朝、目を覚まして一階に降りると、姉に微塵も温度のない目で睨まれた。なんだよ、と聞けば、別に、と素っ気なく返される。おおかた、昨日の夜の件で憤っているのだろう。七瀬ちゃんもどことなく居心地悪そうに苦笑している。
「あの、すみません…麻衣さん…」
「七瀬は謝んなくていいから」
「ちょっと、呼び捨て!? いつの間に!? お姉ちゃん聞いてないよ!!」
おたま片手にぎゃあぎゃあと、朝から元気なことだ。ため息を吐きながら居間の座布団に腰を下ろす。テレビに映るニュース番組で、隣町で起きた連続殺人について取り上げられていた。
「物騒な町」
まあ、この町も変わんないけど。

嫌な客が来た。
レジ越しに微笑む顔をぶん殴りたい衝動に駆られるが、それを既のところで堪える。
「あの名前がコンビニ店員かぁ。感慨深いね」
「橋本…お前も暇なんだな」
橋本の隣には飛鳥ちゃん。みなみちゃんの姿は見えないが、学校だろうか。ちらりと隣を見れば、中田が生の橋本に感激して言葉を失っている。
店内には他に客もいない。迷惑だと追い出すこともできそうになかった。
「言ってくれればもっと割りのいいバイト紹介したのに」
「嫌な予感しかしねーよ」
橋本の言葉を一蹴して、ふと、先程から一言も話さずにむすっと唇を尖らせている飛鳥ちゃんへと目をやる。どうも機嫌が悪いらしい。嫌なことでもあったのだろうか。
わたしの視線に気づいたのか、橋本がいっそう笑みを深めた。
「飛鳥ね、名前が構ってくれないから拗ねてるの」
「んーー!」
橋本のデリカシーのかけらすらない発言に、飛鳥ちゃんは顔を真っ赤にしてその腕をポカポカと叩いている。本当の姉妹のようだ。
「暇になったら飛鳥と遊んであげて」
「いつでも付き合うよ」
「じゃあ今すぐ」
「飛鳥ちゃん、ちょっと会わないうちにワガママになったね」
やんわりと断れば、飛鳥ちゃんはぶう、と頬を膨らませて橋本の後ろに隠れた。怒らせてしまったらしい。その子供らしい姿に、ふと昨日の出来事が蘇る。
「そういえば、昨日変なガキを見た」
「ガキ?」
「ちっこくて、ずる賢そうなガキ。お前んとこのメンバーと喧嘩してたけど」
「……ふぅん。よそ者か。ちょっと気になるね。軽く調べてみるよ」
「勝手にしろ。つーかとっとと帰れ」
片手を振って退店を促すが、橋本は未だに留まる気らしい。それで、と前置いて話を続けようとする。
「せめて何か買え」
「ん、じゃあ駄菓子コーナーのお菓子全部買わせてもらうね」
さっとクレジットカードを差し出される。店的にはありがたいが、それにしても、こいつのこういったスカした態度はどうしてこうも腹が立つのだろう。
おとなしくレジを打って、袋詰めをする。橋本はそんなわたしを生ぬるい目で見つめ続けていた。
「そうだ、隣町の連続殺人のこと知ってる?」
「ああ、朝テレビで見た」
「もう三人殺されてるらしいよ。近いし、他人事じゃないから、私も探ってはみるけど。名前も気をつけてね」
「姉と七瀬ちゃんに言い聞かせておく」
詰め終わった袋を差し出せば、橋本はようやく飽きたらしく、踵を返して出ていった。飛鳥ちゃんが去り際になにか言いかけたけれど、結局なにも言わずに橋本の後を追っていった。顔が真っ赤だったけれど、大丈夫だろうか。
「てかいつまで固まってんだ、こら」
「はっ! す、すみません…! 二人の並びがあまりにも芸術的すぎて…っ!」
「意味がわからん」

家に帰り、夕食を食べて入浴を済ませた。入れ替わりにお風呂に向かった姉を尻目に居間に向かう。わずかに開いた窓から入り込む冷たい風が、風呂上がりで火照った顔に心地いい。
「湯冷めしますよ」
七瀬ちゃんがそっと隣に座って、肩に頭を預けてきた。二人きりの時はとことん積極的になると決めたらしい。
そういった七瀬ちゃんのいじらしさを無駄にしないよう、わたしもなんとか会話の糸口を探す。
「そういえば、学校はどう?」
「あ、そう、言おうと思ってたの忘れてました。今日、転校生が来たんです」
七瀬ちゃんの表情がパッと明るくなる。その転校生とやらと、何かいいことでもあったのだろうか。
「頭が良くて、先生に難しい問題を当てられてもスラスラ答えてて、しかも運動もできるんですよ! 持久走、クラスでトップでした!」
まるで自分のことのように喜ぶ七瀬ちゃんの頭を撫でる。こういった無邪気な姿を見ていると、彼女というより、可愛い妹のように感じる。
「あと、クラスで浮いてるななにも声かけてくれて…あの学校で、初めて友達ができたんです」
「そっか、よかった…。名前はなんていうの?」
「河西由香ちゃんです。おさげで、メガネかけてて、今時ちょっと珍しい優等生スタイルなんですけど、話してみると面白いんです」
河西由香ちゃんの話をするときの七瀬ちゃんは本当に楽しそうだ。出会って一日だっていうのに、由香ちゃんの対人スキルは相当なものに違いない。
「会ってみたいな」
「え……」
「あ、ごめん。こんなクソニート、会わせたくないよね」
「やっ、あの! 違います! ただ…由香ちゃん、めちゃくちゃ可愛いし、いい子やから…名前さん、好きになっちゃうかも…」
この子って、たまにとても可愛くなるというか、普段から可愛いのだけれど、これがすべて天然だからタチが悪いというか。
「七瀬ちゃんの反則勝ち」
「えっ?」
「なんでもない」

