知らぬは乙女ばかりなり

「お味噌汁の味は如何?敦」

 武装探偵社・社員寮。その一室の卓袱台では朝の始まりに相応しく、健康的な朝食が並べられていた。此処は武装探偵社社員―――中島敦の部屋である。
 そして先刻問いかけたのは、彼より年の程は少し上の女性、然しその顔に浮かぶ笑顔はまるで母親が愛しい我が子に向けるが如く慈愛に溢れている。
 この部屋の主では無い乍らにして毎朝この部屋で朝食を作りに来るこの女性、名を中島名前―――敦の実の姉である。

「とても美味しいです、姉さん!味噌の量心配してたけど、丁度良いですよ」
「鏡花ちゃんは如何?」
「お味噌汁も豆腐も美味しい。貴女の作るのは何でも美味しい」
「まあ、ありがとう」
「ええ、鏡花ちゃんの云う通りですよ、名前さん」

 名前の声に応える少年少女、其処に割って這入る声。
 朝っぱらから聞く者が胸焼けしそうな甘ったるい声音で鏡花の言葉を肯定したその男は声とは対照的な爽やか過ぎる笑みを名前へ向ける。

「貴女の料理は私にとってはまさに宮廷料理よりも価値のある物です。嗚呼、然しこうして毎日の日課として頂いているのは天にも昇る程の僥倖ですが、願わくばこれが私だけの為に――――」
「済みません太宰さん、一寸醤油取って頂けますか」
「…………はい、敦君。人の言葉は遮る物では無いよ」
「ありがとうございます。あ、何か云ってました?済みません」

 此処までで僅か数秒である。両者の目が一瞬バチリと音が鳴りそうな視線の交わりを見せ、次の瞬間には二人ともニコニコとした笑顔で言葉を交わす。その笑顔を見た名前は嬉しそうだ。弟が同僚と仲が良いのが嬉しいのだろう。

 敦がこの社員寮に這入ったばかりの頃は、この小さな卓袱台で朝食をとるのは中島姉弟の二人きりであった。そして後に鏡花が加わった。此処までは全く問題は無い。
 問題は―――此の男だ。そう思い、敦は半眼で隣に座る男―――太宰を見る。



 そもそもの事の起こりは、あの日、中島敦が入社試験を終え、帰宅しようとした寸前の事である。探偵社に一人の女性が訪ねてきた。

『えーと、探偵社って此方で良いのかしら……あ、済みませんが、探偵社は此処で―――』
『美しい……!!』
『え?』

 急に横から声をかけられ戸惑う女性、然し構わず太宰は跪いてその手を取った。

『なんて美しい女性だ!その儚い光を放つ髪がふわりと舞う様はまるで爽やかな風が其処に吹いている様、そしてその宝石の様な瞳は見る者凡てを貴女自身の愛で包み込むが如く優しさに満ち溢れている……!嗚呼、その華奢なお手を是非とも私に支えさせてもらえないでしょうか、出来れば貴女の一生も――――』
『姉さん……!?』
『私に……って、姉さん?……敦君、真逆』
『ああ、敦!』

 そう云ってパッと顔を輝かせた女性の笑顔は、其れはもう輝かしい物であった。具体的には、隣で跪いていた男の心をガッチリと掴むくらいには。

『姉さん!迎えに来てくれたんですね!』

 そう云い乍ら、駆け寄る敦は、さり気無く、太宰に包まれていた名前の手を取り返した。弟に手を握られた名前は嬉しそうに『就職おめでとう』と祝いを述べる。
 それに、敦は照れくさそうな笑みで応えた。

『…………敦君』
『何ですか太宰さん』
『厭だなそんな他人行儀な。義兄(あに)と呼んでくれて良いのだよ』
『…………だ・ざ・い・さ・ん?』

 ――――――この日から、水面下での攻防が始まったのだ。



「太宰さんは何時になったら此処でご飯を食べる事を止めるんですか?後御飯お代わりお願いします姉さん」
「敦君は何時になったら私を『お義兄さん』と呼んでくれるんだい?名前さん、私にもお願いします」
「私も」
「はあい。皆いっぱい食べて良い事だわ」

