恋の熱には御用心

「さ、三十八度……」

 喉と頭の痛みは収まる気配が無く、クラクラと眩暈がして正直上半身を起こしているのも辛かった。
 普段の私なら「はあ?風邪?そんな物仕事していれば治る」と云って構わず仕事に行くだろう。然し現実はそうもいかなかった。私の上司が台所から顔を出す。

「熱下がんねえか。もう一日延長だな」
「……否何を仰いますか幹部殿、もう行けます」
「真っ赤な顔で寝ぼけた事云ってねえで寝てろ」

 ぴしゃりと云われてしまい、云い募りそうになった文句を噛み殺す。然し云われっ放しは性に合わない。

「私の風邪は仕事をすれば治るんです!中原幹部だってそうで……うっ」

 言葉は途中で喉の痛みにもぎ取られ、喉の奥から咳が出た。何回か咳き込んでいると、静かに背中に手が中てられた。私の背中をゆっくりとさすりながら、中原が溜め息を吐く。

「ったく病人が何を意気込んでんだ、あと俺を手前と一緒にすんな仕事莫迦」
「中原幹部の方がばっ……ゲホッ」
「判った判った、もう一週間休みだな?」
「云ってないですそんな事!」
「安心しろ、幹部の命令だ」
「ひ、卑怯だ……」

 一週間?そんなに仕事が出来ないというのか。私は職場でしか生きられない人間なのだ。確かにポートマフィア内では下っ端もいい処で、書類仕事と雑用しか無い地味な役回りではあるが、一週間も休んだら死んでしまう。
 それを、目の前の上司は理解している筈なのだが。

「そうだな。この間延々と仕事の奥深さについて語ってたからな」
「あれは幸福の一時でしたね」
「そうだな。手前ン中ではな」
「そう云う貴方だって最後まで聞いて……ん?何してるんですか?」

 見ると、中原は何時の間にか持って来ていた小さい鍋の蓋をあけ、中を覗いていた。

「……そろそろ良い感じに冷めただろ」
「…………え?…………お粥?」
「そうだよ。作ってやったんだから感謝しろ」

 そう云えば先刻「台所かりるぞ」と云う言葉と共に、彼は台所に這入って行った。許可する暇も無かったがまあ変な事はしないだろうと云う信頼の下、何も云わなかったが。

「お粥を?作った?貴方が?お粥を?料理した?貴方が?」
「名前?云いたい事があンならはっきり云って良いんだぞ?」
「ああああああ病人に暴力反対いいいい……」

 凄みの有る笑顔で頭をキリキリと押さえつけられ、思わず情けない声を出す。だって、この人が料理をした処なんて初めて見るのだ。職場でしか逢わないのでそれも当然ではあるが、それにしても料理をするタイプにも見えない。

「不あ……珍しいと思うのはしょうがないじゃないですかああ……」
「不安と云い掛けた事はまあ勘弁してやる、これ食ったらな」
「あーんとかしてくれないんですか中原幹部」
「ぶん殴るぞ」
「はいすみませんでした食べますいただきますわあーおいしそー」

 冗談が通じない人だ……早口で云い切り、お椀とスプーンを受け取る。実際、湯気が立つ粥は普通に食べる分には何の問題も無い味だった。
 まあ、どんなに美味しくても所詮粥だ、何を期待すると云うのか。私も相当熱が有るのだろう―――と、云うよりは。

「暇です……」
「食べきる前から何云いやがる仕事中毒(ワーカーホリック)が」
「何か一発芸でもしてくださいよ中原幹部……」
「手前は俺がンな事する程暇人に見えるか、そうか」

 怒鳴りたいのを抑えている顔色と声音に内心少し怯えつつ、云い返す。

「だって、暇人でしょう?たかが部下の見舞いに来るなんて」
「…………」
「……あれ……と云うか何でお見舞いに来て下さったんでしたっけ……急な仕事でもありましたっけ……」

