ほら、もうすぐあなたに追いつく

 くの字に折り曲がった背は痛々しかった。咳き込む声と共に背を揺らす彼は私に気が付いていないのだろう、振り返る事は無い。
 此処まで行くと自分があまりにも影が薄いのか、それとも彼が無防備なだけか。是非とも後者であって欲しい。

 さて、如何やって声を掛けよう?私は数秒間考えた末、最も単純で莫迦な方法を選択した。

「ばあっ!!」
「!!」

 改めて思った。私は莫迦である。気付かれていなかった上に彼は今、彼が敬愛する上司に殴られ蹴られの訓練と称した暴行を受け終えたばかりだ、其処にいきなり声を掛けたら如何なるか―――其処まで考えた時、真っ黒な獣が目の前に躍り出た。

「…………おお」
「…………貴様は」

 獣は目と鼻の先で止まっていた。素晴らしい、太宰は色々云っていたが案外冷静な面もあるではないか。今なお向けられる鋭い殺気は取り敢えず見て見ぬふりをして、先ずは会話を試みた。

「私は名字名前。知ってるよね、太宰幹部の部下で君より先輩」
「…………何の用だ」
「いやあ、一寸ね。…………あの、云っておくけど殺すのは止めておいたら?下手すると太宰幹部の下にも居られなくなるよ」

 此の侭では会話も侭ならないので一応釘を刺し、黒獣を仕舞う様に促す。果たして此方を視線だけで殺しそうな目つきの少年は、獣を黒い外套へと戻した。

「よし。改めて自己紹介しよう。私は名字名前。君の『先生』になりに来たよ、芥川君」


 ―――その時の芥川の顔と云ったら。此奴本当に後輩かと疑った私は悪くないと思う。



「…………」
「と云う訳なんだよ……芥川君、食べてくれると嬉しいんだけどな、私の手作り弁当だよ」
「…………」
「それでね、君は気配を殺すのが下手だって太宰幹部が云うんだよ。だから私が教えてやってくれないかって……あっ、その卵焼きは自信作だよ」

 あれから数分が経ち、先ずは『生徒』と打ち解けるべきだな!と判断した私は、何時も芥川と太宰が特訓している場の隅っこで弁当を広げ、会話に花を咲かせていた。もっとも私の話だけで御花畑になっていたが。

 私は戦闘技術を教える程強くはない。絶対に。

 然しそれを補う様に一つの才能が有った。先刻芥川に気付かれなかった―――否、あれはやめよう。あれは消していた心算はないのだ。
 簡単に云うと、『気配を消す』のが得意なのだ。その所為か、隠密が必要な任務などは私によく回ってきて、何時の間にか幹部―――太宰の下に付くまで地位が上がっていた。

 その才能を是非、この少年にも教えてやってはくれないか―――そう太宰から請け負ったのは良いものの。

「…………」

 先刻から黙った侭の少年に目をやる。初めの脅しにもなっていない脅しが効いているのか手は出してこない上に、云う事は聞いて弁当を少しずつ少しずつ口に運んではいるものの、恐ろしい程不機嫌さが隠せていない。
 返事を求めれば五月蠅そうな物を見る目で見られるし、これは思っていたより難物である。

 さて如何しようか……そう思っていると、不意に芥川が声を発した。

「気配など殺す必要は無い」
「!」
「その前に敵を切り裂けば善いだけの事」

 思っていたより存外静かな口調で、然し断定する様に云う。……成る程。

「君はそう思うんだね」
「…………」
「でも私は君と特訓しないといけないから―――じゃあ、こうしよう」

 へらっと笑い掛けると、不審者を見る様な視線が返って来る。

「私はこれからずっと普段通りに過ごす。だから――――――」

 ―――隙を付いて、私を倒して御覧なさい。



 弁当を広げて一息を吐く。ここ数日間は激しい任務に駆り出されることも無く、そこそこ平和ボケした心持ちで昼食時を迎えていた。
 まあ、詰りは、暗殺するなら今ですよ、という訳だ。

 ―――――ああ、来たな。

 弁当を持ったままひょいっと立ち上がる。すると轟音と共に座って居た椅子が壊れた。

「一寸!?此処までやって良いって云ってないよ!?」
「…………ちっ」
「舌打ちしない!!」

 この訓練もどきが始まって数週間が経つが、まだまだである。
 本人は気配を隠している心算なのだろうが、生憎殺気と息遣いで直ぐに判る。

「はい、と云う訳で一緒にお昼食べましょう」
「断る」
「芥川君」
「…………不要『です』、名字さん」

 忌々し気に云う芥川を宥めすかして隣に座らせる。「太宰幹部も『細いから弱いんだ』って云ってたよ」とか適当を云うと渋々従った。
 最初の頃は考えられなかったこの状況も、習慣になっていた。


