“ッはあ゙?”
“じょ、ジョーダンだって……”

 と珍しい原のやらかしに「生理中(仮)の種田、怖い」と恐れられたのが功を奏し、思った以上に厄介な事態にはなっていない。入れ替わっている時点で厄介この上ないのだが。
 あとは授業二コマ、部活は頭の痛みが続くため病院へ行くと言って休む……そう決めて二人(主に花宮)は気合を入れ直し教室へ戻った。

「あーやっと来た!」
「遅かったな。花宮、鞄取っておいたぞ」

 しかし現実は無情なり、教室の前で二人を出迎えたのは体操服姿の田辺と古橋だった。非常事態により二人は忘れていた……そう、今日の五限は体育だ。

「 サ ボ る に 決 ま っ て ん だ ろ 」
「……ユーキ/種田?」
「あぁいや今の忘れて。私今日体育サボる、ま……まこ……花宮さんもサボろうよ朝頭打ったし危ない」

 危ないのは花宮である。

「兎に角私達サボるから。行こうまこ、ま……花宮さん」
「何故今更その呼び方なんだ?」
「それな、もう校内に呼び方程度でやっかむ女子居ないでしょ……いや今それどーでも良くて。こんだけ人待たせといてサボるとか怒んよ? ん?」
「……そっちが勝手に待ったんでしょ」
「はぁ? 確かに頼まれて無いわ約束もしてなかったねぇでも毎度の事じゃん? 勝手に待たれないようにすべきじゃないかなぁ?」

 可愛らしく微笑む田辺に、青ざめた結希は引かれていた腕を花宮ごと引き寄せた。田辺の怒りは至って正しい、移動教室をサボる時はいつも事前に伝えている。「お前は兎も角花宮は前回体育教員に頼まれただろ」更に元凶の体育が自習でサボらずとも同じようなもの、花宮の体は統括として出席しなければならない事が後押しする。

「結希、出席しよう?」
「でも体育だよ」
「うん」
「……着替えるんだよ?」

 この時花宮は酷く混乱していた。
 正直なところ、性春真っ盛り華の男子高校生にとってラッキースケベな展開も、痴話事情に何不自由ない花宮にすればただの作業、「女の身体に入って着替える俺」と言う構図が少々気になるものの今更である。しかしこれが「結希の身体」と成ると途端後ろめたいような妙に狼狽える自分がおり、状況にも自身の心情にも理解が追い付かない。花宮は滅多にない、戸惑い揺れる目で結希を見上げた。

「まぁ……別に良いよ」

 ──まこちゃんなら。言外に語る結希の表情は揺るがなかった。

「ささっと着替えればすぐ済むよ。丁度他の人はもう居ないんだし、終わった後もそのままサボるか時間ズラすとかすればさ。ね?」
「……」
「全裸になる訳じゃないし」
((そりゃそうだろ))
「目ぇ瞑れば大丈夫だって」
((何が大丈夫なんだ))
「お互いに」
(( お 前 ら 一 緒 に 着 替 る 気 か ))

 そして置いてけぼりの田辺と古橋も同様に混乱していた。「待ってお花マジ大丈夫? 男女分かれて着替え、おk?」「花宮は一組種田は二組だぞ。それにしても……二人は下着を着忘れでもしたのか?」「解ってる違ぇ違うから康j、康くん黙っててあと花宮さんも」明らかな異変を感じ取った田辺と古橋に、花宮は我に返り僅かに調子を立て直す。

「はぁ……解った、解ったからサボらないから」
「ん。ナベも康次郎も待っててくれて有難う、すぐ着替えてくるね」
「あ、あぁ」
「お、おうふ」
「花宮さん黙れほんと危ない」

 説得に必死で殆ど素の結希も危なかった。
 「マジお花超キモい、大丈夫なのアレ」「俺達から見てもただの好青年……を通り越して頼りなささえ感じるな」二人が教室で着替えている最中、田辺と古橋は異変の正体を探っていた。
 因みに花宮は《上はインナー着てるし下はスカート着たまま着替えれば大丈夫だよ、なんならストッキングそのままで良いし》と結希からの有難いメッセージに一命を取り留めていた。ヒラヒラと無防備なスカートが、纏わり付く鬱陶しいストッキングが、今は合理的で心強い代物に思えるのだから余程である。

