三角形にもならない僕らの関係

 赤みがかった髪は緩く肩に掛かる。兄と同じその色が名前の自慢だった。その色は兄と血の繋がっている証拠の様な気がして嬉しくなるのだ。それを云った時、「こんな色の髪の奴なンざ其処等中に居るだろう」なんて兄は笑って、でも嬉しそうに頭を撫でてくれた。

「中原さん!」

 後ろから声が掛かって、振り向く。駆けてきたのは先程まで一緒に任務に当たっていた後輩だ。

 名字で呼ぶと紛らわしい上に、兄より自分の方が立場は下なのだから、名前で呼ばれるのが妥当なのではと名前は思うのだが、何故か構成員で名前の名を呼ぶ者は居ない。

 昔は皆が、兄の方を『中也さん』と呼んでいた。今は『中原幹部』も混じっている。

「先程の任務、本当に申し訳ありませんでした!自分なんかを庇って頂いて……」
「いいえ。仲間を助けるのは当然の事。今度からは油断しない様に」
「はいっ!」

 元気よく返事をした後輩に、それでは、と声を掛け、踵を返す。ありがとうございました!と後ろから聞こえた声に、名前の顔に少し微笑みが浮かんだ。其の侭目的地まで早足で向かう。

 名前も少しずつではあるが、後輩たちに頼りないとは思われない様に努力はしている心算だった。中也に敵わないのは火を見るよりも明らかだが、せめて兄の脚を引っ張る様な真似は死んでもしたくはない。

 それに、名前には密かな目標が有った。些細すぎる目標。小さな小さな目標。芥川あたりに云ったら、小莫迦にされるだろうか、自分に似ていると共感してくれるだろうか。

 そんな事をつらつらと考えながら歩くと、目的の部屋まで直ぐに辿り着いた。こっそり深呼吸をする。扉を静かに、然し確りと叩く。

「中原幹部、名前です」

 きっかり一秒の後、「開いてる。這入れ」と聞こえた声に「失礼します」と返し、入室する。

 執務机の前に、幼い頃から見慣れた姿が見える。丁度、名前たちと同刻に任務から戻ったのであろう彼は、血が着いたらしい手袋を取り替え乍ら、「如何だ」と訊いた。

「捕虜は二名。地下牢に捉えています」
「奴らが取引していた証拠の書類の方は」
「回収しました。此方です」
「善し……首領へ報告を頼む。俺は地下牢に行く」
「判りました」

 事務的なやり取りが続く。当然の事だ。此処では二人は兄妹ではなく幹部とその部下である。名前すら呼んでもらっていない。

 何の情も無い訳ではないと思う。それでもこの世界では油断した者から出し抜かれて消えていく。
 妹だからこそ、兄は自分を甘やかしはしなかったし、況してや贔屓など以ての外だった。

 名前の目標は、だからこそ生み出されたものだったのだ。

「お疲れさん。頑張ったな」

 すれ違い様、頭を下げる名前に振ってくる声。其の侭視界の端に黒い外套が通り過ぎていき、バタン、と戸が閉まる音がしてから、漸く名前は顔を上げた。

 褒めてもらった事は何度も有る。何度も何度も。
 体術を教わっている時とか、初めて参加した任務が成功した時とか。

 でも、認めてもらった事は無い。

 名前は一人前の部下だと―――――背中を預けられる程成長した部下だと、兄は認めてくれない。


『頑張ったな』


 ―――――そんな言葉で舞い上がっているから、自分は何時までも駄目なのだ。

 それでも、胸が震える程嬉しく感じてしまう事を、煩わしくは思わない。
 自分が追い続けるのは、中原中也その人なのだから。

 幼い頃から、きっと生まれた時から、兄を見ていた。

 兄の背中に追い付く事。名を呼ばれて、お前は強くなったと云ってもらえたら。
 中原名前の、叶わない、されど追わない理由の無い、唯一つの夢である。




 それは数年前の事だ。

 構成員が訓練の場として利用している地下の一室、其処に居る兄妹も例に違わず模擬の戦闘を行っていた。然し片方の動きは、既にポートマフィア一とまで云われている体術使いの其れ。対する小柄な影の動きは相手の攻撃を精一杯で躱している。

