能力者集団《組合》には変わり者の日本人がいる。他の人物が変わり者ではないと云う訳ではないが、少なくとも『日本人』というだけでこの組織では目立つ。
「んんんんん…………矢張り滑稽な主人公にした方が良いのかしら……?否、それとも真面目で真摯で誰よりも努力する主人公……嗚呼、でもだからこそ誰よりも滑稽になってしまう男……うん、良いかもしれないわ…………ただ……私に書けるかしら……」
ぶつぶつと呟きながら空中要塞『白鯨(モビー・ディック)』の通路をスタスタと歩く―――その容姿は日本人の其れだ。
名を名字名前。組合の一員である。
「名前君……あの」
「駄目だわ……一人の人間の人生が描き出す無様でありながら美しい模様を描きたいのに主人公像が浮かばないなんて元も子も無い。いっそ群像劇にしてしまうという手もあるけれどイメージと外れてしまう……如何しよう」
「あのー……名前君……オルコット君が……」
「何!?」
「ヒッ!?」
話しかけられ、思わず母国の無法者の様な返事と目つきをしてしまった女性―――名前は、其処に立っていた男―――エドガー・アラン・ポオに気付き、目を丸くした。
「えっ?あっ、えっと、おはようございます」
「お、お、おはよ、う……ひょ、ひょっとして、吾輩は君の考え事の邪魔をしてしまったのであるか……」
「いいえいいえ!!申し訳ありませんっ!!何でしょう!?」
組合の設計者長(マスター・アーキテクト)である彼は彼女よりも地位も年も上である。やってしまった、と名前は内心焦る。然しポオは気にしてはいないかのように続けた。
「あ、ああ……オルコット君が君を探していたのである」
「はいっ!畏まりましたっ!!直ぐに向かいますっ!!」
「……処で、先刻……『主人公』と聞こえたが」
軍人でもないのに敬礼をした彼女に対して、ポオは首を傾げた。
「新作を執筆しているのかね?」
「……!はい……そう、なのですが……」
云い淀む彼女は小説家ではない。寧ろ目の前の人物の方がよっぽど『小説家』というのに相応しい人物なのだ。新作についてや文章の構成など、彼にも度々相談に乗って貰っている。推理小説が本分な彼に対して、彼女は普通の人々の日常を描いた小説を、趣味程度に書いている。そのためジャンルの違いによる齟齬はあるが、矢張り先輩の意見はとても貴重だ。
彼女は幼い頃、両親と共に外国に移住したのだが、両親の勤める会社がフィッツジェラルドによって買収された。その後、名前が異能力者であることを父親から訊き出した彼に寄り、晴れて彼女も組合の一員となったのである。
小説家が夢だった彼女にとってそれは喜ばしい事なのか否なのか―――然し逆らう選択肢など無かった。趣味程度でも執筆できているこの現状で満足するほかはなかったのだ。
名前は『また相談に乗る』と云ってくれたポオと別れ、オルコットの下へ向かった。
「…………?あれ?此処の筈なのに……」
「……あ、あの」
「はい?」
「ひうっ!?」
…………あれ、これがデジャヴと云う奴か、と名前は見覚えのある光景に嘆息した。
横浜に行くに先立って、市内の様子を詳しく知っておきたい、と数米(メートル)離れた位置から辛うじて聞き取れる声で組合の作戦参謀―――オルコットは云った。
「その為に、名前さんには先に横浜市に這入って貰いたいんです」
「成る程。判りました」
一寸聞き取り辛かったが大体判った。了承すると、彼女は心配そうに気遣ってくれたので、笑って心配要らない旨を伝える。
彼女も人見知りではあるがとてもいい子だ。何時か彼女にも感想を訊いてみたい、と名前は思った。
日本に戻るのは数年振りだった。横浜の生まれではないが、『日本』という国の雰囲気は外国に居ては味わえない物には違いない。
思えば、小説を書き始めたのは外国に行ってからだった。日本語で、日本の風景を描き、其処に住む人々を書いていた。
小説の中だけでも、故郷の情景に浸って居たかったんだと思う。下手な外国語でお嬢様を気取った今の自分より、昔の、日本に居た時の自分の方が、余程自分らしかったと思うから。
其処まで考えて、名前は首を横に振った。今は任務に集中しなくては。
「さて……先ずは今日の宿を――――――?」
呟いていると、視界に、何やら奇妙なモノが映った。
「ふんふんふーん」
下手糞な鼻歌を歌いながら、川の橋の手摺を飛び越えようとする青年。
果たして彼は、名前の目の前でするりと手摺から手を離し、其の侭川へと落ちていった。ばっしゃあん!と当然の様に水音が鳴る。
「…………?」
はて。自分は今一体何を見たのであろうか。白昼夢?