「ユーキも変だしなんなの」
「……あぁ成る程、妙な既視感の正体が解った」
「既視感?」
「今の花宮は種田みたいだ。クラスの連中が『クールな雰囲気』と宣う無関心さも、俺達には打って変わって甘い対応も……特に、キレたお前にビビった辺り」
「あーそれ言うならユーキがお花っぽくない? 結局さっき一言も謝んなかったし、有無言わさずお花もサボらせようとしたりさぁ。そう言や朝も『バカみたい』っつったの『アホ』じゃなくて! お花大好き病の進行? 親の背を見て子は育つ? 誰得だよ小谷と咽び泣くか……」
「なんだ、」

 ポン、と掌を拳で叩いて古橋は顔を上げた。

「じゃあ入れ替わっているのか」

 僅かに晴々と変化した能面に、田辺は白い目を向ける。

「アンタ割と本気で天然よね……無いわ、下着忘れるのも無い」
「そうか? 良い線行っていると思うけど。そう考えると全てしっくり来ないか?」
「確かn……いやいやいやいやそんなオカルト有り得ません、二次元じゃないんだからさぁ」
「今納得しかけただろ」
「はぁーバカに付き合うの怠いわー惨事元の男ってやっぱ無理二次元行きたい」
「……今納得しかけただろ」

 良い線どころか正解そのものだが相手にして貰えない古橋だった。






 花宮達が少々遅刻して体育館に着くと、座り込む原が怠そうに言った。

「要約するとー『バレーでスパイク決める花宮クンもカッコイイけど、やっぱバスケしてる所が見たいよねん☆』だってさー」

 どうやら女子達は現在の授業内容がご不満らしい。理由は不純なものの、ネットを立てる手間と突き指の懸念に花宮がそっと結希へ頷き彼女達の希望は即採用された。例え授業であっても降臨しそうな鬼監督を危惧して嫌がる原を甘く優しく宥める花宮(結希)に、今日の彼の異変を知らない一組生徒までもが新たな扉を開いたのは閑話休題である。
 始まったバスケは自習特有の空気が流れていた。審判も得点板もタイマーも制限区域も無いアウトライン以外度外視の適当ルール、参加者は有志で外野は談笑しながらヤジを飛ばす。花宮は当然不参加のつもりだったが「やるからには超本気」を信条とする田辺に尻を叩かれ渋々コートに立たされた。とは言え、種田結希今の状況でプレーするバスケに興味が無いと言えば嘘になる。様子見に、緩くゴールまで駆けて軽くレイアップをした、

「ッ!?!!?」

 だけの筈だった。
 想定以上の瞬発力と跳躍に、花宮は勢い余ってゴール下へ突っ込んだ。

「ちょっとユーキ何してんの大丈夫!?」
「す、スゲー、跳ん、だ」
「…………うんそうだねアンタのジャンプ力は超今更だけどねマジ大丈夫か」

 衝突はギリギリ避けられたものの、鼻先が壁を掠め、元より青白い顔は最早色を失っている。
 一方、隣のコートでも似た事が起きていた。

「わ!!?!?!」

 想像以上の筋力と体格の差に、結希は勢い余って山崎へチャージングどころかタックルをかました。

「いてて。お前でもこんなミスをすんのな」
「ごめんザk、ヤマ大丈夫!? なんかすごい力で、力が、えと……力持ち!」
「…………うんそうだなまず『The・ヤマ』って何だよお前こそマジ大丈夫か」

 怪我等は無かったものの、尻餅を着き肩を押さえる山崎に、艶のある象牙色の肌は土気色に染まっている。

((なんだこの身体能力))

 二人は唖然と隣のコートを見て、呆然と見つめ合った。

(幾ら力勝負出来ねぇバネと速攻が武器の偏った身軽SFでも……チビで細っこいマナ板ですぐフラフラんなる万年貧血持ちで女子でクッッッソドチビだぞ?)
(そりゃぁPG特化ですって得意分野の癖に他のプレーも上手くて男の子だけど……美人さんで部内で三本の指に入る細さで病弱気味で低血圧で女王様な美人さんだよ?)

