スロウ


You're miles away, but you can still see her smile call home.

電話をかけるのはいつだって慣れない。
番号をプッシュしてルルルと鳴り出すその間、ルルルとルルルのその間。一回目と、二回目の間。二回目と、三回目の間。
身構えて、出るのかな、出ないのかな、と静かに待っている。
ドクンドクンと心音が聞こえてくるのが如実に分かって、その心地よい不快感にわたしは思わず顔をしかめてしまった。電話くらいでそんなに働かなくてもいいよ、とわたしはわたしの心臓に語りかけてみる。
そのとき、鳴りやまなかったルルルがプツッと途切れた。


「あっ、もしもし、清和くん?」

『ん。俺だよ。こんな時間にどーしたの?』

「うん。ごめんね。清和くんの声、急に聞きたくなっちゃった。笑ってもいいよ」

『ん?笑いはしないけど、お決まりな理由だな』

「でもね、これでもカサブランカの口説き文句よりはマシなんだよ」

『だあれ、それ?』


痛みなんて素知らぬ顔で笑い合って、そのまま暫く続く下らない、下らないピロートーク。
話題が変わって、真面目に話してみたり、ふざけてみたり。

電話には魔力がある。地球の裏側でも、繋がった声は一瞬で聞こえてしまうのだから。
信じられない文明の驚異。科学力が、科学では説明できない魔力さえをも振りかざして、日常に潜んでいることの典型例。
世界最初の電話会社いわく、“reach out and touch someone”だそうだけれど。
…確かに、ついつい手を伸ばして、声が聞きたいからって連絡してしまうよ。

寒さもここに極まりといった感じの、もう日付が変わろうかという時間。
自分の影が落ちる、カーペットの上で。

幸せと、痛み。
聞こえてくるのは聞きたかった声。
重なるように、綺麗に甘く笑う清和くんの顔を思い出した。吐き気がするくらいに幸福なのかもしれない。声を聞いただけで、彼が傍で笑ってくれている気がするなんて。


「…今、なんとなく清和くんが笑ってるな、って思った」

『俺も似たような事、考えてた。…ねえ、桜月は、アメリカで初めて電話が開通した当時、シーエムで流れたキャッチコピーを知ってる?』

「んー…“reach out and touch someone”っていう言葉だっけ?ごめんね、よく知らない」

『あのね、“You're miles away, but you can still see her smile call home.”って歌なんだけどね、俺あまりにもぴったりで納得したんだ。ちなみに、桜月がさっき言った英語は、そのあとに続く言葉なんだよ』


清和くんのとても綺麗な歌声が耳に届く。


『桜月、わかる?“遠くに離れていても、あなたが電話をかけさえすれば恋人の笑顔を傍で感じることが出来るでしょう”っていう意味なんだよ。…ね、確かに今、桜月が隣で笑ってる気がするんだ。たまには電話もいいね』


告げられた台詞は想像もつかないほど恥ずかしくて気障なものだった。思わず自分の冷えた手を、熱くなった頬に押し当ててみる。


「…いつもよりストレートだね、口説き文句みたい」

『ん?桜月みたいな文学系女子が相手だと、もっと上手に口説きたい』

「そう?それなら今わたしのこと口説いてみて」


冗談まじりの言葉に今度は清和くんが照れたようで、短い笑い声が聞こえたかと思うと、何も聞こえなくなってしまった。
けれども、ふわふわと漂うのは心地よい穏やかな沈黙。

可愛い清和くんを思いながら、わたしは「お休みなさい」と告げた。


『…あ、今最高に良い口説き文句を思いついた』

「え、ほんとう?」

『…ううん、次の電話までにとっておく。そしたら桜月がまた電話してくれるかもしれないし』


頭が、ぽーっとなるくらいに温度を上げたエアコン。
わたしは顔がまた赤くなったのを感じ、何と返せばいいのか困惑してそのまま固まってしまう。見た目によらず低い声で、清和くんはほんとうに口説いてくれたから、ちっぽけな心臓が生き返ったようにドクンドクンと、再びせわしなく鳴りはじめた。わたしのこんな恥ずかしい音が聞こえたのだろうか、清和くんは喉でクスクスと笑う。


『…嬉しいでしょ?なんてね。お休みなさい桜月』


最後に、電話口でなんとも甘いスマック音が聞こえて。
それに赤面すると同時に、清和くんの言ってくれた、お休みなさいがあまりにも柔らかだったから、清和くんが通話を切ってしまった後も、わたしはいつまでも電話を握りしめてそこに座っていたのだった。

You're miles away, but you can still see her smile call home. Reach out and touch someone!