目隠しは解かれて



「オメガ性…ですか。」

手元には聞き慣れない単語が書かれた紙切れが一枚。オメガ性。性、というくらいだから生まれついての体質か性質を意味する言葉なのだろう。しかしその言葉が示すものは一体なんなのだろうか。



僕、風海純也は定期検診で平均より少し値が高い検査項目があり、普段はまず通わないであろう辺鄙な土地にある国立病院へと足を運んでいた。通常であれば、知り合いである人見さんがいる鴨根大学病院に掛かるのが気安く、僕としてもその方が良かったのだが…。何やら内容が内容らしい。人目を憚るように建てられた初めて耳にする病院へ向かうよう、紹介状を医師に渡されたのだ。
地図を見ると山の斜面を繰り抜くように建てられた場所にあり、実際に現地に着くと創造に違わない急勾配の道が堂々と病院へ続いていた。この延々と続く坂を登るのか、と一人げんなりとする。麓に来るまでも都心から二時間は掛かっていたことを思えば、予想の範疇といえばそうなのだが…。
予想外だったのは定期バスの訪れる感覚が短かったことだ。バスの外装は何やら新しく、当の病院も真新しい白壁が眩しかった。建てられてそう年数を重ねてないことが見て取れた。今まで健康診断で引っかかったことなど一度もなく、今回の診断に少しの疑心を持っていたが、もしかしたら最近分かった医学分野に関してなのかもしれない。
そう自分の不安を押し込めて、玄関を潜ったのだ。

今は帰りのバスにガタガタと揺られながら医師から告げられた内容を思い出している。
オメガ性。ここ二十年ほどで明るみに出始めた新しい性の形の一つ。男女性に加えてアルファ、ベータ、オメガと性が存在するのが分かったのだという。まず始めに説明されたのはベータ性だった。これは今まで認識していた男女の性と思っていいらしい。特に普通の、一般的な性だそうだ。問題なのはアルファとオメガ。特にオメガ性。僕のことだ。僕の心は僅か数時間の診察のうちに酷く疲弊していて、今まで培ってきたアイデンティティがグラグラと揺らいでいた。




「女性ホルモンが他の性別より高く、それによってオメガ性と疑われる方が特に当院へと紹介されてます。風海さんもそうです。再度詳しい検査をさせていただきましたが、やはり風海さんはオメガ性である、という結果が出ました。」
「はあ、そうなんですか。僕てっきりもっと重たい病気か何かかと思ってました。命に関わるものではないなら少し安心です。」

僕はホッとしたと胸を撫で下ろしてみせる。しかし医師の表情は硬いままだ。な、なんなのだろうこの壁は。まだ何かあるのだろうか。

「それで、ええと、女性ホルモンの数値が高いオメガ性は何か罹りやすい病気などがあるんでしょうか。」
「いえ、罹りやすい病気などはございません。そういう問題がある性ではないのです。もっと、プライバシーと尊厳に関わる問題がこのオメガ性にはあるんですよ。」
「プライバシーと尊厳に関わる…?」

医師は言葉を続けようとした唇を一度閉じて、躊躇うような素振りをみせた。それでも直ぐに視線を戻し(もう慣れてしまったのか、それとも慣れようとしているのか)きっとここに勤めてから何度も口にしたであろう言葉を僕に告げた。

「オメガ性は男女共に妊娠が可能であり、それに伴った定期的な発情期が起こるとされています。」
「に、妊娠?!」

思い掛けない言葉に二の句が紡げない。妊娠、妊娠と言ったのかこの人は。男が妊娠するなんて聞いたことがないぞ。
唖然とする僕の肩をトントンと落ち着けるように医師は叩いて、オメガ性人体図、と右下に印字されたプラスチック製のカードを見せてくれた。彼が指差したのは大腸から伸びる見知らぬ器官。おおよそ、それが何か、嫌でも分かってしまった。ショックを隠せない僕を気遣うように宥めながらも、職務を全うすべく彼は続ける。

「この器官は通常男性にはなく、オメガ男性特有のもので、女性で言うところの子宮と同じ役割を果たす器官なのです。風海さんの身体にも同じ器官が存在していました。」

考えた通りの答えに目の前がくらりとした。確かに普通の男性より線が細い方だとは自覚もあったし、人からもよく言われていたが、こんなことがあるだろうか。暫くオメガの身体機能の大まかな説明がなされ、どうにか意識を飛ばさずに聞き終えた。自分を褒めてやりたい。基本は種の繁栄に念頭を置いた身体構造であること。その性質による差別が懸念されていること。事実差別を恐れたオメガ性が多かったために研究中途にあるということ。諸々の事柄の為に新しくオメガ性専門の病院として今いる建物が設置されたこと。
そして。

「非常に厄介というか、これも性質を考えれば当然の構造なのかもしれませんが…。発情期と呼ばれる三ヶ月に一度の発作があり、特にそれがオメガ性の人々にとって、多くの問題の原因になっているのです。」
「ああ…何とは無しに想像ができます。」

