幸せと云うのは一人ひとり違う形を持っているのだ。それが他人に許容されようがされまいが、関係なく。
突然だが私には思い人が居る。私が事務員として勤めている探偵社、その調査員の一人。茶色い外套を翻し、体中に巻いた包帯の余った端っこを揺らし、黒い蓬髪が目に這入るのを手で直しながら、今日も太宰治が歩いて来る。
「名前ちゃん、おはよう」
「おはようございます太宰さん……何です、それ?」
挨拶、今日も返してもらえた。これで通算二十日連続、新記録だ。明日当たり、彼の日課である行為―――云ってしまえば遅刻―――で止まってしまう事だろう。そんなことよりも、と取り敢えず疑問に思った事を訊いた。
太宰の手にはそこそこ大きい紙袋が有った。「これかい?」と太宰が上げて見せる。
「手紙と一緒なのだけれど、見る?」
「え、でもそれ……」
太宰さんのでしょう、良いですよと断る前に、太宰はさっさと二つ折りの紙を取り出して見せてきた。予想よりも数倍真っ黒に埋め尽くされた文字に「うわっ」と声が出る。潰れて殆ど読めないが、おそらく『太宰様』が半分を占めている。
「ご婦人がお弁当を作って下さったらしいのだけれど」
「真逆解読したんですか、これ」
「半分はね。私が好きな物で詰めてくれたらしいんだ。なんて健気な方だろう!問題は私、この方に逢った覚え無いのだよねえ」
「この間喫茶店で逢った方では?確か『料理が上手』って自慢していた女性」
二人で店を訪れた際、丁度、客らしき女性が誤って躓いて、鞄の中身をぶち撒けてしまっていた処だった。私が『手伝いましょうか』という前に、太宰は颯爽と女性の前に現れて素早く片づけを手伝うヒーローとなっていた。早かった。この前私が転んだ時よりも早かった。あらあら、ヒーローは助けた女性の手なんか握らないと思うんですけど。此処まで私の心の中である。
『御手をどうぞ。大丈夫でしたか?』
『え、ええ……あの、何かお礼を……そうだ、私、料理が上手くて―――』
自分で料理上手って云うのも如何なんでしょうね。
「ああ、そう云えばあの後暫くお茶したなあ」
「先に帰っててって云うからそうだと思いましたよ……」
「真逆憶えていて下さったとは」
そりゃあ憶えているだろう。私だって憶えると思う。……思うんだけどなあ。
「はい、あげる」
「ああ、はい……はい!?」
「私、昼は外で食べる約束してるから。かといって捨てるのも勿体無いし」
「でもそれ捨てるのと同じじゃ……あっ一寸!」
「よろしく〜」とひらひら手を振りながら、太宰は紙袋を私に押し付けて、スタスタ歩き去ってしまった。あんなに早く歩けるなら、任務の時もう少し早く移動してもらえないものか。
『名前ちゃんと長く一緒に居たいもの』
不意に思い出してしまった声に一気に体温が上がった、ような感覚がした。振り払うように紙袋の中身を取り出す。
中身は普通のお弁当だった。卵焼きが美味しかった。
よく云われるのが、『告白しないのか?』である。はっきり云おう。したくない。考えてもみて欲しい。過去の女性から爆弾が贈られてくる男である。何処を見ていても死ぬことについて考える男である。其処に川が有ったから這入る男である。判り易い危険人物だ。近付いたら碌な目に合わない予感しかしない。
否、そう云う事では無い。そう云う事では無いのは判っている。好きになってしまったのだ。私だって惚れた男とは一緒に居たいし話したい。私の事を知ってもらいたい。知りたいと思って欲しい。
でも、彼を見ていると浮かぶ、どうしようもない程の寂しさのようなものが、一歩踏み出すのを恐れさせている。
『わたしは一番治さんの事を判っているわ!』
キンキンと響く声を未だに憶えている。私が探偵社に入ったばかりの頃の出来事だ。依頼が解決して二人で社に戻ろうとしていた時である。
その時は太宰の事はよく知らなかったため、私は彼の隣で、行き成り突っかかって来た女性を前に目を白黒させていた。
