カツカツと廊下に小気味の良い足音が響く。黒い帽子に手をかけ、黒い外套を翻し乍ら歩くその顔は険しい。
『中也君、緊急事態だよ――――直ぐに執務室へ』
先程有った連絡での首領の切羽詰まった様な声を思い出し、中也は舌打ちした。一体何が有ったというのか。聞けば紅葉も呼ばれているらしい。黒蜥蜴の立原道造が見張りとして立っている部屋の前に着き、一呼吸置いて叩敲(ノック)をする。
「首領、中原です。這入ります」
戸を開けると、其処には数名が輪の様に並んでいた。中也は視線のみで顔触れを確認する。自分と同じく五大幹部の一角・尾崎紅葉。その隣に居るのは年端もいかない少女だ。広津柳浪は顎に手を中て―――何故か困惑した瞳で此方を見た。此方からは真正面に見える執務机、その向こうに居るポートマフィア首領、森鴎外が口を開く。
「やあ、来たね中也君。早速だが相談したい事が有ってね」
「はい、何でしょうか」
何かに違和感を感じつつ、返事をする。すると紅葉の隣から、幼い声が聞こえた。うめき声の様な、声に為らない声である。
「ほら、何を隠れておるのじゃ。お主の師匠に見せると良い」
「…………ううう」
「うむ……首領、これは一体……」
紅葉が隣の少女に云い、広津が森に問いかけた。……一体何だ。中也も口を再び開こうとし―――。
「――――否、流さないで頂けますか。助けて下さい」
「…………ん?」
「何が『ん?』ですか低身長幹部!!」
甲高い声が響く。年齢の割に大人びた口調。声の主の少女は紅葉の背から顔だけを出し、その目は此方を鋭く睨んでいて、まるであの生意気かつ口の悪い女幹部の様な――――。
「――――――はァ!?手前名前か!?」
「やっと気付きましたか脳筋莫迦あ!」
「誰が脳筋莫迦だ!!手前こそ何だその巫山戯た姿は!」
気付いてしまうともう、その少女は間違いなく自分の弟子であった。然し改めて認識したその少女――――名前の姿は、何処から如何見ても完璧な幼女である。
「中也君……見てくれ給え名前君の姿を。火急の要件と云った理由が判るだろう」
「え、ええ……確かに幹部の一人である此奴がこの姿に為ってしまったのは―――」
「――――何故着物を着せてしまったんだい紅葉君……」
「由々しき事た……い……?」
「見なさいこの可愛らしいスカァトを!!名前君にふさわしいのはドレスに決まっているだろう!そうは思わないかい紅葉君!?」
「何を云うか!!見よ、この紅色の着物に身を包んだ名前の、何と愛らしい事か……!お主にはこのほんのりと色づいた頬と着物の至高の合せを何と――――」
突然始まった森と紅葉の云い争いに、中也の言葉は虚空へと消えて行った。思わず名前を見る。
名字名前―――ポートマフィア幹部の一人、そして中也の弟子でもある彼女は、中也と同じく齢は二十二である。然し今目の前に居る幼女は如何見ても十にも満たない子供。美しい紅の着物に身を包んだ小さな体は細かくプルプルと震えていて、目にはじんわりと涙が浮かんでいる。普段とは真逆のその表情を眺めていると、名前が此方を睨み上げた。
「…………何をジロジロ見て居るのですか」
「否……然し何だってンな事に為ってんだ」
「……数日前、任務に出た時です。敵の異能は『相手の時間を巻き戻す』能力でした」
「へえ……それで?」
名前がビクッと肩を震わせた。中也がズカズカと歩み寄り、名前の目の前に屈み込む。その顔はニヤニヤと笑って居て、然しその目は笑って居らず、名前は猫の様に背を丸め乍らググッと喉を鳴らした。中也が手を伸ばし、その頭をポンポンと叩く。
「下手打ったって訳か?ん?」
「……五月蠅いですね。幸いにも精神年齢は変わらなかったのだから―――」
「俺はちゃんと教えたよなァ?手前は最後に油断する癖が有るから気ぃ付けろってな」
「五月蠅いって云ってるでしょう!!」
叫びと共に、着物が翻り、強力な蹴りが中也を襲った。幼女化しているとは思えない程の威力に中也も怯む。
「ぐはっ……!?この莫迦、師匠に向かって何しやがる!」
「はっ、自分で教えた体術にやられるとはざまあないですね!!」
「……その辺で止め給え、二人とも」
森と紅葉の一向に収まる気配の無い抗争を止めようとしていた広津は、其れを諦めたらしく呆れた様に此方の二人に話しかけた。
「直に彼女らも帰ってくる。避難した方が良いかと思うが」
「はあ……?そりゃ如何いう……」
「只今帰りました!!!」
訊いた声はかき消された。入り口から雪崩れ込んできたのは、蜂蜜色の髪の女性と黒髪に銀のマスクの女性、それに赤いワンピースの少女。手ぶらなのは少女のみ、他の二人は手に大量の紙袋を持っている。構成員の樋口、銀、そして首領の最愛の幼子であるエリスだ。
「エリスちゃあああああん!!何で私を置いてお購い物に行ってしまったんだい!?」
「名前に合うお洋服を購って来たわ!」
