わたしの恋人である轟くんの影がなくなって一月が経った。彼の影は戻っていないし、相変わらず眠りに付くときわたしを抱き締めてはくれないけど、それ以外は問題なく過ごしている。朝になれば轟くんは隣にいて、二人で起きて朝御飯を食べて轟くんはお仕事に行く。たまに緑谷くんが様子を見に来てくれるけど、なにも問題は思い付かなくて、轟くんにも聞くけれど轟くんはすこしだけ考えてから「大丈夫だ」と答えるのできっと大丈夫だった。

 轟くんがお仕事から帰ってきたらいつものように夜ご飯を食べて一緒にお風呂に入った。熱いお湯に軽く逆上せてしまったわたしたちは下着姿のままリビングに戻って、アイスが食べたいねなんて笑い合いながらキスをする。ソファーに雪崩れ込むみたいに横になる轟くんに乗っかった。熱い肌が触れ合って、混ざりあって、どんどん熱くなっていく。額を付き合わせては轟くんの薄い唇に自分のものを寄せる。暗闇のなかで轟くんに会えないのはさびしい。だからその気持ちをここで発散させた。たまにぱくっと頬っぺたを食べられる。気持ちいい。好き。ぱくっと食べ返す。大好き。轟くんが「積極的」と呟く。「だってさびしい」と返すと気を良くしたみたいで、背中に回されていた手がごつごつと突き出た背骨を這って、おしりまで降りてきた。
「しないよ」
「冗談だろ?」
「いやほんとに」
 お肉の無いガリガリのおしりを揉んでいた手を掴んでソファーに落とすと、なんだかものすごく恨みがましい目をされたけど、「さっきいったでしょ」とわたしは言って轟くんの上から退いた。
「あいすたべたい」
 ソファーから降りたわたしはわたしにしてはずいぶん素早く動いた。お風呂場に用意してたお互いの寝間着と、お風呂場の前に脱ぎっぱなしにしてたお揃いのスリッパを持ってきて轟くんのところに投げる。轟くんは寝間着の上を手に取って「まじかよ……」と項垂れていたけどわたしは本気も本気なのだ。轟くんの唾液で一杯だった口のなかも、いまはアイスの気分。あっさりシャーベットが大変好ましい。いつもの寝間着は轟くんのシャツだけだけど、さすがにこれだけではお外には出られないので自分のジャージも履いた。轟くんが「本気か……」と呟くのが聞こえたのでちらりとそちらを見てみればまだ両手で寝間着の上を掴んだまま下着姿でこちらを見ていた。
「じっとみないでよ。えっち」
「させてくれねぇくせに」
「もう。おいてっちゃうんだから」と言えば轟くんはのろのろと着替え出す。帰ってきてからね、と言おうと思ったけど今からコンビニに行ってアイス買ってきて、アイスを食べてから軽くシャワーを浴びたらきっと体は暖まってわたしは眠くなってしまうし轟くんはあしたもお仕事だから言わないことにした。髪の毛はタオルドライしただけだから濡れてる感があるけど近くのコンビニだからいいかな。でもちょっと恥ずかしいか。
「ぱーかーのふーどかぶろうかな」
「また職質されても知らねぇぞ」
「されなれておりますので」
 準備を終えた轟くんが自分のパーカーをわたしに羽織らせてくれる。シャツもパーカーも轟くんのもの。だぼっとした洋服ばかり身につけてるわたしはいつもよりちょっとだけ女だった。
 玄関を出るときに轟くんが耳元でささやく。「帰ってきたら、は?」
 わたしはきっと眠くなってしまうし轟くんはあしたもお仕事があるのに、わたしは思わず「いいよ」と答えた。やってしまったと思うも彼の表情を見たら言葉が出ない。わたしが言葉に詰まっているあいだに、轟くんに左右異なる色の綺麗な瞳を細めたまま玄関向こうの暗闇へと溶けてしまった。眠くならないようにしなければ。

 コンビニへアイスを買いに行ったわたしたちは帰宅してから、二人して興味の無い深夜バラエティー番組を流しながらアイスを食べた。実はもうこのあたりからうとうとしてた。それから冷えてしまった体をシャワーで暖めて、寝間着をしっかり着込む。「なぁ」と轟くんがわたしの腰を引き寄せる。「ひゃあ……」彼にはこの一言ですべてが伝わったらしい。いつも冷静でかっこよくて自分の影がなくなったって取り乱すことのなかった轟くんが膝から崩れ落ちた。本当にごめんね、と轟くんの耳を唇で食む。煽るなと怒られた。それからなんの言葉もないままお姫様抱っこされて、甘噛みと呼ぶには強目に耳を噛まれる。わたしは「はんせいしています」と答えた。
「お前、ずいぶん逞しくなったな」
「ひゃあ……?」
「影取られたばっかだったとき、お前はもっと寝ることを怖がってたし俺を暗闇へと連れていこうとはしなかった」
「だって、よるにとけてもとどろきくんはそばにいてくれるから」
 たしかにはじめは驚いたし、なによりも暗闇のなかに轟くんが見えないことが嫌だった。わたしの目は暗闇だって昼間のように見えるというのに、目を開けても轟くんがいない。それが嫌でしかたがなかった。でも人は慣れるものだ。
「それに、とどろきくんがだいじょうぶだっていうから」
 もしも彼が大丈夫だなんて言わなければ、わたしはもうきっと一睡もできなかったしわたしは家中の明かりを付けて、暗闇という暗闇を排除しようとしたに違いない。轟くんが寝室の明かりをコントロールするリモコンを手にする。「おやすみ」とわたしの手を握る。
「あのね」ゆっくり暗闇に溶けていく彼を見ながら言った。「こわくはないけど、さびしいよ」
 本当はきっと、わたしは誰よりも彼が元通りになることを願っている。

 朝はベッドの振動と小鳥の囀ずりと、それからなにより、顔にかかった暗い影で目が覚めた。
「おはよう」
 すぐ目の前に轟くんがいる。そうか。轟くんがわたしの上にいるから、こんなに暗かったんだ。影が。
「かげが、かかって……」轟くんは口をぽかんと開けたわたしを至近距離から見下ろしていた。付け睫もお手上げのさらさらで長い綺麗な轟くんの自前睫毛の影が彼の目元を薄暗く縁取っている。輪郭を確かめるように顔に触れて、髪を撫でる。それからどちらともなくキスをした。

「おかえり、とどろきくん」
「ああ。だだいま」



171117.