下心


「編纂室は年始は六日からやからな。休みの間に来てもな〜んも仕事無いから間違っても来たあかんで。ほな解散。」

年の瀬、師走。警部の気の抜けた締めくくりの言葉とともに、僕たち編纂室のメンバーにも冬季休暇が訪れた。
世の勤め人と同じく、ここ編纂室も今日は仕事納めのはずなのだが…。いつもの業務からして事務処理しかロクにない。特に急ぎ提出が必要であったり追い込みの作業というのも平素より存在しない部署だ。そのため今日の業務大半が揃いも揃って大掃除に明け暮れることになった。他の部署ならば清掃業者がやって来て全てお任せして帰れるのだろうが、悲しいかな地下五階の僻地である編纂室にそのような待遇は望めない。いや、仮にも警視庁という日本屈指の巨大組織のお膝元。頼めば来てくれるのかもしれないが…。生憎、普段からマメに(他にやることがないとも言える)小暮さんや僕が室内の清掃をしている甲斐あり、この掃除すらも、ものの数時間と掛からず済んでしまった。
女性陣二人、此方賀茂泉警部補は「普段から慣れている人間が作業に当たった方が効率的でしょう。よろしくね、二人とも。」などという理由を述べると、自分のデスク周りを整え、何やら編纂室とは関係無い資料の纏めに勤しんでいた。彼方犬童警部だが…。使用頻度の高いテレビ前のソファをパパッと手で払い、それで満足したようだった。案の定そのあとは寝そべって動かなくなってしまう始末。情けないことだが結局いつも通り残った男組二人で、せっせと箒なり塵取りなりを手に手に持ち寄り、働く羽目になったのである。

「先輩、来年こそは味方を増やしたいでありますな。」
「そうですね…。でもこの会話、賀茂泉警部補が来る前も言ってた気がします。」

小暮さんが憤慨するように鼻息荒く宣誓してくれてはいるが、恐らく来年の年末も同じ末路を辿る気がする…。予感ではなく確信に近い気持ちを味わいながら、今年最後の挨拶を済ませて僕は編纂室のメンバーと別れた。

さて僕の年末の予定についてだが、これもやはり、と言うかなんというか。特筆すべきことは何もなく、あるとすればまたもや自室の掃除や洗濯くらいのものだった。
ちなみに小暮さんは追いかけているアイドルの年越しライブ。賀茂泉警部補が南の島にバカンス。犬童警部は何やら怪しい友人たちと連日麻雀三昧だと、手をワキワキさせながら語っていた。
予定がないのは僕くらいなようで、とは言え他の三人に追従する気にもなれない。皆さんと引き換え、僕は何にもないですねハハハ。と、枯れた声で笑っては見せたが、三方向から三者三様の悲しい視線を向けられたのを覚えている。賀茂泉警部補に至っては酷く哀れんだ顔で「風海くん、これでも読んでせめて有意義な休みになさい」と、本人がプロファイリングしたのだろう、凶悪犯罪など事件事故の纏められたファイルを差し出された。賀茂泉警部補なりの気遣いと親切心なのかもしれないと思い、渋々その場は受け取った。しかしその姿を見て小暮さんが涙腺を緩ませたのが視界の端に映ったことも覚えている。そんなにか、そんなに悲惨なのか僕の年末は。

世の若者と同じく実家に帰省という手も無くは無いのだが…相変わらず父とのことがあり、素直に帰ろうという気持ちにはなれない。流石に新年の挨拶も無しでは薄情が過ぎる上に、母に申し訳ないから顔見せくらいはするだろうが…。

それに…とまで考えたところで、これまでとは違った関係性になりつつある義兄の存在を思い出した。帰路についていた足をその場で止める。
ここ最近身勝手な気恥ずかしさで連日訪ねていたところから一転、ピタリと顔を合わすことをやめていた相手だ。…今年の年末は兄弟水入らずで過ごすのも悪く無いのでは。しかし、以前珍しく酒に酔った義兄から告白されたのが事の発端であることを思うと、些か軽率過ぎるかもしれない。ここは弟子であるゆうかさんを誘ってみるか?…いやでも、大学生の年末と言ったら友人と過ごすのが常だろうし、僕では相手が務まらないのではないだろうか。ならやはり…?
暫くブツブツと考え込んでいたが、あの時もなんとかなったのだし、何より自分自身吝かでは無かったのだからと、僕は内ポケットに入れていた携帯を取り出した。
呼び出し音が数回鳴り、一ヶ月ぶりに義兄、霧崎水明の声が聞こえて来る。耳に馴染む兄さんの低音に僕はやはり電話を掛けて良かったと独りごちた。