ガタンと車体が揺れて、意識が現在へと帰ってくる。発情期、三ヶ月に一度起こるアルファ性や時にベータ性さえもフェロモン分泌により引き寄せるという発作期間。これを自発的に止める術は、一応予め薬で緩和する方法があるらしい。だがそれも周期がキチンと把握出来ていればの話で、突発的に起こる発情期には対応は難しいらしい。発情期中のオメガ性の動きが、倦怠感や発情による陶酔感などにより抑制されるからだという。なんということだろうか。これを聞いてしまった時、反射的に目の前の男性医師にすら嫌悪感を覚えて椅子から飛びのいてしまったほどだ。我に帰ってすぐに謝りはしたものの、とても傷つけたに違いない。医師自身アルファ性らしく、本能的に僕はそれを感じ取ってしまったのかもしれない。だがある理由によりオメガ性と接しても問題なく診察出来ると国から許可が下りている。そう彼は語っていた。
またそれが僕自身がオメガ性であることに気付くのが遅れた原因ではないかと。

「僕には発情期がやってきたことがない…。」

口に出してみても変な感じがした。オメガ性は殆どが十代後半に掛けて発情期が起こり、大半はそれによって自分がオメガ性であることを知るという。それが僕にはこれまで一度たりとも起こっていない。しかしオメガの生体器官がキチンと機能しているらしく、実感は全くないが妊娠可能な状態であるらしい。そもそもそんなことが分かっていれば発情期だなんだと、警察官になれる筈がなかっただろう。

ふと、父母はこの事を、僕の性のことを知っていたのだろうかと考える。父が頑なに警察官への道を反対したのは、母はある日を境に背を押してくれるようになったのは。
顎に指を当てながら思想に耽る。自分自信のことで半ば憔悴すらしていたというのに、僕の思考は冷静に巡っていく。
僕はこれまで自分を所謂ベータ性だと思って過ごしてきた。オメガ性ではないかと気付く兆候も、第三の性知識がある者も皆無の環境だったからだ。こればかりは仕方がない。第三の性について研究が進み始めたのは此処最近のことで、僕がたまたまチェックを免れていたのは想像に難くない。健診内容も昨年に入って漸く一新されたのだと医師が教えてくれた。僕がオメガ性だと分かるのは、本能的にオメガ性を感じ取れるアルファしかない。また、発情期が起こらないオメガは機能不全に陥った者か、女性のソレと同じく老年期に入った者か、あとは一つしかない。

番の存在。アルファとオメガの間に生まれる、身体的精神的にも絶対の楔。アルファがオメガの項に噛みつくことにより成立する、発情期を恒久的に抑える繋がり。そもそも発情期自体がこの番を求めるためにあり、それを成した後は発作が治まるのも納得がいく。僕には恐らく番が居るはずなのだ。その繋がりは強固なもので、オカルト的に言えば魂と魂を結ぶものであると。専門的にいえば項に噛み付いた際に起こる化学反応が諸々関係たるらしいのだが、此方の説明は聞いていてもちんぷんかんぷんだったのであまり覚えていない。

いつの間にかバスの揺れは穏やかになり、運転手のアナウンスと空気が抜ける音が聞こえる。麓のバス停にまで帰ってきたようだ。乗客は僕しか居ない。慌てて立ち上がるとフラリとした。思考は冷静でも、心はまだあの白い箱のような場所に転がり落ちて、追いついていないようだ。
夕陽が照らす小ぢんまりとしたバス停に、覚束ない足取りで僕は降りる。此処に来るまでは別のことで不安でいっぱいだったというのに、今では誰かも分からない番の存在に震えそうになっている。男性なのか女性なのかすら分からない。アルファ性はまるでオメガ性というカードの表面のように、男女問わず相手に精を与えることが可能らしい。ただ、番であるならば本能的に分かる、今オメガであると意識したことによって、ハッキリと分かるはずだと教えられた。知らないのも恐ろしいが、知ってしまうのも恐ろしい。今日僕が得た全ての知識が僕の心を苛んだ。

ちらりと目を落とす。見つめた視線の先、手元には携帯が握られていた。僕の心の不安を映すように誰かへと助けを求めようとしている。こんな時に頼りにしてしまうのは、昔からいつもあの人だ。どうか声が震えないようにと願いながら、番号を呼び出して、通話ボタンを押し込んだ。






掛けると同時にすぐ近くで聞き慣れた着信音が鳴り響いた。麓の病院の為に舗装された道の先、途切れるように色あせた砂利道へと変わる。いつもの白いワイシャツは夕陽を浴びてオレンジ色に染め上がり、影の落ちた黒のスラックスは更にその色を濃くしている。ざわりと遠くの森の木々が揺れるのに合わさるように、黒く癖のついた髪が揺れた。
居場所を伝えた覚えのないその人は、耳に当てていた携帯をゆっくりと下ろして、僕の名を呼ぶ。

「純也。」
「兄さんなの?」
「ああ。」

義兄、霧崎水明は僕の問いに曖昧に笑った。それはどちらの意味で答えたんだろう。
兄さんは帰るぞ、そう言って僕の手を取り歩き出した。視線は遠くの方に向けられて表情は伺えない。それに普段は合わせてくれるのに、今は何かから逃げるように足早だ。
追い縋る背中は幼い頃に遊んだ帰り道と同じように見えたが、現実へと引き戻すように離すまいとする硬い力に目眩がする。

僕は兄さんの陰を追いながら、声もあげずに理由の分からない涙を噛み締めた。
僕の番は兄さん、貴方なんですね。









20170525
オメガバースが書きたくなって、つい。
続くかもです。





モドル


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