05

「ん、おはよ爆豪」
「………あ?」

朝、登校してきて教室に行くと教室のドアの前で爆豪を見かける。今日は取り巻きがいないんだなぁと思いながら挨拶をすると、奴は不可解そうに眉根を寄せながらとても挨拶返しとは思えない声を出す。あ?ってなんだよ、あって。

「アンタ、挨拶すらまともに返せないの?」
「あぁ!?」
「そんなんじゃ社会に出てから苦労することになるからね」
「余っっ計なお世話だわ!!」

ため息をつき、呆れながら爆豪を見上げて挨拶の大事さを説くと爆豪の顔がより険しくなって大声でわたしに向かって怒鳴り始める。あー遠吠え遠吠え。シンプルな声の五月蠅さに片耳を指で塞ぎながら教室のドアをガラッと開けて席に向かって歩いていくと、全く席の場所の違う爆豪がキャンキャンと吠えながらついてくる。

「つーかテメェ、何で俺に話しかける!」
「何でって…別に意味はないけど。クラスメイトだから挨拶しただけじゃん」
「クソ転校生ごときが話しかけんなっつってんだよ!」
「はぁ〜?転校生いじめですかぁ〜?先生に言いつけて内申点悪くするよ?」
「テメェ……っ、!!」

どうやら爆豪はわたしに話しかけられたのがお気に召さない様子。しかしわたしにはどんな人でも分け隔てなく挨拶だけは徹底するというポリシーがある。爆豪に話しかけちゃいけない法律でもできない限りこれからも挨拶はしますけど、何か?転校性差別をしてきた爆豪を煽るように”内申点”という単語を出すと、爆豪は釣り上げた目と眉を更に鋭く釣り上げたが、持ち前のみみっちさで内申点のためだけに黙ることにしたらしい。そのかわり噛み締めた歯がギリギリと音を鳴らしていたし、身体は怒りによってぶるぶると震えていた。ははっ、ざまぁ。

「つーかよぉ…テメェとの勝負はまだ終わっちゃいねぇんだよ…!」
「?終わってるでしょ。わたしに一発も入れられなかったんだからアンタの負け」
「ンなわけあるかぁ!!あれはクソ教師に邪魔されたから途中で切り上げてやったんだよ!!」
「ハッ、負け犬の遠吠え」

わたしは席に座って授業の準備をしながら未だキャンキャンと吠えまくる爆豪の相手をする。あのヘドロに襲われた日の放課後に巻き起こった爆豪vsわたしの戦闘はあくまで爆豪の中ではイーブン、もしくは自分が”終わらせてやった”のだという。馬鹿馬鹿しくて鼻で笑うと、爆豪の頭からブチっと欠陥が切れる音がした。さっきよりも声のトーンを落とした爆豪がぶるぶると震える拳を握りしめ、「テメェの言い分はよーく分かった」と小さく掌を爆発させながらそう言う。


「リベンジマッチだクソ転校生…先公のいねェとこでンぞ」
「望むところよ、負けたらペナルティで駅前のお店で可愛い小物買ってきてもらうから」


思い切りキレているのか、口端を上げながらもう一度組手をしろと懇願してきたので仕方なく受け入れてあげることにする。頬杖をついてまた鼻で笑いながら負けた時のペナルティの内容を告げると爆豪はBonBon!と頭を爆発させながら「ンな事することにゃならねーんだよ!舐めンな!」そう言って席に戻っていった。最近駅前に新しくできたキュートな雑貨店に入っていってパステルカラーに囲まれる爆豪の図を想像するだけで笑けてくる。にやにやと笑いながら爆豪の背中を目で追ってると、横から緑色がちらりと見える。

「あ、緑谷おはよ」
「お、おはよう苗字さん…かっちゃんとまた言い合ってた?」
「ううん、アイツが勝手にチワワみたいに吠え散らかしてただけ」
「…吠え………」

眉を下げながら挨拶をしてちらちらと爆豪とわたしを見比べる緑谷にそう言うと離れたところに居るくせに「聞こえてンぞ!」と地獄耳な爆豪が言い返してきたのでそれもおかしくなってははは、と笑うと、リュックを机に置いた緑谷は信じられないとでも言いたげな驚いた顔をする。

「なんか…すごいね苗字さん」
「へ?なにが?」
「だって…あそこまでかっちゃんに言える人って今までいなかったし…」
「あー、なんかそれは転校初日に聞いた」
「それに、かっちゃんがあそこまで誰かに拘るのも中々ないっていうか…」