「兄さん、純也です。今いいかな?…というか大学はもう休みに入ってるの?」
「ああ、今丁度家に戻って来たところだ。今週の頭からコッチは休みになっていたから、午前中はフィールドワークに出ていたよ。純也、お前は?」
「僕も今日から冬季休暇なんだ。タイミング良くて助かったよ。急になんだけど、兄さんって年末誰かと予定立てたりしてない?その…僕、予定が空いちゃってて、兄さんが良ければ休みの間一緒にのんびり出来ないかなって。」
「純也と?」
「うん、僕と。本当に急な話だし、忙しければ気にせず断ってくれていいんだ。」

そこまで言い切って、ハタと思考が一度止まる。僕を好いてくれている兄さんだが、公私は分けるタイプであるはずだ。午前中もどうやらフィールドワークに出ていたようだし、僕と違って大学講師として年明けからの講義の準備があるのかもしれない。期待に舞い上がっていた気持ちがシュンと萎んでいく。後先考えずに電話を掛けたのはやはり早計だったのだろうか。
そんな僕の不安な気持ちが声音に乗ってしまったのだろうか。此方を窺うように兄さんがスピーカー越しに「純也?」と声を掛けてくれていた。落ち込んだ気持ちから少々塞ぎ込んでしまったらしい。兄さんが返事してくれた内容をすっかり聞き飛ばしてしまった。慌てて僕は携帯を握り直す。

「ごめん兄さん、ちょっとボーッとしてて…。それでやっぱり無理そうだったのかな。」
「一言も無理だなんて言ってないぞ。なんなら今日からウチで過ごさないかと言ったんだ。」
「えっ、今日から?」
「なんだ、早すぎるから悩んでるのかと思ったぞ。ああ、今日から。お前の都合さえ良ければ来てくれると嬉しい。…俺の家で気が進まないなら俺が出向くが。」
「そ、そんなことない!行く、行くよ。部屋の掃除を軽くしてくから、遅くなるかもしれないけど。うん。」

願ったり叶ったりだ。兄さんの気が変わっては困ると、僕は誰に見られているでもなく首を縦にブンブンと振って答えた。良かった。兄さんと一緒に年末が過ごせそうだ。
それからの記憶は朧げだ。気持ちが早くも兄さんの家に飛んで行ってしまったように、覚束ない手つきで部屋をある程度整えた気がする。元々部屋に物を置かないタチなので自室も編纂室同様手間はかからない。ふわふわと地に足つかない状態で気付けば兄さんの家の玄関前に辿り着いていた。右肩には四日ほどの衣服(ファッションはよく分からないから着回しすれば事足りるだろう)と、左手には手土産と思って兄さんの好きそうな酒類を携えている。
心も身体も浮き足立っているのが分かった。寒さとは違う震えに揺れる指先を、インターフォンへと近づける。しかしそれがボタンを押し込む前に、ガチャリと目の前の扉が開いた。暗い夜道に暖かな室内灯の光が差し込み、僕の顔を照らした。
兄さんは僕の姿を認めると、うっそりと目を細めて笑ったように見えた。逆光でその表情は捉えづらいはずなのに、何故か兄さんの周りの空気が濃くなり、そう感じたのだ。灯りのせいだろうか。兄さんがいつもより艶っぽく見えてギクシャクと固まってしまう。それを知ってか知らずか、彼は僕の右肩から衣服の入ったボストンバッグを引き取ると、自宅へ手招いてくれた。

「思ったより早くて驚いたよ。さあ、上がってくれ純也。」
「う、うん。お邪魔します。」
「ああ、ゆっくりしていけ。今年はいい年越しになりそうだ。」

思ったより早くて…?兄さんに明確な到着時間を伝えた覚えはない。そんな余裕なんて無い、急かされるような気持ちで部屋を飛び出したのだ。予定が埋まったことへの喜びだけではない期待から。なのに、兄さんは僕が訪ねる寸でのところで扉を開いた。そして笑った。決して驚いたりなんかしていなかった。

きっと兄さんもそうだったんだろう。
僕はゆっくりと閉まっていく扉を見送ったあと、廊下の先で待つ兄さんを追い掛けた。


20161228




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