頭のいいやつはバカよりも風邪をひきやすいというのは、バカは風邪をひかないという言葉から考えつくものだとは思う。
だがしかし、それは一般論においての話であって、現にE組で一番優秀であろう赤羽カルマというやつは風邪をひきそうなタイプには見えない。
そんな先入観があったからなのか、みょうじが風邪をひき学校をやすんだと聞いた時、驚いた。そうか、あいつも風邪をひくんだな、と。



「寺坂見舞いいかなくて言い訳ー?」



そういったのは中村だけではない。カルマのやつも、村松も吉田も。しまいには狭間まで、家を知っているのなら行くべきだと言ってくる。
なぜ俺が、という気持ちはあったけれど、どうにもクラスにあいつの存在がないと落ち着かない。
別に、付き合ってるわけじゃない。恋人なんて甘い関係でもないし。

ただ、クラスの人間も、俺も、あのタコも、俺とみょうじを一つのセットに合わせて考えているんだと思う。
このクラスになってから濃い日々を過ごしていけば気づくようになったこの気持ちも考えも、みょうじがいなければわかることはできなかっただろうが。

あいつの隣には奥田や中村、原が常にいる。
俺の隣にも、村松や吉田、イトナや狭間がいる。



だけど、俺の背中には、みょうじがいる。



その関係は、言葉に表すのは俺の頭では不可能だ。




「...チッ」


クラス全員からの生暖かい視線を浴びて、俺は思わず舌打ちをこぼす。
しぶしぶ椅子から立ち上がり鞄を背負って出口へと向かえば、奥田が俺の名前を呼び、止めた。


「んだよ」

「あの、なまえちゃんにお大事に、と伝えてください。あと、このゼリーとかも持って行ってくれると嬉しいです」



本当は、奥田も行こうとしてたんじゃないのか。


「あ、これは私からのお菓子ってことで渡しておいて」

「これは私からのお弁当ね」



中村と原までもが何かを入れた袋を俺に無理やり渡す。
他のやつからには、今日配られたプリントや、授業のノートのコピー。
タコの野郎には女の人を優しく扱うコツ〜中学編〜というものを渡されたがその場で踏み潰してやった。


「襲うなよ寺坂ー」

「襲ったら私があんたをぶっ倒すから」

「誰が」


そんなクラスの奴らの声を背に、俺は学校を出てあいつの家を目指した。







全員の手荷物を持って、みょうじの家の前にたどり着く。
そういえば、あいつの親も仕事でいなくていつも夜は一人だと言っていたな。
もしかしたら、今も一人なのかもしれない。風邪を引いているけれど、親というのは仕事があれば仕事を優先しなければいけない時もあるし、それは子供でも理解はできている。


「...はーい」


家の門のそばにあったインターフォンに指を伸ばす。
その機械の向こうから聞こえたのはみょうじのいつもとは違う少し弱々しい声だった。


「...よぉ」

「え、寺坂くん!?」



驚いた声が聞こえると同時に、扉をガチャリと開けてみょうじが現れた。俺はパジャマ姿のままのみょうじに思わず口をあんぐりと開けたが、いやいや今回は見舞いに来てるんだと首を横に振り、大丈夫かと声をかけた。


「あ、うん...びっくりした、まさか寺坂くんがくるとは...上がってって。もう熱は下がったし」


みょうじにものを渡すのが目的ではあるけれど、さすがに病み上がりの人間に不躾に渡すのも気がひける。
これはただの見舞いだ、と自分に言い聞かせて俺は家に上がり、靴を脱いだ。
俺のためにお茶を出そうとするみょうじに別にいいと聞かせて、部屋に行かせる。無防備な姿の女の部屋に上がるのは少し、いや、かなり厳しいものではあったが、気にしないふりで部屋に入る。
自分の部屋とは違う、女らしいぬいぐるみがあるかわいい部屋だ。女というのはこういうのが好きなのか、と俺は部屋を見渡してそう思った。