 名前が同じ社員寮に住めるようにしたのは太宰の計らいに寄る物である。それ自体は感謝すべき事なのだろうと敦は思う。然し其処に明らかに私欲が這入っているのは弟として見過ごす事は出来ない。

 同じ社員寮に住む事に寄り姉への接触が増えた太宰は毎日毎日名前の部屋に行っては今日も御綺麗ですねだの今日はガーベラを持ってきたのですがだの敦君の事は弟の様に思っておりますだの。
 その度に敦が全力で太宰と共に探偵社に出社する事で姉を守ってきた。ちなみにガーベラは敦が『ああ、探偵社にですね!』と誤魔化して社に飾ってある。ガーベラの花が結婚生活への前向きな印象を与えるのに良い花だと知ったからだ。

 普段口を開けば自殺だの心中だの宣う癖に、名前に対する其れは完全に己との将来を誓わせようとせんばかりである。

 そして最近になり更に厄介になった。太宰は口説くだけでは飽き足らず毎朝こうして朝食の姉弟の集いに邪魔する様になったのである。敦にとっては本当に邪魔である。

 此の侭で良い訳がない。

「……敦君は本当にお姉さん思いだね」
「え?」
「あら、嬉しい事云って下さいますね、太宰さん」

 突然の太宰の言葉に、考え事をしていた敦はポカンとし、名前は嬉しそうな声を上げた。

「いえ、姉弟ならば当然の事でしょう……然し!姉君の幸せを一番に考えるのが弟!違うかね敦君!」
「心配しなくても太宰さんには絶対無理です」
「何故そんな事が判るんだい!?」
「僕には姉さんを守る義務があるんです!!」
「名前さん!」
「はい?」

 名前は突然始まった太宰と敦の云い争いに戸惑っていたが、太宰に急に名を呼ばれ首を傾げた。

「私の行いを、迷惑だと思いますか」

 真剣な顔の太宰から放たれる問い。敦は青ざめた。
 此処で名前が『迷惑だ』と云ってしまえば良い。然し姉がそんな性格ではない事を敦はよく知っている。だが此処で『迷惑では無い』と云ってしまえば―――太宰に大義名分を与えてしまう。

「姉さっ……!」
「迷惑」

 小さな、然しはっきりと響く声が答えた。今まで米を黙々と口に運んでいた鏡花が、三人には目もくれず云う。

「ご飯は美味しい。でも貴方達が騒ぐと落ち着いて食べられない。迷惑」

 予想外の方向からの攻撃に固まった二人に、名前は困った様に微笑みかける。

「ほら、鏡花ちゃんもこう云ってますし……何で争ってるか判りませんがお二人には仲良くしてほしいわ」
 名前の言葉に、漸く其の場が鎮まる。
「済みません、一寸、熱くなり過ぎました」
「否、先刻は此方が悪かったよ」

 そんな太宰と敦を見て、名前は顔をほころばせる。そして鏡花ちゃんに、「ありがとう」と礼を云った。

「貴女のおかげだわ。これからも敦と仲良くしてね」
「それは、勿論」
「鏡花ちゃん……ありがとう」
「名前さん……なんと天使の如く優し気な……」
「太宰さんはまたどさくさに紛れて何云ってるんですか!確かにそれには同意しますけど!!」

 懲りずにまた云い争いを始めた二人を見て、鏡花は溜め息を吐き、二人の攻防の理由を知らない名前は仲が良いわねと一寸羨ましそうに、然し嬉しそうに笑うのであった。

(2016.12.23)
成重様リクエスト「太宰と敦・姉(夢主)大好きな敦君VSありとあらゆる手を尽くしてプロポーズしてくる太宰さん、そんな二人の攻防がいまいちわかっていない夢主」
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