 花宮も結希も互いのバスケの才能は知っているつもりだ。『無冠』ながら異名を付けられる程で、天才だか逸材だかと持ち上げられる程の才能。例えそんな他人の物差しが無くとも自身の目で推し量る事は出来ていた。しかし、

(まさかここまでの機動力とバランス感覚なんざ思わねーだろ、しかも焦って打ったあんな汚ぇフォームでしっかりシュート決めやがった──……)
(まさかこんなにフィジカルもオフェンス力も高いとか、しかもあの衝撃でもボールキープしててちゃっかり次の戦略頭に浮かんで来た──……)

 推し量る事と実感する事は違う。文字通り身を持って知らしめられ、呆れたような感心の先、二人の中に確かな探究心が湧いた。

((──この体、何処までやれる?))

 そこからはまるで地獄だった。

「超ヒマなんだけど……古橋ーザキー、そっちも超ヒマそうじゃん」
「見ての通りな」
「マジで今日のあいつらどうしたんだよ、大丈「大丈夫じゃないんじゃない? 種田は勿論、花宮が授業で、しかも自習でこれだけやる気出すなんてさ」
「鬼監督は回避出来たけどねん、イイ子チャンアピール? ないかー」

 一人、また一人とコート内の生徒の足が止まる。いつもの面々だけがのんびり話す一方で他の生徒達は絶句していた。純粋な、才能の暴力。少し口角を上げて爛々と目を輝かせ、花宮と結希は敵も味方も外野も置き去りに突き進む。

「ッ〜〜だぁあああ! もう無理だって花宮!」
「種田さん許して! これ最早イジメだよイジメ!」
「「はい?/あ?」」

 男女共にトリプルスコアに到達しようと言う頃、遂に最後の生徒が阿鼻叫喚に逃げ出した。その謎の根性は全く理解出来ないが粘った方だろうまずまず賞賛に値する、と古橋と原がペチペチおざなりな拍手を送る。広くなった二面のコートには、まだ満足していない花宮と結希が残された。

「ねぇ」
「あぁ」
「もしかして結希、同じ事考えてる?」
「花宮さんが、私と同じ事を考えてんでしょ」
「ふふ、そうかも」
「ふはっ」

 二人ぼっちが互いを認識し相手と定めたのは必然だった。

「田辺、これでもまだ納得出来ないのか?」

 ちぐはぐに笑みを零す二人を指差して、古橋は試すように言った。

「いや、出来……でも……だってさぁ?」
「なんの話だよ?」
「花宮と種田が入れ替わっている、と言う話だ」
「「「はぁ?」」」
「ナニソレ? キャラ作り? 古橋ってば不思議チャン目指してんの?」
「お前種田の言う通りマジで天然か「これ天然とか関係ある? 田辺が患ってるオタクとかそういう病の一種じゃない?」
「失礼だな……全く、意味が解らないぞ。寧ろお前達がアレを見てそう思わないのが俺は不思議でならないさ」

「ねぇね、結希はどうなると思う?」
「さぁ? 中々面白い試合になるとは思うよ、 普 通 に するよりは」
「酷いな」
「ふはっ、でもそーでしょ」
「ぅー……あ、跳び過ぎてリングにおでこぶつけないようにね。さっき大丈夫だった?」
「見てたのかよ……そーゆー面白い試合をする気は無いから」
「鼻打ってない? ほんとに大丈夫?」
「ウザい、少し落ち着いてよ」

 ハーフパンツのポケットへ両手を突っ込み猫背気味に前を見据え歩む彼女と、少し屈んで顔を覗き込みしきりに心配する彼。「種田ちゃん女王様説復活?」「あと花宮君が過保護ママって言うか……」「ワンコ?」窓口女子三人組は流石的を射ている、二人はまるで堂々とした飼い主と付き従うペットだ。