森の叫びを完璧に無視して、エリスが胸をはる。名前の顔がみるみる内に真っ青になった。おそらく此処に至るまでに散々着せ替え人形に為っていたのだろう。見れば床には大量の洋服やら高そうな着物やらが散乱している。確かこの姿に為ったのは数日前と―――。其処に思い至った中也は遠い目になった。此奴、何と哀れな。
「名前先輩!!ご覧くださいこのワンピースを!名前先輩の髪の色がこの色に映えて素晴らしいコントラストが―――」
「樋口!服を持って近寄るのはやめなさ……銀っ!?えっちょっ」
「……絶対、似合います」
「銀ナイスです!其の侭押さえててください!」
「いやあああああああああ………………」
名前の悲鳴が響いたその時――――執務室内に光が奔った。
「其れ以上名前に近付くでない―――――『金色夜叉』!」
「姐さん何してるんですか!!と云うか落ち着け手前等!!」
「エリスちゃん!紅葉君を抑えて!」
「お洋服が汚れるから厭」
「エリスちゃんんん……」
確認しよう。此処はポートマフィア首領執務室だ。断じて子供の様な騒ぎが行われて良い場所ではない。
「くっそ、おい名前、此処は――――……!?」
中也が名前に云い掛けた時――――名前の体が浮いた。名前を攫う様に抱えあげた広津が「立原!」と叫ぶ。
「おう!云われた通り兄人(あにき)を呼んだぜ!」
立原の声と共に、執務室の扉が大きな音をたてて開く。其処に立っているのは、黒い姿。
「あ、芥川……?」
「芥川先輩!?」
「来たな。頼んだぞ!」
広津の声に其方を見ると、名前を抱えた彼が芥川の方へ名前を―――――おい、弾き飛ばしたぞ彼奴。
「『落椿』を上司に使うなんてええええあああああああぁぁ…………」
「「「名前(先輩)!!」」」
扉に駆け寄ろうとする女性構成員たちの前に、広津が立ち塞がった。そして此方に目配せ。――――成程。
「行くぞ!芥川、名前!」
名前を肩に担ぎあげた芥川が黙った侭頷いた。其の侭三人―――正確には二人―――で走り出す。
後ろからは盛大な戦闘音が聞こえてきて、忍び寄る頭痛には取り敢えず気付かない振りをした。
「何とも弱々しい姿に為られたな、名字さん」
「黙りなさい芥川。殴られたいのですか」
「気をつけろよ芥川、そいつの攻撃力は変わってねえぞ」
「幼子でも狂犬とは……流石、『ポートマフィアの暴力の権化』と云われるだけはある」
「待って!?初耳なのですが!?」
だいぶ遠くまで逃げてきた。と云っても建物内だ。此の侭では孰れ捕まるだろう。
「敵の異能力でこうなったんだったな?」
「ええ……」
「だったら――――彼の人の異能力を頼る他は無いのでは?」
芥川が云うのは彼の元上司であり中也の元相棒、名前の憎き元同僚―――「人間失格」の持ち主である太宰治の事だろう。
「あの失格人間に頼るのは癪ですが―――仕方ないでしょうね」
「ええ、それに……」
芥川が目を向ける先で地響きが鳴った。轟音と共に甲冑姿の着物の女性が此方に迫ってくるのが見えた。羅生門がそれに応戦する。
「時間は無い―――此処は僕が。貴方がたは太宰さんの元へ」
「ああ……死ぬなよ芥川!」
「何ですかこの死地の様なやり取りは!?此処本部ですよね!?」
「嗚呼―――それと、名字さん」
「?」
芥川が少しだけ、口の端を上げた。其の侭前を向き、羅生門を展開しながら、夜叉に向かっていく。
「常日頃より傾城とは思っていたが。その姿も中々に愛らしい物だ」
「…………あの子が太宰以外を褒めている処を初めて見ましたよ」
「云ってやるな其処は」
「良し、此処まで来たら脱出するだけですよ、ほら」
「あ?」
「貴方の異能力ならひとっ跳びでしょう!チビ幹部!窓から飛ぶのです!!」
「チビ云うんじゃねえ!……此奴は、本当に……」
ぎりっと名前を睨んでいた中也が、不意に、その顔を真顔に変える。そして先程の様に目線を合わせる様に名前の目の前にしゃがんだ。
「……な、何です」
「なあ名前。俺ぁこういう時、何て云えって教えた?ん?」
本当に幼子に語り掛ける様な声で云われる。あ、これは拙い、と名前は悟った。目の前の同僚兼体術の師匠は、真剣な表情だがその目は完全に面白がっている。くそう、太宰が居たら自分が標的の癖に……と思いつつ、両手を団子の様に握りしめ、名前は呻くように言葉を紡いだ。
「どうかおねがいいたします、ちゅうやさま」
「よぉし、よく出来たな」
「頭を撫でるなダサ帽子」
「あァ!?」
「すみませんでした頭を潰さないで下さい痛いです痛い痛い」
中也の手から逃れ、名前は一息ついた。其の侭中也を見上げる。はあと溜め息を吐いた中也は、名前をひょいと持ち上げ、己の肩に乗せた。そのあまり高くも無い高さに、名前は少し可笑しくなる。
「さあ行きますよ!師匠!」
「おうよ。確り捕まってろ!」
「落とさないで下さいねちびっこ!」
「先刻から思ってたが今は手前の方がチビだろうが!」
騒ぎつつ、ポートマフィア幹部二人組に浮かぶのは楽し気な笑み。彼等は広々とした廊下を走り抜け、其の侭本部の窓から身を躍らせるのだった。
(2016.12.10)
めい様リクエスト「お相手はお任せ・敵の異能で幼女になった幹部夢主がポートマフィアの皆様に愛でられる」