『一寸、太宰さん』
『うーん、これは困った』
顎に手を中てて考えている場合ではない気がしたので、焦った私は太宰の袖を引いた。するとその仕草が仲が良い男女に見えた様で、女性の雰囲気が更に険悪になる。
『……一寸、待ってて』
そう云うと太宰は女性に近付いて行った。普通に口を開いて話そうとして、然し此方をちらりと見ると、一旦止めて女性の耳に顔を近付ける。抱き合っている様だ……と気まずくなったのは云うまでもない。
やがて女性は顔を真っ赤にした。先程までの怒りは何処へやら、目は少し潤み別の熱が浮かんでいる。其の侭続ける太宰の言葉に二、三度頷いた後、私を睨み付けてからそそくさと立ち去って行った。……私への感情は変わらないんだなあと思った。よく考えると当たり前である。
『お見事ですね。どうやったんです?』
『何、簡単さ。望む言葉をかけてあげてその気にさせれば』
『……それ、一番やってはいけない解決法では』
『大丈夫大丈夫』
へらっと笑っているが、これは駄目だろうなと思った。それが確信に変わったのは付き合いが長くなってからの話である。
『それにしても、意外ですね』
『何が?』
『太宰さん、ひとりでも生きていけそうだから。女性にちょっかいかけるとは思わなくて』
『待ってくれ、私が何時女性にちょっかいをかけたと云うのかね』
『え?違うんですか?』
『違わないけど……うーん、何故かな』
太宰が首を傾げる。てっきり私の指摘に対する答えが見つからないのかと思ったが、如何やら違ったらしい。
『何故、私がひとりでも生きていけそうだと?』
『え?』
『皆、女性は口を揃えて云うのだよ。私は屹度ひとりでは生きていけないって』
偶然にも正反対のことを云ってしまったらしい。困ったな、と私は思った。この人の事よく知らないんだから黙っておけばよかった。
『……否……何だか、こう……太宰さんって、誰かと居た方が寂しそうに見えるなって』
『…………続けて』
『あっ、でも、別に可笑しい事じゃない気がしますね。あんまり好きじゃない人と一緒に居ても楽しくないだろうし』
『……そう』
特に其れ以上云う事も無かったので、『まあ、適当です』と誤魔化した。すると太宰はくすくすと笑う。
あれ、この人綺麗な顔なんだな。何故か初めてそう思った。
『一つだけ訂正があるかな』
『訂正?』
『そう。私はね、凡ての女性が好きだから』
『最低だ』
そして二人で笑った。明らかに先程より品が無い笑いなのに、矢張り綺麗だなと思った。
そうして私の中で太宰が、『気になる男性』という位置に配置された。其処からじわじわと自分の中で順位が上がってくるのに時間はかからなかったのだ。自分でも単純だとは思うけれど。
却説、そうなってくると問題になって来る事が有る。
勿論太宰の女癖の悪さである。
これでも努力したのだ。太宰のサボった仕事が引き受けられそうならば率先して引き受けたし、これ以降も増えた太宰への悪戯嫌がらせ脅迫等々の処理も手伝ったし、行方不明になった時は探しに行った。なるべく自分が隣に居られる様に頑張った。今思い返せば碌なことしてないが。
そうして彼方からもだんだんと頼られる事が多くなってきたし、社員からも何かあった時は『すまん、また太宰が……』と来るようになった。良くも悪くも進歩だ。
見た事のある天井が目に這入った。
「…………ん?」
「あ、おはよう。二度目のおはようだね。もう夕方だけど」
傍らからのんびりとした声が聞こえる。ぼうっとしていた私ははっとして起き上がった。『起き上がった』と云うからには私は寝ていたのだ。然し寝た記憶など全くない。
「太宰さん、私」
「倒れたのだよ。憶えてないかい?」
「嘘っ!?」
全く覚えていない。最後に憶えているのは『卵焼き美味しいな』と云う事である。
「え、真逆」
あの弁当に何か入っていたのか!!
