ミニ小説




▽2019/02/11(Mon)
へっぽこ淫魔が狙うは極上の餌3


頭の悪い淫魔ちゃん。

名前変換




 こんなはずじゃなかった。こうならないように頑張って準備したのに、全てが泡になって消えた。
 侵入する際には使えたはずの魔法が、焦って呪文を間違えたのだろうか肝心の逃げる場面で役に立たず、窓の開閉の仕組みを知らないのも合わさって、もたついてしまったのが運の尽き。驚くべき勘を発揮した男は、人間からは姿の見えない状態にある名前の手首を的確に掴むと、ほんの少し満足した面持ちで彼女をリビングの真ん中まで引きずりおろす。
 名前は必死に抵抗したが男の力には逆らえず、燃費の悪い彼女の透明魔法は誰かの精気を蓄えない限り使えそうにない。隙をみて走り逃げようとすれば肩を掴まれ、羽を飛ばせようとすれば足首を引きずられる。何度か痛い思いをした彼女はすっかり怯み、今は柔らかい椅子......正式にはソファの肘置きと男の間に挟まれながらちょこんと体を小さく丸めている。

「違うヨ〜、私悪いことなんてしないヨ〜」
「不法侵入は犯罪に当たる。悪いが、警察を呼ばせてもらうよ」

 ケイサツ、とは何か。発光する小さな箱に向けて指を叩き始めた男をよそに、名前は人間界用語辞典を引っ張りだそうとして、ちっとも現れない状況にコテン、と首をかしげる。魔法の力で何もない空間から魔界の持参品を引き抜くつもりが、上手くいかない。言うなればファスナーのスライダーが引っかかって壊れてしまったような感覚に近い。ただし魔法に壊れるといった概念はないので原因は不明のまま解決策も見つからず、名前は人差し指をピョコピョコとくねらせて頭をひねってばかりいた。

「...何をしているんだい?」
「魔界から持ってきたバッグが開かないの。どうしてだろ〜?」
「......。」

 反応に困っている男などつゆ知らず、名前は飽きもせず同じ動作を繰り返す。結局彼が見るに見かねて彼女の手首を掴むまで、諦めずに頑張っていたのだが。力強い手が視界から引き剥がさんと腕をおろさせる。無理に中断させられた名前は当然のように抗議する。
 しかし、彼女の反抗を軽く覆して男はあやすように顔を覗きこんできた。

「何か、辛いことでもあったのかい?君の行為は許されないことだけれど、警察の人が来るまでの間、話を聞くだけなら力になれるかもしれない」
「よくわかんないけど、なーんか馬鹿にしてない?」

 隣をジットリ睨みつけ、いらないあわれみをはね返す。どうやらこの男は目の前で空を飛んだり透明になってみせた名前を手品の得意な人間の女か何かと勘違いしているようだ。天然を通り越して頭が弱いのではないか、こんな見た目なのにもったいない。名前は腹いせに屈辱を与えたく小馬鹿にするような態度で男につめよった。

「あなた、ホントは怖いんでしょ。淫魔は人間の生気を食べちゃうから、魂も吸いとられちゃうんじゃないかって怯える人が多いの」
「ふむ」
「私はそんな下品なことしないけどね。なにせ、そんじょそこらの連中とは生まれ持った資質が違うんだから。もしも私が本気を出したら、人間なんて干からびて死んじゃうんだから」
「そうか。君はとても強い悪魔...さん?なんだね」
「まーね!でもそんなに怖がらなくても大丈夫。そこまで飢えてないし、魂までは食べないでいてあげる」
「助かるよ」

 言いながら、男はポンポンと名前の頭を撫でていく。それはまるで小さな子供の夢物語に付き合ってあげている大人の態度そのもの。本心では恐怖どころか人外の生物であることすら認められていない。いっそ投げやりにも映る彼の対応に、名前の我慢が切れるのは早かった。

