Pretty much with the king
「でしたらお願いを、きいてはいただけませんか」
 ちいさな唇が震えながら言葉をつむぐ。細く高い声は、けれど震えも掠れもせずに、広い洞の中に響きわたった。
 私の姿には顔色も変えなかったのに、反響する自分の声にはおびえるように体を縮める。思わず声を上げて笑うと、黒い大きな目がじっと私をみつめた。
 私はすこし考えた。それは意外な申し出だった。私はあらためて、目の前のちいさないきものに注意を向ける。十にも満たぬ人の子は、私の視線から逃げようとはしなかった。
 何を言い出すつもりなのか。好奇心に駆られて許可の言葉を出す。
「言ってみるといい」
「ありがとうございます」
 それは平伏し、顔を伏せたままで願いを口にした。
「歌を、うたってください」
「うた?」
 はい、と言って顔を上げたその唇は、かすかに笑んでいる。
「わたしは歌が得意なのです」
 まるで木漏れ日のようだと、ととさまもお言いです。
 ちいさな弟は、くらやみがこわいのです。明かりも歌もない夜は、きっとさみしくて泣くでしょう。
 私がいないと泣くでしょう。
 ひどく老いた瞳をしてそう言うと、お願いしますと頭を下げた。



 私は急に不愉快になった。
 面と向かって会話が成り立つとは、珍しく気骨のあるものだと思った。どんな面白い提案をしてくるのかと思えば、子守唄をうたえなどと!
 なぜ私が、人の子のために歌などうたわねばならない。
 私の不機嫌を察したのか、それはぱっと顔を上げた。
「わきまえぬことだとわかっています。けれど、ほかにお願いできるひとがいないのです」
 ととさまはお忙しいし、村の皆も夜はつかれきっています。
 わたししか、あの子にうたってやれないの。
 身を乗り出して言い募る姿に、不快はいや増す。
 なんと下らない。闇を恐れるひよわないきものめ。
 この私になにをうたえというのか。
 木漏れ日など、いまだかつて目にしたこともないというのに!
「私は歌など知らぬ! そんなに弟が気にかかるならば、ここへなど来なければよかったのだ」
 言い放ってから、しまったと思った。(後悔など、最後にしたのはいつだったか。)
 こんな所へ来なければよかったと、人の子が考えぬはずもない。そしてどんなに願ったとして、ここから帰ることは二度と叶わぬと、そう告げたのは他ならぬ私であった。



 泣くのかと思った。あるいは、怒り出すのかと。
 しかしそれはただ少しうつむいて言った。
「…そうですね。でも、帰ることはできないと、あなたはお言いでした…」
 はじめて震える声を彩るのは、私になじみの恐怖だった。しかしそれはすぐに押し隠される。
 そう、隠されていたのだと、私はやっと気がついた。
「だからお願いです。どうか歌を、あの子にうたってやってください」
 私はこたえられなかった。
 人の機微など持たない私には、ふさわしい答えなど返せるはずもない。
 私は歌など知らないし、それ以前に戒律を破るわけにはいかない。
 人との関わりを禁じる黄泉の戒律が、私の心の臓には刻まれているのだ。



 時が来た。
 さえずりを持たぬ迎え鳥がやってきて、黴臭い羽ばたきで私をせかす。
 報せの風を送らなければならない。
 私は考えながら口を開く。
「歌をうたうことはできない」
 人の子は、その黒い目を曇らせてそうですか、とうつむいた。
「私はうたをしらない」
 私は考えながら言葉をつなぐ。
「だからおまえが歌うといい」
「…わたしが?」
 肌になじんだ黒色が、私になじまぬ光をひらめかせる。
「届けてやろう、風にのせて」
 砂粒ほどの、しかし鮮烈な光の意味が、そのときの私にははっきりとわかった。



 小さな人の子は、大きく息を吐いてそっと目を閉じた。
 瞳の中の暁闇が閉ざされたのを少し残念に思っていると、程なくして唇からそっと歌が流れ出す。
 高く細く、きらきらとした音の奔流が洞を満たしていく。ゆったりとした音の流れは、時折はねたり踊ったりしながらほのかな熱と光をはらんで私の耳をくすぐった。
 これが木漏れ日というものか。心地よい温かさと振動に、思わず吐息がこぼれる。
 長い歌をうたい終えると、人の子は私に向かって深く深く頭を下げた。
「ありがとうございます。これでもう寂しくない」
 歌が消えれば心地よさも去り、常の世界が戻ってくる。私は頷いた。
「いきなさい。迎え鳥が来ている」
 人の子はこくりと頷くと、黄金色をした鳥のほうへ足を向けた。
 さようなら、と言って、人の子は黄泉路を辿っていった。



 黴臭い羽ばたきとともに、迎え鳥が私を訪れた。
 仕事を中断された私は、やや気分を害されて皮肉を口にする。
「なんだ、今は死者など来ていないが」
 目を上げもしない私の言葉にくきり、と首をかしげた鳥は、金属的なくちばしを大きく開いた。
 高く細く、聞き覚えのある歌が、そのくちばしから迸る。
 さえずりの声を持たないはずの迎え鳥が、人の子の歌を奏でていた。
 かつて無い出来事に、私は驚いて視線を遣った。
「おまえ、この歌を気に入ったのか」
 迎え鳥はうたいながら数度羽ばたく。
「わざわざ私に聞かせにきたのか」
 自覚できるほどにはっきりと笑むと、私は緩く目を閉じて、木漏れ日の歌にもう一度耳を傾ける。
 情をもたない私にも、そのぬくもりは心地よいものだった。
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