「空は青く美しい」普段読んでいる本にはよくそう書かれているけれど、この国から見上げる空は常にどんよりと曇っていた。鬱屈とする灰色の空に、息苦しい空気。明かりなんてほとんど差し込まない、退屈な日常。
馬車の窓から見える街並みもいつもと変わらぬ空気を纏っていて、それが酷くつまらないものに思えた。けれどきっとここからわたしが抜け出すことは出来なくて、一生この色のない景色を見つめ続けるのだろう。所詮私は、鳥かごの中に閉じ込められた鳥なのだから。
窓枠に頬杖をつきながらはぁ、と大げさにため息をつく。
なにか、何でもいいからいつもと違う何かが欲しい。この退屈な日常を抜け出せるような、衝撃的な何か。そんなことが起きればいいのに…。そんなことを思っている時だった。
ガタンッ、
乗っている馬車が大きく揺れ、今まで一定の速度で走り続けていたものが急に停止する。体にかかる重力に抗えず前につんのめり、思わず座っていた座席から前の座席に飛び込むように転ぶ。
「っ!お嬢様、申し訳ありません!ご無事ですか!?」
「…っ平気よ、何でもないわ」
膝を強くぶつけたけれど、何でもないように装って元の座席に座り直す。今通っているのは都市の大通りだ。急停止などよくあること。そう思い、再出発するまで待とうとするも、いつも以上に時間がかかっているのか。一向に待っても馬車が動かない。それどころか外は喧騒に包まれていて、馬車の後ろから付いてきていたであろう護衛の騎士の怒鳴るような声まで聞こえてくる始末。
恐らく民間人が馬車の前に飛び出してきたのだろう。けれどこんなところで騒ぎを起こしたら後から何を言われるやら…しかも今日は非常に疲れている。早く帰って休みたいのだ。
「はぁ…扉を開けてちょうだい」
「え…しかし、お嬢様…」
「いいから、開けなさい」
「っか、かしこまりました」
御者に命令を下すと、慌てて足場を用意してから扉を開ける。差し出された手に自身の手を添えながら反対の手でドレスの裾をたくし上げると、身をかがめて馬車から降りる。ようやく鮮明に見えた外の様子をぐるりと見つめる。ざわざわと民間人が野次馬の如く集まっており、騒ぎの中心にはやはり護衛の騎士たちが一人の男を取り囲んでいる様子だった。
「一体何の騒ぎなの?」
「っ、いけませんお嬢様!危険ですので馬車へお戻りください!」
その場に近づいて事情を聴こうとすると、騎士の一人は慌ててわたしに「戻れ」と言う。しかしこの場の騒ぎを収めることもわたしの仕事。状況を説明するように言うと、渋々さきほどあった出来事を話し始めた。
どうやら推測通り、民間人の子供がひとり馬車の前に急に飛び出たことで、馬車は急停止したらしい。この国では貴族の馬車の前を横切ること、また貴族の馬車の運転を妨害したものは鞭打ちの刑に処されるのが法律。大人も子どもも関係ない。騎士たちは”いつも通り”その場で子供に罰を与えようと鞭を取り出すと、「この男」が飛び出してきて騎士たちを襲ったのだ、とか。
騎士が指を差していたのは、何人もの護衛騎士達に取り押さえられるようにして拘束されている、スーツを着た金髪の男。しかし手足を押さえつけられてもなお抵抗しているようで、騎士達は必死の形相をしながら取り押さえ続けている。
「お止めくださいお嬢様!どうか馬車へお戻りを…!」
うちの騎士団は王国の中でも指折りの最強武力を誇っているというのに、数人がかりでも拮抗しているなんて…この男、相当強いみたいね。そんなことを思いながら騎士の悲鳴にも似た懇願を無視し、拘束されている男の目の前に立つ。
「…その者、面を上げなさい」
金髪の男に向かってそう言うと、抵抗がてら男は「離せクソ!」と言いながら荒々しく顔を上げた。さらりと揺れた長い前髪はすぐに片方の瞳を隠すように垂れたが、そのもう片方と目が合った瞬間、わたしの身に纏う時間が全て止まったように感じた。
ものすごく澄んだ、蒼い瞳ー…
爽やかな風さえ感じるようで、重苦しく息苦しい胸がすうっと溶けていくような気分だった。たまに差し込む空の光のように、暖かさや輝かしさも感じていて、その驚いたように丸く見開かれている瞳を見て、わたしはこう思った。
空とは、こんな風に青いのだろう…と。
一度も見たことがないのにも関わらず、彼の瞳の色が広がる空を容易に想像できてしまった。今までの人生で見た中で一番、きれいな色だった。
そんな風に瞳の色に見惚れていると、さっきまで散々足掻くように抵抗していた体の動きをぴたりと止め、驚いたように目を見開いてボーッとわたしの顔を見上げていた男は今度は小刻みに震え始めた。
「…俺ァ……夢でも見てるに違いねェ…」
呟くようにそう言うと、騎士達の拘束をするりと抜け出してあっという間にわたしの目の前に移動してきた金髪の男。なに?いまの…軟体動物並みに身体がくねっていたけれど…?
