「それでは、この問題を...矢田さん、わかりますか?」


いつもの数学の授業の最中だった。
前に立っている殺せんせーが触手をゆらゆら揺らしながら矢田さんを指名した。

ある大学の過去問から持ってきたらしい問題。そんな問題わかるわけないと矢田さんは声をあげた。プリントに載っているのは長文によく分からない数字の羅列。こう言う問題はきっとみょうじさんとカルマくんなら余裕で解いてしまうのだろう。

このクラスのほとんどが数学を苦手だと言っても過言ではないと思う。
僕もそうだし、隣の席の茅野もそうだ。皆数学の時ばかりは自分の名前が当たらないことを祈ってるはず。たぶんそれはみょうじさん以外全員そうだと思う。



「えーもう分かんないよ〜」

「この問題は見た目に引っかかりやすいものですね」


殺せんせーがヌルフフフと笑いながら触手を揺らす。
大学の過去問なんて中学生の僕たちに本当に解けるのか。そもそもそこに疑問を感じた僕が、この問題はまだ僕たちには早いんじゃ?と声を上げると、殺せんせーは顔にバッテンの印をつけてニヤニヤと笑った。


「そもそも、そう考えていることが間違いなのです、渚くん。この問題は大学の入試問題だ、だから難しい。イコールでそう結びつけるものではないのですよ」


殺せんせーのその言葉に皆でブーイングを上げる。
そんなこと言ったって大学の入試問題なのだから難しいに決まっている、やらわからないに決まっている、などなど。全員の文句に僕もウンウンと頷いていると、


「...なら、みょうじさん」



殺せんせーが触手をビシッと立ててみょうじさんの名前を呼ぶ。
皆一斉に教室の一番後ろに座っているみょうじさんを見やると、彼女は黙々とペンを走らせていた。奥田さんの控えめななまえちゃんと言う声が響き、そこでやっと自分が注目を浴びていることに気づいたみょうじさん。
中村さんの「本当なまえは...」という呆れたような声が聞こえた。



「...え、と...?」

「みょうじさんはこの問題が解けますね?」

「え?」


さっきまでのプチ暴動を知らなかったのか、隣の席のカルマくんがみょうじさんに簡潔にさっきあったことを説明した。


「皆数学嫌いなんだってさ」


その一言で十分に理解できたのか、みょうじさんはなるほど、とつぶやいて席から立ち上がった。それを見た殺せんせーがいつものように笑い、教卓から少し横に移動する。


「この問題についてじゃなくて、まずは何で殺せんせーがこれを出題したのか。じゃー岡島」


みょうじさんが教卓に手をついて話し出す。
名前を呼ばれた岡島くんはびくりと体を揺らすと、頬を指で掻きながら、おずおずと「俺たちに解かせたいから」と答える。


「うん。じゃあ何で私たちに解かせたいのか。ひなの」


名前を呼ばれた倉橋さんがうーんと言いながら考える。
何で僕たちにこれを解かせたいのか...。


「あ!!私たちがこれを解けるから...?」

「正解」


僕たちがこの問題を解くことができるから...?

どういうことだろう。クラス全員の頭にハテナマークが浮かんでいるだろう。それを見たみょうじさんは苦笑をして、殺せんせーはニヤニヤと笑いながらみょうじさんのプチ授業なるものを傍観していた。


「殺せんせーがこの問題を私たちに解かせたいのは、いじめたいからとかそんなんじゃなくて、私たちがこの問題を解くことのできるレベルに達しているから。つまりね?」


みょうじさんがチョークを握って。黒板を指さす。


「私たちが今まで学んだもので、この問題は解ける。そういうことですよね、先生?」

「えぇ、その通りです」


みょうじさんの言葉に殺せんせーの顔にはまるの印がついた。
僕たちが今まで学んだものでこれが解ける。そんなことが可能なのだろうか?


「数学は、文章問題の方が簡単な場合が多いよ。長い問題文だからって難しい問題だって安直に決めたら解けるものも解けなくなるから、気をつけて」


そう言って、みょうじさんはチョークを黒板に走らせて数式を書いていく。

数学者の娘、みょうじなまえの授業が始まった。





はっきり言っておこう。
みょうじさんの授業はとてもわかりやすかった。殺せんせーみたいに触手があるわけじゃないから、一つの数式を書くたびにこれはこう言う意図で解いているということを解説してくれるし。何よりも、キラキラした笑顔で数学を教えてくれるみょうじさんを見て、僕もだけれど他の皆も、数学というものに少し歩めるようになれた気がした。


「案外大学の入試問題って簡単なものが多いんだよ。さすがに高校数学の応用になっちゃったら中学生にはまだ太刀打ちできないんだけどね」


そう言いながら、すべての問題を解説してくれたみょうじさんの数学の授業は、チャイムの音で終わりを告げる。
僕のノートにはびっちりと数式や解説、さらにここがポイントだというものが書かれていて。
確かに、よくよく見れば僕たちが今まで数学の授業で学んでいたものばかりだった。


「なまえーすっごいわかりやすかった!!」

「ありがとうなまえー!!」

「みょうじ、マジで数学得意なんだな。これからもちょくちょく教えてくれよ」


授業が終わった後、みょうじさんの周りにはクラスの大半の人たちが集まっていた。
僕もありがとうとみょうじさんに言えば、みょうじさんは笑いながら首を横に振る。
前原くんの、これからも教えてくれという言葉にみょうじさんは目を少し見開くと、うーんと言いながら後頭部を掻いた。


「実際ね?数学の引き出しは皆たくさん持ってるんだよ、もう。ただそれを引き出すタイミングとかどれを使うのかがわかっていないだけでね、案外簡単に数学なんて落ちてくれるんだよ」


その引き出しをたくさん作ってくれたのは、言わずもがな殺せんせーだ、と。


僕たちはハッとして窓の方に立っている殺せんせーを見る。
殺せんせーは涙を流しながら、「先生だって...先生だって...」と言いながら鼻をグズグズと鳴らしていた。僕たちは慌てて殺せんせーの方へ近寄り、殺せんせーの授業だってわかりやすいよ!!と必死にフォローをする。


「...殺せんせーのフォローもする...さすがだね、みょうじさん」


笑いながら皆を見ていたみょうじさんに近寄ってそういえば、みょうじさんはははっと声に出しながら笑い、そして僕を見た。


「いやいや。実際私も、殺せんせーのおかげでたくさん数学が解けるようになったからね。その恩返しだよ」


あれ以上にさらに数学が解けるようになっていたとは...恐るべし、理系コンビだなと僕は背筋を凍らした。多分、数学の力は一生かかってもこの人には勝てないな。改めてそう思った。


 
ALICE+