夕暮れに悪夢をみるひと


ブワリと肌が泡立つ感覚を覚えて、俺は思わず勤務先である大学を飛び出した。いつか味わった、味わってしまった繋がりが、囁くように俺を呼んでいたのだ。
呼んでいるならば行ってやらなくては。今までずっとひた隠しにしながらも、何より大切にしてきた俺の「番い」が、か細く、祈るように呼びかけてきたのだから。



俺こと霧崎水明は、とある事情により第三の性を偽って生きてきた。一つは自分の為であったが、多くは番いとなった義弟、風海純也の為だった。
元々風海の血筋にはオメガ性が産まれ易かったらしい。とは言えそれも随分昔のことで、今は遠い傍系ばかりに現れるようになっていたらしく、自分たちの子供がそうであるなど欠片も思っていなかったらしい。なんの対処も成されず、番いになれるアルファの俺と何の因果か引き合わされ、今に至るまで育ててもらった。
いや…実のところその因果こそが、俺たちを番い足らしめるものだったのかもしれない。

そして純也がオメガ性の肉体として成熟しきった、中学二年の夏。それは起こった。彼等が避けて通れない本能的現象ーーーー発情期だ。
今でも夏の暑い日差しが差し込むと、あの日の純也を幻視する…。






その頃の俺は、風海家に迷惑をかけまいと大学進学を機に一人暮らしを始めていた。しかし夏期休暇くらいは顔を出しに来ないかと風海夫妻に呼ばれ、一年ぶりに懐かしいもう一つの実家へと帰省を果たした。暖かい言葉と家族に出迎えられて、口には出せなかったが心の奥で密やかに喜んだのを覚えている。

風海夫妻が俺を呼び寄せたのは何も純粋に帰って来てほしかっただけではなく、少しの間旅行に出る為純也の世話を見てやってほしいという頼みも兼ねていた。墓参りが主な要件らしいが、向こうに純也と年の近い子供は居ない。堅苦しいだけの空間に無理やり付いて来させるよりも、その間俺に遊んでもらうなり、宿題を見てもらうなりしてもらった方が有意義だろうと考えたようだ。俺も久しぶりに会える弟に構うつもりだったし、二つ返事で引き受けた。純也は元々心根が素直で扱いやすい良い子だ。実家で暮らして居た時から喧嘩らしい喧嘩もしたことは無かったし、そこそこの年齢差もある。一度構い過ぎて困らせたことはあるが、それも兄貴風を吹かせたかった俺の青い時期として見逃してもらいたい。
照りつける日差しの中、ゆったりと婦人が窓越しに俺たちに手を振って、それに応える。低く音を立てて二人を乗せた車は発進した。二人を見送ったあと、アスファルトが照り返す日差しに眩暈を覚えて、早く涼しい室内に入ろうと純也の手を引いた。今思い出せばもう手を繋ぐなんて恥ずかしい年齢だったろうに。それでも久方ぶりに会えた気分がそうさせたのか、その夏の間中、純也はずっと俺を兄らしく振舞わせてくれた。たまに我儘を言ってみせたりして、本当の兄弟のような日々だった。

それが歪んでしまったのは、夫妻が墓参りへ連れ立っていった三日目のことだ。
朝方体調を悪くした純也を気遣って、スポーツ飲料や食べやすい柔らかい食べ物を買い込んで帰った矢先。玄関を潜ってすぐ、三和土に足を踏み入れた瞬間ーーーー何かが香った。
正しく表現するなら香りの類いでは無いのだが、それ以外に言いようがない。花の蜜を煮詰めて蕩かして、そこへ更に乳臭いものを溶かしたような…酷くW唆られるW匂いのようなものが、リビングから流れこんできたのだ。その時の俺の身体は、生まれて初めての感覚だと言うのに、何故か興奮と期待感に打ち震えていた。冷めた俺の理性はそんな異様な自分の身体の反応を恐怖に近い心地で俯瞰していた。
奥に居るのは大事な弟ただ一人。それ以外に誰かが居るはずもない。最悪強盗が居たとして、こんな目立つような匂いを振りまくだろうか。肌が粟立つような、腰から走り抜ける震えを覚えるだろうか。

「何が起こっているんだ…?」

自然足音を消した歩みに代わり、リビングで待つ純也の安否を確認するために、そろりと廊下の先に続く扉を開く。
中は買い出しに出た時と変わらず、人気の少なさに伽藍としている。ソファにはグッタリと寝込んだ様子の純也が浅く息をしていて、此方も変わりない。何の変哲も無い部屋にホッと息をつく。なんてことはない、俺の気の所為だか、疲れが出たかだろう。そう思った。そして純也に帰宅を告げようと視線を向けた、その時。