緑谷によると、爆豪は小さい頃から比較的何でもできて、個性も強力で、何より我が強かったから、今までこんな風に誰かと関わることがなかったのだとか。何より自分がまず最優先なので、こんな風に誰かに一度負けたからと言って今までの彼なら「まぐれだろ」なんて鼻で笑って相手にしないのが定石だったらしい。じゃあ今までみたいにしてくれよ…とも思ったが、わたしの中で爆豪が今までと違うのは何となく感じ取っていたので、原因も何となく推測していた。

爆豪は、あのヘドロ事件の日から様子が少しおかしい。
今までみたいに皆を馬鹿にしたような顔で「俺は中学唯一の雄英圏内」や「高額納税者に」などの自分語りするのをやめたし、教室内でクラスメイトに対して威嚇して爆発させることをしなくなった。

そしてなにより一番の驚きは、緑谷に対しての虐めのような行為をしなくなったこと。

かと言って二人が仲良くなったわけではなく、ただただ爆豪が緑谷を無視しているだけなのだが、それでも緑谷本人や同じクラスの女子たちから言わせるとものすごく進歩したらしい。「爆豪丸くなったよね」と友達たちは言うけど、わたしから言わせればあれは丸くなったのではない。なにかに焦っている、もしくは苛立ちを抱えている、だ。

ヘドロの件で自分に自信のあった個性で返り討ちにすることが出来ず、進路に今まで感じることのなかった不安が出来たとか…かなぁ。そんな風に思っているけれど、真意は結局不明だ。本人でないと、心の内までは分からないからなぁ…そんなこんなで色々と考えていると気が付いたら1限目の授業が始まっていて、わたしは焦りながら鞄を机の横に掛けて教科書を広げたのだった。



▽ ▽ ▽



「…オイ転校生」
「なに」
「…ンでこんな立派な道場持ってやがる」

土曜日。この前のリベンジマッチだといって大人の介入しなさそうなところで爆豪とこの間の続きをやることになった。が、そもそも法律で個性を使ってはいけないと決まっている以上今回の戦いでも個性は使えない上に、その辺で取っ組み合いなんてしていたら警察に通報されるのがオチなのは目に見えている。だからわたしは家から電車で少し移動したところにある道場に爆豪を連れて来ていた。門に掛かった表札には「苗字道場」と書かれていて、察しのいい爆豪にはここがわたしの家の一部であることが分かってしまったようだ。

「わたしの父親が武道家なの」

父は若い頃から有名な武道家で、数々のタイトルを総なめにしている実はすごい人物なのだ。わたしが物心ついたころにはもう既にこの大きな道場を持っていて、わたしはここで父に武術を教わってきた。道場内の廊下に掛けられた門下生たちの賞状やトロフィー、金メダルの中にはわたしの名前が刻まれたものも多い。覗き込むようにそれを見ていた爆豪にそんな話をすると、爆豪はチッと舌打ちして「有段者かよ、話が違ェぞ」と眉を潜めた。

「まぁ昔の話だよ、ここ2〜3年は稽古すらしてないし」
「あ?…サボってんか」
「ははっ、まぁ、ある意味そうかも」

父がいないことをいいことに中くらいの広さの稽古場の鍵を事務所から拝借し、そのまま爆豪を連れて廊下を歩いている間にそんな話をしていた。確かに物心ついた時から小学校高学年くらいまでは毎日毎晩、父と稽古に明け暮れていた。しかしここ2〜3年は稽古をできるような余裕がないうえに、わたし自身が稽古をしたくなくなってしまったのだ。曖昧に返すと訝し気な顔をして話の続きを顎で促す爆豪。ホントにこいつはデリカシーってもんがないのか…と呆れながらも、まぁ、ここで腫れ物のように扱われるよりはマシだということにするか、と納得させた。


「わたしの両親、離婚したんだよね」


あまり驚いていないような爆豪の顔を見て、何となく察してたんだろうなぁと推察する。

わたしの両親が離婚したのはたった2ヶ月前のことだ。けれど、二人の仲が悪くなったのはもう約5年近く前に遡る。原因は「教育方針の違い」だった。

元々結婚してから長いこと待ち続け、ようやく待望の子供を授かったといって、両親はわたしを目に入れても痛くないほどに可愛がってくれた。しかしそれは熱心すぎる教育観念にもあらわれ、父はわたしを「強くしよう」と色んな武術を教え込んだ。母はそれが面白くなかったらしく、女の子ならば「おしとやかに」育つべきだと考えていた。父は自分がなれなかった分、夢を託すように「わたしをヒーローに」と望み、母は「絶対にヒーローにはさせない」と反発。次第に二人の溝は深くなり、修復不可能な状態に。そしてわたしは二人の争いの元となった武術には一切手を付けないようにしてきた。

