それは自習で見逃して下さい

 この低身長幹部に師事して一体幾年になろうか、とポートマフィア幹部の一人、名字名前は痛む頭を抱えたい気持ちを抑えながら思う。

 幹部級の実力を持ちながら、然し体術はからっきしだった名前を『ポートマフィアの暴力の権化』と呼ばれるまで(最も、自分は最近までその呼び名を知らなかったが)に育て上げてくれたのは間違いなく中原中也、己の師匠だ。彼がいなければ幹部になどなれなかった。心からそう思う。そう思い、尊敬している。

 だから、その尊敬を粉々にする真似はやめて頂きたい。

「うあぁー……くそ、太宰の野郎がぁ……」

 目の前で譫言の様に元相棒への恨みつらみを延々と吐き続ける己が師匠―――中也に、名前は深い溜め息を吐いた。この人は何故酒を飲むとアレの名前を出すのか。此方も気分が悪くなるのでやめてほしい。

「師匠……師匠。もうやめた方が良いですよ」
「うっせえなァ、手前は太宰の肩持つってか!?」
「誰もそんな事云ってないでしょう。大体あんな阿呆男の肩など持ちませんよ」

 会話が碌に出来ていない。いよいよ駄目だなこれは……そう判断した名前はマスターに水を頼んだ。もう一度溜め息を吐きながら中也の隣に座る。彼は突っ伏していた顔を僅かに上げ名前を見た。顔も赤いし目も何時も以上にぎらついている。

「本当か?手前、彼奴に口説かれてただろ」
「否、それ何時の話ですか…………」

 大分昔の話である。女好きの元同僚は性別がそれならば何でもいいのかと思わせんばかりに心中に誘って来ていたが―――其れは果たして口説いているのか疑問だが―――此方が本性を見せてやると大人しくなった。本性とは何か?……其処は察してほしい。
 その代り、今度は面白半分に逢引に誘われる様になったが。それも太宰がマフィアを抜ける前の話だ―――然し中也は眉を吊り上げる。

「『何時の話』だあ?彼奴今も手前を狙って……」
「はあ?そんな訳無いでしょう?酒と云うのは妄想まで引き起こすのですか?」
「妄想じゃねえよッ!!前から云ってるが手前は危機管理が出来てねえッ!!」

 ガアン!!とコップがカウンターに叩きつけられる。其れを見た私はハラハラした。この筋肉莫迦が壊しでもしたら弁償である。危機管理出来てないのはこの人では……と思って居ると、中也が体ごと此方を見た。

 その目が鋭く此方を射抜くものだから、体術を教わって居た時と同じくらいの緊張が体を奔り、思わず居住まいを正す。

「良いか、名前。あの青鯖野郎の事だけじゃねえんだよ」
「はい、師匠。何でしょう」
「一つずつ行くぞ。先ずはその首元の色気」
「はい………………はい?」
「露出が多い」
「……………………はい?」

 良いか?と真剣に続ける中也に、否善くないです如何云う意味ですかと訊き返そうとするが、己が師匠は勝手に話し始めた。

「肌が白い上に服装が黒いモンだから余計に目立つ。太くもねえし細くもねえ。長くは無くて短めだが顔の大きさと比べればまあ普通だな。肩幅も丁度良いから顔を埋めるのに丁度……」
「まっ、まっ、一寸待ちま、待ちましょう何云いだしてるんですか?」
「正直誘ってる様にしか見えねえ」
「聞けチビ幹部!!後そんなに露出してないでしょう!?首とその周り位ですよ出てるの!?」
「それで次は腕だ」
「聞いて!」

――――――腕はまあ出していても仕方は無い。仕方無いが男に掴まれても平気なのは如何云う性分か、二の腕に噛みついてやろうか。
――――――脚に至っては首と同じく露出が多い、それでどれ程欲情する男が出てくると思っているのか?危機管理が足りないとはそう云う事だ。

 何か、あまり頭に這入って来なくて覚えていないがそういう内容だったと思う。なんかとんでもない事云われている気がするが気の所為と思いたい。大体そんなに露出が多い服など着ていない。足の露出はスーツのスカートから除く部分のみである。何を妄言云ってるのか己が師匠は。