騎士達もわたしも、驚きながら固まって男を見ている。再拘束しようと騎士達が動かないでいるのは、男はわたしに敵意など欠片もなさそうで、さらには敬意を表したように跪いているから。
「こんなに美しい女性は今まで見たことがない…MY・プリンセス…」
青い瞳にハートを浮かべるようにトロンとした表情を浮かべたと思えば、男は「あなたに忠誠を」と言いながらわたしの右手を取り、手の甲にキスをした。恐ろしいスピードで行われた忠誠の言葉に、わたしも騎士も周りの野次馬も驚きながらザワザワと騒ぎ立てた。
「貴様っ、無礼な!」
「このお方をどなたと心得る!」
「貴様ごときが触れることは許されない、この王国で最も高貴なお方だぞ!」
騎士達は怒り狂いながら男の首元に剣を差し向け、男も舌打ちをしながら応戦しようとする。「お下がりくださいお嬢様、今この男を処刑します」と騎士はわたしを下がらせようとする。
「いい加減になさい!!」
また始まろうとしていた乱戦をこのまま見過ごすことは出来ず、大声を出して制止する。びくりと動きを止めた騎士達はわたしを振り返りながら「しかし…」と口を挟もうとする。
「…あなた、ずいぶん偉くなったものね?わたしに何度も”命令”するなんて」
そういうと、わたしを何度も馬車へ下がらせようとしていた騎士を睨みつけた。”わたし”が金髪の男に発言を許しているのにも関わらず、それを遮るとは普通はありえない。主人と従者の関係性も忘れ、わたしを御しようとする騎士など護衛に必要ない。「あなたも…それからそこのあなたも」そう言いながら騎士達を指差すと、顔を青ざめながら騎士達は「申し訳ございません、お嬢様」と頭を下げ跪いた。
ようやく静かになった場でため息をつくと、金髪の男はまたもやトロンとふやけた様な表情を浮かべわたしを見上げていた。…さきほど誓った忠誠はどうやら冗談ではないみたいだ…
「…ひとまず、子どもは今回は見逃すわ。この男の刑は一旦延期よ。そして、あなたはわたしに付いてきなさい」
ずっと怯えて成り行きを見守っていた最初に飛び出した子供とその親は無罪放免とすると、彼女らは「ありがとうございます!」と頭を下げる。無礼を働いたこの金髪男の罪状は…よく分からないのでいったん延期とする。金髪の男に屋敷まで付いてくるよう命じれば、くるくると回りながら「ハーイッ!!!!!」と気の抜ける返事をした男。変な男だな…そう思いながら、御者の手を借りてまた馬車へ乗り込んだ。
しかしこの時、わたしは確かに感じていた。
色のなかった世界に、彼の輝く瞳の碧色が鮮明に差し込んでいたこと。少しばかり退屈な日常が変わりそうな、予感の音がしていたこと。
ーあの碧へ飛び込めば、自由に空を駆けまわれそうな、
とまった時間を取り戻せそうな、そんな予感が。