これまで匂い立っていた香りのようなものが、いよいよ襲いかかるように俺の全身を包み込んだ!
平静を取り戻したはずの頭がグツグツに煮え立って、マトモな思考が奪い去られようとしている。唇は嫌に乾いて、ただいまと言おうとした形のまま動いてくれない。
ただ分かるのは、ソファへとガラス越しに差し込む陽射しに照らされて、寝苦しそうに寝返りを打つ純也の緩慢な動き。喘ぐようにだらし無く天井へと開いた唇。熱い呼吸とともに上下する、少年から青年へと変わろうとしている薄い胸。頼りない夏の衣服から投げ出された、瑞々しく映る未だ細い手足。
思考がグチャグチャになって消え失せたかと思えば、今度は一つの目的を浮かび上がらせ、身体はそれを実行しようと動きを再開する。
この目の前にいる人間を自分の伴侶として繋がりを結べ。子を成すべき運命の相手だ、早くしろ、誰かに取られてしまう前に。
うわんうわんと鐘のように思考の奥から抗い難い欲望が押し寄せて、気がつけば暑さに唸る純也に馬乗りになっていた。また頭の奥底から激しい声が叫ぶ。今なら抵抗なんて出来やしない、早く早く!!と俺の声で猛るのだ。
俺の声をした何かに急かされるまま、ティーシャツの下から手を差し入れる。ベッタリと汗で濡れた肌は普段なら好ましくないはずだ。だと言うのに自分ですら制御出来ない不埒な指先が、悦んで丹念に純也の素肌を這い回る。臍の周りをグルリと一周したかと思えば、その肢体を陽光に晒そうとティーシャツの裾を掴み、躊躇いなく引き上げた。発達途中の身体には肋骨さえうっすらと浮かび、強い陽射しも相まって、色彩を白へと飛ばしていた。ただ、その中でも二つの頂きは変わらず彩りを添えている。そしてそうすることが当然と言うように、俺は両方の指先で頂きを無遠慮に摘み上げた。
すると今まで唸っていただけだった純也の口から艶めいた声が喉を突いて出る。乳首に釘付けていた視線を上へとズラすと、純也が虚ろな目で俺を見つめていた。
純也、違うんだ、などと弁明にもなり得ない無様な言い訳をする舌が、目覚めた純也に見せつけるように乳首を嬲る舌先に変貌する。思考と身体が乖離していく体験をこんなことで味わいたく無かった。しかし、相変わらず身体は言う事を聞く様子なく、純也の身体に水を求めるようにしゃぶりついている。手を背中へと回し入れ、胸を突き出すような体勢を強いて、まるで甘露でも食すようにしつこいくらいに吸い付いて、噛んで、舐め尽した。震える純也の手がどうにか俺の腕に掛かり、押し退けようとする動きをするが、それも段々と縋り付く様に変わってしまった。
引っ切り無しに上がり始めた義弟のやや高い、変声前の喘ぎ声が俺の腰骨に響いて下腹を悪くさせる。いっそ叫び声でも上げてくれれば良い、そして俺を誰か殴り飛ばしてくれ。そう願う心と裏腹に下履きに圧迫感を増していく。
悪戯じゃ済まないラインなどとっくに越えてしまった。純也はハッキリとした意識があるのか無いのか判別がつかない。俺が声を掛けたとして、果たしてそこに居るのはいつもの純也なのか?だが声を上げるたびにあの香りが一段と濃くなって、純也が間違いなく快感を得ていることは伝わってきた。それに気を良くして動きが大胆になっていく自分にも。気づきたくも無いのに理解した。

純也の夏らしい半ズボンが邪魔に思えて、しつこく乳首を咥えていた唇を離し、ゴムの通ったウエストの布地に噛みつきながら乱暴に剥ぎ取る。衣服は脱ぎきれず、けれど身体の大部分は晒したまま。ちぐはぐな純也の姿に、また熱を持つ。
脱がせた瞬間に弾かれた純也の半身が、天を仰いで現れ、触れられるのを待つように震えた。誘われるままにその小ぶりな切っ先を口に含んでやる。明確な快感が与えられて純也はいよいよ瞳に涙を滲ませると、息も絶え絶えに抵抗した。両の太腿を閉じてどうにか俺の頭を追い出そうと苦心している。ただ俺にとっては頬を滑る心地よい肌の感触でしかなく、宥めるように内腿を手のひらで撫であげてやれば、その抵抗すら快感を呼び起こすものでしか無くなった。根元から鈴口に向かって平たい舌でなぞり、頂点に着くと舌を尖らせて深く抉ってやる。尿意すら感じるだろう敏感な部位への快感が辛いのか、純也は怒る俺の肩に爪を立てた。
次第に目の前の内腿が引き攣れるように戦慄いて純也が達した。その残滓を全て吐き出せるようにやんわりと根元を扱きながら吸い上げる。過ぎた感覚に純也は震えるばかりだった。
そして俺は男では濡れるはずもない、潤んでぬかるんだ其処を視界に収めた。

其処を見て漸く事の原因を突き止めて、どうにか普段に近い思考を取り戻した。しかし目の前に広がる惨状に早くも意識がぐらつきそうだった。言うまでもなく純也は俺に食い散らかされて酷い有様だったし、俺は俺で痴態に煽られたのか、いつの間にか吐精していたようだ。最悪も最悪な状況だった。純也に死んで詫びろと言われれば、居酒屋よろしくハイ喜んでと早々に命を絶っただろう。純也を揺り起こして謝りながら、一先ず俺の体液塗れになった身体を拭ってやろうと、ソファから立ち上がろうとした。命を絶つのは純也の身体を清めてやって、頭を地面に擦り付けてでも謝り倒してからで遅く無い。