 中原が虚を突かれた様に黙り込む。何だろう、何か可笑しな事でも云っただろうか。戸惑っていると、諦めた様な溜め息が聞こえた。

「仕方ねえな……名前、一寸貰うぞ」
 そう云って彼が一枚の紙を取り出した。
「え?……一寸其れ、仕事の書類ですけど」
「破りはしねえよ」

 其の侭、その紙が、中原の手からふわりと浮く。異能力―――『汚れつちまつた悲しみに』。確か――重力を操作する―――と思っている内に、彼の手の中で、紙がするすると折られていった。

「!?」
「よっ……と」

 あっと云う間に出来上がったのは―――綺麗な、折り鶴だった。

「はっ!?えっ!?」
「ほら、一発芸って云っただろ」
「凄いっ!!凄いです!!如何やったんですか!?中原幹部は手品師ですか!?」

 思わず中原の方に身を乗り出した。自分の目がすごく輝いている自信がある。感動のあまり彼の手を握ると何故か彼は不意打ちを食らった様に動揺した。

「ばっ……おま、近っ……!」
「重力を操作して空中で折ったんですか!?天才ですか!?」
「おっ、おう、そうだな、空中だな」

 凄くしどろもどろな声が返ってきた。普段(酒の席以外では)滅多に動揺などしない彼が珍しい。でも私は其れ処では無かった。

「もう一回!もう一回!」
「餓鬼か手前は!粥食ってさっさと寝ろ!」
「もう一回やってくれたら大人しく食べて寝ますよ!」
「…………」

 疑わしそうに睨まれるのは凄く不本意である。私は、嘘は吐かない。
と、彼は何か思い付いた様な顔をした。

「……なら、こう云うのは如何だ」
「何です?」
「俺が何で見舞いに来てやったか中ててみろ、名前」
「え」
 
 思ってもみなかった提案に固まった。中原が来た理由?其れは先程私が訊いたばかりで、逆に知りたいぐらいだ。

「中てられたら、もう一回やってやる。ついでに仕事にも……勿論治ってからだが早めに復帰させてやるよ」
「本当ですか!?」
「『ついで』に喰いついたな手前……ただし、中てられるまでは手前は病欠だ」
「はい!?そんな莫迦な話が……」
「幹部命令だが?」

 職権乱用ではあるまいか……然し中てられさえすれば早めに仕事復帰。これは喰いつかない手は無い。一寸、何かありそうだが……。

「じゃあ、ヒントな」
「はい……ん?」
「手だよ。手ぇ寄越せ」

 手を差し出されて戸惑ってるとそう云われる。手を寄越せとは。戸惑いつつも手を差し出すとそっと掴まれる。

 そして、中原が、私の手首に顔を寄せ―――――――。

「…………!?」
「……」
 
 手を離されるも、動く事が出来ない。口をパクパクさせる私は今さぞや滑稽であろう。
 そして中原はと云うと、自分からやった癖に顔は真っ赤だ。あからさまに目を背ける。

「……判ったかよ」
「……否、全然……」
「ああそうかそりゃあ良かった」

 邪魔したな、また明日来る。そう捲し立てて、外套を引っ掴み玄関へと風のように去っていく。

「――――粥、残りも食っとけよ!」

 其の声と共に、バタンと戸が閉められた。…………何の心配なのか。

「…………え?」

 待って欲しい。落ち着こう。私は答えを出さなければならない。
 然し、その答えを出してしまったら―――。一体どの様な顔をして職場に行けと?そもそも明日来ると云う彼にどんな顔をすれば?

「………………え?」

 顔が熱い。熱は今何度だろう。頭が朦朧とするのは一体何の―――否、誰の所為だ。

 体温計に手を伸ばすと、かさりと、先程の折り鶴が落ちた。

 その、折っているのを楽し気に披露する様子とか。粥を冷ましてくれる優しさとか。今までの、彼の様々な表情とかが真っ白な鶴に浮かんできて、私の顔はまた、熱で真っ赤に火照り始めるのだった。

(2016.12.15)
美緒様リクエスト「中原・看病をする(orされる)」
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