「大谷様、大谷様」
筆を走らせる手を止めて、大谷は障子の向こうの声に返事をすると、それに反応し、障子を開けて一人の少女が現れた。
幼さを顔に残したその少女は菓子と茶を盆に乗せそろそろと部屋へ入ってきた。
少女の名はお嬢。
この大坂城で大谷付きの女中をしている。
「そろそろ八つ時ですよ。お茶をお持ちしました」
「もうその様な刻限か」
大谷は腕を使い、くるりと器用に回転すると、今まで向かっていた机に背を向けた。
「本日はお日様がとても暖かいですし、縁側で頂きませんか?梅の花も蕾が開きだしてますよ」
締め切られていた障子を開くと、部屋に明かりが射し込まれる。
それと同時に庭に植えられた梅の木から放たれた香りがふわりと部屋を満たしていく。
縁側にお盆をおろしたお嬢は小走りで大谷のもとへと向かった。
杖を持つ手と逆の手を取り、なれた手つきで縁側へと導くと、腰をおろした大谷の隣へ膝をついて正座した。
「この茶請けは私が作ったんですよ」
嬉しそうに皿に乗せた菓子を大谷に見せる。
皿には小さな蝶と、それよりも二回りはあるだろうか、赤と白で顔の形に作られた大きなねりきりが1つずつ。
「ぬしがか。して、これは何だ?」
「これが蝶の形で、こっちが大谷様のお顔です」
結構自信作なんですよ。と言いながら菓子を乗せた皿を大谷に手渡す。
「…己の面の形をしたものをわれに食わせるとはなぁ」
包帯の下で喉をひきつらせたような笑いを溢した。
「あ、それもそうですね。…折角上手く造れたのになぁ」
「ヒヒッ…確かに。真によう出来ておる」
己の顔を模した菓子を手に取り、それをまじまじと眺める大谷を嬉しそうに見つめるお嬢に気付き、手に持ったそれをお嬢に差し出す。
「え、あの……」
どうしたものかと困惑するお嬢に向けて大谷はにっこりと笑む。
「この自信作はぬしにやろ。ほれ、口を開けよ」
ずいと鼻先まで差し出されたそれは、大谷にできるだけ似せようと作った為に、ついつい大きくなってしまい、一口では食べきれない大きさだった。
「あ……んむ……」
6割程をかじり取る。
途端にふわりとした甘さが口の中に広がった。
「…美味しいです」
我ながら味も旨く作れたのではないかと満足しながら口の中で溶けていく甘さを楽しむ。
「左様か。ならばわれも頂こう」
大谷はかじりかけの菓子を己の口に運んだ。
先程より小さくなったそれは簡単に大谷の口の中へと収まってしまった。
「…いかがですか?」
「そうよなぁ…少し甘味が足りぬなぁ」
自信があっただけにがっくりと肩を落として落ち込んだ。
もう少し砂糖を増やして…いや、コクを出した方が……
次回作の為に思案を巡らせていると、ふいに大谷の手が伸びてきてお嬢の顎をくいと上げた。
突然の事に驚きつつも、されるがままに顔を上げると、口元をべろりと舐められた。
その感覚に全身がぞくりと震える。
「やれ、甘くなった。われはこの方が好みよ」
大谷はいたずらっ子の様な笑みを浮かべながら、お嬢の反応に満足気に目を細めた。
俯くお嬢を横目に茶をごくりと飲む。
「お嬢よ」
返事をすると。
「羽織を取ってくれぬか」
日差しが暖かいとはいえ、この時期の風はひやりとする。
主に体調を崩させるわけにはいかないと、慌てて部屋に羽織を取りに向かった。
「気が付かず申し訳ありません」
いつも部屋にこもり、机に向かってばかりいるわりにしっかりと筋肉の付いた背中に緋色の羽織をかけ、そのまま再び隣に腰を下ろそうとした時、急に腕を捕まれた。
まだ何かと問おうと大谷の顔を見ると、先程と同じように何かを企んだ目がこっちを見ていた。
「こちらへ来やれ」
ぐいと腕を引っ張り自分の膝元へ座るように促す。
それに導かれ、お嬢はおずおずと大谷に背を向けて足の間に腰をおろした。
大谷は少し高めの位置に結われたお嬢の髪に手を伸ばし、以前、己が贈った紅の髪紐をするりと引っ張った。
パサッと小さな音をたてて漆黒の髪が肩に、背中にと落ちてゆく。
その髪を、包帯を巻き付けた指でさらさらと撫でてやると、お嬢は少し俯きながら、弄ばれる感触を受け止めていた。
「ぬしはまこと、不幸よなぁ」
くるくる、するする、さらさら。
髪を弄る手を止めずに楽しそうな声で呟く。
「われのような者に気に入られるとはな。どれ程嘆いても、もがいても、懇願しても逃がしてやらぬ。ぬしは籠の鳥よ」
それを聞いたお嬢がゆっくりと振り返った。
白と黒の反転した目と視線がぶつかる。
楽しそうな、優越感を感じているような。
しかし、その奥にすがるような不安気な色を含んだ瞳。
人々は己と異なるこの目を怖がる。
でも私はこの宝石のような瞳が好きだ。
「そうですね。…私もそう思います」
体を捻ってその宝石へ向けて手を伸ばす。
触れる直前で止まり、軌道を変えて頬を撫でると、大谷の体がびくりと強張るのが伝わってきた。
そのまま顎、喉、鎖骨、胸へと手を滑らせ、そしてこてんと胸に頭を預けると、とくんとくんと優しい音が聞こえた。
その音に自然と目を瞑る。
「これ程にお慕いしていても、少しもあなた様に伝わっていないとは。まこと、私は不幸にございます」
ちらりと上を見れば見開いた大谷の目がそこにあった。
その瞳はゆらゆらと揺れていて、とても美しく、誰にも見せたくないと隠してしまいたい思いにかられた。
さて、捕らえたのは…捕らえられたのはどちらか。
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