「周りは知らないからああ思うが俺達は知っているだろ……単に入れ替えれば良いだけだ、ピッタリ嵌る」

 姿形さえ交換してしまえば、それは素の花宮と結希、いつもの二人の関係性で。巫山戯た話だと言うのに酷く説得力がある妙にしっくり来る、薄ら寒さと恐怖で霞んでいた今日一日の違和感全てに納得がいく。
 古橋のドヤ顔に今度は誰もツッコミを入れられなかった。瀬戸原山崎は口をぽかんと開けて二人を凝視し、田辺は芝居がかった仕草で顔の横に両手を掲げる。

「超観念するわ古橋、ここが二次元か……こんなんが二次元かぁ」

 彼女が望む世界の扉は案外近く、さして嬉しいモノではなかった。

「さてと。1on1で……良いかな?」

 花宮は小首を傾げ、つい、と周囲へ視線を滑らせる。有無を言わせない形だけの質問に、生徒達は揃ってカクカク首を縦に振った。いつもなら反対意見が出そうな種田結希の一存も、人格から滲む女王然としたオーラが従わせる。何より先程目に焼き付いた圧倒的な才能に異存など有り得なかった。

「普通に、よくやる1on1ルールで」
「珍しく適当……ハーフコート、ボールは7号で良いよね? 何処から打っても1ゴール1点計算の10点先取、攻守交代は得点時もしくはアウトオブバウンズ時、秒ルールは……タイマーが面倒だから無しで良っか。ファールも明からさまなもの以外気にしない方向で。他に何かある?」
「そっちこそ珍しく細けーな……じゃあサドンデスはそのまま続行、後は適当、先攻はそっちで」
「……良いの?」
「当然。これでやっとイーブンでしょ」
「ほんと酷いなぁ……ふっ、言い訳用のハンデにならないと良いね」
「ふはっ、言ってなよ」

 いつもの面々さえ口を開かない静まり返った体育館、ともすれば異様な空気の中、場違いに嗤い合う二人の試合が始まった。

「いつでも、どこからでもどぉぞ?」
「ん。じゃぁまずは……」

 二度ジャンプして深く息を吐いた結希が、気怠げに少し前のめりでゆらりと構えた。その目は鋭く冷静に、対する相手をしかと観察する。

(まずは右からドライブインでも相手はまこちゃんで私の体だ多分振り切れず貼り付かれるマークズラしても一秒経たずに対応されるだろうしと言うかズラせない可能性のが高いからここは気付かれない程度に敢えてインコース攻めて足を鈍らせ翻弄する足半分大体6cm内側にとは言えフィジカル差的に一番の狙いはシュートの前隙の筈……なら、一度シュートフェイク、)
「ッ、……ウザ」
(を入れると見せかけてレッグスルーからのフックショットが──……)

 まんまと出し抜かれた花宮の悪態を背に、結希は決まったシュートへ少しの喜びも見せず眉間を揉む。

「──最善、みたいだね」

 その淡白な様子に女子は「クールな花宮様最高」とうっとり酔いしれ、男子は女子の様子と呆気ない先制点にやれやれと肩を竦め「まぁ花宮だしな」「種田さんもさっき凄かったけど女子が敵う訳が無いわ」と苦笑した。
 当のクールな花宮様こと結希はと言うとげっそり酔っていた。

(まこちゃんいつもこんなに考えてるのか。こんなバスケ初めてした……逆にアホでしょ、 し ぬ )

 呆気なく見えた数秒の攻防も、花宮真の目は回るように動いて戦況を読み突くべき穴を見抜き、脳は瞬く間に次々戦略を立て最善の選択をした。処理能力が高いので疲れも苦も無く、理屈重視で遅れそうな反応もフィジカルがカバー出来る範囲。しかしその膨大な計算は「頭空っぽな方が動ける」感覚派の結希には滅法合わず、精神的負荷が酷かった。

