頬をひっぱたいた。それも、ランバルト家御曹司の。
思い切り叩いてしまったので、頬は真っ赤な手形がついている。
少し間抜けな姿ではあるが、叩いた張本人の顔は、真っ青だった。


「貴様……よくもぼくの顔を」
「あ、あなたが悪いんだわ!」


ジルは頬を押さえながら激昂しているが、ななしは全く謝る気がない。
ななしにしてみれば叩いた原因はジルにあると思っている。

逃げようと思い立って回れ右したものの、腕を掴まれたため叶わぬ夢となった。


「キスのひとつやふたつ、なんだっていうんだ!」



ジルの言葉で、またショックを受けた。
とっさに掴まれた逆の手で平手打ちのポーズを取ったが、その手も掴まれてしまった。
両手を拘束され、さらに屈辱的だ。


「ああ、言わないでください! 忘れさせて!」
「失礼なやつだな!」


そう、キスされた。廊下で会ったから、挨拶をしただけだったのに。
「ごきげんよう、ジル様」と言っただけだった。貴族という繋がりしかなかったが、親しくないわけでもなかったため、普段通り挨拶しただけ。

返事をしてこないな、と思っているうちに、頭をがっしり抑えられて、ジルの顔が近付いてきたのだ。
とっさのことに避けることもできず、されるがままにキスされた。

顔が離された瞬間、そのまま平手打ちをしたのだ。


「失礼なのはあなたよ! せめて一言断りをいれてください!」
「……一言言ったらよかったのか?」


よかったかもしれない。
一瞬そんな考えが浮かび、首を横に振った。信じられない、キスされてもいいだなんて。
それを否定と取ったジルは、ますます「分からない」というような顔をする。

第一、なぜ自分にいきなりキスしてきたのか分からなかった。本当に世間話を一言二言する程度の仲だったはずだ。


「……私以外でもよかったんじゃありません?」


廊下でいきなりしてくるくらいだ。何も考えず、目の前に自分がいたからという理由も、多いに考えられる。
涙目で口を押さえながら問うと、ジルは腕を組んで考え込んでしまった。
この時点で腕は解放されていたため逃げればよかったのだが、ここまできたら理由を聞いたあともう一発叩こうと思っていた。
どうせろくでもない理由で、キスしてきたのだろうと思ったからだ。

しかし、考え込んだのは予想外だった。じっとジルの言葉を待っていると、ゆっくりと話し始めた。


「廊下でお前に挨拶されたとき、最初はカナンのことを考えていた」


カナンのことを考えながらキスしてきたのか。と思うとかなりカチン、ときたが、続きがあるようなので黙って聞く。


「だが、ぼくに声をかけたときに動いた唇を見ていたら、キスしたらどうなるんだろうと思った」
「え、」
「ななしとなら、どうなるんだろうと思った」


口の中で「私と」とななしは繰り返すと、ふいに顔が熱くなった。
それはつまり、自分とキスするのを、想像したということか。そして、行動に移したと。

真っ赤になったななしを見て、自分が何を言ったか自覚したようだ。ジルもかあっと赤くなる。


「ジル様あなた、あなたって人は……」
「た、他意はない!」


足早にジルは立ち去ったが、ななしは立ち尽くしたままだった。
ジルの足音を聞きながら「あったら困る」と思い、震える手で自分の唇に触れた。

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