ラズベリーは動かない

 サイアクだ。

 お気に入りのブーツを回り込むように這う虫に視線を固定したまま、少女はぐるりと思考を回転させた。本日のアイリス・マシューズは不運の連続だった。星座占いのランキングでもあったなら、最下位のアンラッキー星座こそ自分の星座に違いない。まあ実際の誕生日は知らないのだけれど。
 見知らぬ集団に連行されてきたこの場所、さながら独房か実験動物の監視室のようだ。無菌室よろしく白い壁が四方を塗りかためて、彼女と相対する壁の上部にはマジックミラーらしき黒いガラスが嵌め込まれている。ドアは一つだけで飾り気はなく、部屋の中央に長方形のテーブルとパイプ椅子と、そこに座るアイリス。色という色、音という音を排除されているようで居心地が悪い。アイリスは濃紅のベレー帽をかぶり直した。

 俯いたまま数分が経った頃、がちゃりとドアが開く音と鈍い足音が響いた。ようやく"奴"が到着したらしい。"遥々日本から"ご苦労なことだと内心皮肉る。か弱い少女に随分な持て成しをしてくれて、それはそれは素晴らしい団体なのでしょうね、この"財団"は。
 部屋に入ってきた人間は一人。"予測通り"の巨漢だ。彼は目の前に用意された椅子──の背もたれに手をかけて、アイリスを見る。いっそ睨みつけると言っていい、刺すように鋭い視線を頭頂に受け、如何にも弱々しく怯えたように彼女は顔を上げた。

 電灯に照らされる金髪、白人らしい肌、髪の隙間に揺れるエメラルドの瞳。人形のように整った顔立ちに、均整のとれた女らしい華奢な体躯。
 
 少女の顔を見る男の顔は無表情だ。しかしアイリスは気づいている。男の、海のごとき瞳が雄弁に語っている。自身に"誰か"を重ねて見ているのだ。いや、自身にその"誰か"の影を探している。そして狂暴性の欠片もない、それどころか現状も理解せず酷く怯えた面持ちの少女に対して、少しの罪悪感となお残る警戒を覚えている。
 たっぷり5分間の観察の後、男はおもむろに片手に持った資料へ目を落とす。

「……アイリス・マシューズ。17歳。ニューヨーク生まれ。母親は2歳の時死亡し、現在は孤児院で生活している。父親は……」区切る。男の背後に"青い男"が現れる。「……"DIO"」"青い男"が目前に移動し、アイリスの顔面を殴り付け──

「……ディ…オ…?」

──鼻先でぴたりと止まる。彼女は変わらず、わけがわからないというような顔をしていた。





 アイリス・マシューズについては保留になった、らしい。男──クージョーと名乗った男が去った後、ホテルの一室のような場所へ連行されたアイリスは髪の毛を弄りながら嘆息した。如何にも「どうしてこんなことになったのだろう」と悩んでいるように見えるよう、口許を両手で覆ってみる。監視カメラが仕掛けられていることには部屋を見渡してすぐ気づいていたため、怯えた少女のフリは継続していた。

 このアイリスはすべて解っている。SPW財団に捕縛されることも、その報を受けてクージョーが日本からわざわざこの地へやってくることも、このホテルへ通されることも、予測していたことだ。強面の男の名前がクージョーで、父親の名前がディオであることは先ほど知ったが。知っていた上で発見され捕まることをよしとしたのには、れっきとした理由がある。──兄弟の存在だ。
 ジャケットに隠れたうなじに触れる。とくとくと血の通うそこには、生まれたときから星があった。親を知らず、天涯孤独の身で生きてきた彼女。それでも時折──星が疼くのだ。それは悲しいとき、寂しいとき、慣れた孤独にふと、震えるとき。世界に一人だと感じたとき、星は疼いた。今まで、今この瞬間にも、あたしは独りではないのだと妙な確信がある。叫びたいような衝動に駆られる。

 ──あたしには、血を分けた家族がいる!

 そして今日付けで、妙な確信は根拠ある事実となった。
 イタリア。アイリスのきょうだいはイタリアにいるらしい。男か女か、年上か年下かもわからない。けれどもイタリアにいる、この情報を盗むためだけに彼女はここに来たのだ。場所さえわかれば、あとは探すだけだ。アイリスにはもうひとつ確信があった。自分の家族を見分けて、発見し、出会う未来を勝ち取る確信が。
 かつてない狂喜が胸中を占めていた。けれどもこれを財団のものに、ましてやクージョーに見せるわけにはいかない。彼女はあの男を厄介な強敵だと感じていた。何しろ彼女の演技を見破ることこそ無かったが(見破られたなら今頃四肢が自由でないだろう)、警戒を緩めずに監視カメラのある部屋に軟禁する男。本性の一端でも見せればたちまち拘束か、ぶちのめされる未来が見える。

 そうでなくとも、今この時間は待ちの一手。
 今は静かに、身を潜めて──機が熟したそのとき、イタリアへ発つのだ。


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