「ほら次、しっかりしてよ」
「ん……げぷ」
「ったく。そうだな、こっちは逆に……」

 不機嫌に荒く顎で指図した花宮が、構えもせず棒立ちのままゆったりボールをつく。纏う空気は洗練と、獲物へ狙いを定める獣の如く息を潜めている。

(逆に左からドライブインするか……うん…………っと、)
「ッ、解るのに!」
(そんで──……)

 悔しがる結希を鼻で嗤って、花宮はネットを潜るボールなど御構い無しに切り込んだコースを確認する。

「──へぇ? 最短、か」

 その不敵な様子に女子は「バスケしてる種田さん悪役染みてる」と身を寄せ合い、男子は容赦無い攻めときつい眼差しにおろおろと「た、種田さんも流石にやるな」「ま、まぁ花宮が手加減したんじゃね?」と引き攣った。
 そしてやはりと言うべきか、悪役染みた種田さんこと花宮はぞわぞわ身を粟立たせていた。

(マジでこいつ何も考えねーのか。有り得無ぇだろ……キメェな)

 目にも留まらぬ数秒の攻防の中、種田結希の目はただ一筋ゴールへの最短を写し、脳は何の戦略も立てず殆ど思考もしなかった。闇雲に思えるコース取りも無茶に見える切り込みも、肌で嗅ぎ分けるような直感を頼りに人間離れした敏捷性が成立させる。その脊髄反射的な動作は「ここの作りが違う」頭脳派の花宮には滅法合わず、違和感しかなかった。

「マジで気持ち悪い」
「まk、じゃなくて結希顔かお、そんな表情かおしないで欲し……うっぷ」
「うるさい、そっちも大概でしょ」

 全身に巣食う不快を惜しげも無く晒す花宮は、口調等の最低限しか種田結希として気遣わない。猫を被る必要が無い上に、思考する脳が結希のものだからだろうか、彼は感情が肉体に引き摺られているように感じた、取り繕える程頭が回っていない気がした。その「感じた」「気がきた」なんて曖昧さこそ、脳が、体が結希のものである良い証拠だと溜息を吐く。

(だがまぁ……)
(もう少し試すのも悪くない、かも)

 花宮と結希のギザギザ歪む口の端が釣り上がる。本領発揮と言ったところか、二回の攻防はこれまでの比ではなかった。凡人の素人クラスメイト相手では物足りなかったのだろう、今なら各々の肉体の技量、センス、パフォーマンス──バスケの才能を存分に振るえると解る。これを今試さなくていつ試す。

「どんどん行こ」
「あぁ、次だ次。ふはっ、今度はどぉするの?」
「ふっ、何も変わんないよ。また俺が一本取るだけ」

 それからも二人は交互に点を決めていった。計算を元に攻め入り、隙を見逃さず挑み、別の戦略で潜り抜け、それを凌駕する勘で追い縋り、ならばと出し抜いて。瞬発力の力任せで切り込み、読み通り捉え、緩急で翻弄し、態と隙を作って誘い、隙をそのまま突いて。
 「す、すげぇ……」「それしか言えないよね、言葉が出ない」「バスケ部のお前らは見慣れてんだろうけど……って、どうしたよ?」関心の騒めきを取り戻す周囲に対し、次はいつもの面々が絶句する番だった。一見派手に見えない計算尽くの綿密な攻防は花宮のやり方で、拮抗する俊敏で隙のない攻防も結希だから出来るもの。だが、試合前に二度跳ね深呼吸する様は、思い通りに事が運ばず漂わせるドス黒い空気は、クラスメイトが知らず彼らは知るそれぞれの特徴で。

「ほらな、言っただろ」
「アンタらも観念しなよ、残念ながらこんなのが二次元なん「二次元かどうかはどうでも良いけど、本気で? 無いでしょ」
「ッ、良くないわ!」
「ガチ? ガチで入れ替わってるワケ?」
「は? え、マジで? は、嘘だろ!?」
「本気でガチでマジで本当だぞ」