「ーーーー…純也、本当にすまなかった。如何にかしていた。罵倒でも殴るでも好きなだけしてくれていいが、まずはお前の身体をなんとかしよう。」

立ち上がる為にソファに着いた手は、行動を起こす前に引き戻される。驚いて見下ろすと、純也がじっと眉根を寄せて俺を行かせまいとしていた。
何故だ。触れていた途中も嫌がっていたろうし、何にせよ俺と一度離れたいに違いないだろう。しかし純也の手は俺を押し退けることもせず、寧ろねっとりと見せつけるように自らの肩口を示した。またあの欲に狂った感覚が蘇ろうとする。理性が戻っているうちに純也に止めようとするが、イヤイヤと頭を振って聞き入れない。そして今度こそ肩口を、いや、違う。

W項Wを、俺に見せつけている。

焦らすようなそれでいて誘うような動きで、艶かしく純也の唇が動く。再度俺に促した。
此処をW噛めWと。
これまでの比にならない程の惹きつけるあの香りに、俺は先ほどまでの言葉をかなぐり捨てて純也の項に噛み付いていた。純也が今までと違う、本当に感じ入った声を上げて正面から俺を抱き留める。噛み締めた部位から伝う、確かに結ばれた充足感に、俺も吐息を零す。べろりと跡の残る項を舐め上げた。これは楔だと本能で理解する。愛おしさに胸が埋めつくされて、犬のように跡を舐めていると、うっとりとした年齢に不釣り合いな声が耳を打った。
今や思い出しても所々記憶が失われているあの日の情事が、その言葉を聞いた瞬間だけ切り取られたように色彩が蘇る。
そして恥知らずにも今尚、熱帯夜に俺の慰みとなっている。

「これで、兄さんなら、いっぱいしていいよ。」

その言葉のあとの記憶は滅茶苦茶だ。中に入りこそしなかったが、一日中純也の身体を溶かし尽くし、情欲の炎が消えるまでお互いの舌を絡め合った。赦されたと思い込んで、純也が応えてくれるままに貪った茹だるような夏の日。その日俺と純也は間違い無くW番いWとなった。




俺の記憶が曖昧なように、純也の記憶も曖昧だったようで。疲れ果てて眠った純也の身体を綺麗に整えた次の朝、昨日の倦怠感が嘘のようだと俺に弟としての笑顔を見せていた。確かに覚えていたのなら、あんな笑顔を俺に向けてくれる道理がない。それとも忌まわしい記憶として封じ込めているのだろうか。…きっとそれが一番可能性がある。
そう思い至ったのち、俺は第三の性を誰にも告げることはしないと決めた。問われる場面などそう無かったが、素知らぬ顔でベータであると答えた。
俺自身あの時のことが切っ掛けでアルファ性であることを知り、その全てを出来うる限り調べ上げた。そして番いを結んだところで、必ずしも夫婦や恋人同士になる必要もないことも。中には発情期を抑える為だけにアルファに協力してもらっているオメガも居るらしいことも知った。
渡りに船だった。純也が穏やかに暮らせるならばそれに越したことはない。幸い一線は超えていないのだから、純也に何かリスクを背負わせた訳でも無い。トラウマを植え付けたには違いないが、あいつが望まない発情期に振り回されることは無くなった。
そのことが分かり、ますます俺はフィールドワークに打ち込むことで風海家と疎遠になろうとした。発情期にかち合いさえしなければ、これ以上純也に無理を強いるようなことは起きないだろう。そうして俺たちは再び義兄弟として上手くやっていけたのだ。



だが番いの楔というのは、そんなことで断ち切られもしなければ薄れもしない。
大学を飛び出した後、気が付けば夕日の中を純也と二人、手を引いて歩いていた。
純也は俯いたままだ。それでも迎えに来た俺を目に映した瞬間、純也は確信を持ってしまった。その姿にあの幼い頃の純也が重なり、湧き上がる番いとしての喜びと、自分への嫌悪感がない交ぜになる。笑い掛けたはずの頬はひしゃげて歪んだ。
俺とお前にある繋がりを知ってしまったのか。俺がお前に何をしたか理解してしまったのか。俺を憎んではいないのか、嫌悪しているだろうか。
そんな言葉が浮かんでは、口を開かせること無く霧散する。全部答えなど決まってるだろう。無駄な問答をして、何かが変わる筈がない。
それでも指先は純也の手を堅く掴んで、もう逃してやれないと告げていた。




20171002
多分次で終わると思います。
濡れ場は得意じゃないけど、やっぱり書くの楽しいです。汁だくマシマシ派なので、当サイトの純也くんは常にしっとりさせられてます。
そしてオメガバースは夢がある〜。
今更ながらエリート街道の純也くんをオメガに設定するのは無理がありがちですが、そこは自己都合ということで。
人様のオメガバースを読んでると色々設定が足されたり引かれたりしてて面白いです。

title:サンタナインの街角で




モドル


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