「大体その髪型もなあ……」
「師匠!し・しょ・う!!」
「項(うなじ)なんぞ出しやがって……」
「師匠確り!自分が何云ってるか判ってないでしょう!」
「判ってるよ」
「否判ってませんって!ほら……んぐっ」
「……判ってねえのは」

 中也の黒い手袋に包まれた手が名前の口を塞ぐように顔を掴む。と、ぐいっと引っ張られ―――痛い。凄く痛い。

「……手前だろ」

 頬を掴んでいた手が名前の後頭部に回る。勢い余って衝突しそうになった名前はカウンターのテーブルに手をつき其れを防いだ。然し中也の次の行動にその体が完全に固まる。
 あろうことが、名前の首筋に顔を埋めてきたのである。黒い帽子が床に落ちた。

「一寸、師匠!!」
「……白い……温い」
「師匠――――!!莫迦ですか!?放しましょう!?」
「……ほら見ろ」

 立ち上がってしまっている名前は必然的に中也を見下ろす形となる。見上げてきた中也の顔は相変わらず赤くて、目は僅かに潤んでいる。口角が上がった唇から僅かに紅い舌が覗き、片方の端だけをなぞった。
 然しその眼光は普段と変わらず、否、細められた其れは普段より―――何か、何故かこう、甘ったるいような―――。何?何なんだこれは。この状態は一体何だ?

「……危機管理が、出来てねえ」

 口を開けても何も声が出せずに居ると、二の腕を掴まれ、互いの顔が寄った。其の侭耳元に口を寄せられ、低い声が鼓膜を震わせて来る。

「『放せ』って云えば放すと思ってンのか」
「…………っ」
「言葉で云って判らねえんなら―――実践でもするか?ん?」

 腰に腕が回される。その手の仕草は荒いのに、後頭部の手は優しく名前の髪を梳いてきて―――。
 だからかもしれない。混乱寸前だった名前に漸く冷静さが戻って来た。

「――――――師匠、失礼します」

 一言断り、拳を固める。それは中也の鳩尾に綺麗に沈んで行った。



「頭が痛え……」
「自業自得ですね。昨日の記憶在ります?」
「……知らねえ」
「矢張り」

 翌日、幹部執務室には頭を押さえ呻く中也の姿が有った。名前もやれやれと溜め息を吐く。タクシーで帰宅しようとしたは良いものの、店に迷惑をかける訳にはと思い直しふら付く中也を本部へ運び込んだ。中也の自宅より近かったためである。

 其の侭にして自分の執務室に戻りたい気持ちを抑え、介抱していた自分はお人好しと云っても過言ではないのではないか。

「…………なあ」
「何ですか」
「…………俺、何かしたか」

 その言葉に中也を見ると、片手で苦しそうに顔を抑えつつ、執務机に寄り掛かるその姿は『具合が悪い』と全身で訴えている。
 いいえ、と首を横に振った。

「……本当か?」
「ええ。私が来た時はもう酔い潰れてましたよ、師匠」
「…………そうかよ」

 二日酔いによりいつもより低い声が、更に不機嫌そうになった。また具合でも悪くなったのか。然しもう直ぐ回復するだろう、そう判断した名前は中也に背を向ける。

「では、私はこれで。仕事も有りますし」
「…………名前」
「?」

 呼び止められ、振り返る。帽子と片手で隠れ、おまけに俯いている中也の顔は当然善く見えない。低く、呟く様に言葉が紡がれる。

「……手前にとっちゃ、俺はまだ『師匠』だろ」
「?……そうですね」
「……師匠の教えを忘れたってンなら、補習は確定だな?」

 その顔が、僅かに上がった。指の隙間越しに目が合う。その表情が、昨日の彼自身のそれと重なった。

「覚悟しとけよ?名前」
「…………失礼します」

 ククッと笑う中也に返事らしくない返事をして、足早に執務室を後にした。其の侭歩きだす。



 顔が熱い。声は多分みっともなく震えていただろう。早足で歩きながら先刻の彼の目線を思い出し、思わず首を抑えた。彼の息遣いがまだ、耳元で聞こえる錯覚を起こす。
 
 …………取り敢えず、後数日は近付かない様にしよう。普段は数個は開けっ放しの襯衣のボタンをきっちり上まで閉め、赤い顔を廊下の冷たい空気で冷やしながら、そう名前は決意するのだった。

(2016.12.26)
みや様リクエスト「中原・酔っ払った中也に迫られる話」
ALICE+