黒田の瞼は重かった。太陽が真上に昇ろうとしている時刻、薩摩の屋敷で外を眺めてるうちに、眠気が遠くへ行ってくれないかと思案していた。
はっと気づいて目を開け、またゆっくりと視界が暗くなる。その繰り返しだ。
何も見えないはずの瞼の裏に、情景が浮かんでくる。見えたのはあの女の姿だった。
最初に会ったあの日、泥だらけの身体を起こし、大久保とその場を後にした。ちらりと横目で盗み見た女は、こちらに一瞥もくれず背の高い美丈夫のもとへ歩いていった。
二度目に会ったときは大久保に用事があると屋敷に顔を出した時だった。用事を済ませたときのホッとしたような、控えめに微笑む姿に驚いた。あの日よりもずっと親しみやすい雰囲気を纏っていたからだ。
あれから何度か手合わせした。女から挑んできたのは最初の一回のみで、以降は黒田から申し込むことがほとんどだった。一度まぐれで取った白星で、ひっくり返った女から「重い一撃だった」と一言をもらったときは、浮かれた心を隠すために頭を掻いて誤魔化した。女は起き上がり、こちらを見た。そのときの様子が忘れられない。
(笑っていた。目を細めて)
黒田の浮かれた心がそう見せたのかもしれないが、そのときの女は心底楽しそうであった。まるでご機嫌な子どものようで、今まで見てきた女のそれとは違った。もっと冗談の通じない堅い女かと思っていた。
最初は、単純な強さを知りたいと思った。女への好奇心は自分の力の糧にするためだった。しかし今では人間として、女のことを知りたいと思っている。
ぐう、と腹が鳴る。そういえば、まだ昼をとっていなかったことを思い出した。お腹がべこりと引っ込み、また鳴るぞと思ったころ、別の音が腹の底を揺らした。人の足音と一緒に、何かがぶつかる音……じゃらじゃらと鳴っている。誰かが屋敷を訪ねてきたようだ。
「黒田」
耳障りのいい声だ。澄んだ音が耳を通り抜ける。そう思うのは、黒田が女のことを好ましく思っているからだろうか。今まさに瞼の裏に映し出されていた女が、目の前に現れた。
女はそっと黒田の顔を覗き込み、伺うような視線をよこす。呆けていた黒田に気付いたのか、目が合うと申し訳なさそうに眉尻を下げた。黒田は今度こそ頭にかかった霧をはらう。
「すまない、休んでいたか」
「いや、考え事をしちょった」
「何を?」
「おはんのこと」
女は目を丸くした。鳩が豆鉄砲を食らった様子とはこのことだろう。自分の行動で女の表情が変わるのは、こんなに愉快で、こんなに気分がいいのだと黒田は知った。自分はこの女にかなりハマっていると気付き、なんだかそれがおかしかった。
小さく笑った黒田に、からかわれたと思ったのだろうか。女は少し頬を赤くし、ふいと横を向いた。その様子もいじらしく見え、黒田はますます笑みを深くする。女は口を尖らせた。
「お前もそんな冗談言うんだな。最初会ったときは、いきなり刀を抜いてきたから恐ろしかったぞ」
「そうか? おいこそ、背の高い男と仁王立ちするわ、本気で斬ってくるわで焦ったぞ」
お互い様だな、と女は控えめに笑った。どうやら元の調子に戻ったらしい。
「そういえば、ないごてここに。ないか用事があっとな?」
「いや、特には……実は海で貝殻を集めがてら、こちらに寄っただけなのだ」
ほら、と袋いっぱいの貝殻を見せてくる。中で貝殻同士がぶつかり、じゃらじゃらと音が鳴る。さっき聞こえた音はこれだったか、と黒田は合点がいった。何に使うのか訝しげにしていると、「薬屋に持って行くと良いものに加工してくれるんだ」と。一瞬紅の容器にでも使うのかと思ったが、この量であれば別のことに使うのだろう。
大量の貝殻、そのついでの訪問。掴めない女だ、と思ったが、どんな理由であれ自分を訪ねてきた事実は、黒田を喜ばせるには十分だった。
そのとき、忘れかけていた空腹が襲ってきた。ちょうど良いではないか。黒田は女の肩をぽんぽんと叩き、上機嫌で言う。
「せっかくだ、良かったら飯でもいかないか」
「いいな。今なら昼だから、酒もないし」
言うなあ!と黒田は笑った。まだ女と飲んだことはなかったが、自分が言った話を覚えていたことに胸が熱くなった。女も黒田につられて「ははは」と笑った。今日一番の笑顔であった。どうにも、この女は自分を喜ばせることが上手いらしい。
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