 彼らが信じる信じないはさて置き、古橋の考え通り事実は本気でガチでマジで本当である。

「ふっ、はは! ならこれは? と見せかけて逆サイドってどう? っと、しくった……ジャブステップ入れた方が良かったかな」
「ふはっ、んな小細工解んねーけど解んだよバァカ! あーこの身体気持ち悪っ!」
「それこっちのセリフ、頭パンクしそう、ほんとに」
「んなヤワな作りじゃねーっつのっ!」

 いつもと違って巡る頭、いつもと違って動く体。花宮も結希も、浮かれていたのは言うまでもない。探究心はいつしか好奇心へ。自分では不可能で不可解なバスケに罵倒しつつも何処か少し楽しそうに身を任せて試す。最早今この試合この瞬間しか目に映らない二人は、何一つ取り繕う事を忘れていた。

「入れ替わってる、な…………いやいやいやいや!」
「無いね、無い……そりゃ種田にしては口悪過ぎってか素の花宮みたいになってるし花宮にしては優等生面じゃないどころか種田みたいだけどほらあいつら親子だし無いよ、うん、無いない……無い、よな……?」
「瀬戸が不安にならないでよ! 無いっしょそんな世界仰天ニュースもビックリな話……仮にあったとして花宮はユーキチャンを演じきれるだろ? 有り得ないって!」
「お花だって人間なんだから入れ替わって超余裕無くしてりゃ流石に無理なんじゃない?」
「現にピッタリ来るだろう。何故お前達は頑なに否定し続けるんだ、正直答えは出ているんじゃないか?」

 そして、二人は今の体が自身の想定を上回るパフォーマンスを発揮する事も忘れていた。
 体を動かす、とは、脳から命令が送られ意識して行われるが細部は身に染み付いた経験に基づく無意識だ。歩く時に右足を上げ前方に着き体重を移動させながら左足を上げ──……と態々思考する者が居ないように。だから、浮かれ、好奇心に取り憑かれ、のめり込み、視野の狭まっていた二人が、普段通り無意識に体を動かした結果、それはまたしても起こった。

「あ」
「「「え?」」」
「ユーキ!」

「「ッ──!!?」」

 高く跳び過ぎた花宮と大きく動き過ぎた結希、硬いものがぶつかる鈍い音が誰の耳にもはっきり聞こたと思う程、二人は強かに頭を打ち合った。衝撃で小さな体は後ろへ転がり、大きな体は肢体こそ留まったものの頭部が勢い良く弾かれる。激突と呼ぶに相応しいそれに男子は息を飲み、女子はか細く悲鳴を上げ、遠くで黒い狐がコンと鳴いた。



 ∇ ∇ ∇



「……な……や、はなみや、おい花宮」

 緩い衝撃、鳴り響く声、柔らかく心地良い水底みなそこから無理矢理引き上げられるような不快感。
 永くも一瞬の時を経て、ボヤける視界を定めようと瞬きを繰り返す。少し遠くで重なった呻き声と痛む頭に、結希とぶつかったんだったと思い出した。

「ん、……ぁ……?」

 掠れた声はいつも通り低く、体育館に居た筈が目の前には教科書とノートが広げられている。瞬間、身体を駆け巡る懐かしい一体感。ふざけた夢を観ていたんだろうか……そうだ現実に起こる筈がない、夢は願望の表れだなんて嘘だろ? あんなの、どうかしてる。

「うぅ、やだもう少し……って、あれ?」

 結希の声がする。俺は喋っていない。

「はは……あー……疲れた」

 俺の声がする。俺が喋った。

「え? 声が、ぁ? ぅわ!!」

 勢い良く立ち上がったらしい騒ぐ斜め後ろの席を見る。俺は居なかった。目を丸くしてこちらを見返す、見慣れたバカ面の少女が──結希が居た。

「なっ……戻って、」
「種田寝惚けてないで着席、花宮も起きたな。二人とも体調は大丈夫か? 朝に引き続き体育でもトラブルがあったのは聞いてる、無理してんなら保健室行け。外傷無くても頭は怖いからな」