「母にはヒーローにはなるなって言われてるし、武術はもう必要ないと思ってやってなかったんだよね」
「……………」

「危ない目に遭って欲しくないから」と、ヒーローになること”そのもの”を反対されている実情を吐露すると、爆豪は複雑そうな顔をした。そもそもただのクラスメイトなのにも拘わらず、何故爆豪にこんなプライベートな話をしてるんだろう…いや、そもそも自分から聞いてきたコイツが悪くないか…?そんなことを考えていると、爆豪はめずらしくボソッと「じゃあ…」と小さな声を漏らした。


「テメェはならねェんか、ヒーロー」


そう言って、曇りない眼を向けてきた爆豪にわたしは相当驚いていた。
だって爆豪なら「お前みたいな雑魚がヒーロー目指したってなれるわけねェ」ぐらいは言いそうなものだし、そもそも一人ライバルが減ったって喜びそうなものだけどな。いや、そもそもこれはただの意思確認で、わたしはライバルにすらならないからあんまり関係ないのか。

「ならないのか」という意思確認にわたしは両拳を握った。確かに、わたしが原因で両親二人の仲を引き裂いた。そもそも没個性だし、No.1ヒーローになれるのかと言われたら多分無理だろう。そんなわたしを送り出す身にもなってみて、と母に何度も諭された。母に悲しい思いをさせたくないし、不安にさせたくもない。だから、ヒーローを目指すのを諦めたのだ。没個性だから、母が反対しているから、誰にも悲しんで欲しくないから。少し前まではそう思っていた…けれど。

緑谷に出会って気が付いたんだ。周りの人を悲しませないようにと必死になってきたけれど、わたしは今まで「わたしが悲しまないための選択をしてきただろうか」と。緑谷は自由に、自分の体と心の赴くままに動いていた。それがものすごく眩しくて、とんでもなく羨ましかった。

だから、わたしもなりたいと思ったのだ。緑谷みたいに。


「なるよ、ヒーロー」


そう言うと、爆豪は少しの間のあと「…フン、」と面白くなさそうに鼻息を吐いた。
この決意は母親を裏切ってしまう事だと自分でも分かっていて、ハッキリと意志を口にするのはまだ少し怖さもある。震えが伝わらないようにとにかく気丈に振舞った。爆豪はそんなことおかまいなしに「さっさとンぞ」と組手の準備をし始める。こんな時は爆豪のデリカシーのなさが少しだけ救いになるな、と笑いながら「はいはい、」と返した。

その後は、まぁ想像通り。もちろん昔の事とはいえ有段者なので、個性なしなら爆豪に負けない自信があった。実際組手は全部わたしが勝ち、爆豪は悔しそうにしたけれど、やっぱり「負け」を認めることはなかった。今度は”個性あり”でそのうち再勝負するんだとか。好きにしなよ、と笑った。

「もう帰るの?」
「俺はテメェほど暇じゃねェ」

負けっぱなしで面白くなさそうな顔をして立ち上がった爆豪は、何も言わずに玄関の方へ歩いていく。生意気なことを言い放ち、靴を履いて挨拶もなく出ていく。…全く、なんでアイツあんな可愛げないんだろうな、幼馴染だったら緑谷と同じような環境で育ってきたはずなのに。全部緑谷に純粋さを渡してしまったんだろうか。そう思いながら去っていく背中に「爆豪ー」と声を掛ける。


「またいつでも来なよ、わたしの訓練にもなるし」


…まぁ、あれはやっぱり焦ってるよなぁ。クラスメイトは”余裕が更に出てきて丸くなった”なんて言っていたれど、多分もっと実力付けないといけないことをヘドロの件で悟って、他の人間に構ってる暇なくなっちゃったんだろうなぁ。最初の頃より深くなった眉間の皺と、思案するように静かにどこかを見つめる顔をすることが増えた爆豪を見て、そう思った。せめてあいつのしたい時に組手に付き合ってやるくらいは出来るかもしれないなと思い、爆豪にそんなことを言うと、爆豪は何も言わずにまた「フンッ、」と鼻だけ鳴らした。

その後、律義に負けたペナルティとして爆豪は駅前の雑貨屋さんで可愛いものをちゃんと買って来たらしく、白地に可愛い犬のイラストが描いてある定期券ケースをピンク色のプレゼント用の紙袋に入れて、嫌がらせも兼ねて教室でわざわざ渡すものだから、一時期3学年の間では「爆豪と苗字が付き合ってる」なんて不名誉すぎる噂が流れた。けど、それも時間が経てばあっという間に忘れ去られるもので。春が夏に変わり、長い長い夏休みを経て、もうすぐ秋がやって来る。