「もっと脇を固めろ!」
「……っ!」
「反応が遅え!!」
「っ、はいっ!」

 伸びてきた拳を避ける。低い唸り声を上げて飛んできた蹴りを避けて相手の脇を狙う。然し当然の如く躱され、不味いと思った瞬間、床に叩きのめされた。

「反撃への移行は悪くなかったが隙が大きい。無駄な間を作るな」
「う……ぐ」

 名前は口を開くが、真面な返事が出来ないばかりか息が上手く出来ない。中也がその様子を見て短く息を吐いた。

「まだ動けるだろ。ほら立て」
「……っ、……済みません」

 なんとか息を整え体を起こし、差し出された手を握った。

「良いのだよ名前ちゃん。君の為なら手の一つや二つ」

 顔を上げた。差し出されている手は黒い手袋に包まれた手ではなかった。名前の手は包帯に巻かれた手に握られていた。
 ニコニコと得体の知れない笑顔が名前の目に這入る。

 何時入って来たのか、太宰治が名前の手を確りと握っていた。

「手前ッ……このッ……青鯖野郎ォ……何処から現れやがったあああ!!!」

 凄まじい突風と共に中也の脚が名前の頭の大分上を通り過ぎる。名前が見切るのがやっとだった攻撃を、目の前の男は僅かに頭を逸らすだけで避けた。名前の手は握った侭で。

「厭だなあ、妹を蹴ろうとするなんて本当非道い兄だよね。名前ちゃん、うちの子になりなよ」
「如何いう意味だゴラァァッ!!」

 本当に如何いう意味なのだろう。
 呆然とする名前の前で、二人の青年の争いが始まった。

 中也の相棒である太宰は、ポートマフィアでも次期幹部候補に挙げられる実力者だった。とは云えそれは類稀なるその頭脳によるものであって、体術において優れているという話は聞いた事が無い……のだが、目の前の二人は互角に見える。
 それは相棒故に互いの間合いやら呼吸やらを把握しているからだろう。

 太宰治と云う男を、名前は素直に尊敬している。

 中也の事を佳く理解しているのは伝わって来るし、名前の事も良く気にかけてくれている。偶に先刻の様な妄言を聞かされることはあるものの、屹度立場の違いを気にしない様にとの彼なりの配慮なのだろうと名前は思っていた。

 然し、そんな彼に思うのは敬意の念だけでは無かった。その理由は、

「はあ……それにしてもこの帽子置き場、体鈍りすぎじゃない?身長縮んだ所為?」
「あァ!?」

 これである。

「あーあ、こんな蛞蝓と相棒とか、そのダサい帽子如何にかしてから云って欲しいよね」
「手前、その自殺癖とか云う糞みてぇな趣味止めてから云いやがれ!!」

 はあ、と名前は溜め息を吐いた。仲が良いのは結構だが、何処と無く悲しくなってくるのを抑えきれない。

「名前ちゃんもこんな単純野郎が兄なんて可哀想〜」
「黙れこの舐め腐った放蕩者があああ!!」

 暫く経たないと訓練は再開しないだろう、と今までの経験から名前は推測する。これ以上見ていられなくて、名前は一旦、少しだけ外に出ようと、静かにその場を立ち去った。
 否、立ち去ろうとした。

「……私は」

 然し、直前で振り返り、二人の処にスタスタと戻る。
 その名前の動きに、中也と太宰が止まった。

 太宰の方は見ずに、中也の袖を引っ張って、名前は口を開いた。

「私、貴方と血が繋がっている事を、誇りに思っていますから」

 それは中也に云っている様に見えたが、その実―――太宰に向けた反論だった。
 直接云う勇気は無かったし、その顔を見る余裕すら無い。

 それだけを云って、返事を待たずくるりと振り返り、今度こそ名前は立ち去って行った。

「フラれた」
「ざまあみろ」




 それから数年経った、現在。

 壊滅状態になった組織の本部が有った建築物の屋上―――其処で任務完遂の報告を終えたばかりの中也は、久々に見た元相棒の顔に盛大に舌打ちをした。

 本当に、この間のQの一件と云い、何故四年も前に組織を去ってくれた此奴と度々顔を合わせなければならないのか。

「…………何で此処に居ンだ青鯖」
「そんな事云わないでよお義兄様」
「だ・れ・が・手前の義兄だボケが!!」

 今回の任務は敵対していたこの組織の殲滅。其処に武装探偵社の影は一切無かった筈……となると、中也の前にふらふらと現れた此の男―――太宰の目的として考えられるのは嫌がらせか、もう一つ。