 遮られた結希の叫びと、教師の気遣いに俺も思わず立ち上がった。視界に入った腕時計は六限を少し過ぎた辺り。

「花宮? おい保健委員、」
「大丈夫です! 少し……そうですね、保健室行かせて貰います。すみません」
「まこちゃん、あの、えと、その」
「……種田も連れて行け、本当に付き添い無くて大丈夫か?」
「有難うございます、大丈夫です。皆、授業中にゴメンね」

 なんとか苦笑いして頭を下げ、混乱する結希を引き摺るように教室を出る。去り際、康次郎がじっとこちらを見ていた事と、珍しく起きていた健太郎が妙に気になった。
 授業中の静かな廊下を、教室に居る退屈な生徒達が刺す好奇心の視線から逃れるように、教師の目を掻い潜るように、保健室を目指す前にそわそわする結希を落ち着かせようと人気の無い場所を目指す。

「まこちゃん!」
「なんだよ」

 この辺りで良いかと振り返った途端、結希は乏しい表情をキラキラ輝かせて口を開いた。

「戻ってるよ! 私達戻ってる、ちゃんと!」
「はぁあああ……なんだそれ」
「え? だから、まこちゃんが私で私がまこちゃんで、えと、」
「夢だろ。んなバカな夢忘れろ」

 どうやらあの長くふざけた夢は結希も見ていたらしい。そう、夢だ、現実離れし過ぎた夢。あれが本当だなんて絶対に認めない。同じ夢を見るなんて事の方が、まだ何倍も現実的だ。体育の後から記憶が朧げなのは、頭を打ったからだろう。

「夢? んーうー……まぁ良いや。なんにしろ戻って良かった」
「……あぁ」

 ──それでも、その妙にリアリティ溢れる出来事の中で気苦労の絶えなかった花宮は、安堵と喜びに小さく打ち震えた。結希へ短く返す顔に疲れは滲んでいるものの、今なら今吉と何の含みも無く素直に会話出来ると思える程、彼の心は穏やかで上機嫌だった。
 花宮真を大いに楽しんでいた結希も、入れ替わりを深刻に考えてはいなかったのに、戻って始めて戻れて良かったと心底安堵した。花宮は中身も姿も花宮で、鏡の中ではなく目の前に居るのが一番だと無邪気に笑った。たった半日、数時間、中に入り誰よりも近い距離に居たと言うのに、元より只の夢の筈だと言うのに、随分と花宮真に飢えていたらしい。

「ッ、おいバカ、」
「ふふ、戻ってる、ちゃんとまこちゃんだ、まこちゃん」

 溢れる感情で堪らなくなった結希は、先程より小さな歩幅を先程より速い足運びで補って、ぎゅっとしがみ付くように花宮を抱き締めた。自分は自分で、花宮は花宮、それが一番良い。強く抱き締める程主張する体の境界を、肌で感じる他者と言う存在を、決して縮まらず交じ合わない近くて遠いゼロ距離を、結希は酷く愛しく思った。

「……なに当たり前の事言ってんだよ、つか痛ぇ」

 上機嫌な花宮は力加減を咎めるだけで仕方なさそうに抱擁を甘受する。周る腕にタップして、ふわふわと柔らかな目の前の髪を梳き、ついでとばかりに隠れた額を軽く弾いた。それすらも嬉しくて結希はクスクス笑う。
 夢は醒めた、全ては元通り、何も憂いる事は無い。色気の欠片もない絞め技のような抱擁は少々滑稽だが、これが物語ならば「二人は幸せなキスをして終了、めでたしめでたし」とナレーションが付くような勢いだけはあった。
 そして、二人は──……

「あ」
「……行くぞ。保健室行きませんでしたとなると面倒クセェ」
「う、うん。まこちゃん先行ってて」
「どうした」
「いや、えーっと」
「なんだよ、情けねーツラして」
「その……お花を摘みにですね?」
「あ?」
「……改めて言うのやだ、良いから先行って」
「ハッキリ言えよ」

「ぉ、お手洗いッ」
「……言えてる、非常自体だったからな」
「え? まこちゃんもしかして同じ──……」

 勢いのまま、全てを夢だったと水に流すのだった。めでたしめでたし?