『何にもないのもアレだしルールを付けよう。気配を消さずに倒したり、私に気付かれたりしたら―――罰として、ご飯を一緒に食べなさい』


 太宰の部下でもなければ私は殺されてるんだろうな……と、出逢った時と変わらず小食な芥川を眺めながら思う。

 だが、確実とは云えないが成果は出てきているように感じる。初めはそれこそ真正面から殺し……もとい、倒しに来ていたが、それでは無理だと気付いたらしい。何せ私は逃げるのも得意、隠れるのも得意。気配を殺して近付いて、仕留めなければならない。

 そして何より、そうしないとこの訓練は終わらないのだ。太宰の命だと云うのも大きいだろうが、彼は真剣に為り始めた。
 …………まあ、真剣な結果が先刻のあれなのだが。明日の日を拝めないかと思った。

「貴女は何故、今の地位に留まっているのですか」

 物思いに耽っていると、芥川から問いが飛んできた。そんな事は初めてで思わず咳き込んでしまう。汚いです、と云う芥川を一寸睨んでから訊き返す。

「如何云う事?それ」
「…………太宰さんが仰っていた。貴女は準幹部級の働きをしていると」
「またあの人は適当な事云って……」
「太宰さんが嘘を吐く訳がない」
「はいはい。否、別にね。大した理由は無いのよ。後輩たちの育成するのが楽しくてね。これ以上昇級するとそれが難しくなるし」

 それは事実だった。先生、と云うのは一寸した憧れだったのだ。自分の教え子が成長していく姿を見るのが、何と夢のある仕事だろうかと。

 こんな、マフィアと云う真逆の職(職と云うのも微妙だが)に就いた今も、その幻想を追っていた。
 それを語る間、芥川は黙って聞いていた。

「……だからね、君の話が来た時、嬉しかったよ」

 …………らしくもなく自分語りをしてしまった。隣の芥川を見ると、目が合った。ふい、と逸らされる。
 矢張り如何でも良い話と思われたのだろう。まあ、雑談だしこんな話も偶には良いか……と思っていると、箸を下して、彼が口を開いた。

「では、僕は生徒ですか……貴女の」
「えっ…………ま、まあそんな感じ……かな」
「……でしたら、名前『先生』ですね」

 『先生』。何時か初めて逢った時に云ったが、真逆それを芥川が云うとは。
 芥川の表情は穏やかだった。何時もとは違うその顔に内心動揺しながら、「そうだね」と頷く。

 無表情な彼の雰囲気が和らいだ気がしたが、彼は静かに弁当箱を私に返して、小さな声で礼を云って立ち去って行った。
 そう云えば、下の名を呼ばれたのは初めてだな、と思った。
 返された弁当箱は珍しく、綺麗に空になっていた。




「一寸芥川君、何寝転んでるの」
「…………う」

 地面に倒れている芥川に話しかけると、呻き声と共に薄っすらと目を開ける。
 太宰に「強くなったね」と云われたのは見えていた。あの太宰が。四年も経てば人は変わるものだな……と感慨深く思ったものだ。否、変わってないのかもしれない。彼は芥川に期待していたのだから。

 手を差し伸べると、芥川は首を横に振り、自分で立ち上がった。
「……あの人が、称賛して下さった」
 おお、此処まで顔が綻ぶのは初めてだ。私も思わず微笑む。

「良かったじゃない!太宰幹……太宰さんに認められたって事だね」
「貴女は」
「え?」
「貴女からは……如何見えますか」

 真っ直ぐに私を見詰めてくる目線に思わずきょとんとした後、微笑んだ。

「成長したよ、君は。私なんか足元にも及ばないね」
「…………」

 彼は静かに首を横に振る。それに戸惑って如何云う事か訊くと、芥川は少し顔を逸らして云った。

「貴女には、まだ敵いませぬ故」
「え?如何云う事?」
「……いいえ」
「ええー何よー教えてよう」

 あの時より少し位置が高くなった頭をくしゃくしゃと撫で回す。
 されるが侭になっている芥川がぼそりと、「……斯様な処です」と云った。

「僕はまだ、貴女に追いついてはいないので」
「いや、もう充分強くなったよ。私の特訓要らなかったんじゃないかってくらい」
「……不要では無かった。あの時間も、貴女も」

 不意に、芥川が手を上げた。頭を撫でていたので必然的に近くなっていた距離が更に近くなる。
 すい、と私の髪が一房、彼に掬われ―――静かに唇が寄せられる。

「!?」

 唖然とする私を他所に、髪に口付けた芥川は平然とした顔で「戻りましょう」と云った。

「何を呆けているのですか。先日『やられっ放しはよくない』と云っていたでしょう」
「い、いやっ、いやさ、云ったけど!?」
「…………何時か」

 呟く声が風に乗って聞こえてきて、今は其れ処ではない私の耳にもはっきりと届いた。

「貴女に追いついて―――搦め捕ってみせます」

 私は呆然とその言葉を聞く。そして一人でさっさと歩いて行ってしまう彼の背中を、慌てて追いかけ始めた。


 厄介な教え子との縁は―――如何やらまだまだ切れないらしい。

(2017.01.18)
撫子様リクエスト「芥川・恋愛的な意味で追いかけられる」
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