眠りにつく直前、ケータイが、知らない番号からの着信を告げた。出るか無視するか数秒迷って、結局出ることを選んだ。
「はい」
「久しぶり、名前」
言葉が詰まる。久しぶり、と何気なく返すことも躊躇われるし、あからさまな拒絶も憚られる。ただ、驚きはなかった。病院でもらった花束のこともある。近いうちにこうして接触を図ってくることは分かっていた。
「何の用」
「冷たいなあ。それが愛しい彼女に言うこと?」
「もう彼女じゃねーだろ」
「なに言ってんの、名前。みさは別れたつもりないよ」
ぞっとするほど冷たい声だった。付き合っていた頃はうまく騙されていたけれど、衛藤美彩という女はこういう人間なのだ。誰にでも優しくて、親しみやすい、頼れる姉のような包容力の裏に、底のない狂気を隠し持っている。
七瀬ちゃんのことは、勘付かれない方がいいだろう。おそらく、この番号を知られているくらいだから、七瀬ちゃんとわたしが同居していることは把握していると思うが。付き合っているという事実は、まだ知られない方がいい。衛藤の目的がはっきりと分かるまでは、下手な言動は慎むべきだ。
「それで、本題は」
「急かすねー。みさとしては、もうちょっとゆっくりお話したいんだけど? 離れてたぶん、話したいこといっぱい溜まってるし」
「寝たいんだけど」
「…ふふ、名前って優しいね。みさのことすっごく警戒してるのに、突き放したりしないの。ちゃんと話を聞こうとしてくれる。やっぱりみさ、名前のこと大好き」
「嬉しくない」
「名前は優しすぎるよね。だからかな? いつも名前の周りには人が集まる。高校の頃もそうだった。名前は常に誰かのために奔走してて、みさだけを見てくれたことなんて一度もなかった」
「思い出話がしたいの?」
「それもいいけど、今は、これからの話をしなきゃね」
衛藤は、仕切り直すようにわざとらしい咳払いをした。
「今日はね、宣戦布告をしようと思って」
「は?」
「さっきも言ったけど、みさは名前のこと、今でも愛してるし、別れたつもりもないの。だからね、全部奪っちゃおうと思って」
全部、奪う? わたしから、何を奪うというのだろう。わたしが奪われて困るもの。それは、少し前までは姉と、一実くらいだった。だけど今はもう、片手では数えきれないほどに増えてしまっている。
その最たるものである七瀬ちゃんの笑顔が脳裏によぎる。まさか、とっくに気づかれていたのか。
「……なにが望みなんだよ」
「みさの望みは今も昔も変わらないよ。名前をみさだけのものにすること。それだけ」
話し合いでの平和的解決なんて望めそうもない。衛藤は目的のためなら手段を選ばない。何を仕掛けてくるつもりなのか。いや、もしかすると、すでにわたしは、衛藤の仕掛けの中にいるのかもしれない。
心理戦において、衛藤の右に出るものはそういない。自分を偽ることがとてつもなくうまいやつだ。あれと対等に渡り合えるのは、似たような人間だけ。……ぽっさんと気が合いそうだ。
ともかく、出方を窺っているだけでは確実に追い詰められる。こちらからも何か手を打たなければならない。
「何も奪わせねーよ」
「……そんな言葉が聞きたいんじゃない」
「なに?」
「なんでもないよー。それじゃ、そろそろ切るね。おやすみ、名前。みさの夢、見れるといーね」
耳元でリップ音が響く。そんな悪夢は御免被る。
「…めんどくさい」
とにかく情報収集だ。電話帳から松村の番号を引っ張り出して、かける。しかし、いつもならすぐに出るはずの松村が、一向に電話に出ない。
「おいおい…」
さっそく嫌な予感がする。
急いで布団から抜け出して、動きやすい格好に着替え、コートを羽織る。なるべく音を立てないよう家を出ると、まるでタイミングを見計らったかのように、目の前に一台の車が止まった。助手席の窓が空いて、そこから顔を覗かせたのは、
「松村…?」
「夜分遅くにごめんね。話があるの。名前ちゃんも聞きたいことがあるんでしょ? 車に乗って」
わずかに戸惑いを感じつつ、しかしここで足踏みしているわけにもいかなかった。運転手の永島さんに挨拶をしながら車に乗り込む。
車はすぐに動き出し、適当な道を走る。松村はどこか深刻そうな顔をしている。これから始まる話が、楽しい話でないことは確実だった。
170524
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