何と云う事だ。太宰に惚れる女には本当に碌な人が居ない。否それだと自分も。いやでもこれは流石に―――。
よく見ると此処は医務室で、私は寝具の一つに横に為っていた。如何やら私と太宰しかいないらしい。
「あのね」
「非道い!」
「否、あの訊いて、態とじゃ」
「太宰さんに何かあったら如何する心算なの!」
「え?私?」
一人で勝手に怒り出した私に太宰は戸惑った様で、珍しく慌てていた。素っ頓狂な声に私も返す。
「だってこれ、あの女性のでしょう。太宰さんが食べる予定だったんでしょう。本当に……」
「あ、否、一寸誤解が在って」
「え」
私が怪訝そうな顔を向けると、太宰は少し俯きながら恥ずかしそうに話し始めた。女子みたいだ。
「あの女性は確かに手料理をくれたよ。そしてそれは国木田君の胃袋の中だ」
「ちょっと」
「まあまあ。その後弁当箱を返そうと思ったのだけれど、如何せん居場所が判らない」
「それ逢いたくないからでは……」
「まあ聞いてってば。それでね、いい機会だから、以前云ってた私の手料理を君に振る舞おうと思って」
「……………………は?」
途中から話の流れが変わった。困った事に全く判らない。如何云う事だ、『以前云ってた』?
「…………真逆憶えてないの」
「…………そういえば」
『料理上手らしいですね、あの人』
『私の料理も中々だけど』
『えっ意外です』
『ふふふ、何なら今度作ってあげても―――』
―――――そんな、会話が。有った気がする。でもあの時私は太宰さんの事はまだ割と如何でも良くて、記憶の隅に追い遣ってしまっていた。
だが問題は何故こんな、と思った時、会話していたかのように太宰が云う。
「これくらい回りくどいことしないと、君受け取ってくれ無さそうじゃない?」
「何でですか?」
「だって、君」
其処で太宰が口籠る。今日は珍しい表情ばかり見る。
「『別に大丈夫です』って……」
「…………あー、えっと」
「一寸ショックで……嫌われたかなあって」
驚きや悲しみよりも先に、意外だと感じる。
それと同時に少し納得してしまった。
この人は別に、人の心を読めるわけではないのだ。そんな事は当たり前なのだけれど、なまじ人の心を操るのに長けている所為でそう見えてしまう。
「そんな事はないです」
「そう?良かった」
「非道い目に遭いましたけどね!」
「それは、まあ、それ」
安心した様に太宰が笑う。でも屹度、私に嫌われているかどうかはそんなに重要ではないのだろうな、と寂しく思う。
多分、彼にとっては好かれているとか、嫌われているとか、そんな事は重要ではないのだろうなと思う。蝶のようなものだ。ひらひら色んな花に止まるけど、永遠に留まりはしない。例えどんなに綺麗だと思った花でも、僅かなきっかけであっさりと離れて行ってしまうのだろうと思う。
「…………私は」
「?」
「太宰さんのやる事為す事に、厭なことが無い訳ではないですけど」
「う……」
「でも、太宰さんの好きな処も沢山有って、それだけで幸せになれるんですよ」
屹度この感情が知られてしまったら、この人は離れて行ってしまうのかな、と少しだけ恐れてもいる。
でも其れ以上に。
「……私はね。名前ちゃん」
「何です?」
「君が向けてくれるその気持ちが、この世で一番温かい物に思えるよ」
手を握って微笑んでくれる。
――――其れ以上に、こんな風にこの人が幸せを分けてくれるから。
何時か幸せの形が変わる時まで、離れることも出来ないのだろうな、と思うのである。
「処で何入れたんですか?あのお弁当」
「…………聞きたい?」
「済みません。いいです」
「そんな目しないでよ!張り切りすぎたの!御免!」
(2017.09.06)
れい様リクエスト「太宰・浮気性の太宰さんを追う主人公で最後はベタ甘のハッピーエンド」