首を傾げていると、たった今変な物を見たその下に、何か落ちているのが見えた。近付いてみると、外套だ。砂色の、長い外套。
これはひょっとしなくても『彼』の物じゃなかろうか。
悩んでいると、「人だ――!!人が流れてるぞ!」「そっちに行ったぞ!引き上げろ!」と騒ぐ声が聞こえ、矢張り先刻のは幻ではなかったのだと、慌てて名前は下へ降りるべく道を探し始めるのだった。
「おや美しいお嬢さんっ!君が外套を拾ってくれたのかい?ありがとう。お礼に私と心中を……!」
何だこの人は。そうか変人か。
川から助け出された青年は、黒髪から水をポタポタと垂らし乍ら名前の手を握り、先刻の言葉を云いながら目を輝かせた。そして、名前は手が冷えていく事はお構いなしに今の状況を整理しようと努力していた。
―――心中。この人は死のうとしていた?でも心中とはこんな行き当たりばったり出逢った人間とやる物では無い。断じて。然しこの男は心中しないかと云って来た。人生の終焉を自分の知らない人間と敢えて迎えようとするとかこの人―――
「面白い……」
「へ?」
「貴方面白いわっ!!一寸お願いがあるんだけど、モデルに為ってくれないかしら!?」
「んん?あの、それは如何いう意味かなお嬢さん?」
「ああ本当に僥倖っ!!こんな変な人に逢えるなんて!」
「ねえ変な人って如何いう意味だい!?」
「ハァ?自覚無しですか変人さん」
「君お嬢様に見えるけど柄悪いね!?」
周りの人が変質者を見る目で二人を見ていた。然し、名前は全く我関せずに青年に機関銃の如く話しかける。
それが、二人の出逢いだったのだ。
「此処はもう少し主人公の心情を書いたら如何だろう?」
「いえ、寧ろ語らない事で悟らせた方が」
小説のモデルに為ってくれと頼み込んでから数日、偵察の任務の傍ら執筆したものを彼に見せる、と云うのが名前の日課となっていた。
「然し此処は確り登場人物に喋らせた方が良いと思うなあ。その方が雰囲気が出る」
青年は小説に詳しくは無い様子だったが、その飄々とした口ぶりで話す助言は的確で、名前は心の中で絶賛していた。変人とか云ってごめんなさい。今も変人と思ってる事も含めてごめんなさい。
「……声に出てるよ」
「えっあっその、否別に」
慌てていると、隣から噴き出す気配がする。真逆、はったりか。睨み付けると、笑いを堪えながら青年が云う。
「ご、ごめ……だって君判り易いんだもの」
「う……」
然し今に限らず此の男は如何も、人の心を読んでるんじゃあないかと思う時が有った。小説を見せると、文章に悩んでいる処を中ててきたり、今の様に人の表情から思ってる事を中ててきたりする。
「『判り易い』と『面倒臭い』はよく云われます。……貴方もこんな女に付き合わせてごめんなさいね」
「?……面倒だと思った事無いけど?」
「は?だって行き成り小説の主人公のモデルになってと云って、こうして小説まで読んで貰って……私が云うのも何ですが迷惑では……?」
そういえばお互い名乗ってすらいない。こうして、毎日、決まった時間、決まった場所で待ち合わせしているだけ。
「だって。君の言葉、綺麗だもの」
そんな、名も知らない人の言葉に、動揺するなんて。この人に知られたら笑わられるだろうか。
「……綺麗?」
「うん。だから面倒だなんて思った事は無い」
ふわりと笑うその顔は、名前が先刻渡した原稿に向けられていた。
「繊細で優雅なのに、生々しく荒々しく人の内面を描き出してる。でも決して不快感は与えない。抉られる様な気持ちになるのに、読んだ後はこの物語が何かを与えてくれたような気がする。君の描く模様は綺麗だ」
云われる方が恥ずかしくなりそうな台詞をペラペラと云って、青年は名前を見た。その表情を見て、彼は今度こそ声をあげて笑い出す。
「う、五月蠅いのですけれどっ!」
「何て顔してるのさ。君って本当変な子だよねえ。小説の中じゃああれやこれや書いてる癖に」
「変な事は書いてません!私は自分の思った侭書いてるだけなのですっ!」
「……本当に?」
ふと、彼が笑いを引っ込める。少し暗いその表情に、名前も黙った。
「ねえ、これは私をモデルに書いたんだよね」
「……ええ」
「…………私はこんなに綺麗な人間じゃあないよ」
その手の中の原稿の束を、壊れ物でも扱う様に静かに撫でながら、彼が云う。
「私はこんな綺麗な言葉の羅列で表せる人間じゃあないんだ。君の描く世界はとても美しくて、其処に逃げ込んでしまいたく為る程輝いているけど、私はそんな世界には居られない程汚い人間なんだよ」
「………………例えば」
名前も、絞り出す様に声を出した。