みょうじがベットに腰をかけ、俺はその前の絨毯の上にあぐらをかく。
いつもは自分の下にいるみょうじが、俺の上にいるという少し不思議な感覚に陥った。


「これ、クラスの奴らから」

「ありがとー...プリントと、授業のノートのコピーだね。これは?」

「それは中村からお菓子」

「おお〜気がきくー」

「これは原が弁当だって」

「え!!すごい」

「今日の家庭科は調理実習だったからな」



原のシンプルな布に包まれた弁当が顔を出す。
みょうじは嬉しそうにその弁当の箱を開けると一瞬で頬を綻ばせた。いい匂いがこっちにも伝わる。


「あとこれ、奥田から」

「愛美?」


ビニールに入った奥田から渡されたゼリーの数々。桃のゼリーがたくさんだ。


「さすが愛美ー私の好きな物わかってるねー」


なるほど、みょうじは桃が好きなのか。
いや、何がなるほどなんだ。


「ありがとね、寺坂くん。重かったでしょ?」

「別に、そこまでじゃねーよ」



俺の目を見て笑うみょうじ。
ずっと寝てたからか、少し頬が赤いみょうじを見やる。あまり見るなと俺を睨んで、プリント類を机の上に置くために立ち上がったみょうじが、少しよろめいて転びそうになる。
俺はとっさに手を伸ばして、みょうじの腕を掴んだ。 みょうじは俺の横に手をついて、上半身を俺に預ける形で転んだ。


「あぶねーな...病み上がりなんだから気をつけろよ」

「ご、ごめん、寺坂くん」


掴んだみょうじの手が俺の胸元についている。
暑かったのか、第二ボタンまで開けられているパジャマに、俺はゴクリと生唾を飲み込んでしまった。



『襲うなよ寺坂ー』



こんな時に、カルマのあの嫌味のこもったセリフを思い出すとは。
あらわになった鎖骨から視線をずらして、斜め右上に目をやる。壁にかかった時計は、18時半を指していて。


「...も、もうそろそろ帰るわ」



少しどもりながら言ってしまったのは格好悪かった。
後悔はしても、何も起こっていないこの状態を是非とも讃えてほしい限りではある。


「あ、じゃあ下まで...」

「いい。お前は原の弁当でも食べて寝とけ」

「うん...」



みょうじの体を無理やり起こし、そのままベットに座らせる。
横になっとけ、とあいつの手にあった荷物をすべて受け取って机に置く。
布団の中に入る衣擦れの音がやけにリアルで、あともう少しで理性というものが壊れそうな自分に、自分で驚いた。

そういえば、家に行く前にコンビニで買っておいた冷えピタを渡すのを忘れていた。
俺はカバンから冷えピタを取り出し、枕に頭を預けて俺を見上げているみょうじの元に近づく。


「これ、冷えピタ。はっとけ」

「ありがと、寺坂くん」


それを受け取って、前髪をずらして貼ろうとするも髪が入って邪魔になるのか、はたまた鏡がなくてわからないのか悪戦苦闘するみょうじを見かねて、俺はベッドの横に膝をついて冷えピタを奪う。

はってやるから、前髪押さえとけといえば、黙って前髪を上げて目をつむるみょうじ。
なんだ、その行動は。なんの期待をしているんだ、いや、期待なのか?


実は俺も風邪をひいてるんじゃないのかというくらい自分の顔が熱くなるのがわかった。
その事実に一旦目をつむり、俺は冷えピタをそっとあいつのデコに貼ってやる。


「じゃーな、早く風邪治せよ」

「う、うん、ありがと」

「鍵どうする?」

「ポストの中に入れてくれればいいから」

「わかった」


みょうじの方を向かないで、俺はあいつの部屋を出る。

フゥーーー...と息をついた。
一体これは、何の罰ゲームなんだよと思ったが、うっすらと赤くなっていたあいつの顔と自分の顔を思い浮かべて、また一人舌打ちをして俺は家を出た。








次の日、案の定クラスの男子全員にからかわれるのは予想どおりだったが、みょうじが元気に登校してきたのを見てそんな煩わしさもどこか遠くへと飛んで行ったしまったことは、誰にも言っていない。



 
ALICE+