「ねぇ!私!悪魔なんだけど!」
「聞いたさ。僕の生気とやらが欲しいのだろう?申し訳ないが、お断りさせてもらうよ」
「わかってるならなんで?どうして!?嫌なの?」
「そうだね。僕と君の間に男女の関係はない。ましてや断りもなく部屋に侵入してきた女性と関わりを持つつもりはない」
「えー?なにそれ、アホらし」

 彼が名前を相手にしない理由がわかった。どうやら感情を隠しているだけで怒りがおさまらないらしい。窓越しに垣間見た顔には疲労の色が濃く残っていた記憶からして、かなりお疲れのようだ。
 流石に琴線に触れたか人間にしては美しい双眸が睨んでこそいないものの笑顔を消して無表情をかたどり名前を見上げた。ソファに膝を立て、両手を腰に当てながらふんぞり返る彼女が彼からすればさぞや手間に映るだろう。けれどそんな事情はどうでもいい。

「それって人間の常識でしょ。それかあなたの価値観?知らないけど淫魔である私にはなんにも関係ないわ」
「...言っている意味がよく分からないな」
「分かってないのはあなた。淫魔は人間の生気をもらうんじゃない、奪うのよ」

 私は捕食する側、あなたはされる側。どうして淫魔である私が人間の意思を尊重しないといけないの?

 そこまで言い切って、初めて男の表情が明確な変化を起こす。怪訝に名前の話に耳を傾けていると思いきや、信じられないような驚きと嫌悪の入り混じった形相へと。けれどもやっぱり名前は何一つ気にすることなく、美味しそうな輝きを放つ彼の瞳にのめりこむ。

「認めなさいな。私は淫魔。空も飛ぶし姿も消せる。誰を呼ぶつもりか知らないけど人間てみんながあなたみたいに優れたわけじゃないんでしょ?すぐに逃げてまた戻ってきてやる」
「僕の生気を奪うまで?」
「そうよ」

 にまにま、高揚に頬を染めて。圧されている男に気分が良くなった名前はからかうつもりで脅し文句をかける。ようやく淫魔の怖さを思い知ったか、男が動けないでいるのを良いことに初めて目にした時から綺麗に思っていたきんきらの頭髪へ指を埋めていく。

「生気ちょーだい」
「何故、僕を選んだ?」
「あなた、人間のなかでも高位の存在でしょ。良いものも悪いものも惹きつける魅力があるわ。そういう奴らの生気は決まって美味しいものなの」

 加えて、名前はさらに口説き文句を重ねた。

「疲れてるにおいがする」
「...っ、そんなことは」
「嫌なことでもあった?」

 意趣返しのつもりで、投げられた言葉をついにお返ししてみせた。名前はドキドキと心の音をはやらせながらも、上手いこと男を自分のペースに引きずりこませた事実に内心で強く拳を振り上げる。羽は邪魔になりそうなのでしまって、彼女の意思に従う自由自在の黒い尻尾をゆらゆらと立ち上らせていく。すりすりと男の太ももに甘えるように優しく。彼は触れてくる真っ黒のそれにビクッとももを跳ねさせたが、得意の握力で捕まえたり押し戻そうとはしなかった。

「(よーしよし、やっと効いてきた)」

 彼は名前の存在に気を取られ、その鼻も違和感に慣れてしまったようだがこの広い部屋には時間をかけて焚いた魔界のお香が充満している。ほんのちょっと心の隙間を突かれればたちどころに効力を上げ、相手を落としにかかる。強制的に発情させるのではなく、より質の高い生気を生成させるため対象に違和感を抱かせないようにゆっくりじわじわと体を昂らせ、理性の皮をもいでいく。
 疲労を見抜かれたのは、彼にとっては痛手だったらしい。お香の効果かだろうか、これまでの敵意が嘘のように落ち着いて、名前は彼に見抜かれないように安堵の胸ふくらませる。一時はどうなることかと思ったが、これなら上手くいきそうだ。これでトドメと言わんばかりにくしゃくしゃにしてしまった髪の毛から両手を抜くと、今度はたくましい首の後の後ろに両腕を回す。

