君の「救い」を否定するよ

「信仰が人を救う」なんて、誰が云ったのだろう。

 教会の中は人が居らず、ただ煤けたステンドグラスが淡い光を差し込ませていた。ボロボロになった椅子に座り、ぼんやりと巨大な十字架を見上げる。
 もう持ち主の居ない教会でそうしていると、まるで自分が世を捨てた女の様で、何処かの自殺主義者と一緒にされそうだが、私は普通の人間だ。ただ少し、休憩しているだけ。

「……信仰が人を救うなんて、信じられないな」

 誰も居ないのを良い事に、立ち上がり、十字架の前まで歩き乍ら、大きな独り言を云った。何の他意も無い。ただ、私がそれを信じられないだけだ。同意なんて要らない。

「では何故此処に来たのです?」

 誰も居ないと思っていたから、後ろから問い掛けられ、心臓が飛び跳ねるかと云うくらい驚いた。振り返ると、一人の青年が立っていた。
 目が合った時、ぞわり、と鳥肌が立つのを感じた。この色の無い瞳は、何を見ているのか。

「……な、ぜ?」
「ええ。貴女はクリスチャンではない様だ。それなのに此処に居て、何かを祈っている」
「……別に、大した事じゃあない」

 先程感じた寒気は収まって、今度は何か、虚しい様な感情が胸を支配した。

「人って、何で救われると思うかい?」
「貴女は如何思うのですか」
「私はね、神による救いなんてこれっぽっちも信じちゃあいないのさ」

 くるりと一回転して見せる。スカートが、ふわりと舞った。

「人は、人以外の何かで救われる事など出来ない。何時だって救われるのはその人の勝手さ。そしてそれは神の力なんかじゃないんだ」
「成る程。然し、其れでは先程の言葉と矛盾しますよ?貴女は『信仰は人を救わない』と云った。信仰とは人の思考によるものだ」
「だってその『信仰』は、『神が救ってくれる』って云うのも混ざってるんだろう?私は其れが如何も肌に合わない。……私が合わないってだけさ。何も批判している訳じゃあないんだ。気に障ったかな」
「……いいえ」

 苦笑しつつ、彼は首を横に振った。

 彼の云う通り、私はクリスチャンではないから、その解釈は間違っているかもしれない。外から見た者の、ただの主観だ。故に何か不快感を与えてしまったのかもしれない。謝った方が良いだろうか―――然し彼はニッコリと笑い、此方を見つめた。

「『人は、人以外で救われる事など出来ない』―――そう仰いましたね」
「……うん、まあ」
「然し、人以外の―――それ以上の、もっと大きな力で、この世界に救いをもたらす事が出来るとしたら?」

 その言葉には、何かを確信している者の響きが有った。私は青年を見る。彼の目は底が見えなくて、どうしようもなく暗い光を湛えていて、然しその目は、今、確かに私を見ていた。

「罪深き人間たちに―――浄化と云う救いを」

 莫迦な私には、きっと、その言葉の半分も理解出来てはいなかった。然し、考えなくても自分の中に答えがするりと浮かび上がってきた。私は其れを口にする。迷いなく、彼を真っ直ぐ見つめ返して。

「否、そんなの要らないな」
「…………」
「人ってさあ、確かに莫迦だよね。罪深いって云われるのもしょうがない」

 振り返り、十字架を見上げる。捨てられた教会の、信仰の象徴。神様の居ない場所。

「でもさ、私は如何しようも無く、その生き方が好きなんだ。人以外じゃあ慰められない罪と悲しさを抱えて生きていくのが」
「……それが、どんなに愚かな物でも、ですか」
「うん。だって好きなんだもの、しょうがないよね。恋みたいなものさ」

 「人」に、恋なんて。私は人外か何かか。自分で云って笑いそうになるが、そうなのだからしょうがない。
 代わりに、後ろからクスクス笑う声が聞こえた。私の代わりに私の告白を笑ってくれた青年は、私が振り返ると、もう其処には居なかった。

「好き、ですか……成る程。ぼくも、そう思えたら、選ぶ道はまた違ったのかもしれませんね」

 残された呟きは、静かに教会の床に落ちて行った。私は青年が立っていた処を見つめながら、ただ一つ、『君は如何思うんだ』と訊けば良かったな、と思った。



 ――――発砲音が響く――――。

「国木田先輩!こっちだ!」
「待て名前!一人では―――!」

 国木田の言葉を聞かずに走る。

 向かった先では太宰が倒れている。そして、その傍に立つのは。彼が云う、言葉は。

 ――――罪の無い、世界。

「……それが、君の望む世界か」
「そうですよ―――それこそが、ぼくが創るべき世界だ」
「嗚呼―――――否定して正解だった」

 私が笑い、君も笑う。二人で嗤い合う。君とは絶対に相容れない。

「君の世界を否定しよう――――ドストエフスキー。私が、君を救ってやる」
「出来ますか?貴女に。愉しみにしていましょう――――名前」

 人は人以外には救えない。それを君に判らせてやろう。

 今、この瞬間が、私と彼の本当の出会い。―――「世界」を賭けた、物語の始まり。

(2016.12.10)
つぐみ様リクエスト「ドストエフスキー・探偵社ヒロインとドストエフスキーのお話」
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