それはまだ純粋な約束

「ドストエフスキー様!これは何と云う花なのですか!?」
「名前。これはまだ、花ではありませんよ。シロツメクサですね」

 天気の良い昼下がり。仕える主に駆け寄る少女の頬は、上気した様に赤く染まっている。

「そうなのですか!これはどの様な花を咲かせるのですか?」
「春から秋にかけて、白くて丸い花を咲かせます……ああ、有った。之です」

 ドストエフスキーの手には植物の図鑑。その一頁(ページ)に載っている白い花に、名前は目を輝かせた。

「綺麗!可愛いです!!ドストエフスキー様の帽子に似ています!」
「え?ああ、そうですね……フフ、君は、全く」

 クスクスと笑う主に、名前はきょとんとしたが、やがて彼女も共に笑った。

「?……でも可笑しいです。この絵は葉っぱが三枚なのに、これは四枚あります」
「通常は三つの葉から為る植物ですが、稀にこの様に、四枚の葉をつける時が有ります。それを見つけるのは難しく、幸運の印として珍重されているのです」
「幸運の……印……」

 名前は感動した様に、ほう、と息を吐いた。

「でしたら、ますますドストエフスキー様に似ているではありませんか」
「……?」
「だって、貴方は私の幸運の印ですもの」



 嘗て名前が居たのは、合法ではない賭け事が行われていたカジノであった。其処で名前は賭博の商品として、名も知らぬ下種の所有物に為る運命だった。

『この方が、今日からお前の主人だ』

 もう顔も思い出せない外道の声が聞こえた。鎖に繋がれた名前はノロノロと顔を上げる。そして――――その青年を見た。感情の薄い目が、自分を見て、優し気に細められるのを。

『嗚呼、美しいですね―――名前』

 ――――美しい、などと云われたのは、初めてだった。



「あれから、貴方には数え切れない程沢山の物を頂きましたもの。綺麗なお洋服、暖かいお部屋、美味しいお食事」
「ぼくは何もしていません。貴女が良く仕えているから、其れに見合う報酬を与えているだけです」
「それでも、私にはそれが天国にも等しい物なのです」

 名前がそう云って微笑むと、不意に、ドストエフスキーの手が名前に伸びた。顔の横に下がっていた髪を掬い、その耳にかける。

「……?」
「ほら、可愛らしいでしょう」

 窓の方を向かされる。其処にぼんやりと写る名前、その耳に、先程の四葉が飾られていた。

「わあっ、髪飾りみたいですっ」
「……名前」

 名を呼ばれると同時に、白い両手が、名前の両頬を包んだ。主のその行動に、名前は目を白黒させる。

「ぼくは貴女を一目見た時、如何しても自分の物に、と思いました」
「……ドストエフスキー様」
「自分の手元に置いて―――少しでも、幸福を与えてあげたいと」

 静かに微笑む主に、名前も少しだけ驚いたが、直ぐに笑い返す。

「この四葉の花言葉は『幸福』、シロツメクサの花言葉は、『約束』―――貴女には、花言葉以上の物を与えると約束しましょう」
「身に余る……約束です」
「良いのです。その代り、貴女も約束してください」

 頬に中てられていたいた両手が背に回り、名前は強く抱きしめられた。耳元でドストエフスキーが囁く。

「貴女も――――ぼくの事を、思って下さい。ずっと、ぼくの事だけを」
「そんなの……」

 その言葉に、名前は感極まり、泣きそうになりながらも、微笑んで抱き締め返した。

「当たり前ではないですか」
「……約束、ですよ」
「……はい」


 シロツメクサ。四葉のクローバー。それぞれに花言葉はあるが、クローバー全般の物は四つある。


 「幸福」。「幸運」。「私を思って」。

 そして――――――。

「貴女が約束を破った、その時には――――」

 ――――――「復讐」。

「……きっと、ぼくは、貴女を――――」


 「約束」を守れば「幸福」を。
 「約束」を破ったら――――「復讐」を。
 それが、シロツメクサの花言葉。


「……?如何したのですか?ドストエフスキー様」
「いいえ。何でもありません」

 戸惑う愛しい少女に、主は微笑む。内に秘めた情を悟られぬ様に。

「貴女はまだ何も知らなくて良い」

 知らなくて良い。今はまだ。

「――――――貴女がぼくの物である限り」

 何も知らない少女が微笑む。その笑顔が主以外に向けられた時、この秘めた情は何かへと変わる。それまでは、この思いは、ただの純粋な愛情に過ぎないから。

 少女の髪に、シロツメクサが映える。それはまだ枯れる気配など無く、静かに四葉を広げていた。

(2016.12.10)
ウィクトリア様リクエスト「ドストエフスキー・ヤンデレ系の話」
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