お前はもう、E組落ちだ。




そう言われたのは、中学二年生の秋だった。
冬に入る少し前、ある日の放課後、クラスの担任に呼ばれた職員室で、一言端的にそう言われた。

まぁ、なんとなくそう思ってた。
数学しかできないし、他の教科、特に文系なんて壊滅的だったし。
いつかは落とされるだろうなと思っていたけど、こんな微妙な時期に落とされるとは思っていなくて、少しびっくりした。

まぁこのクラスに、数学が好きな人もいないここに、特別な思いなんてないから別にいいんだけど。



「お世話になりました」



ただ一言。
無表情の顔で頭を下げて、教室においているすべての荷物を持って私は旧校舎の方へと足を進めた。




「新しく来る子だね!?」


旧校舎の担任は、異常に胸の大きい可愛らしい女の人だった。これから一年よろしくお願いします、と頭をさげれば、その先生はとてもいい笑顔でよろしくねと言ってくれた。

次の日からE組に通うことになって、毎日こんな坂を登らないといけないのかと鬱になった。けれど、意外にもE組の皆はいい人ばかりで。
自分の席の前にいる奥田愛美という子はすぐに仲良くなれた。同じ理系女子で、本校舎にいる人たちみたいにきゃっきゃっとうるさくないタイプの子で、気楽に付き合える。

あとは料理が上手な原寿美鈴。質素な弁当を気にしてかおかずをわけてくれたりするとても面倒見のいい子だ。

そして、中村莉桜。見た目はギャルなのに、実は真面目な彼女。一週間一緒に行動したらわかる。彼女はとても、真面目な子だ。



「おはよ、なまえー」

「あ、おはよー」


このクラスに通い始めて早一週間。
クラスのほとんどの人達と話すようになった。
昔から環境に適応するのが早いから、すぐに慣れる様になった。

だけど、未だに慣れないことがある。それは…


「なまえが数学者の娘って本当だったんだ!?」


というその言葉。


あはは、と。乾いたような笑いしか出ないけれど。

本当のことだから、うんそうだよ、と首を縦に振る。


そんな私を見ていた人がいたなんて、その時は気づきもしなかった。




「お前、数学者の娘なんだな」


日直の仕事があるという愛美を待つために、校舎の玄関で一人まっていると、だるそうに歩いていた寺坂くんがそう口にした。
靴を取り出した格好のまま固まってる寺坂くんをみあげる。


「うん。そうだよー」


寺坂くんとはあまり話したことはなかった。
クラスの中では比較的に浮いてる方だったし、莉桜とかが寺坂とはあまり話すなって言ってたから。


寺坂くんはこっちを見ないで、靴を地面において片足を突っ込む。


「なんか、不満そうだな」

「何が?」

「数学者の娘って言われる事に対して」


寺坂くんは、クラスの中で1番順位が低くて、授業態度も悪くて、所謂不良と呼ばれる類の人だ。
だから、まさかこんな風に静かに話す人だとは思ってなかったし、来たばっかりの私の、そんな微妙な心情を読み取れるような頭を持ってるとも思わなくて。


ただただびっくりして、肯定も否定もしないで彼を見つめた。


「んだよ」

「ううん、なんかびっくりした」

「あ?」

「寺坂くん、よく見てるね」

「数学者の娘っつーから、もっと堅物なやつがくると思ってたんだよ俺は」

「あはは、そしたら意外に普通だった?」

「まぁ…」


寺坂くんは眉間にしわを寄せてこちらを見る。
靴をとんとんと揃えて、鞄をもう一度肩に背負い直して私を見下ろした。


「私の事、よく見てんじゃん」

「見てねーよ、誰がおまえのことなんざ」


寺坂くんはそうぶつぶついうと、玄関の方へと足を向ける。
彼の背中に向かって、また明日と大きい声でいえば、彼はゆったりとした仕草で右手を挙げて去って行った。


寺坂くんの去って行った方を見つめる。

昔は、数学者である父親が自慢だった。
あの人の娘だと言われる事がとても嬉しかった。


けど、母さんが死んでからは、なぜかそう言われる事が嫌だった。
数学者の娘だと言わないでほしかった。



そんな気持ちが顔に出てた事を知らなくて、しかもそれをあの寺坂くんが真っ先に気づいていたという事もあいまって。



「なまえちゃん、お待たせしました」

「帰ろっか」

「はい」


丁度玄関の方にきた愛美と学校をでる。

明日学校に行ったら、真っ先に寺坂くんに挨拶をしよう。
そうだ、これからはちょくちょく話しかけてみようじゃないか。
何だかんだ言って、彼は人と接する事が嫌いじゃないんだ。
皆が言うほど、野蛮な人じゃないんだ。


次の日から、私による寺坂くん弄りというものが行われるようになるんだけれど、それがいつしか寺坂のお守りとも呼ばれるようになるとは、その時は思いもしてなかった。



 
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