Stars living in the tower

塔に棲む星
東の果てにそびえる塔のてっぺんに、未明の星はひとりで暮らしていた。

ちいさな窓からは深く繁った森が見わたせる。森の向こうには人々が住む里が。その向こうには賑やかな町が。その先には遥かな空が。この世界のどんな大樹よりも高く高く作られた塔から見ることが出来ないのは太陽王と月の女王が住む宮殿だけだ。

父なる太陽も母なる月も、もう随分長い間未明の星に会いに来ようとしない。未明の星がずっとひとりきりだからだ。そして二人がこの塔を訪ねてこないということは、未明の星がいまだ一人きりであるということを何よりも雄弁に物語っていた。

 一つ星なんていままでこの世界に生まれたことがありません。
 未明の星が生まれた時に暦の老人はそう言って嘆いた。
 これでは尊い支配者の系譜が絶えてしまいます。
 王たる太陽も女王たる月も双つ星として生まれます。太陽と月とはやがて次代の双つ星を生み、そして星星は太陽と月を受け継いでいくものですのに。
 生まれた星がひとりきりとは、きっと不吉なことが起こります。
 暦の老人たちはくちぐちにそう言って、生まれて間もない一つ星を排することを主張した。
 双つ星が双子であるとは限らない。
 太陽はそう言って、我が子の命を救おうとした。
 しばらくしたら、この子の片割れが生まれくるかも知れないではないか。
 月も真珠のような涙を流しながら、そう言葉を続けた。そんな前例がないことくらい、太陽も月も暦たちも、そして今は未明の星自身も承知していた。それでも太陽は月の言葉に頷き、暦の老人は王たる太陽に説き伏せられ、幼い星は幽閉の身となった。
 片割れの星を待つ「未だ明けぬ新星」。未明という呼び名だけをつれて。





 私のからだの中には、私の片割れが眠っている。
 余程気をつけて自分の中を探らなければ気がつかないほどかすかにだけれど、その星は確かに私ではない命を持って、私の中に息づいている。
 私の片割れはいつうまれたのだろうか。もの言わぬ父と目を腫らした母に手を引かれてこの塔に来た頃だろうか。背が伸びたのねと微笑んだ母が、夕焼け色の私の髪を撫でてくれた時だったろうか。それとも思い詰めた目をした父が一人で私を訪れた夜だろうか。それとも私が生まれたそのときから、この星は私の中にひっそりと棲んでいたのだろうか。
 私は本当は双つ星なのだ。けれどもこの塔にはもう随分長い間訪ねてくるものはいないし、私から誰かに何かを伝えるすべはない。誰にも知られることがなければ、やはり私はまだ一つ星のままなのだろう。
 小さな窓からは鎮まりかえった世界が見える。黒く沈んだ森と、疲れ果てて眠る町。ちらちらと瞬く星空さえもこの塔からは遠すぎる。それでも一人の夜は一人の朝や昼よりもずっと心地よいものだった。
 静かな夜の中でなおも耳を澄ませ、かすかに聞こえる息づかいを確かめる。
 今はただ眠っているだけで、存在のかけらも見せない私の片割れ。いつか産声をあげたなら、世界は気がついてくれるだろうか? 世界は変わるのだろうか?
 いつもいつも、悲しみと戸惑いと焦りと不安と、そんなものばかりが私に与えられるまなざしを彩っている。双つ星になれたら、それは喜びや安堵へと変わるのだろうか?
 私の中にいる私の片割れは、太陽になるのだろうか? それとも月に?
 それとも、全く新しい、強く輝く星になるのだろうか?
 そうしたら、私は何になるのだろう?