「淫魔のなかはきもちぃ〜よ。疲れがとれるどころか...。ふふっ、気持ちよすぎて泣いちゃうんじゃない?」
「それは、かなり...恐ろしいね」
「だいじょうぶ。あなたが無様に腰をへこらせるまでちゃんと絞ってあげるっ」

 きゃ〜!憧れの台詞をついに言っちゃった〜!
 過去の大先輩たちの名言を集めた名前のバイブルに載っている一番お気に入りの決め台詞。最高の初舞台で最高の餌を前に、飾ってみせた名前は勝者の余韻にたまらず口元をゆるませてニヤニヤとしながら男の頭を撫でた。

 さてさて、ではさっそく。
 手加減を知らない指で彼のズボンを引きずりおろそうとした時だった。「待ってくれ」真剣な声が降りかかり、名前は男を見上げる。ソファの背もたれに腰をあずけ、名前が彼の膝の間に割って入る際にも抵抗はなかったことからてっきり諦めたか、お香に呑まれたとばかりに思っていたのに。
 彼の瞳は熱に浮かされながらも、未だ理性を保っている。わずかに開いた口元から絶え間なく艶っぽい息を吐きだしているが、まだ戸惑いの色が残っている。

「僕にさせてもらえないだろうか」
「むむ?というと?」
「君は僕をいつでも好きにできる、僕より優位な立場にある。であるからこそ慈悲のかけらを見せてくれても良いのでは」
「人間が淫魔を愛撫でするの?必要ないことよ」

 淫魔は姿形こそ人間と酷似しているが、人間ではなく悪魔だ。それも快楽で生を得る特性を持っている。当然、生まれた体には性行為をより潤滑に行うための様々な機能が備わっている。

「この体は受け入れる時には勝手に濡れるの。触ってもらわなくても陰茎さえ突っ込まれえば刺激が勝手に快楽へ変換していくわけ」

 偉そうに語っているが、処女である名前には未知の感覚だ。他所から伝聞したことを口並べているだけ。しかしこの男が彼女の事情を知る必要はない。

「君はそうかもしれない。けれど僕は、ただ作業をこなすように自分の体を扱われるのはごめんだ」
「人間って繊細なのね〜。だから私が舐めてあげようとしてるのに」
「何をされるか、よりも誰にされるかだよ。僕は君のことを何も知らない。君も君の正体もどこから来たのかも。だからせめて、君に触れて色々な姿を見せてほしいんだ」

 なるほど。つまりこの男は雰囲気とやらを大事にしたいらしい。女に奉仕されるより、自分が相手に尽くしたいと、なんと健気な人間なのだろう。であれば、名前が慈悲を見せるのもやぶさかではない。生気の質をより高めるには相手により強い快楽を抱いてもらう必要がある。彼が名前を責めることで自身の熱を深くたくわえることができるのであれば、そちらのやり方を優先するまで。

「いいよ」
「...ありがとう」

 男は名前を一度立ち上がらせると、寝返りを打っても落ちない広いソファの上へ、優しく寝かせる。自身もまた腕をつきながら彼女の上へかぶさると、至極つまらなそうにしているふくれ面をするりと撫でた。

「不満かい?」
「べつにぃ。期待してないだけ」

 淫魔の体は快楽に慣れている。刺激に対して耐性があると言ってもいい。いくら愛撫されたところで絶頂を迎えるには限界があるのではないか、それが名前の考えであった。より彼に満足してもらい芳醇な魔力を得るために大人しく従うことにしたが、さて挿入するまでの退屈な時間、名前はあくびをこぼさないでいられるだろうか。



前へ次へ

TOP