 ∇ ∇ ∇



とある会話.01


「そうか戻ったのか」
「…………古橋まだ言ってんの」
「種田が『戻って』と言ったのを聞かなかったのか? 起きたら戻っていて驚いたんだろう」
「アタシは朝入れ替わって体育の時に戻ったに一票。なんか二人とも頭打ってからさっきまで気もそぞろだったし」
「そりゃあんだけ盛大に打ちゃボーッとすんだろ、田辺バカかよ」
「しかもタイムラグあるよん? 田辺バカじゃん」
「ウッサイわ!」
「つまり俺の言う通り朝入れ替わってさっき戻ったに追加二票だな」
「「違うから」」
「つーか朝と言えばザキ今日の朝練珍しくめっちゃ静かだったじゃん。どうしたワケ?」
「口内炎出来て痛ぇんだよ、花宮と種田の色々でぶっ飛んだけどな。お前こそガムどうした」
「え? 普通に忘れただけだよん? 教室にはボトル置いてるから大丈夫だけど」
「珍しいなら瀬戸だろう。一番乗りだったんじゃないか「うん、兄貴の車に乗せて貰った」
「古橋はなんで水やりしなかったのよ」
「何故お前が知っているんだ……昨日ホースに穴が開いていてな、今日の午後に補強されるらしい」
「おいそこ、男バスと田辺。私語すんなら授業サボれ、出て行くか黙るかだ」
「「「「すみませーん」」」」



 ∇ ∇ ∇



とある会話.02


《なー花宮
 なーなーはーなーみーやー
 起きとるー?
 起きとるやんな?
 聞いてや
 めっちゃおもろい事あってん
 聞きたいやろ?
 今吉先輩の滑らへん話
 もう寝たか?
 まだギリ起きとるんやろ?》
《鬱陶しいんで分けて送るのやめて下さいって言いましたよね。長文打てないんですか? 嘆かわしいですね》
《やって通知多ないと自分スルーするやん? 嘆かわしい事に》
《数分の内に今吉さんだけで通知10とか怖いんでやめて下さい。で、なんですか》
《なんやかんや気になって訊いてくれる花宮ほんま可愛い後輩やわ》
《ブロックして良いですか?》
(そこで問答無用でブロックせん花宮ほんま可愛い後輩やな)
《嫌な予感したんでブロックしね
 すみません間違えました。ブロックしますね》
《ワザとやろ! 待って!》
《今日死ぬ程疲れて眠いんですけど》
《すまんすまん。いやな、ワシ今日風邪引いて一日中寝とったんよ、もう歳やわ関節めっちゃ痛いねんこれが》
《うわぁおめでとうございます🤗 凄く面白い話ですね笑いました🤗🤗🤗》
《そこ笑うとこちゃうしこっからやから!》
《凄く笑えました。残念だなぁ、関西人って滑ると死ぬんでしょ?》
《なんでやねん! んでな、魘されとる時大長編の夢見たんや》
《……はあ》
《なんと花宮と結希が入れ替わるねん!》
《は?》
《いやぁ一昨日夜アニメしとったやろ、めっちゃ売れた映画の。それ見たからか知らんけど、花宮が結希になって結希が花宮になるねん! 我ながらよう出来た夢やったで、結希の花宮がクール過ぎて自分が焦ったりするんがリアルでな〜。なんと嬉し恥ずかしお着替えシーンもあるで!
 どや?
 おもろいやろ?
 おーい
 笑い過ぎて言葉も出んゆーやつか?》
《黒いキツネ》
《ん?
 赤いきつねやろ、黒は豚カレーやで
 緑のたぬき
 白い力もちうどん
 黄色はなんやったかな
 夜食タイムか?
 おーい
 はーなーみーやー
 寝落ちか?》
《 ア ン タ の せ い か よ ! 》

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