 東の空がだんだんと白んでいくのを、王たる太陽はじっと睨みつけていた。
 沈み行く月と遥かな地平の間に、朱色に輝くしるしが見える。暦たちが凶兆だと騒いでいた終末の星は、夜明けの一瞬にひときわ強く輝く。
 星がまた少し大きく見えるようになったことに気がつき、彼は重いため息をついた。地平に落ちる夕日のようにあかあかと燃える星は、この世界を滅ぼすため、日に日にこちらへ向かってくる。
 同じ色をした髪が月夜に輝いた時を太陽王は鮮明に覚えている。ふわふわと長く伸びた髪は、華奢な体がのけぞる動きに会わせて生き物のように揺らめいた。
 あの時、ぎりぎりと力を込めた指先は、白を通り越して紫に色を変え細い首に食い込んでいった。いつまでも一人きりの未明の星と、その目と髪の色をした凶兆の星。気がつけば誰にも告げず塔へ向かっていた。抵抗らしい抵抗もなく従順に力を抜く様子を奇妙だと感じる余裕などなかった。
 この世界を災厄から守らなければならない。それが太陽たる王と月たる女王のつとめであり、双つ星として存在する意義でもあった。
 柔らかな髪が筋の浮いた手首をくすぐる感触にふと我に返った時、見下ろす先で血の気を失いながら笑みを浮かべている我が子を見て、太陽王は底知れない絶望に打ちのめされた。
 いつだって、この子供は微笑んでいた。暦の老人たちになじられても、果ての塔に置き去りにされても、こうして親に殺されようとしても。
 呆然と放した首には指の跡がはっきりと残っていた。知らず爪を立てていたのか、三日月のような鮮血がいくつも浮き上がっている。
 それでも未明の星は笑みを浮かべたまま、そっと父親の手に触れた。気遣うように指先を撫でられたその時、太陽王は心を決めた。
 たとえ世界を道連れにしても、この哀れな子と共に滅びようと。
 凶星が姿を消し去り、月が地平にくちづける頃になっても、太陽王は身じろぎもせず東を向いて立ち続けていた。
 ひそやかな気配とともに、月の女王が隣に立った。夜が明けて、彼女の支配は太陽へと受け継がれるのだ。
「美しい朝だ」
 月はひそやかに呟いた。太陽は黙って頷く。あの夜の出来事について、彼は彼女に何も話していないが、彼女が何もかも知っていることをわかっていた。
 王と女王はふたりでひとつの存在であり、それぞれの人格は同一であるかのように通いあっている。双つ星として生まれるというのは、そういうことだ。
 同じ絶望と決意を胸におさめている月の女王は黙って手を伸ばすと、かつて片割れの星であった太陽王の頬に伝う涙をぬぐった。

 燃えるように赤い星が全てを奪いに空から落ちてきたのは、それから間もなくのことだった。





 どくどくと血のたぎる音がする。
 一つしかない窓の外が、炎のような光に染まって私を呼んでいるのがわかる。
 窓からは、あかく照らされた森と里と空のほかに何も見えない。けれど私にはわかった。
 私のからだのなかの片割れの星が、生まれようとしているのだ。
 その証拠に私の胸はどくどくと激しく脈を打ち、その音は塔の外にまで響いていきそうだ。痛みさえ感じる拍動は、生まれでようともがく片割れの星の命そのものなのだろう。
 窓のない方角から、なにかが近づいているのは知っていた。きっと片割れの星が、この世に現れるために必要ななにかなのだと思う。だって、そうでなければ、どうして見えも聞こえもしないものに呼びかけられることが出来るというのだろう?
 小さな窓から差し込む光が頬を熱くする。父に首を絞められたときよりも息苦しく思えて、私は思わずのどに触れた。かすかな振動を感じて、はじめて自分が叫んでいることに気がつく。
 声なんて出したのはいつ以来だろう。もしかしたら、これは産声なのだろうか?
 私の髪と同じ夕焼けの色が、命の熱を孕んで近づいてくる。どくどくとたぎるのは、私の血か、それとも窓の向こうの空だろうか?
 これでやっと、私は双つ星になるのだろうか?
 かすかな声が私の名を呼んだ。それに言葉を返せたのかどうか、この熱の中ではもうわからない。
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