「失せろ」
「そんな……名前ちゃんに御挨拶だけでも」
 矢張り。中也は内心、否表の顔まで盛大に顰めた。

「あのなあ、手前は彼奴に嫌われてンだよこの糞鯖。判ったら帰れ」
「別に私を嫌ってる訳じゃないのにこんな莫迦兄に感情を決められる名前ちゃん可哀想」
「云ってろよ。彼奴の事なら良く知ってる」
 嗤う中也に、今度は太宰が眉を顰めた。
「随分自信満々だねえ……」

 ―――――本当、そう云う処が気に食わない。

「云っておくけど過保護も良い加減にし給えよ。あの子もそろそろ大人の女性だし恋の一つや二つするべきだよ、例えば―――――私と、とか」

 冗談交じりで流れる様に云うが、その口調に何時もの軽さは無い。
 目は真っ直ぐに中也を捕らえ、宣戦布告を云い放つ。

「手前こそ冗談も程々にしろよ」

 対する中也は何時もの短気は何処へやら、余裕の表情を見せる。唇が歪んだ笑みを浮かべた。

「彼奴が追いかけてんのは俺だ。他の誰でもねえ」

 うわあ気持ち悪うい、なんて声が聞こえるが知った事では無い。


 彼女が生まれた時から、ずっと見ていた。

 名前が、物心ついた時から自分に尊敬以上の念を抱いている事は、中也は十分承知している。
 追い縋って来る可愛い可愛い妹に、気付かない兄が居ようか。


「誰にもやらねえよ。勿論手前にもな」


 甘やかさない。特別扱いはしない。
 成長を褒めてはやるが、本当に追いついてくるまで認めはしない。

 中也に認められるまで、名前は中也を追い続けるだろう。
 中也にとって、それの何と甘美な事か。

「本当、名前ちゃん、厄介な兄を持って……」
「五月蠅ェな、承知の上だよ。大体彼奴を名前で呼んでんじゃねえぞ」
「え、あの、中也君?中也さん?真逆とは思うけど部下たちに『彼奴を名前で呼ぶな』って命令、まだ……」
「継続中だが」

 太宰は態とらしく後退った。他には赦さない癖に、この男は自分も妹の名を中々呼ばないのである。それが名前に如何いう意識を持たせるかを知っていて。そうまでして妹の心を縛りたいか。

「うわあ……ナイス……」
「引くのか絶賛すんのか何方かにしろ。当然だろ、変な虫が付いたら如何する」
「中也が撃退する」
「まァな」

 最早中也は涼しい顔である。

 一方太宰は大きすぎる障害に頭を抱えそうになる。正直恋敵が出来るより厄介なのだ、この兄妹の絆は。

 血の繋がりよりも深いこの絆が有る限り、他人が手を出せるものではない。

「………ふ、」

 ―――――上等だ。

「良いじゃないか。結構結構。苦労する甲斐があるものだ」


 最初に抱いたのは、本当にあの中也の妹かという驚き。
 何時の間にか抱いていたのは、健気な少女への恋心。


「絶対に君の下から攫ってみせよう」
「ハッ、ぬかせ。何処に居ようが俺のモンだ」


「……あの、そろそろ撤退、を……」

 現れた気配とその声に、二人が屋上の入り口に目を遣ると、果たして其処に件の少女が立っていた。ふわりと色鮮やかな髪が揺れる。
 二人の遣り取りを聞いていない名前は警戒心を顕わにした。

「中原幹部、何故その人が……」
「偶然会っただけだ、気にするな。本部に帰るぞ」
「やあ名前ちゃんっ!!元気?中也に虐められてない?」
「ひっ!?」
「あっ手前、何時の間に!?」

 ドサクサに紛れて名前の手を握る太宰。
 この男、元は幹部とは云え今はマフィアと袂を分かった敵である。然も昔から、中也を揶揄っている処を散々見せつけられているのだ。

 そんな男に行き成り手を握られた名前は思わず情けない声を出してしまった。


「に、兄さん、助けて……」


 その心からの言葉に、約一名、ショックを受けた男が居て。
 約一名、心の中で妹の名を絶叫した男が居た事は。

 それぞれ本人以外には与り知らぬ、歪な三角形をした恋愛劇の一幕であった。

(2017.03.30)
みかん様リクエスト「双黒・中也妹をシスコン中也と太宰が取り合い」
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