「こうして仲良くなる振りをして、敵に近付いたり、発信器を付けたり、かしら?」
「………………」
「…………でも、だったら、何で」
彼の目が、寂しそうな物に変わる。自嘲気味に笑うその顔は、彼らしくはないと名前は思った。
「…………私が視察を終えた今でも、こうして逢って下さるんですか。もう……貴方達に有用な情報なんて……」
云い淀む。青年にとって、構う理由などもう無い筈だと名前は云う。
それだけではない。名前が青年の正体に気付いてからは情報すら渡ってはいない筈だ。気付かれたことが向こうにも伝わっただろう。それなのに今日まで、この青年は名前と逢い続けた。
「…………先刻、私はこんなに綺麗な人間じゃないと云ったけれど。この小説を読んでいると、君が、私の事をよく見てくれたのが伝わってくる」
「…………」
「ちゃんと一人の人間に向き合って、その人生を、本の中で紡ぎ出そうとしているのが伝わってくる。そしてそれを通して、君のその真っ直ぐな心根も
―――――それが愛しいと、思ったんだ」
少しだけ、心臓が跳ねるのを感じた。名前は慌てて気を引き締める。
然し、名前の鼓動の理由を肯定するように、彼は無理に微笑んだ。
「……君が滑稽な人間を書きたいなら、今の私を書くと良い。随分と無様な男が此処に居るから」
青年も名前も、同じ表情をしていた。寂しそうな。苦しそうな。
もし敵同士としか思えなかったら、こんなに苦しくは無い。
「……私ね、小さい頃、おとぎ話のヒロインに憧れていたのよ」
王子様との幸せな恋。身分など関係なく、結ばれて幸せになる御姫様。
「……貴方を主人公にしてお話を書いたら……その中だけでも、私はヒロインになれるかしら」
「…………そうだね。でも……」
原稿を撫でていた彼の手が止まって、名前の手に静かに重なった。温かい。でも、この手を握り返す資格は、名前には無い。
「小説の中の君よりも、きっと君自身の方が綺麗だろうね」
「……あら、私は口説かれているのでしょうか」
「もう少し口が悪くなければねえ」
「それとも喧嘩を売られているのでしょうか?」
『せめて今は』。そう思いながら、主役でもヒロインでもない二人は、並んで空を見上げた。
「云いたい事が有るのに云えないのは、辛いね」
「もっと違う出逢い方をすれば良かったのかしらね」
もう間もなく、白い鯨が来る。
そして、壮絶な戦いが終わり。
「結局、組合の遺産ッて何だったンでしょうね?」
喫茶店に、谷崎の問いが響く。
組合戦が終わった今、探偵社の面々は疲れ切り、燃え尽き、馴染みの喫茶店でダラダラと過ごしていた。
彼の問いに応える太宰の声も、その時は真剣になるものの、まただらしない雰囲気へと戻る。
「そう云えば、組合の残党って結局……」
敦が顎に手を中てて疑問を発すると、カランカラン、と店の戸が鳴る。
果たして其処に居たのは、赤毛を編んだ少女。
「皆にも紹介しないとね。新人の―――」
然しその続きが言葉に為る前に、敦の顔に岡持ちが中る。
「ぶっ!?…………何で逃げるんだよ!?」
「何となくよ!!」
「賑やかだねえ……ん?」
太宰が鬼ごっこを開始した二人の後ろ姿を眺めていると、ふと、モンゴメリの後ろに居たらしき女性が目に這入る。
「一寸―――!?モンゴメリィィィ!!何処行くの!?」
「……え?」
間抜けな声が上がる。その声に聞き覚えがあったのだろう、女性がぴしりと固まり、ゆっくりと太宰の方を向く。
「……は?貴方、は」
「君……あっ一寸!?」
その男が太宰だと認識した瞬間、女性―――名前は脱兎の如く外に出て、逃げ始めた。
谷崎が「え?何?」と声を上げる中、隣に座っていた太宰が物凄い勢いで立ち上がる。
「あっ、えっ!?太宰さん何処へ!?」
何か声が聞こえるが構っては居られない。
「待って!!何で君まで逃げるの!!」
「な、何となくですっ!!」
「貴女達まで此方に来ないで下さる!?」
「モンゴメリそんな事云わないで助けてええ!!」
「太宰さん何してるんですか!?」
「待って!!話を聞いて!!ねえ、私は君に―――!!」
其の声に、名前が振り返る。その目は太宰を確りと見た。
「私は、君に、云いたい事が―――」
主役でもヒロインでもない二人は、こうしてまた出逢った。
此処からの二人の物語の内容は、誰にも見えない。未来は判らない。
然し、一つだけ確かなのは。
主役ではなくても、ヒロインではなくても。
物語を紡いで行くのは、確かに彼等だと云う事だ。
(2017.03.30)
もちこ様リクエスト「太宰・組合に所属している女の子を好きになってしまう話」